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ジェーン・バーキンが語る最新作『Oh Pardon tu dormais…』と私生活や娘ケイト・バリーの死

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ジェーン・バーキン

フランスを代表するシンガー/女優のジェーン・バーキンのニュー・アルバム『Oh Pardon tu dormais…』が、2020年12月11日にリリースされた。日本人作編曲家・中島ノブユキがオーケストレイションを担当した『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール(Birkin / Gainsbourg:Le Symphonique )』から3年ぶり、スタジオ録音のオリジナル・アルバムとしては2008年の『冬の子供たち(Enfants D’Hiver)』以来12年ぶりとなるこの新作は、娘ケイト・バリーの死や自身の病など実生活上のさまざまな苦悩、あるいは、家族の幸福な想い出などが随所に織り込まれた極めてパーソナルな作品となっている。

作詞はすべてジェーン本人が手掛け、作曲とアレンジは人気シンガー・ソングライターのエティエンヌ・ダオとその盟友であるジャン=ルイ・ピエロ(元レ・ヴァランタン)が担当した入魂の新作について、本人に語ってもらった。


 

――このニュー・アルバムは、1992年にあなた自身が脚本と監督を務めTVドラマ『Oh! Pardon Tu Dormais…』が制作モティーフになったそうですね。

そうなんです。私が脚本を書いて演出も手掛けました。アニエス・ヴァルダが映画『カンフー・マスター!』(註:ジェーンが原作と主演。1988年公開)を撮っているいる時、「私は原作ではそんな風に書いてない」って彼女に言ったら、“だったら自分で監督なさいな”って言われたんです(笑)。

でも、そんなこと無理だと思いました。短編でも撮ろうかしらと(当時の夫の)ジャック・ドワイヨンに言ったら、「そんなこと言わずに頑張って長編を撮るんだ」って励まされて。それで『Oh! Pardon Tu Dormais…』は自分で監督したんです。その後、私が主演して舞台にもなりました。1年間続いたその舞台を、エティエンヌ・ダオは2~3回観に来てくれて、「この舞台は素晴らしい。アルバムにするべきだよ!」って言ってくれたんです。でも当時は別のアルバムの企画があって。確か『アラベスク』だったと思います。そしてその後も、別のアルバムの企画が続いたり、娘ケイトの死があったり、(中島)ノブユキとのライヴ・ツアーがあったりして、なかなかできなかったんです。

そして、ある時エティエンヌに、「まだやりたい?」と聞いたら「やろう」と言ってくれました。私はまず、ケイトについて書いた二つの歌詞を渡しました。自分にとっては、それが表現する必要を一番に感じていた事柄だったし、『Oh! Pardon Tu Dormais…』は随分前の作品なので。ケイトの死は7年前のことですが、私はこれまで何も言ってきませんでした。ノブユキとの〈ル・サンフォニック〉ツアーの際中、確かリヨンの小さな薬局に入った時、足のケア商品の棚が目に留まって、ものすごく動揺したんです。ケイトは世界一素敵な足をしていて、とても丁寧にケアしていたんです……。それでホテルに戻ったんだけど、フィリップ・ルリショム(註:セルジュ・ゲンズブールやジェーン・バーキンの作品を長年手掛けてきた音楽ディレクター)に「感じたことを全部書くんだ」って言われて。それが今作の3曲目「Cigalettes」になったんです。

Cigarettes

それから2曲目「Ces murs épais」。エティエンヌは、私がノートに書き綴った歌詞を今の形に整え、タイトルも考えてくれました。墓地にいると、この土の下に何が起きているんだろうと想像して、いてもたってもいられなくなることを歌っている曲です。

あと、ケイトとシャルロットが子供の頃、ノルマンディでヴァカンスを過ごした時のことも書きました。当時彼女たちは、なんでもかんでも埋葬する遊びに凝ってたんですね。死んだウサギやモグラ、それから食事で食べた骨なんかも。その埋葬ごっこはすごく気を使ったもので、ちゃんと箱に入れて綺麗に埋葬していました。ケイトはとてもバランスを気にする子なんですよね。本物の墓地で、あるお墓にはたくさんのものがあるのに、他のお墓には何もなかったりすることに理不尽さを感じたんでしょうね。シャルロットと二人ですべてのお墓に満遍なくプラスチックのお花やお供物を配っていったんです。後から市長さんに、“元に戻しなさい!”ってひどく叱られました(笑)。でも可哀想なケイトったら、どこに何があったか忘れてしまって。もう私はそのことがロマネスクでおかしくて仕方なかったわ。それをエティエンヌと一緒に書いたのが、6曲目「Les jeux interdits」です。

Jane Birkin – Les Jeux Interdits (Clip Officiel)

 

――エティエンヌ・ダオとあなたの最初の音楽的出会いは、あなたのアルバム『ラヴ・スロウ・モーション(A La Legere)』(1998年)でダオ作の「L’Autre Moi」を歌ったことだったと思いますが、80年代初頭から活躍してきたダオを、ミュージシャンとしてどのように評価してきましたか。

エティエンヌと出会ったのは、セルジュが亡くなった(1991年)後でした。私はセルジュなしの自分にアーティストとして歌う価値があるのかわからなかったので、フィリップ・ルリショムに聞いたんです。すると彼は、「ウィ。だけど、セルジュ作品以外を歌うなら今の時代の一番才能ある人たちの作品を歌わなきゃだめだ」と言って、ミオセックやアラン・スーション、フランソワーズ・アルディなどと一緒にエティエンヌ・ダオを紹介してくれました。

あのアルバム『A La Legere』のジャケットで、私は生まれたてのトンボになったんです。あの時がセルジュ以外の作品を初めて歌った時だったから。その後、エティエンヌとはデュオでの録音もしました(註:2001年のコンピ盤『Pop Sessions』での「Mon Amour Baiser」や、04年の『Rendez-vous』での「La Grippe」など)。あと、娘のルー(・ドワイヨン)が「I.C.U」を作曲した時、素晴らしい曲だから絶対にヒットすると確信したんだけど、残念ながら私にはプロデューサーの資質がないので、エティエンヌにどうか一番良い形にしてとお願いしたこともありましたね(註:ルー・ドワイヨンの2012年のソロ・デビュー・アルバム『Places』は、「I.C.U」を含むアルバム全体でエティエンヌ・ダオがプロデュース/アレンジを担当)。

私はずっとエティエンヌは素晴らしい才能の持ち主だとわかっていました。だから『Oh! Pardon tu dormais…』を作ろうと言ってくれた時、エティエンヌはちゃんと私を尊重してくれることもわかっていたんです。今回、歌詞に手を加える時も、とても気を使ってくれて常に「これでいい?」「こういうふうにしたいと思っていた?」と聞いてくれて、結果、本当に素晴らしい作品にしてくれたと思います。

――今回、作曲や演奏で全面参加した元レ・ヴァランタン(Les Valentins)のシャン=ルイ・ピエロ(Jean-Louis Pierot)は、エティエンヌ・ダオの長年のコラボレイターですが、ピエロとはこれまでもつきあいがあったのでしょうか?

いいえ、全然。きっとどこかで会ったことはあるのでしょうけど、一緒に作品を作ったのはこれが初めてです。エティエンヌとピエロはいつも一緒に仕事をしているみたいですね。二人がどんなふうに役割分担しているのかとかは、私にはまったくわかりませんでした。

――いただいたレコード会社の資料にはアレンジャー名がクレジットされていませんが、オーケストレイションを含め、大方はシャン=ルイ・ピエロが担当したのでしょうか?

そうです。特に8曲目「A marée haute」での彼のアレンジは素晴らしいと思いました。私が入院中に作ってくれたんだけど、退院してから聴き、感激しました。オーケストレイションも彼がやったんだと思います。

Jane Birkin – A marée haute (Clip Officiel)

――ダオやピエロが書いたメロディがインスピレイションになって書かれた歌詞もありますか?

いいえ、すべて歌詞を先に書いたから。途中で変わったものもあったし、私の本の中から取られた詞もあるけど、それらも先に書いたものですよ。

――作品全体の荘厳さ、陰影の深さに、私は一聴してすぐにセルジュの『メロディ・ネルソンの物語(Histoire De Melody Nelson)』(1971年)を思い出しました。あなたたち3人(あなたとダオとピエロ)の頭の中には、『メロディ・ネルソンの物語』のイメージはありませんでしたか?

いいえ、このアルバムは私のドラマ/舞台が元になっているから、『メロディ・ネルソンの物語』のイメージはありませんでした。エティエンヌとピエロはジョン・バリー(註:ジェーンの最初の夫であるイギリス人作曲家)を意識したと言っていましたが、私には到底思いつかないことでしたね。だってジョン・バリーの音楽は素敵だけれど、私はそんなに詳しくないもの(笑)。やはり私が歌うと、人々はセルジュを思い浮かべるんだと思います。たとえ音域が違ったり、英語で歌ったりしてもね。(インタビュアーの)シンヤの言うことわかります。全体が一つの物語になっているコンセプチュアルなアルバムという意味ではね。

でも、やっぱり私の書いたものが元になっているってことは、もう一度言わせてくださいね。私の日記の下巻に『Oh! Pardon tu dormais…』の元になったエピソードが入っているんだけど、それを読んでいて私は17歳の時からちっとも変わっていないんだって、自分でわかったんです。当時の私は毎晩のように夜中に泣きながらジョン・バリーに「私のことをきれいだと思う? 歳をとっても愛してくれる?」と聞いていたんです。ジョンは「うるさい、あっちに行け。眠いんだ!」って私を追い払いました。今一つ言えることは、夜中にそんな質問はしちゃダメだってこと。だって優しい答えなんて絶対返ってきやしないんだから(笑)。

――13曲目「Catch Me If You Can」はケイトが遺した日記の一節がモティーフになって書かれたそうですが、この歌詞を書いた時の気持ちについて説明してもらえますか? 無理だったらけっこうですが…

そうです。ケイトの日記に貼られたポストイットに書いてあった一節なんです。「両親の間でユリシーズのように幸福であること」という一文。これってきっと、すべての人に共通する思いかもしれないと思いました。いつか両親の元に帰るという願い…。元々、エティエンヌからは、墓標に書く一文を書いてって言われていたんたけど、私にはそれがなかなか書けませんでした。

ピエロが書いたメロディはとても美しくて、落ちるようでした。その“落ちる”という言葉が私の頭にあって、ケイトに繋がっていって(註:ケイトは2013年に飛び降り自殺した)……。私が最後にケイトと会ったのは、シャトレ座のコンサートの後でした。打ち上げで飲んでいた私たちを置いてケイトは去っていったんだけど、記憶の中のそのシーンは、まるで時間が止まったように私たちが動かなくなり、ケイトは登っていくんです。親や犬たちが待つところに、ユリシーズの子供のようにね…。

あと、私自身のことも少し混ぜてあります。私が年老いて、誰もいなくなった時、あなたは私のそばにいてくれる?という問いなんです。この曲の歌詞はとても早く書けました。2時間くらいでね。だから感情的になる暇はありませんでした。この曲はアルバムの最後の曲なんだけど、エティエンヌに見せた時「パーフェクトだ。何も変えるところはない」って言ってくれて、とても誇らしく思いました。

Catch Me If You Can

――その「Catch Me If You Can」以外にも5曲目「Ghosts」は英語で書かれていますが、なぜこの曲は英語にしたのでしょうか?

イギリスの学食で歌われた歌を下敷きにしているからです。ペストの時代に歌われた歌らしいですよ。そしてこの歌には家族が皆登場するんです。私が分娩室にいた時に、天井に家族の顔が浮かんで、私は彼らにつかまって子供時代まで戻る…そんな歌です。

――「死」を含め、これまでの人生の様々な思い出が刻み込まれた真摯でヘヴィな作品ですが、このアルバムを作ることは、あなたにとってどういう意味があったと思いますか? また、完成させてみて、精神的になんらかの変化はありましたか?

わからないですね……自分より先に子供を失った親は、失った子供をなんとか自分のもとにつなぎとめておくために、彼らの話をするものです。子供の顔を忘れてしまうのではないか、声を忘れてしまうのではないか、という恐怖が常につきまとっているんです。この作品を作って私が救われたか、それはわからないけど、エティエンヌが私を作詞家としてきちんと扱ってくれたことはとても誇らしく思っています。

この作品のためのインタヴューでは、皆、私がこういう作品が作れたことを驚いているようなんです。「Elle」誌のインタヴュアーは、インタヴューの最初から最後まで泣いてました。私もとても動揺したけど、彼女の琴線に触れるような作品が作れたことは嬉しかったです。

――中島ノブユキ氏とはこの数年ずっと一緒に仕事してきましたが、今後の予定はどうなっているのでしょうか?

これからも一生一緒にやっていくつもりですよ。ノブユキがやりたいって言ってくれるし、日本にも行かなきゃ。セルジュを世界中に連れて行きたいんです。それはセルジュが私に与えてくれた素晴らしい曲たちに対する恩返しのようなものです。延び延びになっているけれど、来年(2021年)4月には日本に行きたいと思っています。今は時期が悪いけれど、体に気をつけてくださいね。

(2020年10月31日)
Interviewed by 松山晋也/Shinya MATSUYAMA
Interpreted by 山田蓉子



ジェーン・バーキン『Oh! Pardon tu dormais…』
2020年12月11日発売
iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music





 

 

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