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音楽史に残るアイコニックなアルバム・ジャケット25選

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真にアイコニックなアルバム・ジャケットは、アルバムだけでなく、時代や世代、そして場合によっては、音楽ジャンル全体を定義するものだ。そして中には、この3つ全てを定義してしまうジャケットも存在する。例えば、ザ・ビートルズの『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、“ピース・アンド・ラヴ”なオーディエンスへ向けた、60年代のサイケデリック文化を象徴するアイコニックなジャケットの典型だ。

アルバム・ジャケットは、そこに登場するミュージシャンのおかげで、アイコニックな地位を獲得する場合もある。例えば、エルヴィス・プレスリー、デヴィッド・ボウイプリンスといったフォトジェニックなスターの神のようなイメージが、見る者の瞳に焼き付くからだ。その他のアイコニックなアルバム・ジャケットは、ヒプノシスやアンディ・ウォーホルといった、独創的な芸術家によって作られる。彼らのグラフィック・デザインは、直線的思考を回避し、ジャケットそのもので正真正銘の芸術作品となるイメージを生み出すのである。

芸術には好みの問題があるかもしれないが、長期的な影響力については、より容易に評価できるだろう。音楽史に残るアイコニックなアルバム・ジャケットが25枚というのは、数としては多くないかもしれないが、アルバム・ジャケットがなぜ伝統的な芸術作品として尊重される価値を持つのか、この25選からその理由が分かるはずだ。

(*本記事およびリストは本国uDiscovermusicの翻訳記事です)

■エルヴィス・プレスリー『Elvis Presley(邦題:エルヴィス・プレスリー登場!)』(1956年)

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シンプルな2 つの言葉。‘エルヴィス’と‘プレスリー’(同アルバムのジャケットでは、後者の文字が、物議を醸していた彼の腰つきを辛うじて隠している)。必要なのはこの2語だけだ。1955年7月31日、フロリダ州タンパのフォート・ホーマー・ヘスターリー・アーモリーでの公演中に撮影された写真からは、世界中で天下を取る直前の若者が放つ原始的なロックン・ロールのエネルギーを今でも感じることができる。それから20年後、ザ・クラッシュは、エルヴィス・プレスリーほどのロックン・ロールはないと考えると、同アルバムのジャケット・デザインを画期的な『London Calling』のアルバム・ジャケットに使用した。

■ザ・ビートルズ『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band 』(1967年)

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当時で最高の製作費を投入して作られた『Sgt Pepper~』のアルバム・ジャケットは、フランク・ザッパ(『We’re Only In It For The Money』)からザ・シンプソンズ(『The Yellow Album』)に至るまで、あらゆる人々に影響を与えたポップ・アートの傑作であり続けている。イギリスの芸術家、ピーター・ブレイクと当時の妻、ジャン・ハワースがお膳立てした『Sgt Pepper~』のアルバム・ジャケットには、58人が描かれている。ジャケットの人選は、ジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスン、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、ロバート・フレイザー(ロンドンの美術品商)によるもので、文化、重要性、ザ・ビートルズの個々の関心が見事に掛け合わされている。

ここ(海外サイト)をクリックして、『Sgt Pepper』のインタラクティヴなジャケットをチェック。誰がジャケットに登場しているか、確かめてみよう。

■ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ『The Velvet Underground & Nico 』(1967年)

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ピーター・ブレイクによる『Sgt Pepper~』のアルバム・ジャケットが、イギリス産ポップ・アートの最も有名な例なら、同じ年にリリースされたアンディ・ウォーホルのデザインによるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー・アルバムは、アメリカ産ポップ・アートで最も有名な作品のひとつだ。「Peel Slowly And See(ゆっくりと剥がして見ろ」と書いてあるバナナの皮はステッカーで、それを剥がすと、その下には男根のようなフルーツが覗く――アンディ・ウォーホルらしい皮肉な仕掛けで、ステッカーを剥がしたものをからかっている。新品同様に全く無傷のなヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのデュー・アルバムは、いまや極めて貴重なコレクターズ・アイテムだ。

■フランク・ザッパ/マザーズ・オブ・インヴェンション『Weasels Ripped My Flesh(邦題:いたち野郎)』(1970年)

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イラストレーターのネオン・パークが持つ独特なスタイルは、ほぼ全てのリトル・フィート作品のアートワークだけでなく、1967年から1969年にレコーディングされたマザーズ・オブ・インヴェンションの作品にも忘れがたい印象を与えている。冒険雑誌『Man’s Life』の1956年9月号表紙に描かれていたイタチに襲われる男性を見て、フランク・ザッパはそこに書かれていた“Weasels Ripped My Flesh(イタチが俺の皮膚を引き裂いた)”というキャプションをアルバム・タイトルに冠すると、「この表紙よりも酷いものを作れ」という難題をネオン・パークに課した。こうして、電気カミソリの広告をもじった不気味なジャケットが誕生したのだ。

■ロキシー・ミュージック『Roxy Music』(1972年)

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70年代前半に作られた印象深いアルバム・ジャケットの大半は、ヒプノシスやロジャー・ディーンなどがデザインしたハイコンセプトなアートワークだったが、ロキシー・ミュージックのアプローチは、驚くほどにシンプルだった。グラマラスなイメージは、アルバム・ジャケットというよりも、50年代のファッション写真に近い。同グループのフロントマン、ブライアン・フェリーとのロマンスが噂されることも多かったモデルも皆、興味深いバック・グラウンドの持ち主だった。映画『女王陛下の007』にボンド・ガールとして出演したカリ=アン・ミューラーは、わずか20ポンドのギャラで『Roxy Music』のジャケットに登場した。後にヨガ講師となった彼女は、クリス・ジャガーと結婚。なお、ジャガーの兄弟(ミック・ジャガー)も、これまた興味深い物語の持ち主だ……

■ピンク・フロイド『The Dark Side Of The Moon(邦題:狂気)』(1973年)

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音楽史の中でも特にアイコニックなアルバム・ジャケットは、歴史に残る屈指のデザイン・チームによって作られた。ヒプノシスの主要メンバー、ストーム・ソーガソンとオーブリー・パウエルが『The Dark Side Of The Moon』のコンセプトを考案し、ジョージ・ハーディがそのアイディアを形にした。プリズムによって屈折した光が、スペクトル7色のうちの6色(インディゴが抜けている)となるデザインだ。光線、プリズム、スペクトルの3つは、バンドとその音楽の3つの側面を象徴しているようだ。大掛かりなステージ照明、『The Dark Side~』の歌詞、そして「大胆でありながらもシンプルなものを作ってほしい」という、ヒプノシスに対するキーボード奏者リチャード・ライトのリクエスト。そして3つとも、見事に表現されている。

■デヴィッド・ボウイ『Aladdin Sane』(1973年)

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ブライアン・ダフィーが撮影したポートレイトは、デヴィッド・ボウイと聞かれる時にいまだ連想されるイメージだ。デヴィッド・ボウイの『Aladdin Sane』のペルソナは、ジギー・スターダストの延長である。そして、顔に描かれた稲妻は、突如としてスーパースターダムにのぼりつめたデヴィッド・ボウイが自身について感じていた‘ひびの入った(引き裂かれた)俳優’を表現している。当時のデヴィッド・ボウイは、宇宙的なパワーを漲らせていたが、ジャケット写真の撮影は地球上、ロンドンのプリムローズ・ヒルにあるブライアン・ダフィーのスタジオで行われた。デヴィッド・ボウイの鎖骨に見える涙の滴は、ブライアン・ダフィーが撮影後に付け足したものだ。デヴィッド・ボウイの神秘性と優しさを同時に表現した最高の演出である。

■レッド・ツェッペリン『Houses Of The Holy(邦題:聖なる館)』(1973年)

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『Houses Of The Holy』のジャケットもヒプノシスのデザインで、アーサー・C・クラークによる50年代のSF小説『幼年期の終わり』のエンディングにインスパイアされている。北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイを登る2人の子どもの写真を数枚繋ぎ合わせたコラージュは、10日にわたって撮影された。ジャケットの不気味な色合いは偶然の産物で、これが写真にぴったりの異世界的な雰囲気を添えている。また、もうひとつ予期せぬ事態が起こった。裸の子どもの写真は問題だとして、一部のレコード店が入荷を拒否したのだ。

■フリートウッド・マック『Rumours(邦題:噂)』(1977年)

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フリートウッド・マックのベストセラー・アルバムのアートワークは、一見シンプルに見える。ドラマーのミック・フリートウッドが芝居がかったポーズを決め、同じくメロドラマティックなスティーヴィー・ニックスは、月と馬の女神リアノンのような(70年代半ば、彼女はリアノンに夢中なようだった)女神的な雰囲気を醸し出している。 そして、ミック・フリートウッドの脚の間には、男性の証のような二つの玉が誇らしげにぶら下がっているが、これは単なる行き当たりばったりの男子学生的な悪ふざけではない。この2つの玉は、ミック・フリートウッドがトイレの貯水槽から取ってきたトイレのチェーンで、彼はデビュー当時、ギグの前にこの玉を脚の間にぶら下げていた。そしてその玉は、その後のライヴ・パフォーマンスでもそのまま使われると、ミック・フリートウッドが叩くトムトムの近くで危なげに揺れていた。

■プリンス『Purple Rain』(1984年)

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『Purple Rain』は、80年代半ばから終盤にかけて、決して避けて通ることのできないイメージであるアルバムだ。同アルバムは、意のままに夜の帳の中へと消えていきそうな謎めいたアーティストとしてプリンスを世界に紹介した。プリンスは、リトル・リチャードのようなポンパドゥール・ヘアで、誰も理解したいとは思えないようなジョークを聴いた時のような、皮肉っぽい笑顔を浮かべている。写真家のエド・スラッシャーは、同アルバムのプリンス同様、オートバイに乗る煌びやかなジミ・ヘンドリックスを撮影していた(この写真は、ジミ・ヘンドリックスの死後にリリースされたコンピレーション・アルバム『South Saturn Delta』のジャケット写真となった)。プリンスのオートバイをよく見てみると、後にプリンスが改名した『Love Symbol』にも似たアンドロジニーのシンボルが入っている。

■ブルース・スプリングスティーン『Born In The USA』(1984年)

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ローリング・ストーン誌の写真家、アニー・リーボヴィッツは、『Born In The USA』のタイトル・トラックにインスパイアされると、星条旗を背景に赤、白、青をまとったブルース・スプリングスティーンを撮影し、普通のアメリカ人を表現した究極のアルバム向けに、普通のアメリカ人を表現した究極のジャケット写真を作り上げた。しかし、長年にわたり政治的な誤解を受けることの多かったアルバムのタイトル・トラック同様、このジャケットも否定的な反応を引き起こすことがあった。ボスが星条旗に向かって用を足していると思う人がいたのだ――これは、数多くの写真の中から「俺の顔の写真よりも格好よく見えたから、俺のケツの写真」を選んだブルース・スプリングスティーンにとって、予期せぬ反応だった。

■グレース・ジョーンズ『Island Life』(1985年)

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グレース・ジョーンズは、モデル、女優、ソングライターとしてのキャリアの中で、ダウンタウンでのディスコ・スナップから、アップタウンでの雑誌のグラビアに至るまで、数多くのアイコニックな写真撮影を行ってきた。そしてもちろん、その中にはアルバムのジャケット撮影も含まれている。グレース・ジョーンズのレコード・ジャケットのほぼ全てが‘アイコニック’な地位にふさわしいが、1985年のアルバム『Island Life』は、その中でもとりわけ名高い1枚だ。当初は1978年のニューヨーク誌に掲載されていた写真だが、このイメージは当時グレース・ジョーンズのパートナーだったデザイナー/写真家のジャン=ポール・グードによって作られた。信じがたいポーズで写っているグレース・ジョーンズだが、これはジャン=ポール・グードが数枚の写真を合成して作ったものである。

■ザ・スミス『Meat Is Murder』(1985年)

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ザ・スミスは常に人目を引くイメージを作るのが上手かった――彼らのアルバム・ジャケットをまとめれば、モリッシーの歌詞なみに説得力があり、歴史を感じるモノクロ写真のギャラリーとなるだろう。『Meat Is Murder』では、熱心なヴィーガンのモリッシーが肉食を戦争行為になぞらえると、物議を醸したヴェトナム戦争の兵士の写真を採用。そのヘルメットには、アルバム・タイトルがくっきりと記されている。ただし、オリジナル写真に‘meat is murder(肉食は殺人)’というスローガンが入っていたわけではない。アルバム・ジャケットに写っているのは、当時20歳の海兵隊伍長、マイケル・ウィンだ。この写真は、1967年9月21日、弾道チャージ作戦の最中、南ヴェトナムのダナンで撮影された――そして、彼が実際、ヘルメットに書いていたスローガンは、ヒッピーのカウンターカルチャー的キャッチフレーズ‘戦争せず、愛し合おう’を逆にした‘愛し合わず、戦争しよう’というものだった。

■N.W.A.『Straight Outta Compton』(1988年)

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サウンド、歌詞の内容、そしてイメージに至るまで、『Straight Outta Compton』はギャングスタ・ラップという新興ジャンルを定義しており、そのアートワークも歴史に刻まれた。当時大学を卒業したばかりだった写真家のエリック・ポップルトンは後年、写真のインパクトについて「今にも殺されようとしている人間の視点で考えているんだ……新聞にも載せないような写真だ」とCNNに語っている。写真の中でイージー・Eは銃を構えているが、弾丸が入っていたのかどうかはエリック・ポップルトンにも未だ分からないという。ただし、銃は本物だったそうだ。(「当時、何ひとつとしてインチキなものはなかった」と彼はNME誌に語っている)。エリック・ポップルトンとN.W.A.のメンバー(かつては6人目のメンバーだったアラビアン・プリンスを含む)は、裏通りでこっそりとこの写真を撮影した。

ニルヴァーナNeverminid』(1991年)

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アルバムのジャケットに男性器を写す。これ以上、パンク・ロックな演出はあるだろうか? 物議を醸したアルバム・ジャケットについて、多くの人々は無邪気なバンドが金を求めているという意味に解釈していたが、実際のところゲフィン・レコードのアート・ディレクター、ロバート・フィッシャーによれば、カート・コバーンが水中出産のドキュメンタリーに魅了されたことから生まれたという。母性的なテーマに対するカート・コバーンの関心は、セカンド・アルバムの『In Utereo』(「子宮内」の意)でも再び登場する。レコード会社は赤ん坊抜きのジャケット写真を推したが、カート・コバーンは妥協案として、赤ん坊の局部に「これで気分を害するヤツは、隠れ小児愛者だ」というステッカーを貼ろうと提案した。約5年おきに、ジャケット写真に登場した赤ん坊モデル(当時4カ月だったスペンサー・エルデン)は後世のためにアルバム・ジャケットを再現している。そしてこのジャケット・デザインは、無数のパロディを生み出した。

■ア・トライブ・コールド・クエスト『The Low End Theory』(1991年)

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ロック・ミュージックにはロゴがあふれているが、クイーンズ出身のラップ・グループ、ア・トライブ・コールド・クエストは、ジャズラップ・フュージョンの傑作『The Low End Theory』のジャケットで、ヒップホップ界でとりわけ認知度の高いシンボルを何の気なしに生み出してしまった。オハイオ・プレイヤーズのセクシーなアルバム・ジャケットにインスパイアされた同アルバムのジャケットには、ヌード・モデルが蛍光色のボディ・ペイントで派手に飾り立てられている。魅惑的でありながら、それと同時にアフロセントリックでもあるジャケットだ。大胆な色使いとファンキーなイメージは、ア・トライブ・コールド・クエストの出世作となった同アルバムのクリエイティヴなヴィジョンに合致している。ボディ・ペイントされた女性は、その後のア・トライブ・コールド・クエストのアルバムにも登場した。ア・トライブ・コールド・クエストの作品と同等に魅惑的な『Stankonia』のスリーヴ内アートにも影響を与えたはずだ。

■グリーン・デイ『Dookie』(1994年)

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イラストのアルバム・ジャケットは、1994年までにはすっかり定番になっていたが、グリーン・デイのメジャー・デビュー・アルバムのジャケットを作るにあたり、アーティストのリッチー・バッカーは、グリーン・デイの原点であるベイ・エリアのパンク・シーンを描いたコミック・ブック的スタイルの世界を作った。風刺漫画誌マッド・マガジンのスタイルと、90年代のオルタナティヴ・シーン版『ウォーリーをさがせ!』を織り交ぜたイラストの中には、数々の人物がドゥーキー(うんちの意)の噴射の下に隠れているが、彼らを見つけるために魔法のデコーダーリングは必要ない。イラストの中に隠れているのは、AC/DCのアンガス・ヤング、ビッグ・スターのアレックス・チルトン、パティ・スミス、カリフォルニア大学のマーチング・バンド、ラモーンズ『Rocket To Russia』のカヴァーアートの一部等、オークランドのテレグラフ・アヴェニューに所縁のある人々をリアルに描写している。

■ウィーザー『Weezer』(別名『Blue Album』)(1994年)

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ウィーザーが、単色のカラー・スキームに卑屈なまでのこだわりを持っているのだろうか。それとも、 リヴァース・クオモが共感覚(ある数字・文字・音が特定の色や味の感覚を呼び覚ましたり、曜日や日付が特定の性格を持つように感じられたりすること)の持ち主なのだろうか。どちせにせよ、1994年のアイコニックな『Blue Album』のリリース以来、ウィーザーのアルバムは『Green』(2001年)、『Red』 (2008年)、『White』(2016年)等、色がテーマとなっている。90年代前半のアルバムは、アーティスティックなイメージで実験したものが多かったが、元ゲフィンのA&R担当者トッド・サリヴァンによれば、ウィーザーの美学は明らかに「60年代のシアーズ(デパート)の家族写真」的だった。同アルバムのリリース後、多くの人々がザ・フィーリーズによる『Crazy Rhythms』のアルバム・ジャケットとの類似性を指摘した。しかし実際のところ、クオモはザ・ビーチ・ボーイズが持つ分かりやすいボーイ・バンドのイメージを狙っていたのだった。こうして、ウィーザーはアイコニックなアルバム・ジャケットを手に入れただけでなく、ノームコア・ムーヴメントを予見したのだった。

■スマッシング・パンプキンズ『Mellon Collie And The Infinite Sadness(邦題:メロンコリーそして終りのない悲しみ)』(1995年)

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スマッシング・パンプキンズが1995年にリリースした画期的な同アルバムは、夢心地なヴィクトリア調のジャケットで、見ればすぐに分かる。ジャケットに描かれた女性は、驚きにずっと目をむいているような表情にも見えるし、20年以上もの間、恍惚に溺れているようにも見える。このジャケットは、ビリー・コーガンが語りかけている無目的な若者の姿を見事に集約しており、その空想的なイメージは、28曲を収録した壮大なアルバムの野心とマッチしている。ファックスで届いた粗削りなスケッチをもとに、イラストレーターのジョン・クレイグ(マーキュリー・レコードの元デザイナーで、ロッド・スチュワートの名作ジャケットのいくつかに関わっていた)は、古い子ども用事典から天体のバック・グラウンドを取り、ラファエルによる絵画『アレクサンドリアのカタリナ』から女性の体を取り、ジャン=バティスト・グルーズによる『The Souvenir』と題した18世紀の絵画から女性の顔を取って合成したイメージを作り出した。ただし、美術史の学位がなくても、この不朽のジャケットの素晴らしさは分かるだろう。

■ベック『Odelay』(1996年)

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アルバム・ジャケットの中には、よりディープな音楽的テーマを伝達することを意図し、細心の注意を払ってイメージが作られたものもあれば、嬉しい偶然で出来たものもある。ベックの場合、なんだか謎めいた『Odelay』のジャケット・イメージ は、ベックがコモンドールというハンガリー原産の牧畜犬の写真を見せられたことがきっかけで生まれた。ベックはこれを「ハードルを飛び越えようとして飛んでいる“うどん”の束」と形容し、その写真を見て笑いが止まらなくなった。アルバムの締め切りを翌日に控えていたベックは、ここからアルバム・ジャケットのアイディアを得ると、ジャケットに解釈の余地を残した。これは干し草だろうか? それとも空飛ぶモップだろうか? このアートワークは、究極のロールシャッハ・テストとなった。

■ザ・ルーツ『Things Fall Apart』(1999年)

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21世紀が幕を開けようとする頃、ヒップホップのジャケットは概して、社会的な主張をするのに最善の媒体ではなかった。当時、ザ・ルーツはまだアンダーグラウンド系のグループだったが、それが挑発的なジャケット(それも複数)を持つこの重要作で、全て変わろうとしていた。このアルバムは、彼らの出世作となったのだ。フィラデルフィア出身のザ・ルーツは、5種類の限定版アルバム・アートワークをリリースした。殺されたマフィアのボス、燃える教会、第二次世界大戦後の上海で瓦礫に囲まれて泣く赤ん坊、90年代のソマリアの飢饉、そして最も有名なのは、60年代にブルックリンのベッドスタイ地区で起こった暴動の最中、警察に追われる女性2人の写真だ。どれもが‘社会の失敗を写した’有名な写真だった。それまでのザ・ルーツは、バンドのメンバー写真をジャケットに使っているだけだったが、『Things Fall Apart』は音楽そしてイメージの双方で、社会運動へと一歩踏み出したジャケットとなった。

   

■ブリンク182『Enema Of The State』(1999年)

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ポップ・パンク旋風の顔となったブリンク182は、自分たちのオーディエンスを知っていた。そして、1999年のヒット・アルバム『Enema Of The State』で、ファンのテイストに合わせたセクシーなジャケットを作った――思春期前の男性ファンは、この写真に大いに喜んだ。ポルノ女優/ストリッパーのジャニーン・リンデマルダーが、ナースの格好をしていたのだ。しかし、米赤十字社はこれを遺憾とし、‘ジュネーブ条約’違反であると、赤十字のロゴをアルバムのアートワークから外すようバンドに要求した。ジャニーン・リンデマルダーは「What’s My Age Again」のヴィデオで再びナース役を演じたが、これが実現したのは、音楽業界からポルノ業界へと転身したPR担当ブライアン・グロスの活躍によるものである。同アルバムのジャケットとヴィデオによってブリンク182は有名になると、ポルノ業界をアメリカのメインストリームに持ち込んだのだった。

■ザ・ストロークス『Is This It』(2001年)

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‘偉大なるロック・リヴァイヴァル’の先導者としてもてはやされたザ・ストロークスは、SMにインスパイアされたアルバム・ジャケットで、‘セックスは売れる’という昔からの様式を採用した。ヘルムート・ニュートンのファッション写真とスパイナル・タップの『Smell The Glove』を融合したかのような刺激的なアルバム・ジャケットは、写真家のコリン・レインによるものだ。彼は自身のガールフレンドをモデルに起用し、残っていた小道具を使って、この赤裸々なイメージを作り出した。しかし、アメリカではレコード店がこの写真に反発。ジャケットは泡箱に入った亜原子粒子のアップ写真に変更された。こうしてまた、禁欲的なアメリカが勝利したのだ。「Strokes Is This It  US」の画像検索結果

■エイミー・ワインハウス『Back To Black』(2006年)

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前途有望な若手シンガーで、プライヴェートのイメージとその音楽と切り離せないアーティストならば、自分の作品のジャケットに登場するのは当然のことだろう。『Back To Black』は、彼女がアメリカ・デビュー、そして世界デビューを果たした作品だ。イギリスのデビュー作『Frank』から様々なことが大きく変化していた。長い髪を下ろし、腕にはタトゥー。ロカビリー調のメイクアップ。ただ椅子に座っているだけでも反抗的に見えるが、脚の間に挟んだ手が脆さをほのめかしている。この印象的なイメージが、エイミー・ワインハウスの作品を象徴するようになり、無数の若い女性たちは、ワインハウスの‘ガール・グループの一員が、バッド・ガール風にする’的なスタイルを真似するようになった。

■ケイティ・ペリー『Teenage Dream』(2010年)

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ポピュラー・ミュージックでは、アルバム・ジャケットに露出度の高い女性の写真を使うことが多い。しかし、これは大抵、男性ミュージシャンがやっていることだ。常に自分のイメージを使って限界に挑むケイティ・ペリーは、ロサンゼルスをベースに活動するアーティスト、ウィル・コットンと手を組むと、自分のピンナップ・アートワークをヒット・アルバム『Teenage Dream』のジャケットに使った。こうして、アート・フラームとキャンディランドが融合したかのような漫画っぽい官能が生まれた。また、これ以来、このイメージがペリーのテクニカラーの世界を形成している。ウィル・コットンはまた、ケイティ・ペリーの「California Gurls」のヴィデオでクリエイティヴ・ディレクターも務め、同ヴィデオはケイティ・ペリーの悪戯っぽいセックス・アピールを確立し、これが彼女のトレードマークとなった。

 


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