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ジョージ・ハリスン、ビートルズのメンバーで初めてアメリカの地を踏んだ1963年夏のエピソード

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Photo: ® Apple Corps Ltd

1963年の夏、ザ・ビートルズがまとまった休みを取り、他の3人がヨーロッパで休暇を過ごしていた頃、ジョージ・ハリスンは1963年9月16日、兄ピートと共に、イリノイ州ベントン(人口7,000人)に住む姉ルイーズに会いに行き、アメリカを訪れた初のビートルズのメンバーとなった。

ジョージ・ハリスン曰く、「1963年にニューヨークとセントルイスを見て廻り、当時姉が住むイリノイ州の田舎まで行きました。そこでレコード・ストアへ行き、ブッカー・T&ザ・MG’sのファースト・アルバム“Green Onions”と、それからボビー・ブランドの作品など、色々なものを買いました」。またジョージは、1987年にカヴァーすることとなる、ジェームス・レイのシングル「Got My Mind Set On You」も購入したという。

George Harrison – Got My Mind Set On You (Version II) [Official Music Video]

ジョージ・ハリスン一行がベントンに到着した後、ジョージと姉のルイーズはその3週間前にイギリスで、そして到着したその日にアメリカでリリースされた「She Loves You」を手に、イリノイ州ウェスト・フランクフォートのラジオ局WFRX-AMまでヒッチハイクした。

「She Loves You」はビルボード誌で肯定的なレビューを受けたものの、ラジオで流れることは殆どなかったが、この時WFRXはこの曲をオンエアした。DJのマルシア・ローバッチによると、「彼は外見が変わっていて、ここにいる男達とは違う感じの身なりをしていました。凄く穏やかな話し方をする、礼儀正しい人でした」。

1963年6月に、ルイーズが母親から送られてきた「From Me To You」のイギリス盤をWFRXに持ち込み、それをマルシア・ローバッチがオンエアしたというエピソードがあるが、それは恐らく本当であろう。しかしザ・ビートルズの音楽がアメリカで放送されたのは、この時が初めてだったというのは事実ではない。「From Me To You」はイギリスで4月下旬にリリースされた後、全英シングル・チャート首位の座に7週間留まった。ザ・ビートルズが全英1位を獲得したことで、ヴィージェイ・レコードは1963年5月27日に、「From Me To You / Thank You Girl」(商品番号VJ 522)をシングル・リリースしている。同シングルはキャッシュボックス誌で“今週のお勧め”に選ばれたが、成功することはなかった。

ザ・ビートルズが1963年初頭にイギリスで成功を収めたことで、パーロフォンは新しい財産を活用しようという企みのもと、アメリカのEMI傘下の姉妹レーベル、キャピトル・レコードに連絡を取ったが、キャピトルはザ・ビートルズのレコードに興味を示さず、彼等のレコードをリリースしないという結論に至った。代わりにパーロフォンは、ある夫婦がインディアナ州ゲーリーで始めた黒人R&Bを専門に扱う、ヴィージェイという名の小さなアメリカ・レーベルに目を向けた。

まさにそういうタイプの音楽を愛し、影響を受けてきたザ・ビートルズはおそらくその皮肉さがわかっていただろう。1963年2月、「Please Please Me」が全英No.1になった2日後、ヴィージェイはこれをアメリカでシングル・リリース。Please Please Me」はシカゴのメジャー・トップ40ラジオ局であるWLSで何度か流され、数週間にわたって局のチャートにもランクインしたが、全米チャートに登場するには至らなかった。ヴィージェイがこのレコードで、バンド名を“Beattles”と誤植してしまったという事実も影響したのかも知れない。

Please Please Me (Remastered 2009)

そんなわけで、ベントンにある姉夫婦宅に滞在していた当時のジョージ・ハリスンは、アメリカでは全く無名のままだった(ルイーズの夫ゴードンはスコットランド人鉱山技師で、イリノイ州の鉱山で働く為に移住していた)。滞在中には、ジョージ・ハリスンは地元バンドのザ・フォー・ヴェスツと演奏し、その後バンド・メンバーにイリノイ州マウント・ヴァーノンの楽器店へ連れられ、そこで赤のリッケンバッカー420ギターを購入している。店長はジョージ・ハリスンの要望に応えてこのギターを黒く塗り直した。同ギターが初めて人前に登場したのは、ジョージと兄ピートがロンドンに戻った10月4日に出演した、テレビ番組の“Ready Steady Go”だった。

THE BEATLES LIVE – RSG SPECIAL 1964

その頃イギリスでは、ビートルマニア現象が本格的に始まろうとしていた。11月1日、彼らは誰もが認めるヘッドライナーとしてバンド初のツアーをスタートさせた。会場となったのはチェルトナムのオルデオン・シネマズだったが、このイギリス西部の穏やかな町では、過去にこのような現象をみたことが全くなく、ある新聞記者がこれを説明する為に“ビートルマニア”というフレーズを作ったほどだった。その3日後、バンドはロンドンの威厳ある劇場で開催された王室御前コンサートに登場し、王族はビートルマニア現象を目の当たりにした。「安い席の皆さんは拍手してください。高い席の人達はどうぞ宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」と、ジョン・レノンがジョークを飛ばしたのは有名な話だ。

1964年2月7日、ザ・ビートルズはパンナム・ボーイング707に搭乗し、ロンドンのヒースロー空港を飛び立ち、ニューヨークのJFK空港へと向かい、到着後すぐに記者会見を開いた。リヴァプールから来たこの若者4人をどう扱うべきか迷っていたアメリカのマスコミは、皮肉めいたものから唖然としてしまうものまで、ありとあらゆる質問を彼らにぶつけてみた。その翌日、ザ・ビートルズは寒く雪が降りしきるセントラル・パークでの取材後、“ザ・エド・サリヴァン・ショー”に出演するためにリハーサルを行なった。

皮肉にも、ジョージ・ハリスンは体調不良の為、記者会見にもリハーサルにも参加しなかったが、幸運なことに翌日には体調が回復し、バンドは夜8時に7,300万人もの視聴者の前に姿を現わした(ちょうど1年前のこの日、彼らはイギリス北部の町サンダーランドにある映画館で、ヘレン・シャピロの地味な前座として数千人の前でプレイしていた)。


Written By Richard Havers



 

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