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スワンプ・ブルースの中心人物、レイジー・レスターが85歳で死去

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Photo: Charles Paul Harris/Michael Ochs Archives/Getty Images

スワンプ・ブルースの確立における中心人物のひとりだったルイジアナ生まれのブルースマン、レイジー・レスターが2018年8月22日に85歳で亡くなった。複数楽器のプレイヤーで、歌手、作曲家だった彼はこの数ヶ月胃癌と闘病していた。

1933年7月20日にルイジアナ州のトーラスに生まれた本名レスリー・ジョンソンは、1950年代の半ば頃から、地元ルイジアナのブルース・ファンの間で注目を集めるようになった。ある日、ハーモニカ・プレイヤーが姿を現さなかったライトニン・スリムとのセッションで彼が代理を務めたことがきっかけとなり、その後プロデューサーのジェイ・ミラーとソロ作をレコーディングするチャンスを獲得した。ジェイ・ミラーは彼のリラックスした演奏スタイルから、彼のステージ・ネームを”レイジー・レスター”と名付けた。

彼は過去にエクセロ・レコード、キング・スネイク、その他のレーベルでもレコーディングを行っていたが、一度現場から離れるも、後年になってから再び復帰し、アリゲーター・レコードなどで活動を再開した。1988年にはアルバム『Harp & Soul』を発表し、その後もアントンズやテラーク・インターナショナル・コーポレーションなどからさらなる作品をリリースした。

エクセロ・レコードからの彼名義の最初のシングルは、1950年代半ばに発表した「I’m Gonna Leave You Baby」で、その後も1958年の「I’m A Lover, Not A Fighter」や「Sugar Coated Love」などといった代表曲を送り出していった。この時代以降、レイジー・レスターは、そのカントリーやザディコ、ケイジャンといったフランス系移民によるフォークやダンス音楽の要素を取り入れた独自のブルース・スタイルで、権威ある歌手、作曲家、ギタリスト、そしてハーモニカ奏者としての世にその実力を知らしめていった。彼はセッション・プレイヤーとして、スリム・ハーポやジョニー・ウィンターら著名アーティストたちの作品にも引っ張りだこで、ジョニー・ウィンターの1961年の初期のセッションにその名を刻んでいる。

1960年代以降は、彼のクロスオーバーなアーティストとしてのポテンシャルを制限する人種分離や差別に挫折し、20年間ほど音楽業界の外で、様々な肉体労働に従事して過ごしていた。そんな中、ザ・キンクスによる「I’m A Lover, Not A Fighter」のカバーやファビュラス・サンダーバーズなどのバンドが彼の楽曲をカヴァーしたことで、キング・スネイクやアリゲーターといったレーベルが再び注目され、レイジー・レスターの復帰を後押しした。

2003年にニューヨークのラジオ・シティ・ミュージックホールで開催され、B.B.キングやバディ・ガイ、そして彼らの崇拝者であるボニー・レイットやモス・デフらと共に出演したブルース生誕100年を記念したコンサートでも彼はフィーチャーされ、この時の模様はドキュメンタリー映画『ライトニング・イン・ア・ボトル~ラジオシティ・ミュージックホール 奇蹟の夜~』として公開されている。レイジー・レスターは2018年初頭まで音楽活動を続け、近年アメリカの保険会社GEICO Insuranceのコマーシャルに登場したことで新たな称賛を得ていた。

Written by Paul Sexton



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