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ビートルズが世界を変えた10の事象:熱狂的ファンを生み、ファッションを変え、港町を観光地に

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Photo © Apple Corps Ltd

ザ・ビートルズは史上最も影響力のあるポップ・バンドといわれる。リトル・スティーヴンはuDiscoverの取材で、1964年に彼らをテレビ番組”The Ed Sullivan Show”で見たときのことを「人生で最も重要な瞬間」だったと語っている。

ダニー・ボイルの監督映画『イエスタデイ』のあらすじは、2019年に同グループを世界でひとりだけが知っていたら、というものだった。では、本当にビートルズがいなかったら?という疑問から、ビートルズと彼らの音楽が、世界を大きく変えた10の点を挙げていきこう。

1.ファンのパワーを呼び覚ました

ギター/エレキ・ベース/ドラムというロック・バンドの編成を一般的にする劇的なインパクトを残しただけでなく、ビートルズは”ビートルマニア”と呼ばれるファンの一大現象を引き起こした。彼らは1960年代前半に多くのファンを獲得したが、ビートルズは可能性の世界を切り開き、お金と時間に余裕のある10代のファンたちを元気づけた。1960年代のカウンター・カルチャーについて論じたティモシー・リアリーはビートルズが「陽気で自由な若者という新たな人種を生み出すほどの不可思議な力を持っていた」と語っている。

そうしたファンのひとりにスティングがいた。彼が13歳の誕生日を迎えた1964年10月2日、アメリカを席巻したばかりのビートルズは『Shindig!』というテレビの特別番組の撮影をしていた。「ビートルズは僕の少年期を形成したんです。教育のようなものでした」とスティングは話す。「彼らは非常に似たバックグラウンドをもつ。イングランドの工業地帯、労働者階級の生まれです。彼らは自分で曲を書いて、世界を征服した。それが、彼らを真似ようとする多くのイギリスの少年たちの青写真になったんです」。

ビートルマニアの現象は世界中に広がり、キューバのミサイル危機の混乱冷めやらぬ冷戦期にもかかわらず、共産圏諸国の若者の間での西洋文化への見方を変えることにも繋がった。

「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」本予告

 

2. “スタジアム”でのロック・コンサートを始めた

ビートルズの輝かしいアメリカ・ツアーはいわゆる”ブリティッシュ・インヴェイジョン”のきっかけを作った。彼らの成功をきっかけにザ・ローリング・ストーンズを含む他のバンドがアメリカで大きな人気を博することになったのだった。リトル・スティーヴンはuDiscoverに対し、7,300万ものアメリカ人が視聴した1963年2月9日の『エド・サリヴァン・ショー』を「忘れられない思い出」だったと振り返っている。

「私の人生で最重要の瞬間でした。私たちの世代に強い影響を与えたんです」と当時12歳だったリトル・スティーヴンは話す。「まるで地元の公園に空飛ぶ円盤が降り立ったようなもの。ただ、空飛ぶ円盤は映画で見たことがある分、彼らの方が衝撃的でした。ビートルズのようなものは見たことがなかったんだ」。

1963年のアメリカでのテレビ出演は、ビートルズを生で見ようとする人びとの騒動を巻き起こした。1965年8月にアメリカを再訪した際、彼らはクイーンズ区のフラッシング・メドウズにあるシェイ・スタジアムで演奏した。当時ポピュラー音楽のコンサートとして最多記録になった55,600人のファンは叫び声を上げ、熱狂とともにバンドを迎えた。ニューヨークでの同公演が18日間11公演に亘るツアーの初演だった。

ビートルズの伝記を著したボブ・スピッツは以下のように語っている。「 (1965年のコンサート・ツアーは) コンサート事業の再形成の大きな一歩になった。各地の興行主にとって、シェイ・スタジアム公演は衝撃的な出来事だった。体育館や劇場から課される制約から彼らを解放することになり、ポップ・コンサートをイベントに変えたのだ」。

The Beatles – Eight Days A Week

 

3. 希望についての普遍的なメッセージを発信した

有力な社会歴史学者のアーサー・マーウィックは、ビートルズが”All You Need Is Love / 愛こそはすべて”というメッセージを発信することで若者たちの行動原理を変え、”自己表現の権利の小さなルネッサンス=復興運動”を先導したと論じている。

反戦運動や平和を歌ったジョン・レノンの作品「Imagine」は、50年経った今でも変わらない意味を持っている。「私が信じている総論はこうです。自分が13歳の誕生日を迎えたとき、国民はジョン・F・ケネディの暗殺で深い憂鬱に沈んでいた。みんなが気が晴れるような何かを必死に探しているときに、ビートルズが現れたんです」。リトル・スティーヴンはそう語る。「ビートルズが何より先に曲の中で伝えたことは、抑えられない喜びだと忘れてはいけません」。

All You Need Is Love (Remastered 2015)

 

4. 他のバンドが後に続く音楽的発展の定型を作った

他アーティストの楽曲のカヴァーや、2分のポップ・ソングからレコーディングを始めたビートルズは、その音楽性を変化させていき、1960年代後半にはフル・アルバムの考え方を世間に広めた。彼らは他のバンドが後に続く音楽的発展の定型を作ったのだ。

実験性に関して言えば、1967年以降、半世紀に亘って生まれてきたポピュラー・ミュージックの多くは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の影響を多かれ少なかれ受けているといっても過言ではないだろう。このアルバムは、サウンド、作曲、スタジオ技術、ジャケットに至るまで独自性が追及されていた。同作はピンク・フロイドの1973年の傑作『The Dark Side Of The Moon』をはじめとする多くの作品にヒントを与えた。

「私はレノンやマッカートニー、ハリスンから、自分の人生について曲を書いて、自分の感情を表現していいんだと学びました……自分たちの興味を広げてやりたいことをやっていいんだと、ほかのどのレコードより私たち世代に感じさせてくれたんです」とロジャー・ウォーターズは語っている。

 

5. 録音技術の新基準となった

ビートルズはアナログ・レコーディング技術の新時代の到来を手助けしたといえる。『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の制作は、専門技術や技術革新の新基準となったのだ。アルバムのレコーディングは約700時間の作業の結晶だった。プロデューサーのジョージ・マーティンによれば、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は「楽器としてのスタジオ」の再定義に一役買い、マルチ・トラックの使用も先駆的だった。マーティンは西洋音楽とインド音楽や、ジャズとサイケデリック・ロックやポップを融合させた。マッカートニー曰く、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、彼ら以外のバンドに「守りに入るな」と伝えることでポピュラー音楽に「大きな変化」をもらたした。

The Beatles – A Day In The Life

 

6. 音楽やメディアの様相を変えた

MTVの誕生のはるか以前に、ビートルズは映画やテレビ出演を通じてその音楽を宣伝していた。彼らは影響力のある5本の主演映画(『A Hard Day’s Night』[1964年]、『Help!』[1965年]、『Magical Mystery』[1967年]、『Yellow Submarine』[1968年]、『Let It Be』[1970年])を通して、映画界に多大なる貢献をした。そうした作品はメインストリーム・カルチャーの流行に不遜さを取り入れた。ビートルズの広報担当、デレク・テイラーはメディアに精通し、先見の明をもって宣伝活動に強みを発揮した。

それは「The Beatles Are Coming /ビートルズがやって来る」というキャッチ・コピーにも表れている。バンド・メンバーも皮肉やウィットに富んだ記者会見で後続へ手本を示した。レノンは「How did you find America? / “アメリカはどうでしたか”の意。ただし直訳すると”どうやってアメリカを見つけましたか”」と訊ねられ、「Turned left at Greenland / グリーンランドで左に曲がったよ」と答えている。

 

7. ファッションの流行を変えた

ビートルズは10代の若者の歩き方や話し方、ファッションの変化を引き起こした。モップ・トップと呼ばれるもじゃもじゃの髪形は1960年代前半に突然流行し、長髪が社会に受け入れられやすくなった。メンバーはまた、”ビートル・ブーツ”と呼ばれるヒール付のキューバ製ブーツの人気も高めた。後にサイケデリックな音楽性に傾倒した時期には、ファンが口ひげやあごひげを伸ばすようになり、よりカジュアルな服装が日常生活に取り入れられるようになった。

「文化的な面で彼らは未知の存在でした」とリトル・スティーヴンは話す。「物体としての彼らは、誰も見たことのないものだったんです。髪型も変わっていたし、服装も変わっていた。ウィットや冗談も他と違っていた。彼らはアメリカに来たとき20代前半だったのに、面白かったし賢くもあった。彼らはアメリカの10代よりずっと洗練されていた。彼らは時代の先駆けだったんです」。

The Beatles – We Can Work it Out

 

8. リバプールを観光地に変えた

マージーサイド州生まれの彼らはリバプールで活動を始めた。初めはジョージ・メリーなどトラッド・ジャズのシンガーの幕間バンドから出発した彼らだが、リバプールの町は今でもビートルズの物語の出来事が多く起こった場所として知られている。

1961年から63年の間に、ビートルズはリバプールのキャヴァーン・クラブに292回出演し、その後に17曲もの全英1位シングルを残すなど世界的なスターダムを駆け上がった。改修されたキャヴァーンは現在もなお、毎年1万人の観光客を集めている。それは賞にも輝いたことのあるビートルズ・ストーリー博物館も同様だ。歴史あるアルバート・ドックの街にある同館は、ビートルズの歴史にまつわる品だけの世界最大の常設展示の博物館である。

リバプール市議会の委託でリバプール・ジョン・ムーア大学とリバプール大学が行った最近の調査によれば、ビートルズは毎年、同市の経済に8000万ポンド(105億円)以上の効果をもたらし2,300人以上の雇用を支えているという。また、ロンドンのアビー・ロードとそこにある有名なレコーディング・スタジオにも多くの観光客が訪れている。

 

9. 学生たちが彼らの作品を研究するようになった

南カリフォルニア大学では「The Beatles: Their Music And Their Time /ビートルズ:彼らの音楽と彼らの時代」という講義が20年以上に亘って行われている。バークリーやニューヨークのスキッドモア・カレッジ、インディアナ大学にもビートルズに関する授業がある。

2011年には、メアリー・ルー・ザハラン・ケネディというカナダの歌手がリバプール・ホープ大学でビートルズ修士号を取得した最初の人物になった。2018年には、アメリカでリトル・スティーヴンが運営する影響力の強いティーチロック (TeachRock) のカリキュラムにビートルズが組み込まれた。ティーチロックにはロン・ハワード監督によるドキュメンタリー『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK – The Touring Years』と合わせて学ぶ6つの協同研究の授業が用意されている。ティーチロックはスカラスティックとも提携し、最大百万人の学生に向けビートルズのウェブキャストを配信している。

 

10. どんなアーティストよりも多数の、後世に残る名曲を残した

ポール・マッカートニーによる名曲「Yesterday」は史上最もカヴァーされた楽曲のひとつである。また2019年5月には、「Let It Be」がイギリス人がリラックスしたいときに選ぶ音楽というリサーチで第2位になった。

ビートルズのシングルはアメリカで総計16億枚、アルバムは世界中で6億枚以上を売り上げている。そして、もしビートルズのいない世界ならば、彼らのすばらしいオリジナル・ヴァージョンだけでなく、大物シンガーやミュージシャンによる数百のカヴァー・ヴァージョンもなくなってしまうだろう。

カヴァーによってビートルズに敬意を表したアーティストにはフランク・シナトラやアレサ・フランクリン、エルトン・ジョンオーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、アデル、ニーナ・シモンカウント・ベイシーカーペンターズアル・グリーン、アース・ウィンド&ファイアー、トム・ペティ、ジョー・コッカー、エルヴィス・プレスリー、エルヴィス・コステロソニック・ユース、ハリー・ニルソン、スティーヴィー・ワンダー、デヴィッド・ボウイらがいる。

ビートルズがいなかったら世界の音楽は魂を失い、今とはまるで違ったものになっていた。つまりはそういうことだ。

Written By Martin Chilton


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