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チャック・ベリーが「No Money Down」で夢の車を手に入れる

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1955年後半にチャック・ベリーがチェスでリリースしたシングル「Maybellene」と「Thirty Days」が大成功したことにより、レーベルは急いでその年の終わりに再びレコーディングをしようとしていた。そこでチャック・ベリーは次のヒット曲をレコーディングした。自身の夢の車を手にいれるストーリーである「No Money Down」で、今一度、ポップ・カルチャーを捉えた彼の歌詞の巧妙さを証明した。

「Maybellene」のようにポップ市場へとクロスオーヴァーはしなかったが、1956年2月25日にBillboardのラジオ・ジョッキーが最もかける曲のリズム&ブルース・チャートに12位で登場し、5週間の在位中に8位まで登った。キャデラックやフォードなど商業的な歌詞があることから、ラジオでかけられる時間は限られていたが、それでもBillboardは‘しばらくなかったホットで目新しい曲’と称した。

その最初のヒット曲たちとそれぞれのB面曲「Wee Wee Hours」、「Together (We Will Always Be)」は、1955年5月21日にシカゴにあるチェス・レコードで収録された。その12月、29歳だったチャック・ベリーは新曲とそのB面「Down Bound Train」のレコーディングに入った。さらに、そのレコーディング・セッションで「Roly Poly」と「Berry Pickin’」も収録したが、それは1957年のアルバム『After School Session』まで発表されなかった。もう1曲その日にレコーディングした「I’ve Changed」に至っては、1979年まで発表されなかった。

チャック・ベリーは、最初の数台の車を購入する時にいつも聞かされていた営業トークを元に「No Money Down」の面白いストーリーを書いた。「Maybellene」の歌詞で“motorvatin”(訳注:motivationとモーターをかけている)という造語を用い、「No Money Down」でもその単語を使った。ポップ史において最高の車の楽曲を書いた人物にふさわしく、彼は車に夢中だった。

チャック・ベリーは、自伝で12年間で12台の車を乗っていたと話している。しかし、チャック・ベリーの最初の車、1934年モデルのV8フォードは、曲の歌詞と異なり、10ドルの頭金と、毎月5ドルの分割払いで購入した。「No Money Down」の語り手の方が良い状況だった。

ボロボロのフォードで街にモーターヴェートしているところを、曲のタイトルの通りの魅力的なセールス文句を掲げたキャデラックのディーラーを見かけた。4ドアの黄色のヴィール・コンヴァーティブルにあらゆるオプションをつけたものを注文した:コンティネンタル・スペア、ワイド・クローム・ホイール、パワー・スティアリング、パワー・ブレーキ、エアコン、ショートウェーヴ・ラジオ、テレビと電話、さらに “full Murphy bed in my back seat(バック・シートに収納式ベッド)”までもだ。その注文は面白おかしく続いていく。

曲の終わりには、チャック・ベリーは新しい車を手にし、ディーラーシップを後にする。すべてのオプションをつけたかどうかは知る由がないが、彼は道を進んで行くのだ、頭金なしで。もう壊れかけているボロボロのフォードのことを心配する日々は終わったのだ。30歳間近のロックン・ロールのパイオニアが、ティーンエイジャーの黄金時代を捉えた数多い楽曲のひとつだ。

Written by Paul Sexton


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