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バレット・ストロング:モータウン発、ビートルズにカバーされ、ホイットフィールド&ストロングとして名曲を残した男の半生

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もしバレット・ストロングが単に「モータウン・レーベルの初ヒットを吹き込んだ」だけだったとしても、彼の名はモータウンの歴史にしっかりと刻まれていたはずだ。しかし彼は、その後も不滅の名曲の曲作りに関わっていった。そうしてモータウンの歴史に残る偉大なソングライターとなったのである。

ストロングは、1931年2月5日にミシガン州ウェスト・ポイントで生まれた。幼い頃にデトロイトに引っ越してからは、歌手コンテストで度々優勝した。やがてベリー・ゴーディが設立したばかりのタムラ・レーベル(モータウン)と契約。1959年4月には設立第3弾シングル「Let’s Rock」でデビューする。彼の次のシングルでありタムラの設立第7弾となったシングル「Money (That’s What I Want)」は8月に発売された。その曲はこのレーベルを全国に知らしめただけでなく、たくさんカヴァーされる有名曲となった。

Money (That's What I Want)

 

ストロングが吹き込んだその曲は、ゴーディとモータウンの受付だったジェイニー・ブラッドフォードの共作曲だ。当時ストロングはまだデトロイトのセントラル・ハイ・スクールの生徒だった。シングル「Money (That’s What I Want)」はビルボード誌のR&Bチャートで最高2位、ポップ・チャートで最高23位を記録。この曲のビートとメッセージは実に魅力的だった。1961年にはジェリー・リー・ルイスのカヴァー・シングルがサン・レーベルから発売され、モータウンでもミラクルズがアルバム『Hi We’re The Miracles』で録音していた。

ほとんどの人は忘れてしまっているが、イギリスではザ・ビートルズよりも先にザ・サーチャーズとフレディ&ザ・ドリーマーズなどが「Money」をカヴァーしていた。ビートルズがアルバム『With The Beatles』でこの曲をカヴァーしたのは、1963年11月のことだ。しかしたちまち大スターとなったビートルズに採り上げられたことで、オリジナルの発売元であるモータウンの名も高まったことは間違いない。

Money (That's What I Want)

 

歌手としてのストロングは、「Money」のオリジナル以外でも活躍している。彼はゴーディとスモーキー・ロビンソンの共作曲「Yes, No, Maybe So」(B面はゴーディが単独で作った「You Knows What To Do」)を録音。またゴーディ&ロビンソンの「Two Wrongs Don’t Make A Right」の初録音も彼のレコードだった。この曲は、メアリー・ウェルズも1963年のシングル「Laughing Boy」のB面でカヴァーしている。ストロングのオリジナル・ヴァージョンは、1961年のシングル「Misery」のB面に入っていた。

モータウンから離れたストロングは、1962年にアトコ・レーベルでシングル「Seven Sins」を録音。これはドク・ポーマス&モート・シューマンという強力コンビの作曲・プロデュース作品だったにもかかわらず、不発に終わる。ストロングはさらにヴィー・ジェイ・レーベルでもレコードを出している。ヴィー・ジェイでは、ストロングが共作者となった「Stay In My Corner」のオリジナル・ヴァージョンをデルズが吹き込んでいた。デルズはこのロマンチックな名曲をチェス・レーベルで再録音し、大ヒットさせている。

Stay In My Corner

 

その後ストロングは、1973年の「Stand Up And Cheer For The Preacher」(エピック・レーベル)と1975年の「Is It True」(キャピトル・レーベル)がささやかなヒットとなり、R&Bチャートに再び顔を見せた。しかしそのころには、歌手としてよりもソングライターとしての名声のほうが確立していた。

Marvin Gaye I Heard It Through The Grapevine (1968)

 

歌手としての活動がふるわなくなっていた時期に、ストロングはノーマン・ホイットフィールドと共作コンビを組んだ。ホイットフィールドは当時モータウンで頭角を現しつつあったソングライターで、のちに名プロデューサーとなった人物だ。このコンビが作った名曲の数々を並べていけば、そのまま「ソウルの歴史」になってしまうほど。たとえば「Wherever I Lay My Hat (That’s My Home)」「I Heard It Through The Grapevine」 「War」といった具合。そしてもちろん、テンプテーションズが続けざまに出した驚異的なシングルも忘れてはいけない。

ホイットフィールド&ストロングのコンビは、1960年代後期から1970年代初期のサイケデリック・ソウル時代のテンプテーションズに数多くの名曲を提供した。その例としては、「Cloud Nine」 「I Can’t Get Next To You」 「Psychedelic Shack」 「Ball Of Confusion (That’s What The World Is Today)」、グラミー賞を受賞した「Papa Was A Rollin’ Stone」などが挙げられる。ホイットフィールド&ストロングは、テンプテーションズのもうひとつの側面、つまりもっとソフトなスタイルに合った曲も提供している。その代表例が、1971年の「Just My Imagination (Running Away With Me)」だ。

The Temptations: Ball of Confusion

 

やがてモータウンがロサンゼルスに移転すると、ストロングはこのレーベルとの仕事から再び離れた。それから歌手活動に復帰し、1975年にアルバム『Stronghold』を発表。その続編『Stronghold II』はずっとあとの2008年に発売されている。

 

ホイットフィールドと組んだ活動について、ストロングは1975年のブルース&ソウル誌のインタビューでこう述べている。「ノーマンはずっとプロデューサー役を務めていた。こちらがアイデアを持ち込むと、ノーマンがそれを曲のかたちに翻訳していく。曲作りはそういう感じでコンビで進めていた。でもレコーディング・セッションには私はほとんど立ち会っていない。あの時期を振り返ると、一番誇らしく思うアルバムはテンプテーションズの『Solid Rock』[1972年発表]になるね。当時ノーマンと私はああいうサウンドに夢中だった。私たちがああいうサウンドを初めてレコードにしたんだ。私にとっては、あれがノーマンの最高傑作だ。自分が作った曲の中では、“ Grapevine”と“Papa Was A Rolling Stone”が特に気に入っている。“Papa”はグラミー賞を獲ったから、当時はとりわけ誇らしく感じていた」

Written By Paul Sexton



 

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