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スライ&ロビーのロビー・シェイクスピアが68歳で逝去。その功績を辿る

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Robbie Shakespeare - Photo: David Corio/Redferns

ジャマイカ人ベーシスト兼プロデューサーで、スライ&ロビー(Sly & Robbie)のメンバーとして活躍したロビー・シェイクスピア(Robbie Shakespeare)が2021年12月8日に68歳で逝去した。 ジャマイカの地元紙The Gleanerによると、彼は腎臓の手術を受けた後、入院先のフロリダの病院で亡くなったという。

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アイランド・レコードの創業者として知られるクリス・ブラックウェルが、70年代にバハマの首都ナッソーにコンパス・ポイント・スタジオを設立後、同地を拠点とするレコーディング・バンド“コンパス・ポイント・オールスターズ”の中核に抜擢されたスライ&ロビーは、以降グレイス・ジョーンズ、ミック・ジャガー、ジョー・コッカー、ロバート・パーマーらの多くのスターたちと共演を果たし、またボブ・ディランの『Infidels』や『Empire Burlesque』ザ・ローリング・ストーンズの『Undercover』といった名作アルバムに参加したことで、国際的な名声を獲得していく。

スライ&ロビーは、ソングライターやスタジオ・ミュージシャンとして活躍するだけでなく、1981年に発表した『Sly & Robbie Present Taxi』を皮切りに、グループ名義のアルバムも発表。リーダー作品としては、ビル・ラズウェル、ブーツィー・コリンズ、バーニー・ウォーレルらと録音した1987年の『Rhythm Killers』が広く知られている。

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また彼らは、2001年にノー・ダウトのヒット曲「Hey Baby」や「Underneath It All」をプロデュースするなど、2000年代に入ってからも大きな成功を収める傍ら、多くのレゲエ・ミュージシャンたちと共演を続けた。

また、1992年にチャカ・デマス&プライヤーズに提供した「Murder She Wrote」は、ジャマイカで最もヒットした曲のひとつとして知られている。スライ・ダンバーは、1985年に行われたMelody Maker誌のインタビューの中で、スライ&ロビーのあり方についてこう説明していた。

「自分たちのために、できるだけ多くの仕事をしようしていますし、仕事があればそれをやるのみです。僕らは誰とでも仕事をします。人々は僕らをレゲエ・ミュージシャンとして分類していますが、僕たちは自分たちのことを“ミュージシャン”だと思っています」

Chaka Demus & Pliers – Murder She Wrote

ロビー・シェイクスピアは、スライ・ダンバーと並んで多作な作曲家でもあった。2008年に行われたレッドブル・ミュージック・アカデミーのインタビューで、彼は次のように語っていた。

「スライ&ロビーはドラッグをやっているに違いないとよく言われてました(笑)。昔は朝10時くらいからスタジオにいて、夜7時か8時くらいまでリハーサルをすることが多かったんです。ツアー中は、だいたいスタジオから直行していました。リハを終えて、家に帰って寝て、翌朝にはまたスタジオに戻って、ひたすらそんな生活を続けていました」

また彼は非常に気高い音楽家でもあったことが、2013年のレッドブル・ミュージック・アカデミーのインタビューから窺える。

「多くの場合、あなたが楽器を演奏するのではなく、楽器があなたを演奏するのです」

Written By Sam Armstrong




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