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1989年に発売された名作と重要アーティスト達:インターネット登場前の音楽界

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「パパ教えて! ネットがなかった時代なんて本当にあるの? そのころの人はどうやってお互いに話をしてたの? どうやって音楽を聴いてたの?」と言ってきた娘に対しての一言では伝えるきることはできない。この記事がその答えになるだろうか。

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1989年という年

1989年、ティム・バーナーズ・リーはスイスでワールド・ワイド・ウェブ (WWW) の原型となるアイデアを思いつき、初めての非公式なテキスト・メッセージを送信した。しかしこのテクノロジーがメインストリームにまで浸透するのはさらに3年後のことだった。

どのような基準で見ても、1989年は類稀なる年だった。まずポール・マッカートニーがロシアでアルバムをリリースし、さらにエルヴィス・コステロとコラボレーションを試みた。またそのコステロ本人も、傑出したアルバム『Spike』をリリースしている。そしてソ連軍が東ヨーロッパから撤退した。冷戦は、グラスノスチとペレストロイカに取って代わられた。ベルリンの壁も文字通り撤去された。

音楽の世界では、エルトン・ジョンやボニー・レイットといったベテラン勢が再び力強いを作品を発表するようになっていた。その一方でナイン・インチ・ネイルズやニルヴァーナといった新進気鋭のアーティストがデビュー・アルバムをリリースしている。数々の有名アーティストもその地位を確固たるものにし、大ヒット・アルバムをリリースしていた (フィル・コリンズ、シンプル・マインズ、ジャネット・ジャクソン、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ビースティ・ボーイズといったアーティスト / グループだ)。そしてキャリアが40年を超えようとしていたクインシー・ジョーンズも、最高にエキサイティングでアルバムを作り出していた。

ルーマニアでは、独裁者だったチャウシェスク大統領が処刑された。南アフリカではボータ首相が退陣し、デ・クラーク政権が誕生。ネルソン・マンデラの釈放が間近となった。さまざまな面で、こうした出来事はあたかも1989年から20年前の再現のような雰囲気だった。1969年は反乱の年であり、街頭や大学のキャンパスには変化を求める人々の熱気が満ちていた。

1989年は言うまでもなく、インターネットも携帯電話もまだ普及していなかった。コンピューターがある家庭はさほどなかったし、新聞はデジタル印刷の技術を導入しようと悪戦苦闘していた。それゆえ、電子タイプライターをお払い箱にするのはまだ時期尚早だった。当時のコンピューターは処理速度が遅く、画面も単一の緑色でしか表示されなかった。データの保存にはフロッピーディスクが使われていた。

それでも、デジタル・レコーディングは技術革命の最先端にあった。ティアーズ・フォー・フィアーズのようなグループはそれを十二分に活用していた。レコーディング・スタジオに導入されたデジタル録音機器は、まさに未来の道具のようだった。とはいえ記録媒体ということになると、やはりまだオープンリールが主流だった。

レニー・クラヴィッツ

この新時代に最前線に躍り出たアーティストのひとりがレニー・クラヴィッツだった。彼のデビュー・アルバム『Let Love Rule』は、ロック、ファンク、ソウルを大胆にブレンドしていた。トム・ペティやデヴィッド・ボウイのオープニング・アクトに起用されたことで、彼の快進撃が始まった。このデビュー・アルバムの評判は口コミで広まった。チャートではかなりの好成績を収め、最終的な売上は200万枚を突破した。このアルバムには、「I Build This Garden For Us」「Mr. Cab Driver」「Rosemary」といったすばらしい名曲がたくさん収められている。

Lenny Kravitz – Mr. Cab Driver

 

マキシ・プリースト

これはまた、1989年のサウンドの進化を完璧に表現した好例だった。クロスオーバー・ロック、ファンキー・ソウルといったアーバン・ミュージックの分野では、さまざまな面で新たなテクノロジーが導入されていた。

UKのレゲエ・アーティスト、マキシ・プリーストも当時のパイオニアのひとりだった。彼のサード・アルバム『Maxi』には、キャット・スティーヴンスの「Wild World」のスカンク・ヴァージョンやロバート・パーマーの「Some Guys Have All The Luck」のすばらしいカヴァーが収められていた。ジャマイカでスライ&ロビーやウィリー・リンドと共に録音されたこのアルバムは傑作に仕上がっていた。マキシは世界的に有名なアーティストとなり、特に日本ではスーパースターになった。

Maxi Priest – Wild World (Official Video)

 

ソウル・II・ソウル

やはりこちらもデビュー・アルバムだったソウル・II・ソウルの『Soul Club Classics Vol. One』はチャートで大旋風を巻き起こし、UKではトリプル・プラチナ・アルバム、アメリカではダブル・プラチナ・アルバムという大ヒット作になった。

ヒップホップやシック風のサウンド、あるいはレゲエやシックといったさまざまな方面からの影響を融合させた『Soul Club Classics Vol. One』は、滅多に生まれない画期的なアルバムだった。このアルバムの中でも特に優れていたのは「Jazzie’s Groove」「Happiness」「Fairplay」(高校時代からプロ歌手として活動していたUKレゲエの天才ローズ・ウィンドロスをフィーチャー)、そして不朽の名曲「Back to Life (However Do Want Me)」「Keep on Movin’」だった。

Soul II Soul – Back To Life (However Do You Want Me) (Official Music Video)

 

シンプル・マインズ

シンプル・マインズはアルバム『Street Fighting Years』で再び政治的 / 社会的メッセージの強い作風に戻った。音楽的にはケルト/ソウル色を強め、当時の時代の雰囲気に寄り添うものとなった。

そして派手な髪型のメタル・バンドやメイクアップの濃いポップ・グループの代わりに登場してきたのは、怒りに満ちあふれたシアトルのグランジだった。ジム・カーをはじめとするシンプル・マインズのメンバーたちは、ニルヴァーナの領域に踏み込むつもりはなかったが、状況が変化しつつあることには気付いていた。

Mandela Day (Remastered 2002)

 

ニルヴァーナ

ニルヴァーナのデビュー・アルバム『Bleach』はアメリカでは当初チャート入りしなかったが、同作に次いでリリースしたアルバム『Nevermind』が大ヒットしたあとは、重要な作品として注目を浴びることになった。

無駄な装飾を削り落としたカート・コバーンの無骨な音楽性は、唯一無二のサウンドを作り出した。しかし彼は商業的な成功を収めることをいつも忘れてはいなかった。今から振り返ってみると、「About A Girl」や「Negative Creep」が可能性に満ちあふれていたことがはっきりとわかるだろう。ロック界の新たな救世主の出現は間近に迫っていた。本人はブランク・ジェネレーション (空白の世代) の代弁者になるつもりはなかったが、コバーンはまさにそういう存在だった。こういった基本姿勢でスターの座に上り詰めたニルヴァーナは、それまでにないバンドだった。

Negative Creep (Remastered)

 

ナイン・インチ・ネイルズ

トレント・レズナーはもともとサウンド・エンジニアとして働いていたが、上司に掛け合ってスタジオの空き時間にデモを録音していた。プリンスに幾分インスパイアされたそのデモ (通称『Purest Feeling』デモ) が元になってできたのが、彼のバンド、ナイン・インチ・ネイルズのデビュー・アルバム『Pretty Hate Machine』だった。

レズナーはインダストリアル・ゴシック・シンセポップ、ディストーションの効いたダンス・グルーヴといった要素を融合させ、ニューウェーブに影響されたリフや決めフレーズを駆使していた。このアルバムに収められていた重要曲「Down on It」「Head Like a Hole」「Sin」はオハイオ州で人気を集め、さらにはUKで大きな反響を呼んだ。

こうしてレズナーは、アメリカン・ポスト・ロックという新しいジャンルのスポークスマン的な存在になった。1989年に発表されたこのデビュー・アルバムは発売当時も申し分のない売上だったが、のちにローラパルーザ・フェスティヴァルでナイン・インチ・ネイルズが一躍有名になると、アメリカでトリプル・プラチナ・アルバムという大ヒット作になった。2010年のリマスター版は決定版ともいえる内容になっており、フレディ・マーキュリーの「Get Down, Make Love」のカヴァーも収められている。

Get Down, Make Love

 

ボニー・レイット

音楽業界の女性たちも、自らの活動で主導権を握るようになった。ボニー・レイットは、妥協することなく自らの道を追い求める才能あるアーティストの典型例だ。彼女のアルバム『Nick of Time』は1980年代の末に発表され、各方面から絶賛された。

売れ行きもすばらしく、グラミー賞は3部門で受賞 (最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス、最優秀ロック・ヴォーカル・ソロ、最優秀ロック・グループ・ヴォーカル・パフォーマンス)。『Nick of Time』は現在までに500万枚以上売り上げ、発売から25年以上経った今も聴かれ続けている。

このアルバムには、ボニーのオリジナル曲だけでなく、ジョン・ハイアットの「Thing Called Love」やボニー・ヘイズの「Love Letter」といったすばらしいカヴァーも収録されていた。バックのミュージシャンには西海岸のスターがずらりと顔を並べており、その中にはリッキー・ファーター (1970年代のビーチ・ボーイズのメンバー)、ハービー・ハンコック、グラハム・ナッシュ、デヴィッド・クロスビーも含まれていた。このアルバムから生まれた3枚のシングルは1989年の代表曲となり、音楽業界の女性たちのスローガンにもなった。「The Road’s My Middle Name」という曲は、過酷なツアー生活がもはや男性ロック・ミュージシャンだけのものではないことを示していた。

The Road's My Middle Name

 

ティアーズ・フォー・フィアーズ

UKのシンセ・ポップ・グループ、ティアーズ・フォー・フィアーズも、やはり特異な存在だった。彼らは、この種の音楽がスタジオでしか実現できないという固定観念を打ち破った。引く手数多の存在となったこのグループは、過酷な宣伝スケジュールをこなしながら、2年間にわたってツアーを繰り広げた。そうして発表した新作『The Seeds of Love』もすばらしい内容になり、抜群の売り上げを誇った。

クリス・ヒューズやその他のプロデューサーと組んだあと、ティアーズ・フォー・フィアーズのカート・スミスとローランド・オーザベルは大胆な路線転換を行い、プログラミングやシンセサイザーに頼った音作りから、パーカッションの名手ルイス・ジャーディム、トランペット奏者のジョン・ハッセル、緻密なオーケストラ編曲、ゴスペルやソウル色の強いバッキング・コーラス、マヌ・カッチェやフィル・コリンズによるドラム・サウンドといった要素による新たな展開を見せた。

1989年という年を象徴する曲のひとつが、シングル「Sowing the Seeds of Love」である。これはビートルズの1960年代後半の作風のアシッド・フォーク風味をパロディックに表現にしたような曲で、ただ聴くだけでは明るい印象を受ける。しかし歌詞の中身を見ていくと、時代の雰囲気を映し出すようなより陰鬱で政治的なメッセージが込められていた。この曲は世界各国でチャートのトップ20入りを果たすヒットになった (特にアメリカでは首位を獲得)。続くシングル「Woman in Chains」も、フェミニズムに影響された歌詞を盛り込んでいた。オリータ・アダムスをフィーチャーしたこちらの曲も大ヒットとなった。

Tears For Fears – Sowing The Seeds Of Love (Official Music Video)

 

ウェット・ウェット・ウェット

1989年を象徴する作品といえば、ウェット・ウェット・ウェットのアルバム『Holding Back the River』も忘れてはいけない。「Sweet Surrender」やR&B風の「Stay With Me Heartache (Can’t Stand the Night)」といったヒット曲を収めたこのアルバムは、ウェット・ウェット・ウェットを一躍スターの座に押し上げた。

彼らは、ブルース、ファンク、ソウルといった自分たちの得意技をうまく使いこなし、それでいて楽しい音楽を作り上げた。このアルバムではロッド・スチュワートの「Maggie May」さえカヴァーされている。また「Blue For You」のオーケストレーションではアート・オブ・ノイズの才人アン・ダドリーの力を借りていた。

Wet Wet Wet – Sweet Surrender

 

フィル・コリンズ

1989年に生まれた音楽の多様性を示す作品のひとつが、フィル・コリンズの『…But Seriously』である。彼は既に大人気の歌手/ドラマーとなっていたが、このアルバムはそうしたアーティストに対する偏見を打ち破る内容を持っていた。大ヒットした「Another Day in Paradise」はホームレスを支援する応援歌となった。この社会派メッセージを含む曲には、ベテラン・ベース奏者のリーランド・スカラーやデヴィッド・クロスビーも参加している。

Phil Collins – Another Day In Paradise (Official Music Video)

 

ビースティ・ボーイズ

一方ビースティ・ボーイズのアルバム『Paul’s Boutique』は、ヒップホップの歴史に残る重要作のひとつとなった。この画期的な作品には、「Looking Down The Barrel of a Gun」「3-Minute Rule」「Car Thief」といった名曲が収められていた。これは多くの人にとって1989年を象徴するサウンドとなった。パブリック・エネミーのチャック・Dは他人の作品を褒めることが滅多にない人物として有名だが、その彼でさえ、最高のビートが聴けるアルバムとしてこれを褒め称えていた。

Beastie Boys – Shake Your Rump

 

エルトン・ジョン

1989年には、エルトン・ジョンのようなベテランも傑作『Sleeping With The Past』を作り上げていた。収録曲のひとつ「Sacrifice」は、彼のソロ作品としては初めて全英チャートの首位を獲得。この優れたアルバムはトリプル・プラチナ・ディスクという大ヒットになり、レコード評での低い評価を見事に覆す結果となった。このアルバムはエルトンのファンのお気に入り作品となり、今でも年を追うごとに評価が増している。

Elton John – Sacrifice

 

ジャネット・ジャクソン

ジャネット・ジャクソンの『Rhythm Nation 1814』も1989年に出た名盤のひとつだった。ニュー・ジャック・スウィング、インダストリアル・エレクトロニカ、R&Bを融合させたこのアルバムでは、プロデュースをジミー・ジャム&テリー・ルイスが担当。ジャネットは見事な歌唱力と洗練された作詞能力を開花させた。

アルバムのタイトル・トラック「Rhythm Nation 1814」、「State of the World」、「Black Cat」によって、彼女はこの時代を代表するディーバという評価を確立した。このアルバムは爆発的なヒットを飛ばし、25年以上経った今でもその魅力を失っていない。

Janet Jackson – Rhythm Nation

 

クインシー・ジョーンズ

クインシー・ジョーンズは、ビッグ・バンドのトランペット奏者としてキャリアをスタートさせた。1950年代には、引く手あまたのアレンジャー / プロデューサーとして活躍。やがて1980年代になるとアーバン・ブラック・ミュージックの巨匠となり、そうしてアルバム『Back on the Block』をリリースした。ここにはジャズ、ファンクの有名アーティストがずらりと顔を揃えていた。エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンにとって、このアルバムは最後の録音作品となった。その他にもチャカ・カーン、ボビー・マクファーリン、バリー・ホワイトといった華々しい顔ぶれが参加した『Back on the Block』は、ジャンルを超えた奇跡のような作品に仕上がり、ヒップホップからウェザー・リポート風のジャズに至るまで、さまざまな作風が披露されている。

このアルバムを聴いたことがない人は、是非試してみるべきだ。マイルス・デイヴィス、メリー・メル、アイス・T、ディジー・ガレスピーが一堂に会したアルバムなんてものが、ほかにあるだろうか?  「The Secret Garden」にはバリー・ホワイト、アル・ビー・シュア!、ジェイムス・イングラム、エル・デバージも参加している。そして言うまでもなく、このアルバムはグラミー賞の7部門で栄冠に輝いている。

Quincy Jones – The Secret Garden (Sweet Seduction Suite) (OFFICIAL MUSIC VIDEO)

 

エルヴィス・コステロ

幅広い音楽性を持つアーティストといえば、エルヴィス・コステロを忘れてはいけない。彼のアルバム『Spike』はそうした多様性の証拠となるだろう。これは、コステロがポール・マッカートニーと共作しているあいだに生まれたアルバムだった。このリバプール出身のふたりは名曲をいくつか生み出した。たとえば「Pads, Paws and Claws」、シングル「Veronica」といった具合だ。「Tramp the Dirt Down」や「Let Him Dangle」は平均的なポップ・ソングではない (そもそもエルヴィス・コステロは平均的なポップ・アーティストではないが)。

ダブリン、ロンドン、ハリウッド、ニューオーリンズで録音されたこのアルバムには、T・ボーン・バーネット (プロデュースも兼務している)、アラン・トゥーサン、デイヴィ・スピレイン、マッカートニー、ジム・ケルトナー、ロジャー・マッギンらも参加している。これをコステロの最高傑作だと言い切ることはできないかもしれないが、そう言ってもいいくらいの傑作であることは確かだ。何しろ「Deep Dark Truthful Mirror」や「Any King’s Shilling」のような名曲が収められているのだから。

Deep Dark Truthful Mirror

1989年から四半世紀以上が過ぎ、世界は大きく様変わりした。とりわけインターネットの影響は絶大である。世界は良い方向に変わったのだろうか? 今の音楽はかつての音楽よりも優れたものになっているのだろうか? そうした点については、ご自分で判断していただきたい。

Written By Richard Havers


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