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R.E.M.の20曲:最高の曲を生み続けた究極のロックバンド

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もしロックン・ロールをプレイすると同時に自尊心と誠実さを失わずにいることを証明したバンドがいるとしたら、それは間違いなくR.E.M.である。

ジョージア州アセンズで、魂を直撃するクラブ・ギグをやるという底辺から活動を始めた4人組は、その献身的なハードワークにより徐々に登りつめ、信用を一度も損なうことなく、カルト・ヒーロー的なバンドから完全なロック・スターになった。 驚異的なライヴ・バンドである彼らは、1983年の『Murmur』から、2011年の高評価を博したラスト・アルバム『Collapse Into Now』まで15枚の最高のスタジオ・アルバムで、そのライヴと同様に素晴らしい曲の数々を世に送り出して来た。

このバンドは、ヴォーカリストのマイケル・スタイプが、ギタリストのピーター・バックとアセンズで出会った時に始まった。彼らが会った場所は、ワクストリー・レコーズ(*地元のレコード店)で、後者は20代前半にその店で働いていた。お互いにパティ・スミスやテレヴィジョンといった、パンクとオリジナル・パンクのアーティストに情熱を感じていることを知り、ジョージア州立大学の学生だったマイク・ミルズ(ベース)とビル・ベリー(ドラム)をバンドに招き入れて、R.E.M.を結成した。彼らの最初のギグは、1980年4月。そこから彼らは、急速に地元の大学生達のフォロワーを築き上げた。ファンはよく、スタイプのエキセントリックでこもったヴォーカルと、バックのザ・バーズ風の熱烈なギター・サウンドを賞賛した。

1981年、インディ・レーベルのヒブトーンからリリースしたシングル「Radio Free Europe」は好評を博し、マイルス・コープランドのI.R.S.レーベルとの契約をもたらした。I.R.S.レーベルは1982年の8月、ミニ・アルバム『Chronic Town』を、そして翌年4月に待望のフル・デビュー・アルバム『Murmur』を発表した。

『Murmur』は期待を遥かに超える成功を収め、ローリング・ストーン誌の栄誉ある「年間最優秀アルバム」(1983年)を獲得したばかりか、全米アルバム・チャートで最高36位を達成した。北米のカレッジ・ロック・ネットワークで有名になった彼らの2作目、1984年の『Reckoning(邦題:レコニング(夢の肖像))』は、たった12日間でレコーディングされた。にもかかわらず、情熱的なフォーク・ロック「So. Central Rain」からカントリー調の「(Don’t Go Back To) Rockville」までを幅広く取り揃えた内容は非常に魅力的で、全米チャートで最高27位まで上昇した。

フェアポート・コンヴェンションやニック・ドレイクのプロデューサーを務めたこともある、ジョー・ボイドを迎えて制作された1985年の『Fables Of The Reconstruction(邦題:フェイブルス・オブ・リコンストラクション(玉手箱))』は、寒さの厳しい冬のイギリスでレコーディングされ、メンバー達がホームシックになっていたために、“てこずった”サード・アルバムとなった。しかし振り返ると、このアルバムは傷のある傑作であり、強烈な「Driver 8」やブラスに彩られた「Can’t Get There From Here(邦題:遠くにありて)」、ストリングスを取り入れた「Feeling Gravity’s Pull(邦題:マリオネットの夢)」など、ファンが大好きな曲の数々を生み落とした。

ジョン・クーガー・メレンキャンプのプロデューサー、ドン・ゲーマンが手がけた『Lifes Rich Pageant』は、他の作品と比べると、直球で大胆だ。スタイプのヴォーカルはより自信に満ちており、「Cuyahoga」、緊迫した「These Days」、そして酸性雨についての見事な「Fall On Me」など、際立った曲が収録されている。それまで不明瞭だった彼の歌詞は、初めて政治と環境保護問題に傾いた。

REM The One I Love Cover

全米チャートの21位を達成した『Lifes Rich Pageant』は、R.E.M.の初のゴールド・ディスクとなった。しかし、1987年9月に発表された5枚目のアルバム『Document』は、それをしのぐ成功を収めた。その後6枚のアルバムを手がけたスコット・リット(カウンティング・クロウズ、ザ・リプレイスメンツ)が初めてプロデュースした『Document』は、タイトルと裏腹に生き生きとした「It’s The End Of The World As We Know It (And I Feel Fine)(邦題:世界の終わる日)」や、「Finest Work Song(邦題:最高級の労働歌)」、そして彼らの北米初のメジャー・ヒット曲「The One I Love」など、メインストリーム寄りの雄々しいロック・アンセムが多くなった。「The One I Love」は、彼らの全米初のメジャーヒットとなり、『Document』は全米アルバム・チャートの10位まで上昇し、プラチナムを獲得、全英ではトップ30入りした。

6枚目のアルバム『Green』は、新しく契約を結んだワーナーから、1988年10月に発表された。メディアの高い評価と、11ケ月に及ぶ世界ツアーでの好評を手にした多様性に富んだアルバムには、鋭く、政治的なロック曲(「Orange Crush」、「Turn You Inside Out」)、キャッチーなポップ曲(「Stand」、「Pop Song 89」)、そして「You Are The Everything」、「Hairshirt」のようにフォーク調の曲が収録されていた。

REM Losing My Religion

アメリカ、イギリス、カナダでプラチナム・アルバムとなった『Green』は、彼らが10年間近く目指してきたブレイクスルー作だった。だが、1991年の『Out Of Time』で、彼らはカルト人気を超えた存在となる。アルバムをサポートするツアーをしないことに決めたにも関わらず、『Out Of Time』は全米と全英の両方で1位を獲得し、世界中で1800万枚を売り上げた。 フォークとポップの要素を巧みにブレンドした(そしてペダル・スティールを入れた不可思議な「Country Feedback」ではカントリーも)このアルバムは、ピーター・バックのマンドリンのリフで始まる、彼らの全米最大のヒット「Losing My Religion」を含めて、数々のヒット・シングルを生み出した。

親密かつ途方もない作品というのは喪失や哀悼を扱っていることが多いが、1992年の『Automatic For The People』もまた、高い評価と商業的な成功を獲得し、世界中で1800万枚のセールスを達成した。このアルバムからは、ムーディでモノクロ風の「Drive」や、涙を誘うバラードの「Everybody Hurts」、そしてスタイプのヴォーカルがエルヴィス・プレスリーを彷彿とさせる、アンディー・カウフマンへ捧げられた「Man On The Moon」など、6曲のヒットが放たれた。

REM What's The Frequency Kenneth Cover

R.E.M.は1994年、グランジを反映したハードなロック・アルバム『Monster』と共にシーンに戻った。このアルバムからは、全英トップ10ヒット曲「What’s The Frequency, Kenneth?」が登場した。彼らはマルチ・プラチナムとなった同作の成功を、長期の世界ツアーとともに満喫したが、ドラマーのビル・ベリーが脳の動脈瘤を発症し、スイスでの公演のステージ上で倒れてしまう。幸運なことにベリーは助かったが、1997年にR.E.M.がワーナーと再契約し、『New Adventures In Hi-Fi』を発表した後にバンドを脱退した。このアルバムは彼らにとって最も過小評価された作品だったが、パティ・スミスが参加した素晴らしい「E-Bow The Letter」や、優美な賛美歌「Electrolite」が収録されていた。

REM At My Most Beautiful

ベリーの後任の正式メンバーを迎える代わりに、残った3人のメンバー達は、レコーディングとライヴ用に、マイナス5で様々な楽器を担当するスコット・マッコイと、ドラマーとしてジョーイ・ワロンカー(ベック)、次にビル・リーフリン(ミニストリー、スワンズ)など、ミュージシャンを雇った。新プロデューサーのパット・マッカーシーと共にレコーディングした、ベリー脱退後初のアルバム『Up』(1998年)は、変遷のアルバムだったが、素晴らしいビーチ・ボーイズ風の「At My Most Beautiful」が収録されていた。

2001年のメロディアスな『Reveal』は、前作以上の成功を収めた。「Imitation Of Life」は全米トップ10入りし、「All The Way To Reno (You’re Gonna Be A Star)」は夢見心地になる曲だ。しかし、この成功は2003年の、タイトル通りのベスト盤『In Time: The Best Of R.E.M. 1988-2003』の圧倒的な成功によって覆される。ワーナーのカタログから厳選されたマルチ・プラチナムのアンソロジーには、ヒット曲ではなかった「Bad Day」と「The Great Beyond」が加えてある。後者は、ジム・キャリー主演、ミロシュ・フォアマン監督のアンディ・カウフマンの映画『マン・オン・ザ・ムーン』にフィーチャーされていた曲だ。

2004年の『Around The Sun』は内省的なアルバムで、全英アルバム・チャートで1位を達成した。マイケル・スタイプの第2の家に捧げた曲「Leaving New York」は、全英5位を獲得した。それから彼らは、2008年の『Accelerate』で原点回帰を計り、U2 のプロデューサーを務めたこともある、ジャックナイフ・リーと組んで、彼らの長年の作品の中で、最もロックンロールな曲の数々を完成させた。このアルバムは原点回帰作として高く評価され、ファンはすぐに「Man-Sized Wreath」や霊界との交信についてうたった緊張感のある「Supernatural Superserious」といった激しいアンセムに夢中になった。

しかしながら、バックとミルズとスタイプは、2008年に『Accelerate』の長いツアーに乗り出す前に、活動を止める話し合いをしていた。そして2011年、再びジャックナイフ・リーのプロデュースで『Collapse Into Now』をレコーディングした後に、解散した。ラスト・アルバムは、魅力的なスローテンポのアンセム「Überlin」から、激しいロック曲「Alligator_Aviator_Autopilot_Antimatter」、そして「Oh My Heart」といった心に染みるバラードまで、R.E.M.の全ての強みを網羅していた。全体的に、『Collapse Into Now』は究極のロックバンドの完璧な最終アルバムに相応しい作品だった。R.E.M.の大ファンだったカート・コバーンは、かつてローリング・ストーン誌にこう語っている。「彼らは最高だよ……しかも最高の曲を生み続けているんだ」。

Written By Tim Cock



■リリース情報

 R.E.M. 『Automatic for the People(25周年記念エディション)』

発売日:2017年11月10日 世界同時発売
フィジカルは全3形態(3CD+BD、2CD、LP)とデジタル配信にて発売

DLX展開

 

○デラックス・エディション3CD+BD(輸入盤)※限定盤

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REM_AFTP_SP_ED_COVER 2CD

 

○2CD(輸入盤)※限定盤

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REM_AFTP_LP_COVER
○LP(輸入盤)※限定盤

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