84歳となったポール・マッカートニー:ウイングスの活動と近作を振り返る

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© 2026 Mary McCartney

これほど多彩で創造性に満ちたキャリアを、限られた言葉で語り尽くすのは至難の業だ。ポール・マッカートニーの名義にはソロ・アルバムだけでなく、ザ・ビートルズ解散後に結成したバンド、ウイングスでの作品も含まれている。ポールとリンダを中心に、メンバーが入れ替わりながら活動したこのバンドは、ザ・ビートルズよりも長い期間にわたって存続し、英国で12曲、米国で14曲のトップ10シングルを送り出した。

英国でNo.1を獲得したアルバムには『Band On The Run』『Venus And Mars』『Wings At The Speed Of Sound』があり、ウイングス以降のポール・マッカートニー作品にも『Tug Of War』『Give My Regards To Broad Street』『Flowers In The Dirt』といったNo.1アルバムが並んでいる。

ポール・マッカートニーの1970年代の真髄は、間違いなくウイングスに宿っている。だが、その後の彼が何を語り、何を鳴らしたのかにも耳を傾けたい。あらゆる小さなこと、そのすべてに。

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70年代のポール

1970年4月、ザ・ビートルズがついに終止符を打ったとき、多くの人がまさかポール・マッカートニーがすぐに新たなバンドを結成し、精力的かつ長期にわたるツアー活動に乗り出すとは予想していなかった。彼は、自分のペースでソロ・キャリアを追求していくものだと思われていたのだ。実際、初のソロ・アルバム『McCartney』はザ・ビートルズ末期に録音され、彼らの解散が正式に発表されたのと同じ月にリリースされている。

音楽界で過剰な装飾が目立ち始めていた時代にあって、『McCartney』は切り詰められたシンプルなアレンジと、デモ音源のような感触を持つ作品だった。そのためプレスからは酷評されたが、結果的には英国で2位、米国で1位を記録したのだから、批評家たちの反応は大きな問題ではなかった。時を経るにつれて評価を高めたこのアルバムは、いま振り返れば、ポールが今後どのような曲を書き、どのような形でそれを提示していきたいのかを示した、力強い意思表明だったと見ることができる。

彼の変わらぬ魅力は、翌年2月にアルバム未収録シングル「Another Day」が2位を記録したことで、さらに鮮明になった。

妻リンダとの連名で制作された『Ram』は1971年5月に発表され、チャート順位は前作と逆転。英国で1位、米国で2位を記録した。しかも、どちらのアルバムにもヒット・シングルが収録されていなかったことを考えれば、これは誰の基準で見ても驚くべき成果だった。

ウイングスの結成

批評家たちの“無関心”を賢明にも受け流し、自分自身のルールで再び音楽を作れる喜び、そして新曲への好評に明らかに活気づいたポールは、その音楽をステージへ持ち出すことを決意する。そのために1971年8月、彼はウイングスを結成した。メンバーは、ベースとヴォーカルのポール、キーボードとヴォーカルのリンダ、元ムーディー・ブルースのギタリストであるデニー・レイン、そして元セッション・ドラマーのデニー・シーウェル。

彼らはまずアルバム『Wildlife』を制作し、1971年12月にリリースした。プレスは格好の標的を見つけたかのように批判したが、それでも英国アルバム・チャートで8位、米国で10位に達している。

その後、ジョー・コッカーのグリース・バンド出身のギタリスト、ヘンリー・マカロックを加えたウイングスは、バンドを鍛える目的で、英国の大学を巡る控えめなツアーに初めて乗り出した。

思いがけず論争が起きたのは、1972年2月のことだった。ウイングスのファースト・シングル「Give Ireland Back To The Irish」がラジオ放送禁止となったのである。前月の血の日曜日事件を受けて書かれたこの曲は、おそらくナイーヴな意思表示だったのだろう。しかし本土の一部世論を刺激し、その成功に影を落とすことになった。もっとも、アイルランドでは当然のようにNo.1ヒットとなっている。

そして数か月後、ポールは一見子供向けのシングル「Mary Had A Little Lamb」をリリースし、再び騒ぎに火をつけた。多くの人はこれを、自分が受けた検閲への当てこすりだと解釈したのである。もっとも、こうした出来事がウイングスの確固たる人気に長期的な影響を及ぼすことはなかった。

「C’Mon」と「My Love」という2曲のトップ10シングルが続き、後者は彼らのセカンド・アルバム『Red Rose Speedway』からのシングルだった。同作は英国で5位を記録している。

1973年5月から6月にかけて、彼らは大成功を収めた英国ツアーを行い、さらに新作ジェームズ・ボンド映画『007 死ぬのは奴らだ』の主題歌となる同名曲をリリースした。このトップ10シングルでは、ポールとジョージ・マーティンの再タッグも実現している。

翌月、バンドは次作アルバムのリハーサルに入ったが、録音開始直前にデニー・シーウェルとヘンリー・マカロックが脱退するという痛手を負う。3人編成となった彼らは、ナイジェリアのラゴスにあるEMIスタジオで『Band On The Run』を録音するため現地へ飛んだ。環境は彼らが慣れ親しんだものよりもはるかに整っておらず、国内は政治的混乱のさなかにあった。決して楽で快適な制作ではなかったが、あらゆる逆境にもかかわらず、『Band On The Run』は批評面でも商業面でも大勝利を収めることになる。

1973年10月には、当初はアルバム未収録シングルだった「Helen Wheels」が英国で12位を記録。そして12月に『Band On The Run』がリリースされると、英国と米国のアルバム・チャートでともに1位を獲得し、トリプル・プラチナに認定された。翌年には「Jet」とタイトル曲の2曲がトップ10入りし、同作は1974年の英国で最も売れたアルバムとなった。

アルバム『Band On The Run』は、今日に至るまでポップの傑作であり、批判者たちへのこれ以上ない回答でもあった。鋭い耳を持つ元ソングライティング・パートナー、ジョン・レノンでさえ、『Rolling Stone』誌に対して「素晴らしいアルバムだ。ウイングスと呼んでもいいけれど、これはポール・マッカートニーの音楽だ。そして本当に素晴らしい」と語っている。

同作は英国と米国のチャート滞在期間中に600万枚以上を売り上げ、「史上最高のアルバム」リストにもたびたび登場した。また、ポールがアップル・レコードから発表した最後の作品でもある。印象的なジャケットも話題を呼んだ。バンドに加え、当時の著名人であるマイケル・パーキンソン、ケニー・リンチ、ジェームズ・コバーン、クレメント・フロイト、クリストファー・リー、ジョン・コンテが、脱獄を試みる最中にスポットライトを浴びた囚人としてポーズを取っている。

1999年には『Band On The Run』の25周年記念CD再発盤が登場し、ライヴ音源と「Helen Wheels」を収めたボーナス・ディスクが追加された。同作は今なおウイングス最大の栄光であり、最高峰の作品群に肩を並べるアルバムであり続けている。

1974年5月、3人編成だったウイングスは再び拡大する。元サンダークラップ・ニューマン/ストーン・ザ・クロウズのジミー・マカロックがギターで、ジェフ・ブリットンがドラムで加入したのだ。ブリットンはその後のシングル「Junior’s Farm」に参加したのみで、次作『Venus And Mars』の録音に間に合うようにジョー・イングリッシュへ交代した。同作は11月、米国で録音された。

先行シングル「Listen To What The Man Said」もまた英国トップ10入りを果たしたが、『Venus And Mars』は批評面では『Band On The Run』と比較され、やや厳しい評価を受けた。それでも、英国と米国の両方でNo.1に輝いた、疑いようのない大成功作である。

ツアーも容赦なく続いた。1975年秋に始まった「Wings Over The World」ツアーは、13か月で驚くべき10か国を巡るものだった。バンドは英国、オーストラリア、米国、そしてヨーロッパを2度にわたって駆け抜け、最後は当時のウェンブリー・エンパイア・プールでの4夜公演で締めくくられた。

同じく息つく暇もなく、ヒット・アルバムとヒット・シングルは次々に生まれ続けた。1976年4月には『Wings At The Speed Of Sound』がリリースされ、「Silly Love Songs」と「Let ’Em In」はいずれも英国2位を記録し、ヒットの流れをさらに伸ばした。大規模な3枚組ライヴ・アルバム『Wings Over America』は、ウイングスが単なるポールのバック・バンドではなく、れっきとした“バンド”であるという認識をさらに強めることになった。同作は米国でNo.1、英国で8位を記録している。

ヒット・マシンと化したウイングスの勢いは止まらなかった。1978年5月、「With A Little Luck」は米国でNo.1、英国で5位を獲得。より穏やかでポップ寄りのアルバム『London Town』もトップ10入りを果たした。1978年末にはコンピレーション『Wings Greatest』が登場し、ポールがソロ・アルバム『McCartney II』に取り組む間の区切りとなった。もしかするとそれは、ウイングスがまもなく本当に着陸することを示す兆しだったのかもしれない。

新たにリリースされたシングルは、クリス・トーマスがプロデュースしたディスコ風味の「Goodnight Tonight」だった。この曲は十分な関心を集め、大西洋の両側で5位を記録した。しかし、それが彼らにとって最後のヒット・シングルとなる。1979年6月のアルバム『Back To The Egg』は、多くの人にとって、ウイングスが商業的にはともかく、創造面では一区切りを迎えたことを示す作品だった。英国チャートでは6位と健闘したものの、プレスの評価はほぼ一様に手厳しかった。

それでも、まだ果たすべきツアーの予定は残っていた。ブラス・セクションを加えた彼らは英国ツアーを行い、続いて日本ツアーに向かうはずだった。しかしポールが東京でマリファナ所持により逮捕され、英国へ送還される。彼はその後『McCartney II』をリリースし、予定されていたウイングスの米国ツアーをキャンセルした。そして、未発表のままとなっているウイングスのアウトテイク集『Cold Cuts』用の録音セッションを除けば、ウイングスというバンドの物語はほぼそこで終わりを迎えた。

ワールド・ツアーの過酷さは、やがてマカロックとイングリッシュにも影響を及ぼし、2人は世界を巡るツアーの終盤に脱退。バンドは再び3人編成となった。「Maybe I’m Amazed」のライヴ・ヴァージョンが英国トップ30にわずかに届くにとどまった後、彼らは十分に値する休息を取る。そして再び姿を現したときに届けられたのが、おそらく彼らの最も物議を醸したシングル、好き嫌いがはっきり分かれる「Mull Of Kintyre」だった。

幸いなことに、ポールと仲間たちにとっては、この曲を愛した人々が十分に多かった。この曲は英国シングル・チャートの首位を9週にわたって守り、1997年にエルトン・ジョンがダイアナ妃の葬儀に際して再発した「Candle In The Wind」に抜かれるまで、チャリティ・シングルを除く英国史上最大の売上を記録したシングルとなった。

ポールの近作

近年のポールは、決して過去の栄光に寄りかかることなく、新たな創作意欲を作品として結実させ続けている。2013年には、その名も『New』を発表。ジャイルズ・マーティン、イーサン・ジョンズ、マーク・ロンソン、ポール・エプワースをプロデューサーに迎えた同作は温かく迎えられ、幼少期へのオマージュが光る「Queenie Eye」やタイトル曲を収録。選び抜かれた会場での公演を通じてプロモーションされた。

2016年には、ベストアルバム『Pure McCartney』が登場した。通常盤とデラックス・エディションで発売された同作は、ウイングス時代の楽曲に加え、ソロ・アルバムからも大きな部分を網羅し、ポールのキャリアを俯瞰する内容となっている。

さらに『Flowers In The Dirt』は、グラミー賞受賞歴を持つ「Paul McCartney Archive Collection」シリーズの第10弾としてリリースされた。アビイ・ロード・スタジオでリマスターされたオリジナル13曲入りアルバムに加え、未発表音源、貴重な未公開映像、メモラビリア、特別仕様のパッケージが追加。エルヴィス・コステロと録音した9曲のオリジナル・アコースティック・デモ、マッカの手書き歌詞、リンダの未発表写真、そして1989年のリンダ・マッカートニー展カタログも収められ、アーカイヴ企画としても充実した内容となった。

そして2018年に全米1位を記録した『Egypt Station』に続き、2020年、ポールは『McCartney III』で再び世界を驚かせる。1970年の『McCartney』、1980年の『McCartney II』に続く“ひとり多重録音”シリーズの第3章として制作された同作は、ロックダウン中にサセックスの自宅スタジオで録音された。多くの楽器を自ら演奏し、作曲、アレンジ、プロデュースまで手がけたこのアルバムは、内省的でありながら遊び心に満ちた作品となり、英国アルバム・チャートで1位を獲得。ソロ名義では31年ぶりとなる全英No.1アルバムとなった。

その後のポールは、スタジオに閉じこもるだけではなかった。2022年には「Got Back」ツアーを開始し、同年6月にはグラストンベリーにも出演。さらに2023年、2024年、2025年にも同ツアーを継続し、80代に入ってなお、世界各地のステージに立ち続ける驚異的な現役ぶりを見せている。

その旺盛な活動は、2026年の新作『The Boys of Dungeon Lane』でまたしても大きな実を結んだ。2026年5月にリリースされた同作は、ポールにとって5年以上ぶりとなる新作ソロ・アルバムであり、幼少期の記憶やリヴァプールでの日々、新たなラヴ・ソングを織り込んだ、深くパーソナルな作品となっている。制作はアンドリュー・ワットとの共同プロデュースで、録音は「Got Back」ツアーの合間を縫って、ロサンゼルスとサセックスで進められた。

アルバムには、リンゴ・スターとのデュエット「Home to Us」も収録されており、ビートルズ以来の盟友同士による再会は大きな話題を呼んだ。批評的にも温かく迎えられた『The Boys of Dungeon Lane』は、英国でNo.1を獲得。これによりポールは、キャリア通算24作目の全英No.1アルバムという記録をさらに伸ばし、英国音楽史における比類なき存在感を改めて示した。

『McCartney III』から『The Boys of Dungeon Lane』へ、そしてその間を埋める精力的なツアー活動へ。ポール・マッカートニーは、いまなお“元ビートルズ”という肩書きを軽々と超え続けている。彼はポップ史そのものを背負う存在でありながら、同時に、次の曲、次のアルバム、次のステージへと向かう現役のミュージシャンであり続けているのだ。

Written by uDiscover Team


ポール・マッカートニー『The Boys of Dungeon Lane』
2026年5月29日発売
CD・LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music

 


ポール・マッカートニー&ウイングス『Wings』
2025年11月7日発売
2CD / 1CD / 3LP / 3LPカラーデラックス



 

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