Join us

News

アンディ・ウォーホルによる最も印象的なアルバム・ジャケット6枚

Published on

Andy Warhol - Photo: Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images

アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)は、1949年にニューヨークへ移住してからアメリカのポップアートの申し子として有名になるまでの人生の大部分を、フリーランスのコマーシャルアーティストとして働き、多くのアルバム・カバーを制作してきた。

そして名声を得た後も、ウォーホルは生涯にわたってアルバム・アートのデザインを手がけていた。彼はそのキャリアを通じて、カルトヒーローからスーパースターまで、あらゆるジャンルのアーティストのジャケットを何十枚もデザインしたのだ。その中でも特に優れた作品は、彼の他のアート作品と比較しても、十分に肩を並べるものとなった。

この記事では、ウォーホルの最も印象的なアルバム・ジャケットのごく一部を紹介し、その由来を明らかにしよう。

<関連記事>
ドキュメンタリー『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』で描かれる10の事柄
アンディ・ウォーホルとヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ
アンダーグラウンドから誕生:ニューヨークのサマー・オブ・ラヴ


1. ムーンドッグ『The Story of Moondog』(1957年)

作曲家でありマルチ・インストゥルメンタリストのルイス・”ムーンドック”・ハーディンはアウトサイダー・ミュージックのパイオニアだった。ジャズ、クラシック、原始音楽、アバンギャルドなサウンドをミックスした独自の音楽を生み出し、時にはバイキングのヘルメットをかぶりながら、自らデザインした楽器を演奏することもあった。

ウォーホルは、ムーンドッグによる2枚目のアルバム・ジャケットの構想を任されたとき、彼は母親のジュリア・ウォーホラのカリグラフィー(美しく文字を魅せる技法)の才能を採用した。アンディは、当時のアルバム・デザインとしては珍しく、母親の手書きによるライナーノーツをフロントカバーの主役に据えたのだ。そしてこの作戦は成功した。後日、母ジュリア・ウォーホラは、この作品でアメリカン・グラフィック・アート協会より表彰されている。

Up Broadway

2. ケニー・バレル『Blue Lights』(1958年)

ウォーホルが有名になる前のジャケットデザインの大半はジャズ・レコードで、カウント・ベイシー、アーティ・ショウ、セロニアス・モンク、ポール・デスモンドなどのアルバムを手掛けた。しかし、ジャズギターの巨匠ケニー・バレルの『Blue Lights』のジャケットは、ウォーホルの雇われ仕事という意外な側面がルーツになっている。

ウォーホルは、靴屋チェーン「I.ミラー」の印刷広告のイラストを何年も描いており、ニューヨーク・タイムズ紙に毎週掲載されていたこの広告で、ウォーホルはアート・ディレクターズ・クラブの賞を何度も受賞していた。

チャンスを逃すまいとするウォーホルは、そのインスピレーションをケニー・バレルのアートワークにも生かした。アルバム・ジャケットの上半分を占める靴と脚は、ウォーホルによるI・ミラーのドローイングの1つをそのまま使ったようなものだった。このアルバム・ジャケットは好評を博し、3年後の『Blue Lights Vol.2』ではピンク色で再利用された。

Phinupi

 

3. ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ『The Velvet Underground & Nico』(1967年)

ウォーホルは、当時マネージメントと名目上のプロデュースを行っていたヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのセルフタイトル・デビューのために「バナナ・ジャケット」を制作したが、これは彼の最も有名なアルバム・デザインであるだけでなく、あらゆる媒体において最も広く知られた作品のひとつとなり、60年代のポップアートを象徴する一枚ともなった。

ウォーホルの出世作となったキャンベル・スープの缶のように、バナナのジャケットは、日常のイメージを芸術的なステートメントに変えるという彼のテーマの一部だった。しかし、オリジナル・バージョンは、ヴェルヴェッツが歌うニューヨークのストリート・ライフにマッチした性的な暗示性を持っていた。というのもアルバムの初回プレスでは、バナナの皮が引っ張られ、その下にホットピンクのバナナがむき出しになる仕掛けだったのだ。しかしながらこの仕掛けは持続不可能なほど高価であり、その後のプレスでは再現されなくなった。

 

4. ザ・ローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』(1971年)

ウォーホルは常に上を目指しており、70年代のザ・ローリング・ストーンズの最初のスタジオ・アルバムのジャケット・コンセプトは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムの暗示性をさらにレベルアップさせたものだった。

『Sticky Fingers』のオリジナル盤の購入者は、取り外し可能な皮付きのバナナの代わりに、タイトなジーンズの男の股間に直面し、ジッパーを下ろしてその下の下着を露出させることになった。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジャケットと同様、制作費が嵩んだため、特殊効果は初回プレス分だけにとどまった。しかし、カバーのモデルが、アンディの1968年の映画『フレッシュ』にヌードで出演したことで知られるウォーホルの弟子、ジョー・ダレッサンドロだったことを考えると、ジッパーの下のサプライズは、もっともっとスキャンダラスだったはずである。

Brown Sugar (2009 Remaster)

 

5. ジョン・ケイル『The Academy in Peril』(1972年)

ウォーホルは複数の作品にわたってコンセプトを探求することを好んだが、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルによるセカンド・ソロ・アルバムのジャケットは、独自の領域を占めているようだ。ウォーホルによるダイカット・デザイン(抜き型“ダイ”を使って紙や金属板などを打ち抜く手法)は、ジョン・ケイルの目のクローズアップ写真21枚と顔写真4枚を左右対称に配置し、すべてコダクロームのスライドとして表現している。

ウォーホルはケイルのファースト・アルバム『Vintage Violence』のために同様のコンセプトを考案したが、長髪のケイルが髪を切り、ウォーホルが使用した写真に似つかわしくなくなったため、そのアイデアは廃案となった。

ウォーホルはケイルに『The Academy in Peril』のジャケット代を請求する代わりに、同時期の映画『ヒート』でアルバム曲「Days of Steam」を使用する許可を得たのだった。

Days Of Steam

 

6. ダイアナ・ロス『Silk Electric』(1982年)

ウォーホルが晩年に頻繁に行った手法のひとつが、エピスコープ(不透明な映写機)で写真を表示し、それを絵画のテンプレートとして使用することだった。1955年のカウント・ベイシーのセルフ・タイトルLPのデザインに早くもこの手法を取り入れ、その後もポール・アンカからビリー・スクワイアまでのアルバム・ジャケットにもこの手法を適用した。

ウォーホルがこの技法を最も効果的に使ったのは、ダイアナ・ロスの『Silk Electric』である。1976年、ウォーホルが創刊したインタビュー誌に掲載されたリチャード・バーンスタイン撮影のダイアナ・ロスの表紙写真が、ウォーホルのインスピレーションとなった。

アルバム・ジャケットのイメージ基礎となったのは、彼女がウォーホルに自身と3人の娘のポートレートを依頼して撮影した写真だった。『The Andy Warhol Diaries』の1981年10月2日にはこう記されている。

「ダイアナ・ロスは3時にやってきて、彼女はすべてのポートレート写真を気に入って、“全部包んで”と言い、リムジンにのって、5時にはボブのところにチェックを持っていった。そして、彼女は私に次のアルバムのジャケットを担当して欲しいと言ってきた」

Muscles

Written By Jim Allen




Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss