デス・ディスクの魅力:悪趣味なのか、ユーモアなのかアート表現なのか

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いわゆるデス・ディスク(または「スプラッター・パターズ」)というジャンルは、悪意があったり、非良心的だったり、あるいは従来の観念からかけ離れた、という意味で擁護することは到底できない。しかし、見識があってたくましいユーモアのセンスを持つ好事家にとっては、時に当惑と同時に尽きることのないわくわくさせる何かをもたらすものとなっている。デス・ディスクの商業上な全盛期は1955年から1965年の10年間となっている。もっとも、夭折や悲痛だったり、ひどく皮肉だったりする死について歌うということは、伝統的なフォーク、ブルース、カントリー・ミュージックの縦糸や横糸に黒い縫い目として織り込まれて来ていた。

デス・ディスクの鋳型を作るのに大きな貢献をしたのは、ヴォーカルグループのチアーズが歌い1955年に全米ヒット6位に入った「Black Denim Trousers And Motorcycle Boots」を作った作曲コンビのジェリー・リーバーとマイク・ストーラーだったと信ずるに足る根拠がある。やがて流行する全ての要素がこの曲に一気に現れている。すなわち、ぐれた主人公、無謀な運転、避けられない致命的な衝突、残されて悲嘆に暮れて彼の墓を涙でぬらすガールフレンド、という要素だ。リーバー=ストーラーは、大胆にも、「Black Denim Trousers And Motorcycle Boots」の歌詞に出てくるパンツとブーツがカリフォルニア行の機関車と衝突したバイクの運転手のものであるとした。そして、この曲がチャート入りした6日後、映画スターのジェームズ・ディーンが、カリフォルニア州道41号と46号の交差点で、愛車のポルシェ550スパイダーを大破させて亡くなった。ジェームズ・ディーンの早すぎる死は、イタリア人の俳優ルドルフ・ヴァレンティノのようにロマンティック視される風潮を不動のものとしたのである。

鉱脈を発見しても掘り進めない人がいないように、リーバー=ストーラーは、チアーズの次のデス・ディスクであり、またもや気の狂った不適切さに満ちた残酷な寓話である「Chicken」で1955年のジェームズ・ディーンの映画『理由なき反抗』のレースのシーンを暗示している。

There might have been a winner
But they had no way to tell,
For the couples were all dead
And there was no one left to yell.
勝者が居るに違いないが
誰も勝者を示すことができない
だってカップル達はみんな死んでしまう
叫ぶ人がもう誰もいないから

病的状態がドル箱となる例を、デス・ディスク史の記念碑的作品であるジョディ・レイノルズの1958年のミリオンセラー「Endless Sleep」(楽曲中に死が描かれている訳ではないのに)が示している。心配したレーベル側からのたっての希望で、改訂版では、ジョディ・レイノルズは悲痛なエンディングを変えて、ガールフレンドの自殺の試みを阻止してこう歌っている。

From the angry sea…
I saved my baby
From an endless sleep
怒りの海から
ぼくは自分の赤ん坊を救った
永遠の眠りの底から

これらの楽曲は、マーク・ダイニングが「Teen Angel」で1960年2月に1位を獲得した時にはより悪化していた。このお話しは、16歳の女の子が、エンジンの泊まった車に戻って、彼女のボーイフレンドからもらった指輪を探して…そしてその後はご想像通り(車にひかれて亡くなってしまう)。この曲を聞いた世界各地の若いカップルたちが共鳴する恐怖の和音を奏でることとなる。

6か月後、レイ・ピーターソンの「Tell Laura I Love Her(邦題:ローラに好きだと言ってくれ)」が運命的な流れにより拍車をかける。ストックカー・レーサーが賞金でガールフレンドにウェディング・リングを買うためにレースに出る。しかし、結局代わりに亡くなってしまうのだ。リッキー・ヴァランスの英国カバー・バージョンは、BBCの放送禁止にも関わらず、あるいはそのお蔭で、トップヒット・チャートを駆け上がり、No.1ヒットとなった。英国の俳優・歌手・アイドルのジョン・レイトンも、世に出ることのない「Tell Laura I Love Her」をレコーディングした後、1961年にジョー・ミークが作った死んだ恋人の幽霊が現れる、すさまじい音の渦の「Johnny Remember Me(邦題:霧の中のジョニー)」で、英国チャートのNo.1になる幸運を得ている。

デス・ディスクの愛好者は、1964年がデス・ディスクの当たり年だったと口をそろえる。L.A.のサンセット・ブルヴァードでの壮絶で悲運なドラッグレースをうたうジャン&ディーンの「Dead Man’s Curve」を聞いて欲しい。後にジャン・ベリー自身が1966年の4月にサンセット・ブルヴァードの南側で事故に巻き込まれ、脳に不治の障害を負った時、この曲は愕然とするような現実世界への共鳴と影響をもたらしたのだった。J. フランク・ウィルソン・アンド・ザ・キャヴァリアーズの「Last Kiss」(全米ヒットチャートNo.2)もあった。この曲は、立ち往生している車を避けようとして道を逸れ、車が大破して、ドライバーのガールフレンドが死んでいく、そして彼は楽曲のタイトルどおり最後のキスで彼女の口を塞ぐのである。ちなみにパール・ジャムは1999年にこの曲をカヴァーし、やはり全米ヒットチャートNo.2になっている。

イギリスではトゥインクルの愛称を持つリン・アネット・リプリーが自ら作詞した「Terry」では、少女の不貞行為により歌の中の主人公であるテリーが怒りと疑問を持ってバイクで走り去ってしまい、少女が生涯罪悪感を持ち、カルマのホイールに押さえつけられてしまい「天国の門」までの道へ導かれている様が歌われている。

そして、もちろんの事、ガールズ・グループの神であるザ・シャングリラズの、バイクにまたがる反英雄、厳格な両親からの反対、そして避けられないドラマのような終わりを歌った死のディスク最高傑作「Leader Of The Pack」が存在を忘れるわけにはいかない。

As he drove away on that rainy night,
I begged him to go slow…
but whether he heard,
I’ll never know
彼が雨の夜を走り去って行く時
飛ばさないでってお願いしたんだけど・・・
その声が彼に届いてたかどうか
私にはわからない

この辛い感情と同時に夢見心地な雰囲気を描いた曲を歌ったザ・シャングリラズは、「Tell Laura I Love Her」を歌ったレイ・ピーターソンがレコーディングを手掛け、実に不運の禁じられた愛の痛ましい物語を歌った「Give Us Your Blessings」と歌い手の母親が死の被害者となる(娘が男性の見る目がない事に母親が心に傷を負ったまま亡くなる)複雑な心境を歌う「I Can Never Go Home Anymore」を残している。

このような歴史に残る数々の作品は、風刺の序盤にすぎない。「Endless Sleep」を書いた事で名が知られているジョディー・レイノルドが共作した、ジョニー・ランスの「The Big Tragedy」では、ヴォーカルの彼女がスチームローラーにひかれた事を歌っている(’I’m taking a shower now – just slide her under the door / 僕は今シャワーを浴びているから彼女をドアの下にスライドさせてくれ’)。そしてジミー・クロスの「I Want My Baby Back」では、集団のリーダーがジミー・クロスの彼女の車に衝突した後、歌の中の語り手が彼女の墓を登る情景を歌っている。

死を題材にしたディスクや死をパロディにした作品は、それほどマーケットにとけ込む事はなかったが、皮肉にもこの題材は死ぬ事はない事が証明された。例えば、飛行機墜落の余波を歌い、手術台に寝ている死にそうな男性が歌い、怒りに満ちたオペラ風なブラッド・ロックの「DOA」や、10ccが1973年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムに収録した前年の死んだバイカーを敬意を表す讃歌「Johnny Don’t Do It」があげられる。そしてミートローフのタイトル曲「Bat Out Of Hell」もある。ジャック・ブレルの「Le Moribond(邦題:瀕死の人)」をセンチメンタルにリライトしたテリー・ジャックスの告別曲「Seasons In The Sun(邦題:そよ風のバラード)」が世界的に著しいセールスをたたき出した事により、人間がこの世を去る事に対する人々の悲しみは絶え間ないという事が表れている。

さらに、1987年にリリースされた事故にあった車の破片を歌うポール・エヴァンズの「Hello, This Is Joannie」が発表された同時期にディーヴォの「Come Back Jonee」が発表され、JG・バラードを思わせる衝突事故が題材のザ・ノーマルの「Warm Leatherette」は、同じ題名のアルバムをリリースしたグレース・ジョーンズによりカヴァーされた。

また、ラモーンズも1981年に「7-11」(’ Oncoming car went out of control; it crushed my baby and it crushed my soul / やってきた車が正気を失った。俺のベイビーと俺の魂に衝撃を与えた’)を歌い、死という題材に敬意を示している。さらにザ・バースデー・パーティーは1982年の野蛮なアルバム『Junkyard』に収録されている「Dead Joe」を発表している。

近年では、プライマスの代表曲「Jerry Was A Race Car Driver」(1991年リリース)では、’ wrapped himself around a telegraph pole / 電柱の周りに身を巻き付けた’ と歌い、恋人たちが狂気となる他の車と衝突する瞬間を歌ったヘッドフォンズの「Slow Car Crash」(1995年リリース)、そして、2000年にヒットしたエミネムの「Stan」では、エミネムのファンの熱狂的な手紙を読み、要望をしり、返事するまでの間、歌のタイトルでもある正気を失った主人公のスタンが妊娠した彼女をトランクに積んだまま車を走らせ橋に落ちる情景を歌っている。

もし精神が強く、悪夢を見ないようであれば、どうぞこれらの楽曲をお楽しみください。

Written by Oregano Rathbone



 

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