ロック初のポストモダンの名作『ROXY MUSIC』を8つの要素で分析する

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Photo: Roxy Music Archives

1972年、ポストモダニズムという言葉はめったに使われない用語だった。まして ”レトロ” や “ヴィンテージ” といった言葉もだ。しかしこの言葉は、今ではファッションから音楽、ゲームから洒落たコーヒー・ショップにまですべてを描写する言葉として盲目的に崇拝されていると言っても過言ではない。

自分達自身をそういった用語で形容しなかったものの、ロキシー・ミュージックはスタイルやジャンルを繰り返すという発想がメインストリームになる10年も前に、ポストモダニズムを具体化していた。

お茶目なオーディオ・コラージュ制作者のデヴィッド・ボウイは『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars(ジギー・スターダスト)』で、キャリアが一段とレベル・アップしたかもしれないが、根本的にあのアルバムは、ショー・チューンの伝統に大きく恩がある作品であり、大衆のためにちょっとロック風に仕上げているものだ。

ボウイが成功を収めることになるこのアルバムと同じ1972年6月16日にリリースされたロキシー・ミュージックのデビュー・アルバム『Roxy Music』は、ポップ・ミュージックの過去、そして現在への真の奇襲攻撃であり、ジャンルにこだわらない、境界線を打破した未来への道標となった一枚だった。

音楽がロキシー・ミュージックの唯一の懸案事項だったわけではない。「Ladytron」(女性+SF映画『トロン』)など、美貌と未来的な可能性を融合したタイトルが示すように、ブライアン・フェリー(ヴォーカル、キーボード)、ブライアン・イーノ(ヴォーカル、シンセサイザー、テープ・エフェクト)、フィル・マンザネラ(ギター)、アンディ・マッケイ(ヴォーカル、オーボエ、サクソフォン)、ポール・トンプソン(ドラム)、そしてグラハム・シンプソン(ベース)は、ポップ・カルチャーの領域のあらゆるところから全く異なる要素を並べたのだ。

今もなお驚くほどに現代的な『Roxy Music』は、史上最も素晴らしいデビュー・アルバムの一枚として残るだけではなく、ロック・ミュージック初の真のポストモダンの傑作であり続けている。単にロック・グループに何ができるのかということ以上に、本当の芸術作品は何を成し遂げられるか、その問いに対するすべての想定を超え続けたアルバム『Roxy Music』はどんな影響を受けたか、そしてどのようなポップ・カルチャーに言及していたかをここで突き止めようと試みようではないか。

1. ハリウッドの黄金期

「僕はいつもスターに憧れていたんだ、基本的にね。ハリウッドは常に憧れの地だったよ」とブライアン・フェリーは1973年のロック・シーン・マガジンに答えている。同じインタヴューで、ロキシー、リッツ、グラナダ、オデオン、リーガル、アストリアと、昔バンド名にと検討した由緒ある映画館のリストも明らかにした。

ロキシー・ミュージックというバンド名は、初代の映画館の輝かしい時代を思い出させるが、彼らがバンド名として採用したのは、映画鑑賞者に豪華な視聴体験を提供することを掲げ1927年3月11日に開店したニューヨークのロキシー・シアターだった。

そう考えるとアルバム収録曲の「Chance Meeting」は1945年のノエル・カワード脚本の映画『逢びき』(原題: Brief Encounter)にちなんで「Brief Encounter」とタイトルが付けられていたかもしれない。そしてロキシー・ミュージックのデビュー・シングル「Virginia Plain」にはより映画への想いが、特にその歌詞に詰め込まれている。

1962年のベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの名作『 何がジェーンに起こったか?(原題:Whatever Happened To Baby Jane?)』(にかけた “Baby Jane’s in Acapulco…” の歌詞)、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが初めて銀幕でペアを組んだ1932年の映画『空中レヴュー時代(原題:Flying Down To Rio)』(にかけた “… We are flying down to Rio” の歌詞)、タイトルが古いハリウッドを彷彿させる1971年のアカデミー受賞作の映画『ラスト・ショー(原題:The Last Picture Show) 』(にかけた “Last picture shows down the drive-in” の歌詞)、そしてジンジャー・ロジャースが起用されているだけでなく、1972年のリスナーにとって、そのタイトルは10代の反逆者のオリジナルともいえるジェイムス・ディーンを連想させたであろう1956年の映画『Teenage Rebel』(にかけて、”Teenage Rebel of the week” の歌詞) など、ハリウッドの黄金期の映画への言及が幾つもある。

 

2. ハンフリー・ボガート

ギタリストのフィル・マンザネラは “最初のオーディションでブライアン・フェリーと一緒に座り、ハンフリー・ボガートと俺たちの大好きな映画について話したこと” を思い出しているかもしれない。

のちのソロ・アルバムとロキシー・ミュージックのために、ブライアン・フェリーは映画『カサブランカ』に登場する白のディナー・ジャケットを上品にまとったハンフリー・ボガートのイメージを採用した。『Roxy Music』の中で、映画『カサブランカ』の名セリフでもあった「Here’s looking at you, kid」というセリフを直接歌詞に引用した「2 H.B.」はハンフリー・ボガートに敬意を表していたのだ。(To ハンフリー・ボガートの略 )

元美術学生だったブライアン・フェリーが、「2 H.B.」という曲のタイトルがもつ他の意味合いに気付いていなかったはずがない。グループの下積み時代後半の学術的な研究本『Re-Make/Re-Model: Becoming Roxy Music』の取材のために、その著者であるマイケル・ブレイスウェルと対談したとき、ブライアン・フェリーはこの曲について、同期の美術学生、そして将来独立したアーティストとなるマーク・ランカスターに「2 H.B.」のことを伝え、こう言われたことを思い出した。

「彼はこう言ったんだ。“おお、それは素晴らしいね。鉛筆についての曲を書くなんて” と。とてもポップ・アートなコンセプトだったんだ。本当に。僕がハンフリー・ボガートについての曲を書いたということを除いてね」

 

3. 彼ら自身

彼らのヒーローに敬意を表している間さえ、ロキシー・ミュージックは彼ら自身の伝説が確実になるように歌詞を書いた。“僕らはずっと一緒にいた / 頑張って、ただただ頑張って、一流になるためだけに頑張った” と、ブライアン・フェリーは「Virginia Plain」で歌っている。

彼がグループを結成し始めてから経過した1年半に対する言及は、まさしく彼らのデビュー・シングル「Virginia Plain」の歌詞の中に登場している。そして、この曲が全英チャートで第4位のヒットを記録したとき、彼らを一流のレベルにまで押し上げた。

しかしロキシー・ミュージックだけが「Virginia Plain」で歴史に残ったわけではなかった。

Make me a deal and make it straight
All signed and sealed, I’ll take it
To Robert E Lee I’ll show it
僕と取り引きをして、真っ直ぐにしてくれ
すべて署名捺印された、僕が持っていくさ
ロバート・E・リーのもとに、見せに行ってくるさ

と実際の弁護士ロバート・E・リーの名前を直接持ち出しながら、ブライアン・フェリーは冒頭でこう歌う。「2 H.B.」と同様に、そしてロキシー・ミュージックが行ったほとんど全てがそうだったように、それらは2つのことに言及している。ロバート・E・リーという人物は、実際に弁護士でもあり、北バージニア軍を指揮していたアメリカ南北戦争の南部連合兵士でもあったのだ。

曲のタイトル「Virginia Plain」自体は、1964年に、ニューカッスル大学の芸術学科の1年生だったブライアン・フェリーが制作した絵画への言及だった。ニューカッスル大学でブライアン・フェリーの講師の一人であり、ザ・ビートルズの『White Album』のアルバム・カヴァーを手掛けたブリティッシュ・ポップ・アートの先駆者、リチャード・ハミルトンに影響されたブライアン・フェリーは、その絵画作品を “この大きなダリ風の平原にそびえたつ記念碑として、ピンナップガールが乗った巨大なたばこ箱のシュールなドローイング” とマイケル・ブレイスウェルに説明した。

だが、この曲のタイトルが持つ意味は他にもあった…

 

4. タバコとモデル

ブライアン・フェリーの絵画の中で示唆したように、「Virginia Plain」は景色だけを想起させるものではなかった。それは種類豊富な紙巻タバコでもあり、また架空の女の子の名前でもあった。

しかし実在の “バージニア・プレイン” をブライアン・フェリーが知らなかったかもしれないとはいえ、この曲は『Couch』や『Camp』など数々のアーティストの60年代映画に出演し、ベイビー・ジェーン・ホルツァーとして知られた(その参考映像もある)アンディ・ウォーホルのアイドル、実在モデルのジェーン・ホルツァーにちなんだ曲だった。

Photo: Roxy Music Archives

1969年にジョージ・レーゼンビーがボンド役を務めた『女王陛下の007』に出演していたかつてのボンド・ガール、カリ=アン・ミュラーが大胆に登場した『Roxy Music』のアルバム・ジャケットから始まり、ブライアン・フェリーとグループにとってファッション・モデルとは繰り返し湧く魅力であったのだろう。

70年代初期のロック、そしてポップ・アルバムに逆らった、そのシンプルさとやり方で世間を驚かせたロキシー・ミュージックのアルバム・ジャケットは、レコード盤のアートワークというよりも、ファッション撮影としての印象を与えた。ファッションの世界とグループ自身のコネクションを生かしながら、グラマラス(古きハリウッドの感覚で)であると同時に “グラム” (70年代風に着こなした感覚で)なイメージは、あとに続くすべてのロキシー・ミュージックのアルバムを方向付けた。

 

5. ファッション

「ラッキーだったのは、ちょうど頭角を現し始めていた素晴らしいファッション・デザイナーの友達が僕らにいたことだね」と2009年、ギタリストのフィル・マンザネラはこのようにインタヴューアーに向かって語った。

その中には、ロキシー・ミュージックのアート・ディレクターとして活躍したペインターのニック・デ・ヴィル、衣装やメイクのアドバイスを行っていたデザイナーのアンソニー・プライス、そして美容師のキース・ウィンライトらの名前が挙がった。

「絶対にまとまりのある協調的なものにはしない」ために、各メンバーは個別に彼らと打ち合わせを行っていたことをフィル・マンザネラは語る。バンド全員でお互いの衣装を最初に見たのは「まさに新しいツアーの最初のライヴが始まろうとする直前だったよ。とりあえずお互いを見に行ってみて、“オーマイゴッド! こんなのどこから持ってきたんだよ?” って感じだったね」。

こうやって、まるでそれぞれのメンバーが別のバンド、もしくは別の惑星で演奏しているかのように見えるグループは作られていた。「SF映画の中で銀河系国会の大統領が来ているかのような類いのもの」とブライアン・イーノはロキシー・ミュージックの衣装を説明した。

フィル・マンザネラは思い出したようにこう付け加えた「バラバラの要素が一体となるのが素晴らしかったよ。しかしこれらのバラバラ要素の裏で、僕らは多くを学んだ」

Photo: Roxy Music Archives

6. 組織立ったカオス

訓練されていない耳の持ち主には、彼らが自分たちの楽器と真剣に向き合っているように聴こえるかもしれないが、2009年のフィル・マンザネラいわく、それは意図的なスタイルの衝突だった。「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのギタリストになるフリをしてたんだ」と彼は『Roxy Music』のセッションを思い出した。

「その一方で、ブライアンは恐らく “これはちょっとエルヴィスっぽいし、これはちょっとオーティス・レディングっぽい”  とこんなことを考える。 そしてブライアン・イーノはこう言うだろう。“ちょっと待って。これはちょっとジョン・ケージっぽいし、シュトックハウゼンぽくもある。そして僕らもほんの少しシステム・ミュージックを加えてみよう” と。もしそれぞれお互いの頭の中で考えていることが漫画みたいに見えていたとしたら、全く別のことを考えていたはずさ」

そして出来上がった『Roxy Music』の1曲目「Re-Make/Re-Model」は、純粋な意思表示としてスピーカーから鳴り響く。完全に独特なもの、さらには未来的なものを表現しながら古い比喩的用法を再設定、そして再び並び替えながら、ポップの世界への襲撃を表明した。フィル・マンザネラはこう言った。

「ブライアン・イーノは常に限界を押し広げていたよ。馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが。僕らはデジタル処理で取り込まれていた時があるんだ。彼のシンセ、ミキシング・デスクを経由してね。そして彼はオーディエンス側に立ってミックスを行っていたんだ」

ライヴ演奏中、バンドがステージで演奏したものは、観客が家で聴いていたものとは少しも似ていなかった。フィル・マンザネラはこう語る。

「僕らはすぐにそれを中止したよ。でもあれは恐らく最高にエクストリームだった。1972年にしてはかなり型破りだった」

「Re-Make/Re-Model」の3分強ぐらいのところで、各バンド・メンバーがスポットライトへと踏み出し、ソロ・パートでロックン・ロールなフレーズを噴出させながら、同時にグループとして一緒にやりたかった非常に複雑な音をいっせいに解き放つ。

グラハム・シンプソンによる ザ・ビートルズの「Day Tripper」風のベース・ライン、ブライアン・フェリーによるカスケード効果的なフリー・ジャズ・ピアノの華麗な身ぶり、フィル・マンザネラによるファズの効いたエディ・コクラン調のギター・リフ、ブライアン・イーノが操る最新式VCS3シンセによるB級映画のサウンドトラックから使用したサイエンスフィクションの金切り音、アンディ・マッケイによる (彼曰く、うまくでっちあげたジャズ気取りの音。今やったら、とんでもない。他に出来ることをやったほうが良さそうだと思うだろうとのこと)息の詰まるようなサクソフォンの不協和音、そして自信に満ちて堅実なポール・トンプソンのクラシック・ロックなドラム。完全に異なる要素を個々の軸へと分離させないようにする素晴らしい土台だ。

さらに特筆すべきは「If There Is Something」で聞こえるカントリー・ミュージックとドゥワップだ。後者は「Would You Believe?」とアルバム最終曲「Bitters End」に登場するバッキング・ヴォーカルに正確に現れている。しかしアルバムの中で恐らく最も衝撃的なバッッキング・ヴォーカルは、実際にスペリングを述べた一見無意味な呪文「CPL 593H」だろう…

 

7. 車のライセンス・プレート

音楽の過去と近未来を詰め込んだ激しいミックスに甘んじることなく、「Re-Make/Re-Model」はそのタイトルで、イギリスのポップ・アーティスト、デレク・ボシャーによる1962年の絵画「Re-Think/Re-Entry」と、ブライアン・フェリーが体験し惜しくも逃したロマンチックな「もしかしたら?」を、遠回しながら示唆している。

ブライアン・イーノとアンディ・マッケイによって繰り返し歌われた「CPL 593H」というのは、実際の車のナンバープレートのことだ。ブライアン・フェリーは単独でレディング・フェスティバルに参加し、観客の中に彼が好きな女の子を見つけたことを思い出す。

「車でロンドンに帰ろうとしていたとき、僕の前にいた車に同じ女の子がいたんだ。僕はそのナンバープレートを記憶したんだ。確かミニの、多分赤い車だった。それからも何度かあの車を見かけたから彼女がどこに住んでいるか知ってるよ」

車の鑑識眼があるブライアン・フェリーが、アルバムで引き合いに出した車は謎の女子のミニだけではない。「Virginia Plain」でも、ブライアン・フェリーはこう歌っている。

Far beyond the pale horizon
Somewhere near the desert strand
Where my Studebaker takes me
That’s where I’ll make my stand
ぼんやりとした地平線のはるかかなたに
砂漠の近くで立ち往生
スチュードベーカーが俺を連れていく場所
そこが俺の向かう場所

彼が学生のころに性能よりも車のデザインの強さで購入を決めた古きアメリカの1957年のスチュードベーカーのチャンピオンをこの歌詞で引用している。ブライアン・フェリーはあとで認めながら、こう付け加えた。

「僕はそれを買うために大学の助成金を使いきっちゃったんだ。65ポンドかかったけど素晴らしい車だった。美しいラインを備えた流線型の非常に控え目な車だったよ」

 

8. ロキシーとアメリカ

50年代、60年代に製造されたクラシックのアメリカ車だけが、当時のブライアン・フェリーの興味を引きつけたわけではなかった。彼はディスク・マガジンにこう語った。

「僕に影響を与えたものの少なくとも50パーセントはアメリカのものだ。最高の映画はアメリカのものだったし、偉大なスターはみんなアメリカ人だった… そして最高の音楽もアメリカのものだった。ザ・ビートルズが出現するまではね」

この発言はブライアン・フェリーがアメリカからの文化の輸出に対して愛憎関係を時折表していたことを物語っている。50年代のファッション、ハリウッドの魅力、ロキシー・ミュージックに染み込んだカントリーとドゥーワップの旋律。しかしヴォーカルのこととなると、ほとんどの英国シンガーたちがアメリカのアクセントに影響されている中、ブライアン・フェリーはその流行りから逃れようとしていた。

「アメリカ人に聞こえるよりも、僕はイギリス英語に聞こえるヴォーカルにしたかった。それもかなり向こう見ずなことだけど。アメリカのスタイルに影響された音楽なのにね」

2009年に行われたインタヴューで、アンディ・マッケイはこう述べている。

「みんなブライアンを実際よりももっと平凡なシンガーだと思うようだが。彼はもっと独特で奇妙だよ」

スレイドのギタリスト、デイブ・ヒルがメロディ・メーカー紙で「Re-Make/Re-Model」のレヴューを行ったとき、彼は初めに「声の中に何も感じない」と断言した。しかしその後に、「しかしこの声には何かがある。この声には多くの影響が含まれている」と付け加えている。そして彼の最終的な結論は「これはごちゃまぜなバンドだろうな」だった。

最後に1972年にNME誌のインタヴューに答えたブライアン・フェリーの発言を引用しよう

「これほど進化した音楽に興味のあるグループが、明らさまに昔のものに影響を受けていたことはないだろうね」

Written by Jason Draper


ロキシー・ミュージック『Roxy Music』
1972年6月16日発売
4枚組スーパー・デラックスApple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



 

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