ビー・ジーズ『Spirits Having Flown』解説: 『サタデー・ナイト・フィーバー』に続きヒットとなった傑作

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ビー・ジーズ(The Bee Gees)による映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラは、1970年代という時代を象徴するような記録的な大ヒットを収めた。そんな大成功作に続く作品を作るというのは、非常にプレッシャーがかかることではあった。しかし、彼らの才能はその重圧を跳ね除けた。

1979年1月に発売されたビー・ジーズの15枚目のスタジオ・アルバム『Spirits Having Flown(失われた愛の世界)』は期待を裏切るどころか、はるかに上回る結果をもたらし、売り上げは推定で2000万枚、ギブ3兄弟はさらにこのアルバムから3曲を連続で全米シングルチャートの首位に送り込んだのである。

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終わらないビー・ジーズ・フィーバー

1979年1月24日にリリースされた『Spirits Having Flown』は、『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットでディスコの帝王として生まれ変わったビー・ジーズへの熱狂の中でリリースされた。

また、この作品が発表された当時、彼らはとてつもなくたくさんの仕事をこなしていた。1978年初頭、バリー・ギブは弟アンディのセカンド・アルバム『Shadow Dancing』のプロデュースを担当し、そのアルバムにヴォーカリストとしても参加。このアンディのアルバムもチャートで大きなセンセーションを巻き起こし、タイトル・トラックは全米1位を7週連続で獲得している。またバリーはフランキー・ヴァリが歌った映画『グリース』のテーマ・ソングの作曲と共同プロデュースを手がけ、これもまた世界的な大ヒットとなった。

一方ロビン・ギブは4歳の娘と共に子供向けテレビ番組『セサミ・ストリート』に出演し、さらにはアルバム『Sesame Street Fever』にも参加。

さらにモーリス・ギブも久々にビー・ジーズ以外の活動にも乗り出し、自作のインストゥルメンタル曲「The Love That Was Lost」を録音。これは、慈善団体ユナイテッド・ウェイの短編プロモーション・フィルムのために作った曲だった。

この年の7月にはロバート・スティグウッドとアップルが共同制作したミュージカル映画『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』も公開され、そちらではビー・ジーズがピーター・フランプトンとともに主演を果たしている。

特にこの時期のバリー・ギブは、ソングライターとしてチャートを席巻していた。その事実は、いくら強調しても足りないくらいだ。1977年12月から1978年9月にかけて、彼はビー・ジーズやアンディ・ギブ、『グリース』といった前述の楽曲たちを全米シングルチャートの首位に送り込んでいる。それらの曲が1位に留まった期間は、合計すると27週間という気の遠くなるような長さになる。

とはいえ、このような慌ただしさの中でもビー・ジーズは集中力を高めていた。そして1978年の3月以降、彼らは次の重要なステップになるであろう新作の制作にかなりの時間を注ぎ込むことになる。

 

アルバムからの3曲の全米1位

バリー、モーリス、ロビンの3人はレコーディングの場所としてマイアミのクライテリア・スタジオを選び、信頼できる共同プロデューサーとしてカール・リチャードソンとアルビー・ガルテンを起用した (ガルテンはオーケストラのアレンジも担当している) 。

また、長年付き合いがあったミュージシャン達も多数参加しており、その中にはブルー・ウィーバーやブラス・セクステットのボネルー・ホーンズも含まれていた。さらには人気バンド、シカゴの有名なホーン・セクション、つまりジェームズ・パンコウ、ウォルター・パラゼイダー、リー・ロックネインもゲスト参加している。

このホーン・セクションの3人は、『Spirits Having Flown』の第1弾シングルとなったバラード曲「Too Much Heaven」で大きな存在感を放っていた。加えて彼らの参加は大きな意味を持っていた。つまりビー・ジーズは、「ディスコの帝王」というような狭い定義に縛られることを拒否していたのである。彼らはブームがいつかは終わることを承知していた。それに彼らの曲作りの素晴らしさは、決してひとつのスタイルに限定されるものではなかったこともあるだろう。

「Too Much Heaven」は、UKでは10月に、アメリカでは11月にリリースされた。これは1979年の国際児童年を記念した曲で、収益金はすべてユニセフに寄付されている。このシングルはアメリカ、アルゼンチン、ノルウェー、ニュージーランドなどさまざまな国のチャートで上位に入り、米ビルボードのソウル・チャートでもトップ10入りを果たした。

次のシングル「Tragedy」では、バリーならではのファルセット・ヴォイスがフィーチャーされている。こちらは2月にリリースされ、またもや世界中でNo.1となり、アメリカではやはりプラチナ・ディスクを獲得。アメリカの業界誌Record Worldは、「“Too Much Heaven”に続く熱気に満ちたアップテンポの曲で、素晴らしいコード進行、高音のハーモニー、バックのシンセサイザーが聞きものだ」と評している。

第3弾シングル「Love You Inside Out」も同じくチャートの頂点に達し、これでビー・ジーズは1年半あまりのあいだに連続6枚のシングルを全米チャートの首位に送り込むこととなった。彼らは自らのレコードを作るだけでなく、自らの記録 (record) も打ち立てていたことになる。

 

“ビー・ジーズの最高傑作”

チャートでの成功があまりにも圧倒的だったため、彼らは『Spirits Having Flown』の魅力的で雰囲気たっぷりのタイトル曲をあえてシングル・カットしなかった。ただしUKでは話は別で、この曲は1979年後半にシングル化されたたが、これは新しいコンピレーション盤『Greatest Hits』を宣伝するためのシングルだった。このアコースティック風の爽やかな曲には、有名なジャズ・フルート奏者のハービー・マンがゲスト参加している。

1970年代はギブ3兄弟にとって記念すべき時代となった。その終わりを飾る本作『Spirits Having Flown』は、マスコミからも一般の人たちからも高い評価を受けた。Montreal Gazette紙は「今年最高のなめらかなハーモニーとバンド・アレンジ」と評している。

またSydney Morning Herald紙はアルバム発売前日のレビューで次のように絶賛していた。

「このグループのソフトなハーモニーのファンは、明日の朝、地元のレコード店に行列を作っていることだろう」

ビルボード誌のレビューには、さらに気前のいい賛辞が並んでいた。

「ビー・ジーズは、売り上げと放送回数の両面において、間違いなく現代の音楽界の帝王として君臨している。この新しいスタジオ・アルバムは、おそらく彼らの最高傑作である」

Written By Paul Sexton



ビー・ジーズ『Spirits Having Flown』
1979年1月24日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


ビー・ジーズ オリジナル・アルバム20タイトル
2022年11月23日再発
CD購入

アルバム・タイトル

①『Bee Gees’ 1st』(1967)
②『Horizontal』(1968)
③『Idea』(1968)
④『Odessa』(1969)
⑤『Cucumber Castle』(1970)
⑥『2 Years On』(1971)
⑦『Trafalgar』(1971)
⑧『To Whom It May Concern』(1972)
⑨『Life In A Tin Can』(1973)
⑩『Mr. Natural』(1974)
⑪『Main Course』(1975)
⑫『Children Of The World』(1976)
⑬『Spirits Having Flown』(1979)
⑭『Living Eyes』(1981)
⑮『E.S.P.』(1987)
⑯『One』(1989)
⑰『High Civilization』(1991)
⑱『Size Isn’t Everything』(1993)
⑲『Still Waters』(1997)
⑳『This Is Where I Came In』(2001)


ビー・ジーズ初の公式ドキュメンタリー
『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』

2022年11月25日より
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館他にて公開

公式サイト




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