チャールズ・コナーが86歳で逝去。リトル・リチャードやジェームス・ブラウンのドラマーとして活躍

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

リトル・リチャードをはじめ、ジェームス・ブラウンやサム・クックなどの偉大なミュージシャンたちのドラマーとして活躍したチャールズ・コナー(Charles Connor)が2021年7月31日に86歳で逝去した。

チャールズ・コナーの娘であるクウィーニー・コナー・ソネンフェルドによると、くも膜下出血や髄膜炎などで髄液の吸収障害が生じ、髄液が貯留する“正常圧水頭症”を患い、カリフォルニア州グレンデールの自宅でホスピスケアを受けていたチャールズ・コナーは、眠り​についたまま安らかに息を引き取ったという。また彼女は、常に前向きで、夢を諦めない“偉大な父親”についてこう讃えている。

「彼は、ロックンロールというジャンルをつくり上げたレンガ職人のようなドラマーでした。1950年代には多くの伝説的なミュージシャンのバックで演奏していました。彼は愛すべき祖父でもあり、家族をとても誇りに思い、ロックンロールへの自らの貢献にも大きな誇りを持っていました」

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チャールズ・コナーは18歳の時に、リトル・リチャードのオリジナル・ツアーバンド、ジ・アップセッターズ (The Upsetters) に加入。同バンドは、ジェーン・マンスフィールド主演の映画『女はそれを我慢できない』(原題:The Girl Can’t Help It)をはじめ、『Don’t Knock the Rock』、『Mister Rock and Roll』などの人気長編映画にも出演を果たしている。

彼は自身の公式サイトのバイオグラフィーの中で、リトル・リチャードについて次のように述べている。

「リトル・リチャードは、独創的なプロモーターでした。彼のバンドが注目を集め、ステージで演奏できるようになるためには、偏見を持つ人々に対し、バンドが彼らの生活を脅かさないことを示す必要がありました。そこでリトル・リチャードは、バンドメンバーに分厚いパンケーキのような化粧をさせ、女性らしく振る舞うことで、バンドを宣伝し、人種的な偏見を回避したのです。リトル・リチャードのバンドが1955年に全米ツアーを行った時、私は20歳でした。ワシントンD.C.のターナーズ・アリーナやハワード・シアター、メリーランド州ボルチモアのロイヤル・シアター、ハーレムのアポロ・シアター、アラン・フリードも出演したブルックリンのパラマウント・シアターなど、名だたる劇場で演奏してきました。ニューヨークでは、10代の白人の子供たちが、黒人たちの楽しそうな様子を見て、通路で一緒に踊ったりしていました。心浮き立つような時代でした」

チャールズ・コナーはそのキャリアにおいて、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソン、ザ・コースターズなど、数多くの偉大なミュージシャンたちとツアーを共にし、1994年には、米下院議員のマキシン・ウォーターズによって特別賞を授与された。

また彼は、夢を諦めなければ必ず成功者になれるという自身の信念と体験談について記した自叙伝『Don’t Give Up Your Dreams: You Can Be a Winner Too!』を2008年に出版。その2年後には“ルイジアナ音楽の殿堂(Louisiana Music Hall of Fame)”に殿堂入りを果たしている。

2013年に生前最後のアルバム『Still Knockin’』をリリースしたチャールズ・コナーは、自伝的ドキュメンタリーの制作中だった。

Written By Sam Armstrong




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