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カントリー界のレジェンド、パッツィー・クラインに関する50の事実

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1.乙女座

2.本名ヴァージニア・パターソン・ ヘンスリー

3.若くして急死した後も、何百万枚ものアルバム売上を伸ばし続けている

4.若い頃のお気に入りはハンク・ウィリアムス、ジュディ・ガーランド、そしてシャーリー・テンプル等

5.1973年、女性初のカントリー・ミュージックの殿堂のメンバーに選ばれ、殿堂入りを果たす

6.13歳の時、喉の感染症とリウマチ熱で入院。パッツィー・クライン曰く、「熱で喉がやられちゃったんだけど、回復したらよく響く声になっていたの」

7.高校中退後、ウェイトレスとして働き始める

8.1999年、VH1(訳注:ケーブルテレビ・チャンネル)の特別番組『The 100 Greatest Women Rock and Roll』の投票で11位に入る

9.1954年、若きカントリー・スターのジミー・ディーンと彼女、コニー・B・ゲイのラジオ番組『Town and Country Jamboree』のレギュラーとなり、平日の午後ヴァージニア州アーリントンのラジオ局WARLより生放送に出演

Walkin' After Midnight

10.ラジオ初パフォーマンスは1947年。

11.ローリング・ストーン誌“100 Greatest Singers of All Time”特集号で46位にランクイン

12.1953年9月19日、21歳の時に請負業者ジェラルド・クライン氏と結婚、1957年の独立記念日に離婚
Patsy-Cline-and-Charlie-Dick-
13.2カ月後の1957年9月15日、ライノタイプ・オペレーターのチャーリー・ディックと再婚

14.二人の子供がいる。ジュリー・ディック(1958年8月25日生まれ)とランディー・ディック(1961年1月22日生まれ)

15.ナッシュヴィルのレジェンド・プロデューサー、オウエン・ブラッドリーが彼女の大ヒット曲をプロデュース

16.母親は16歳の裁縫師、父親は43歳の鍛冶屋

17.二人目のマネージャーのビル・ピアが、彼女のミドルネームであり。母親の旧姓パターソンから、“パッツィー”と名づける

18.1955年、デッカ・レコードの子会社コーラルのフォー・スター・レコードと契約

19.1960年、デッカと契約

20.「Don’t Ever Leave Me Again」や「A Stranger In My Arms」等初期楽曲の曲作りに参加

21.フォー・スター・レコードで51曲をレコーディング
Patsy Cline
22.1955年7月1日、パッツィー・クラインはABC-TVにて、短期間で終わったテレビ版『グランド・オール・オープリー』でネットワーク・テレビ・デビューを果たす

23.当初、パッツィー・クラインは「Walkin’ After Midnight」をただのポップ・ソングとしてレコーディングしたくはなかった

24.1956年、ニューヨークの『アーサー・ゴッドフレイ・タレント・スカウト』のオーディションに参加し「Walkin’ After Midnight」を歌う。アーサー・ゴッドフレイのスタッフはパッツィー・クラインに、母親手作りのカウ・ガール姿ではなくカクテル・ドレスを着た方が良いと主張され、それで成功する

25.「Walkin’ After Midnight」がカントリー・チャート2位及びポップ・チャート16位を記録

Patsy Cline – Walkin' After Midnight (Live)

26.クロスオーヴァー・ポップ・ヒットを放つ初カントリー・シンガーのひとり

27.1958年、パッツィー・クラインとチャーリー・ディックはテネシー州ナッシュヴィルへ移住

28. パッツィー・クラインのデッカからの初リリースは、1961年のカントリー・ポップ・バラード「I Fall To Pieces」

29.1960年1月9日、『グランド・オール・オープリー』のキャスト希望が受け入れられ、一員として参加する

30.ステージに立つ前にギャラを要求し、彼女の“ギャラを出さなきゃショウはやらない”はその後ルールになる

31.  1961年、自動車事故にあい、額の広範囲のぎざぎざの切り傷、手首の骨折、そして股関節の脱臼で一ヵ月入院する

32.大ヒット曲「Crazy」を作曲したのは、その後カントリー界のレジェンドとなるウィリー・ネルソン

33.自動車事故後まだ松葉づえをついている頃に「Crazy」をレコーディングする

34.「Crazy」が全米シングル・チャートで9位、ホット・カントリー・ソング・チャートで2位を記録

35.『グランド・オール・オープリー』で「Crazy」を初披露した夜、3度のスタンディング・オヴェイションを受ける

Crazy

36.「She’s Got You」で初めてUKシングル・チャート入り、43位を記録

37.最大のUKヒットは死後1990年に発表された「Crazy」のリイシュ―版で14位を記録

38.アルバムが生前UKチャート入りすることはなかった

39.生前唯一の全米アルバム・チャート・ヒットは1962年の『Patsy Cline Showcase』

40.最大ヒット作は全米アルバム・チャートに7年以上留まる

41.ニューヨークのカーネギー・ホールでコンサートを行なった初の女性カントリー・ミュージック・シンガーである

42.1962年12月、ラスベガスで単独ショウを行なったカントリー・ミュージック界初の女性となる

43.1963年3月3日、カンザス・シティのソルジャーズ・アンド・セーラーズ・メモリアル・ホールで、ディスク・ジョッキーの“カクタス”・ジャック・コールの遺族の為のベネフィット・コンサートに出演。彼はその一カ月少し前に自動車事故で死去している

44.1963年3月5日夕方、最後となるコンサートから帰る途中の悪天候により、搭乗していた軽飛行機が墜落し死亡
patsyclinecrash
45.墜落現場から回収された遺品の中には、彼女の腕時計、南軍旗柄のシガー・ライター、鋲のついたベルト、金ラメのスリッパ3足等があった

46.最後の公演の報酬と衣装が回収されることはなかった

47.墓石には、“ヴァージニアH.(パッツィー)クライン“死は死ぬことのないものを殺すことはできない:愛をこめて”と刻まれている

48.死後、3曲がカントリー・ヒッツ・チャート・トップ10入りを果たす:「Sweet Dreams」、「Leavin’On Your Mind」、「Faded Love」

49.1997年、「Crazy」がジュークボックス・ヒット歴代ナンバー・ワン・ヒット・ナンバーとして挙げられる

50.パッツィー・クラインは昔も今も…最高にグレイト…

Sweet Dreams (Of You)

(*本記事およびリストは本国uDiscovermusicの翻訳記事です)



パッツィー・クライン
『Sweet Dreams: The Complete Decca Studio Masters (1960-1963)』

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