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ジャズ・ピアニスト、マッコイ・タイナーが81歳で逝去。その半生を辿る

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Photo: Tyner and Coltrane, courtesy of Joe Alper Photo Collection/UMe

ジャズ史上最も影響力のあるピアニストの1人であり、ジョン・コルトレーンの1960年代の画期的なカルテットのキー・プレーヤーであったマッコイ・タイナー(McCoy Tyner)が、2020年3月6日に81歳で亡くなった。彼の親族がソーシャルメディアにて下記のコメントとともに彼の死を伝えた。公式な死因は報じられていない。

「ジャズの伝説であるアルフレッド・マッコイ・タイナーが亡くなったことをお知らせするのは、とても心が痛いです。彼は、芸術、家族、精神性に人生を捧げ、そこからインスピレーションを受けたミュージシャンでした。マッコイ・タイナーの音楽と遺産は、これまでファン、そして未来の才能を刺激し続けることでしょう」

彼が所属していたレーベル、ブルー・ノート・レコードは、マッコイ・タイナーの死去に関する公式声明を発表した。

「ジャズの伝説的存在であるマッコイ・タイナーが亡くなり、我々は一人のジャズの巨人を失いました。マッコイの重要性を言葉で表現することはとても難しく、彼が世界に与えた美の量は本当に驚異的です。史上最高の偉大なる存在の一人でした、安らかに」

Contemplation

 

1938年12月11日にフィラデルフィアでアルフレッド・マッコイ・タイナーとして生を受けた彼は、13歳でピアノのレッスンを始め、オルガニストのジミー・スミス、トランペッターのリー・モーガン、ピアニストのバド・パウエルなど、他の地元の伝説とともに成長した。16歳でプロとしてキャリアを始め、モダン・ジャズを代表するミュージシャン、ジョン・コルトレーンと友情を築き、1960年には彼のカルテットに加わることになり、ジョン・コルトレーンによる『A Love Supreme』、『My Favorite Things』、『Live at the Village Vanguard』、『Ballads』、『Impulses』など、ジャンルの最も象徴的な作品にマッコイ・タイナーも参加してきた。

コルトレーンは、マッコイを自身のバンドに迎え入れた1年半後の1961年、ニューヨーク・タイムスでのインタビューで次のように述べている。

「今のピアニストであるマッコイ・タイナーは、ハーモニーをしっかり捉えているので、私はそこを気にすることありません。彼は私に翼を与え、時には地表から離陸させてくれるような人なんです」

現代ジャズ・ピアノとモーダル・ジャズの先駆者であるマッコイ・タイナーのスタイルは、従来の西洋音楽のハーモニーを超越し、20世紀の最も影響力のあるジャズ・ピアニストの一人に挙げられている。

マッコイ・タイナーは21歳の時にコルトレーン・カルテットに参加し、ドラマーのエルビン・ジョーンズとベーシストのジミー・ギャリソンとともに、その後、5年間はそのカルテットで活動し続けた。

「私はコルトレーンの家に行って、そして、私たちは本当に良い友達になったんです」とマッコイは2008年にNRPのインタビューで語っている。

「私は彼の演奏やサウンドが大好きでした。そして彼は私にこう言ったんです “私が次にマイルス(・デイヴィス)のバンドを離れるときに、私のバンドに参加してくれないか?” って。それまでに私たちは一緒にいくつかのライヴを行い、彼は私の演奏を気に入ってくれたんです。彼は私にとって兄のような存在でした」

A Love Supreme, Pt. I – Acknowledgement

 

コルトレーンとのツアーの合間に、マッコイはインパルスでの6枚のアルバムを含む彼自身のレコードを制作。そして1965年にコルトレーンのカルテットを離れた後にブルーノートと契約し、1967年にリーダー作『The Real McCoy』をリリース。マッコイ・タイナーはブルーノートの7枚アルバムを録音し、ジョー・ヘンダーソンの『Page One』、ウェイン・ショーターの『Juju』、グラント・グリーンの『Matador』、ボビー・ハッチャーソンの「Stick-Up!」といった他のミュージシャンのリーダー作でもプレイしている。

ブルーノートで5年間過ごした後、タイナーは1972年にマイルストーン・レーベルに移り、1981年までそのレーベルで活動した。その間、彼はサックス奏者のアザー・ローレンスとソニー・フォーチュン、ドラマーのアルフォンス・ムーゾンやをエリック・グラバットといったメンバー構成での自身のバンドにて演奏を続けた。

70年代から80年代には、他のジャズ・ミュージシャンたちはエレクトリック・ピアノやシンセサイザーを試していたが、マッコイ・タイナーはキャリア全体を通してアコースティックの楽器に専念し続けていた。

1984年には、2つの新しいグループを形成。一つはベーシストのエイブリー・シャープとドラマーのアーロン・スコット、そして自身によるトリオ編成のマッコイ・タイナー・ビッグ・バンド。そして、9ピースのマッコイ・タイナー・アンド・ザ・ラテン・オールスターズとして1枚のアルバム制作してツアーも行っている。

1995年に、彼は古巣のレーベルであるインパルス!に戻り、1999年にはテラークにも在籍。2002年にはアメリカのジャズ・ミュージシャンにとって最高の栄誉の1つである、National Endowment for the Arts Jazz Master にも選出されている。

彼は50年にわたる演奏と録音を通して、グラミー賞は5度受賞、ノミネートは12回を誇り、ジャズの歴史において素晴らしいバンド・リーダーとして、そして影響力のあるピアニストの1人であり続けていた。



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