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バンド初のメジャーヒットを生み出したレインボー『Down To Earth』

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リッチー・ブラックモアズ率いるレインボーは、『Rising(邦題:虹を翔る覇者)』、『Long Live Rock’n’Roll(邦題:バビロンの城門)』、『Down To Earth』などの名盤を含む、非常にクオリティーの高いハード・ロックの名盤を作り上げてきた。しかしそのアーティスティックな栄冠を得るまでに、時には代償も払ってきた。それはリッチー・ブラックモアによるバンド・メンバーの変更というのもまさにその代償のひとつだった。

レインボーの歴史は、メンバー・チェンジによって中断されることが多かった。元エルフのヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオとドラマーのコージー・パウエルが最初にリッチー・ブラックモアのバンドの中核を担い、高評価を得た1976年の2枚目のアルバム『Rising』の時にはキーボードのトニー・カレイとベーシストのジミー・ベインも加わった、しかしその二人も1978年の『Long Live Rock’n’Roll』の前にすでにグループを去り、リッチー・ブラックモア自身がほとんどのベースのパートを演奏した。

初期のファンから人気のある「Kill The King」や「Gates Of Babylon」を含み、またイギリスでそれなりにヒットした「L.A. Connection」、そしてアルバム・タイトルともなったアンセム「Long Live Rock’n’Roll」といったレインボー楽曲は全英トップ10入りを果たしたが、リッチー・ブラックモアはこの商業的な結果とロニー・ジェイムス・ディオのファンタジーをテーマにした歌詞に満足していなかった。その結果、1977年から78年にかけて精力的に行ったワールド・ツアーが終了すると、ロニー・ジェイムス・ディオはベーシストのボブ・デイズリーとともにバンドを脱退した。

リッチー・ブラックモアにはまだコージー・パウエルが残っていたが、レインボーの4枚目のアルバム『Down To Earth』の制作を始めた1978年にはまだ新たなライナップを模索していた一方でディープ・パープルのバンドメイトだったロジャー・グローヴァーをプロデューサーとして招き、積極的に共作をしていった。その後、ブラック・サバスの『Never Say Die!』への参加を終えたばかりで評判の良いセッション・ミュージシャンであったキーボードのドン・エイリーをバンドに加入させた。

しかし、カリスマだったロニー・ジェイムス・ディオの代わりのヴォーカリストを探すのは容易ではなく、リッチー・ブラックモアはディープ・パープルのイアン・ギランやトラピーズのフロントマン、ピーター・ゴールビーなどの案を検討しながらも最終的には誰にも決められずにいた。1979年春、まだレインボーのフロントマンを決まらない中、元プリティ・シングスのベーシストだったジャック・グリーンをバンドに迎え、南仏のシャトー・デュ・ペリー・コーンフェルドでのアルバムのレコーディングに向けて出発した。

しかし、ジャック・グリーンはすぐに解雇され、結局アルバムのベースはプロデューサーのロジャー・グローヴァーが担当した。そして、レインボーのフロントマン探しは、ついにロジャー・グローヴァーが60年代後半のロック・デュオ、ザ・マーブルスのシンガーだったイングランド東部リンカンシャー出身のグラハム・ボネットを見つけ出した時にようやく終結した。短髪でキレのあるニューウェイブのファッションに身を包んだグラハム・ボネットは、長髪で当時のヘヴィー・ロックそのものだったリッチー率いるレインボーとは対照的だったが、その圧倒的な声域で、フランスで開催されたオーディションの後、すぐにバンドに採用された。

さらにアメリカでレコーディングを続けてアルバムは完成し、1979年7月にポリドールから『Down To Earth』をリリースした。力強くラジオ・フレンドリーでもあるこのアルバムから、8月には先行シングルの「Since You Been Gone」が全英6位にまで急浮上し、レインボーにとって初のメジャーヒットとなった。

リッチー・ブラックモアの激しいリフ、グラハム・ボネットのパワフルなヴォーカルが軸である「Since You Been Gone」は、実は元アージェントのメンバーで音楽作家に転身したラス・バラードによる作品だった。リッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァーは『Down To Earth』の2枚目のシングルで名作「All Night Long」を制作し、1980年の2月にはまたも全英トップ10入りを果たした。このアルバムにはまだまだヒットとなり得る曲の数々が収録されていて、「No Time To Lose」やフリーのようなバラード「Love’s No Friend」ではレインボーの親しみやすい新たな一面も見えた。

その他に、レインボーの卓越したテクニックにほれ込むファンにとっては、ムーディーで変わり続け素晴らしいダブルトラックのリッチー・ブラックモアによるソロがある「Makin’ Love」や、そして6分間に及ぶ大作「Eyes Of The World」も収録されている。プログレッシヴ・ロックのスタイルの中で唯一異なる「Eyes Of The World」は、ボネットがさらに輝く楽曲であり、絶好調のドン・エイリーが、リッチー・ブラックモアの手の込んだギターに対して、スウィープを駆使したクラシカルなピアノで応戦するのだ。

『Down To Earth』の爽快で親しみ易いロックはそれ相応の結果をバンドにもたらした。全英チャートで最高6位を獲得し、リッチー・ブラックモア達はゴールドディスクと、当時自己最高のランキングを獲得したのだ。1980年、キャッスル・ドニントンで開催された第1回モンスターズ・オブ・ロックでヘッドライナーを務め、メインストリームでの認知もすぐそこにというところだったが、内部分裂が発生しグラハム・ボネットが脱退、1981年の『Difficult To Cure』では新たなフロントマン、ジョー・リン・ターナーを迎えることとなる。

Written by Tim Peacock


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