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ナッシュヴィル・ミュージック

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ナッシュヴィルは、カントリー・ミュージックと同義語だ。片方の単語を口にすれば、必ずもう片方の言葉が出てくる。WSM-AMのアナウンサー、デヴィッド・コブは1950年、カントリー・ミュージックという言葉を初めて使い、それが定着した。ナッシュヴィルにはグランド・オール・オープリー、カントリー・ミュージックの殿堂、クラブ、ホンキートンク(カントリー・ミュージックを演奏するバー)、オープリーランドのテーマパーク、多数のレコード・レーベル、レコーディング・スタジオがあり、多くのミュージシャンがナッシュヴィル市内や近郊に住んでいる。カントリー・ミュージックは数百万ドル規模のビジネスだ。その人気はかつてないほどに盛り上がり、大半のジャンルのセールスを上回っている。しかし、ナッシュヴィル・ミュージックとは何だろう? ついでに言えば、カントリー・ミュージックとはいったい何なのだろうか?

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Nashville Music

1927年、ノースカロライナ州アッシュヴィルに住んでいたジミー・ロジャーズは、タレント・スカウトでレコーディング・エンジニアのラルフ・ピアの目にとまった。後に‘カントリー・ミュージックの父’として知られるようになったジミー・ロジャーズは、ラルフ・ピアのオーディションを受けると、「Blue Yodel No.1」をレコーディングし、これがヒットすると、その後も数多くのヒットを飛ばした。

驚いたことに、ブリストル(テネシー州)でラルフ・ピアのオーディションを受けた伝説的カントリー・アーティストは、ジミー・ロジャーズだけではない。ヴァージニア州メイシス・スプリングで‘隠遁生活’を送っていた2人の女性と1人の男性も、オーディションにやって来たのだ。「オーヴァーオールを着た男性と、辺鄙な場所からやって来た田舎の女性だったよ。しかし、サラの声を聴いた瞬間、すぐに分かった。これは素晴らしいことになるって」とラルフ・ピアは回想している。これがA.P.、妻のサラ、そして義理の妹のメイベルから成るカーター・ファミリーだった。彼らはまず6曲をレコーディングし、25年のキャリアで300曲以上をレコーディングした――また、彼らは絶大な影響力を誇る音楽一家となった。

カーター・ファミリーなしでは、ブルーグラスというジャンルや、ビル・モンローといったブルーグラス界のスターは生まれていなかったかもしれない。カーター・ファミリーはボブ・ディラン、ウディ・ガスリー、ドク・ワトソン等、カントリー・ミュージックに関わるほぼすべてのアーティストに影響を与えた。メイベル・カーターの娘、アニタとジューンもレコーディング・アーティストとなり、ジューン・カーターは1968年にジョニー・キャッシュと結婚した。ジューン・カーターの娘のカーリーンと、キッシュの娘のロザンヌは、どちらも両親のバック・ヴォーカルとして経験を積んでおり、ロザンヌ・キャッシュは2014年、ブルーノート・レコードからデビュー・アルバム『The River & the Thread』をリリースすると高い評価を受けた。オープニング・トラックの「A Feathers Not A Bird」は今年の名曲のひとつに数えられるほどの出来だ。

ジョニー・キャッシュ は、エルヴィス・プレスリーと同じ頃、サム・フィリップスのサン・レコードでレコーディング・キャリアをスタートした。デビュー当初の彼は、カントリー・ミュージックについて特に重要な点に焦点を絞っていた。彼はある特定のスタイルにこだわるわけではなく、様々な要素を含みながらも、ブルースが生まれた土壌に根差す音楽を作っていたのだ。自分がよく知っていることを歌うカントリー・ピープル。白人も黒人も、時にユーモアを交え、時に哀愁を込めながら、心の底から誠実に愛、喪失、傷心と心痛について歌うのだった。

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ジョニー・キャッシュは、大勢の若者と同様、ブルースとロックン・ロールに影響を受けていたが、彼の音楽は常にアメリカ南部に根差していた。率直で情熱的な彼は、1994年からアメリカン・レコーディングズ・レーベルからアルバムをリリースし、カントリーに影響を受けた率直な音楽を歌った。正直な音楽は常にリスナーの共感を呼ぶ。そして、ジョニー・キャッシュほど共感を呼ぶアーティストも稀である――ステージでは常に黒い衣装を着ていたキャッシュは、常に真っすぐ生きようとしていたアーティストだ。

彼の力強い歌声と実直なアプローチは、ジョージ・ストレイトやヴィンス・ギル、トビー・キース等にも通じるものがある。彼らの方がカントリー色が強いが、それでも彼らの音楽には、ジミー・ロジャーズからハンク・ウィリアムズを経て、ジョニー・キャッシュ等へと続く豊かな伝統が感じられる。

ジョージ・ストレイトはカントリー・チャートに60曲を送り込み、コンウェイ・トゥイッティの記録を抜いた。故郷のテキサス州には、ジョージ・ストレイト・デイがあるほどで、彼は同州をテーマにした楽曲も書いた。ウェスタン・スウィング(ジャズの要素が入ったカントリー・ミュージックの一種)の「All My Ex’s Live In Texas」がその一例だ。同曲は1987年にリリースされたアルバム『Ocean Front Property』に収録されている。カントリー・ロック・バンド、ピュア・プレイリー・リーグに在籍していたヴィンス・ギルは、ソロに転向して1984年にリリースした『Turn Me Loose』以来、カントリー・チャートの常連である。トビー・キースは新しいタイプのスターで、アメリカのハートランドでは高い人気を誇るが、彼の音楽はカントリー優勢の地域以外ではあまり聴かれていないかもしれない。それでも、聴いておく価値のあるアーティストだ。手はじめに『Hope On The Rocks』をお勧めしよう。キャッチ―なフックや、ビールについての曲が楽しめる。

誰よりも多くの後進アーティストに影響を与えたシンガーは、ウィリー・ネルソンだ。アウトロー・カントリーのゴッドファーザーはテキサス生まれで、80歳の今でもアウトローだが、彼の音楽はジョニー・キャッシュ同様、カントリー・ミュージックの型にはまったイメージを超越している。ウィリー・ネルソンを理解するには、1996年のアルバム『Spirit』を聴いてみればいい。このアルバムに魅力を感じなければ、彼を理解することは不可能だろう。一見単純に思えるメロディに乗せてストーリーを語る彼の能力は、とにかく魅力的だ。そして、彼には駄作がない。

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カーター・ファミリーの成功は、男性と同じくらい多くの女性もカントリー・ミュージックを歌うということを意味したのかもしれない。真の女性スーパースター第1号はパッツィー・クラインだ。彼女は1961年夏、ウィリー・ネルソンの名曲「Crazy」をレコーディングしたが、それから2年以内に飛行機事故で他界した。パッツィー・クラインはお針子と鍛冶屋の両親のもとに生まれ、同世代のアーティストの多くと同様、地元の教会でシンガーをやっていた。1973年、彼女は女性ソロ・アーティストとして初めてカントリー・ミュージックの殿堂入りを果たした。彼女の音楽は素晴らしいが、その短い生涯と悲劇的な最期で、彼女は伝説的な存在となった。

その後デビューした女性アーティストは皆、パッツィー・クラインの影響を受けた。ドリー・パートン、タミー・ワイネット、ロレッタ・リン、そしてパッツィー・クラインの音楽的直系、リーバ・マッキンタイアが登場した。リーバ・マッキンタイアは現代のカントリー・ミュージックの女王と称されることが多く、こレコード・セールスは8000万枚を超え、40曲をカントリー・チャートの首位に送り込んでいる。彼女には駄作がないが、1995年『Starting Over』から聴きはじめるのをお勧めしたい。ジミー・ウェッブのカヴァー、「By The Time I Get To Phoenix」は、感動的で心が痛くなるほどだ。

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シャナイア・トゥエインは20年以上レコードを作っており、ナッシュヴィルの音楽的伝統にしっかりと根差しているものの、彼女はカナダ生まれである。1997年のアルバム『Come On Over』は、全ジャンルの女性アーティスト史上、最高のセールスを記録した。4,000万もの人々がアルバムを購入し、史上最高セールスを記録したカントリー・アルバムとなった。彼女はカントリー・ポップのクロスオーヴァーなのかもしれないが、そもそもポップとはいったい何なのだろう? ポピュラーの短縮形で、‘人気がある’というだけのことなのだ。

今日のカントリー・ミュージック界には新たな人材が登場しており、テキサス州ミニオーラ出身のケイシー・マスグレイヴスは、極めて現代的な現象を象徴している。彼女のデビュー・アルバム『Same Trailer Different Park』はベスト・カントリー・アルバム部門でグラミー賞を獲得し、デビュー・シングルの「Merry Go ‘Round」は、最優秀カントリー楽曲部門でグラミー賞に輝いた。彼女の音楽を聴いたことがないなら、今すぐに聴いてほしい。前述のシングルは非常にキャッチ―で、歌詞も気が利いている。それに、バンジョーも入っていて、とにかくクールなのだ。

カントリー・ロックは1960年代に‘発明’され、バーズはカントリー・ロック誕生の時から活躍していたバンドだ。ブライアン・ジョーンズのようなヘアカット、ザ・ビートルズの『Rubber Soul』に影響を受けた楽曲にならんで、その音楽の中にはカントリーの要素が多く含まれていた。彼らは、カーター・ファミリーが1930年代に歌っていたようなアメリカのフォーク・ミュージックを経て、カントリーに辿りついた。ニッティ・グリッティ・ダート・バンドはバーズと同じくカリフォルニア出身だが、より強硬なカントリーをやっている。『The Notorious Byrd Brothers』(バーズのアルバム)とジミー。ロジャーズを融合し、 グランド・オール・オープリーを経て、トレイラー・パークに到着した、といった趣だ。カントリー・ロックを聴きたいと思ったら、彼らの『Will The Circle Be Unbroken』から始めるとよいだろう。これはカントリー界の隠れた名盤で、カーター・ファミリーのA.P.カーターがタイトル・トラックを書いた。

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まもなくして、ロックとカントリーの両方に影響を受けたアーティストも登場し、このジャンルが広まりを見せた。バンドの第二波の中でも早くに頭角を現したのはオザーク・マウンテン・デアデヴィルズで、1973年にリリースされたセルフ・タイトルのデビュー・アルバムに収録されている名曲「If You Wanna Get To Heaven」、印象的な「Spaceship Orion」は、どちらもカントリー・ロックを見事に象徴している。

‘ナッシュヴィル・シーン’には何の関係もないかもしれないが、ラウル・マロ率いるザ・マーヴェリックスの音楽はまさにカントリーだ。彼らは1994年にMCAナッシュヴィルと契約を結ぶと、デビュー・アルバム『From Hell To Paradise』をリリースすると、その音楽はオルト・カントリー(オルタナ・カントリー)という名称を与えられた。これもナッシュヴィル・ミュージックの一派である。同アルバムには、ハンク・ウィリアムズの「Hey Good Lookin’」のカヴァーも収録されている。

実のところ、ナッシュヴィル・ミュージックやカントリー・ミュージックはあらゆる場所に存在している。それでも未だに「カントリー・ミュージックは好きじゃない」と言う人々もいる。しかしこれは、「ポップ・ミュージックもロック・ミュージックも好きじゃない」と言っているようなものだ。一般にアピールしないカントリー・ミュージックもあるかもしれないが、それよりも一般にもアピールするカントリー・ミュージックの方が多い。エルヴィス・コステロがリリースしたカントリーのカヴァー・アルバム『Almost Blue』(当然、ナッシュヴィルでレコーディングされた)は、彼のファンの間でも好評を博した。また、アリソン・クラウスは、ロバート・プラント とレコーディングして以来、ロックやブルースのファンにも‘見いだされ’、こうしたファンはすっかりブルーグラスのファンになった。アリソン・クラウスのアルバム『Now That I’ve Found You』には、「When You Say Nothing at All」の見事なカヴァーが収録されており、同曲は後にローナン・キーティングにもカヴァーされた。

さあ、躊躇している暇はない。ナッシュヴィル・ミュージックをぜひ聴いてみてほしい。ただし、田舎の泥道には足を取られぬよう気をつけて……

By Richard Havers


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