歌手、女優、そして文化的アイコンのジェーン・バーキンが76歳で逝去。その功績を辿る

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Jane Birkin - Photo: David Wolff-Patrick/Redferns

歌手、女優、そして文化的アイコンであるジェーン・バーキン(Jane Birkin)が2023年7月16日に76歳で逝去したことが、フランス文化省によって伝えられた。地元メディアは、彼女がパリの自宅で亡くなっているのが発見されたと報じている。

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その生涯

1946年、イギリスのロンドンで女優の母と海軍将校の父との間に生まれたジェーン・バーキンは、17歳で「007/ジェームズ・ボンド」シリーズの音楽で知られる作曲家のジョン・バリーと結婚したが、結婚生活はわずか3年で終焉を迎えた。

1966年にミケランジェロ・アントニオーニ監督の名作『欲望』に出演したことで一躍ブレイクを果たした彼女は、その2年後、フランスを代表する国民的歌手セルジュ・ゲンスブールと映画『スローガン』で共演。これが、後に恋人として、また音楽的コラボレーターとして有名になる2人の関係の始まりだった。

ゲンスブールとの関係

ワシントン・ポスト紙のインタビューで、彼女はこの映画のオーディションを受けた当時を次のように振り返っている。

「階段を下りてきたセルジュが、何を見たかったって? 可笑しなフリンジ付きのドレスを着た、英国訛りの、フランス語なんて一切話せない私。スクリーンテストでは、別れのシーンがあって、そこで私は大泣きしてしまったの。セルジュは、ジョン・バリーとの別れをスクリーンテストに混同するなんて、本当に不愉快だと思ったそうね。彼にはそんなことに付き合っている暇はなかった。でも彼は私が映画に出演することに反対はしなかった。彼はスターだったから、その気になれば嫌だと言えたはず」

2人は、出会って1年も経たないうちに、切っても切れないメディアの寵児となり、瞬く間に時代を代表するアイコンになった。セルジュ・ゲンスブールは彼女に「Je t’aime moi non plus」を再レコーディングさせ、彼女の声域ぎりぎりの、子供のような、ほぼ少年のような声でこの曲を歌わせることに倒錯的な喜びを感じていた。ガーディアン紙によると、ジェーン・バーキンは2006年のCNNの取材にこう語っていたという。

「彼と私は“Je t’aime…”のおかげで、あんなにも奇妙な方法で最も有名なカップルになった。そして彼は死ぬまで私の友人であり続けた。これ以上何も望むことはないね」

ゲンスブールの凄さと魅力について、彼女は前述のワシントン・ポスト紙のインタビューでこう説明している。

「ヒットはしなかったけど、いつだって驚かされた。セルジュはいつも時代の20年先を行っていた。彼は冷や水のように狡猾な英語を使ってフランス語を再構築したの。それはとてつもなく現代的なライティングの方法で、年をとっても、若い世代と歩調を合わせる方法を直感的に理解していたわ」

ジェーン・バーキンは、ゲンズブールとのコラボレーション以外でも、ソロ・ミュージシャンとしても活動しており、とりわけ2006年の『Fictions』、2017年の『Birkin/Gainsbourg: Le Symphonique』、2020年の『Oh!Pardon tu dormais』といった2000年代にリリースしたソロ作品は高く評価されている。音楽ライターのジェフ・ワイスは、ワシントン・ポスト紙の記事でアルバム『Oh!Pardon tu dormais』についてこう評している。

「1990年代初頭にバーキンが書いた戯曲にインスパイアされたこのオーケストラ作品は、彼女のかつての愛人セルジュ・ゲンスブールの残り香、そして2013年にパリのアパートの4階から飛び降りた彼女の娘で写真家のケイト・バリーの悲劇的な喪失といった愛と死に対する不安を伴い、自然な重厚さを帯びている。 これらは、半世紀前に彼女が切り拓いた音の伝統の流れを汲んだ絶妙な降霊術であり、冬を迎えようとしている、暗い色に染まった人生の知恵に満ちている」

Written By Sam Armstrong




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