すべての宗教や人種の観衆の心を動かしたジェームス・ブラウンの「Say It Loud- I’m Black and I’m Proud」

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1968年までに、ジェームス・ブラウンは単なる大スターのヴォーカリストや音楽的な革新者であっただけでなく、同世代に耳を傾けてもらえる社会評論家でもあった。時に政治的に圧力のかかった状況であっても、異人種間の壁を打ち破るための奮闘から生まれた彼の信頼性と誠実さから、ソウルのゴッドファーザーは、政治家がほどんど調和することのない観衆の心を直ちに動かした。

1968年9月7日、彼のいまだ最も勇気ある音楽的なメッセージ「Say It Loud – I’m Black and I’m Proud (Part 1)」は、全米シングル・チャートのポップ・チャートで60位に登場、その週で最も高い順位に登場した新曲となった。それは彼がすべての宗教や人種の観衆の心を動かしていることを証明し、彼のメッセージはあっという間に広まった。その一週間後、キング・レコードから発売されたそのシングルは39位に、その次の5週目には10位のピークに達した。

R&Bのチャートでは、6週間1位となり、あわせてこのシングルと同名タイトルの彼の7枚目のアルバムも頂点に達し、シングル曲は真のアンセムとなった。ジェームス・ブラウン & ザ・フェイマス・フレイムスとして十数年売り出したのち、「Say It Loud」は彼の名前のみがクレジットされた最初のシングル曲だった。彼の思いが本当に表れた曲だったのだ。

ドクター・マーティン・ルーサー・キング暗殺後、怒りと暴力が溢れてしまった危険な状況での良識の代弁者として、その年の始めに極めて重要な役割を務めたあとに、「彼の人種、彼の仕事、そして彼の国への信頼にたる男」とジェームス・ブラウンをBillboard誌はこう言い表した。(*キング牧師殺害の翌日、ジェームス・ブラウンはボストンでライブをする予定だったが、当局は暴動を恐れてコンサートの中止を要請。JBはそれを拒否してライブを行った。そのライブのお蔭で他の大都市で多発していた暴動がボストンだけは起きなかった)

中にはジェームス・ブラウンがアメリカのメインストリームへと溶け込んでいくことについて快く思っていない黒人の活動家たちもいた。「Say It Loud」のレコーディングの2ヶ月前、ベトナムにいたアメリカ兵士たちのためにジェームス・ブラウンはライヴを行っている。

ジェームス・ブラウンの最先端の音には欠かせない重要な要素となったトロンボーンの新しい革新者フレッド・ウェズリーが「Say It Loud」には参加している。サックス奏者のメイシオ・パーカーと、テナー奏者のセント・クレア・ピンクニー、ドラマーのクライド・スタブルフィールドやバンドリーダーのアルフレッド・ピー・ウィー・エリスをはじめとする他のレギューラーたちも参加している。

ジェームス・ブラウンはレコーディングの場では常にライヴ感のある、自発的な雰囲気を実現してきた。「Say It Loud」はゴッドファーザーが、彼の合図にミュージシャンが反応できるようお互い向き合いながら演奏したバンドとともに、スタジオにこもって作られた革新的最高傑作であった。ロサンゼルスの貧困エリアから参加した30人の子供たちによるコール・アンド・レスポンスの歌声も、曲に欠かせない要素となった。

ジェームス・ブラウン長年のマネージャー、チャールズ・ボビットはジェームスの葬式で思い出しながらこういった。「私は古いスクールバスを入手し、ワッツ周辺をドライブし、30人の子供たちをスタジオに連れてきたんだ。”Say It Loud” のレコーディングが終わると、彼らに10ドルずつとジェームス・ブラウンのアルバムを手渡した。そうやってみんなが愛する曲は録音されたんだ」。

Written by Paul Sexton



ジェームス・ブラウン『Say It Loud- I’m Black and I’m Proud』

     

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