アンビエントのパイオニア、ハロルド・バッドが新型コロナによる合併症のため逝去。その功績を辿る

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Photo: Steve Thorne/Redferns

アンビエント・ミュージックのパイオニアとして崇拝された新古典主義の作曲家、ハロルド・バッド(Harold Budd)が2020年12月8日に84歳で逝去した。彼の数十年にわたるキャリアの中で最もよく知られているのは、ブライアン・イーノやコクトー・ツインズのロビン・ガスリーとのコラボレーション作品だろう。

彼の死はコクトー・ツインズのロビン・ガスリーによって伝えられ、彼は自身のフェイスブックに「心が空っぽになってしまったようです。砕け散ったような喪失感…全く予期していませんでした」と心境を綴った。また、コクトー・ツインズの公式フェイスブックからも「ハロルド・バッドの訃報を知って悲しみに暮れています。ピアノの詩人よ、安らかにお眠りください」と追悼を捧げている。

ローリング・ストーン誌が報じるところよると、ハロルド・バッドのマネージャーであるスティーヴ・タカキも彼の死を確認し、死因は新型コロナウイルスによる合併症だったと述べているという。

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1936年、米ロサンゼルス郊外のカリフォルニア州ビクタービルに生まれたハロルド・バッドは、10代の頃にビバップのサウンドに夢中になり、兵役に服しながらサックス奏者アルバート・アイラーのバンドにドラマーとして参加するようになる。彼は2014年にガーディアン紙にこう語っていた。

「世界で最も偉大なジャズドラマーになりたかったのですが、それは失敗に終わりました!」

その後作曲家として活動し始めた彼は、60年代のミニマリズムの音を実験的に取り入れながら制作を行っていたが、1970年になって一時的に作曲業から引退し、カリフォルニア芸術大学で教鞭をとるようになる。同インタビューの中で彼は当時をこう振り返っていた。

「私は本物の楽譜のような楽譜を書き、伝統的な手法で伝統的な音楽をつくっていました。ある日買った本に載っていたマーク・ロスコの絵を見て“これだ!”と思ったんです。そこで私は、“ロスコの絵に感銘を受けたのなら、あの絵のような音楽を書けばいいんじゃないか”と考えました」

1972年、ハロルド・バッドはカリフォルニア芸術大学で教えながら、再び作曲を始めた。彼は、1972年から1975年にかけて、ジャズとアヴァンギャルドを融合させた4つの楽曲を制作し、『The Pavilion of Dreams(邦題:夢のパビリオン)』と題したアルバムに収録。この作品の冒頭を飾る「Madrigals of the Rose Angel」が、同志アーティストであるブライアン・イーノの目に留まった。

「私の生徒がギャヴィン・ブライアーズ宛に私が書いた‘Madrigals of the Rose Angel’を送ったんです。それでギャヴィンがすぐにその曲をブライアン・イーノに送ってくれて、彼から電話があったのはまさに青天の霹靂でした。それで彼と会話している中で、いくつか訊かれた質問のひとつが、“君はいつもこういう音楽を書いているのか?”ということでした。彼に“レコーディングするためにロンドンに来てほしい”と言われたので、僕は“そうですか、わかりました”と答えました。ただそれだけです」とハロルド・バッドは2017年に行われたレッドブル・ミュージック・アカデミーのインタビューで語っていた。

程なくしてハロルド・バッドは、ブライアン・イーノがプロデューサーを務めた1978年の画期的なデビュー・アルバム『The Pavilion of Dreams』のレコーディングためロンドンへと渡った。

ハロルドは、英Webメディア“The Quietus”の2014年のインタビューで当時の出来事をこう振り返っている。

「自分の中に存在することさえも知らなかった別世界への扉をブライアン・イーノが開いてくれました。外側からはそれについて知っていました。でもその一部になることなく窓からからその何かを眺めているような感じだったと思います。それが、ある日突然自分がその一部になって。それはもう、素晴らしい感覚でした。全て彼のお陰です。彼が私の人生を大きく変えてくれたんです」

2人はその後も共作を続け、ブライアン・イーノのアンビエント・シリーズ第2弾となる『Ambient 2: The Plateaux of Mirror』(1980年)、ダニエル・ラノワがプロデュースを手掛けた『The Pearl』(1984年)という2つのコラボレーション作品を発表した。

ハロルド・バッドは、ブライアン・イーノとの作品やその後のリリースを通して、ムード溢れる“ソフトペダル”のピアノ・スタイルを確立したと言われている。“アンビエント・アーティスト”というレッテルを貼られがちなハロルド・バッドだが、個人的にはレッテルの概念を否定し、そうした型に嵌められることについて“拉致された”と感じていることを明かしていた。彼はガーディアン紙にこう語っている。

「世の中そんなものではありません。拉致されたような気分です。それは本来の私ではないし、私はそこには全く属していないんです」

ブライアン・イーノとの仕事の経て、ハロルド・バッドはジョン・フォックス、XTCのアンディ・パートリッジ、デヴィッド・シルヴィアン、コクトー・ツインズなど、数々のUKアーティストたちとのコラボレーションを続け、1986年の幻想的なアルバム『The Moon and the Melodies』を発表した。

ハロルド・バッドとコクトー・ツインズのロビン・ガスリーは、2007年の初コラボ作品『After The Night Falls』を皮切りに、2013年に録音され、今週リリースされたばかりの『Another Flower』まで、長年の共作者として知られていた。

本国より先に海外で高い評価を獲得したハロルド・バッドは、最終的にはロサンゼルスへと戻り、音楽シーンが進化する中で、より多くの聴衆が彼の音楽を受け入れるようになったことに気付いた。彼は2018年までレコーディングとライヴ活動を続け、ソロとコラボ作品をあわせて、自身の名義で20作以上のアルバムを発表している。

2005年に健康上の不安から、音楽活動からの引退とブライトン・ドームでの引退ライヴを発表していたが、その後2018年にロンドンのユニオン・チャペルで一度きりの復活ライヴを開催していた。

最近では、今年6月に放送されたHBOのTVドラマ・シリーズ『ある家族の肖像』のために自身初のテレビ・スコアを手掛けていた。

彼の音楽は、アルバム『No Line on the Horizons』の最終曲「Cedars Of Lebanon」で彼のサウンドをフィーチャーしているU2から、2012年に発表された彼へのトリビュート・コンピレーション『Lost in the Humming Air』に参加したアンビエント・ミュージック界の若手アーティストたちに至るまで、世代を超えたミュージシャンたちに影響を与えている。

Written By Laura Stavropoulos




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