ラウドな人生(パート1):へヴィ・メタルの誕生からNWOBHMの台頭

8月 10, 2017


ラウドな人生(パート1):へヴィ・メタルの誕生からNWOBHMの台頭

パート1 – 新しい波の兆し

(IMAGE 2)Heavy Metal Playlist Graphic

我々人類は、太古の昔より、ドラムが打ち鳴らす原始のリズムに応えてきた。それらは、まるで鼓動する音響トラクター・ビームの如く、その輝かしい存在と不朽の力でこの魂を満たしながら、我々を現実から引っ張り出し、異次元へと運ぶ。音楽とはこの惑星の心臓の鼓動、そしてその言葉は此処を住居とする者が共感するものだ。

全音楽ジャンルの中で、“へヴィ・メタル”は厄介者とされてきた。メインストリーム・メディアの眩しい光からは離れていたが、着実に、力強く、絶え間なく活き活きと、そして静かに燃え続けるジャンルである。力強く荒々しく深く確実にその仕組みに根を下ろすヘヴィ・メタルは、人生のダークサイドについて語ることを恐れず、自己啓発と反抗的な感情を持ち込む労働者階級の功労者だ。

初期ロックン・ロールやパンク同じく、へヴィ・メタルは戦いから手を引くことを一切せず、ファッションに関したことやポップ・カルチャーであることなどは宣言することはせず、世界の指導者や企業の不当な支配に対して物申す運動に自らの立ち位置を定めた。

へヴィ・メタルは我々の世界がもたらす厳しい現実や複雑な問題を巧みに突きながら、人生そのものを見事に映し出す。

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では、へヴィ・メタルはどこから始まったのだろう? この素晴らしい形態の音楽がどのようにして発生したのかという長年の疑問は、何十年も前から論議し続けられてきた。その議論として焦点となってきたのが、物凄い数のへヴィ・メタルのサブジャンルや世界中のアイコニックなバンドに影響を与えてきたブラック・サバスとレッド・ツェッペリンだ。ブルー・オイスター・カルト、ディープ・パープル、バッジー、それからMC5の結成もまた、60年代の“サマー・オブ・ラヴ”の名残を近くの崖から突き落とす手助けをした。

よりダークではるかに不吉な何かが、スモッグが充満するイングランド、バーミンガムの工業地帯から出現しようとしていた。ブラック・サバスは始めから、それまで耳にしてきた何よりも魅惑的な音を出していた。誇張なしに、少なくともこれ以降に10万ものバンドを産出することになるムーヴメントを始動させたブラック・サバスは、ジャリっとした胸騒ぎを覚えるような陰鬱で不吉な気配漂うのリフで後世のバンド達に影響与えた。ブラック・サバスはまさにヘヴィ・メタルの典型だった。1970年2月13日に発売されたデビューアルバム『Black Sabbath』はヘヴィ・メタルの聖杯とみなされ、このジャンルの究極の基準となった。

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ブラック・サバスのギタリストのトニー・アイオミのソングライティングは、過去からの要素を取り入れながらも伝統や規則にはあまり拘らず、ブルースに影響された三全音及びメランコリックなメロディを駆使するのを楽しむ、手強い怪物を生み出した。ここにギーザー・バトラーとビル・ワードの多彩でパンチのあるリズム・セクションと、非常に個性的な舞台監督のオジー・オズボーンが加わり、ブラック・サバスは音楽界に旋風を起こした。彼らは今もヘヴィ・メタルの極めて重要な開拓者として君臨するキングだ。

1970年2月のデビュー・アルバムで地獄の門を開けたブラック・サバスは、僅かその1年後にアメリカでゴールド・ディスクを受賞し、ハード・ロックと新たに誕生したヘヴィ・メタル・ムーヴメントへの強い興味を引き出した。

70年代前半に先頭に立って進撃し、影響力のある傑出したアルバムを多数発表したのは、AC/DC、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、そしてブラック・サバス等である。リッチー・ブラックモア(ディープ・パープル)の模範的な正確さ、ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)のブルースに影響されたタイトなリフ、そしてトニー・アイオミの不吉でゴシックな凄みが三位一体となった。多くのバンドがこの後に続き、それぞれのバンドが創造力と自信をたっぷりに、よりラウドで、より早くプレイ出来る能力を磨きあげようとしていた。

AC/DC、クイーン、そしてアイルランドのシン・リジィ等チャートを賑わすバンド達が70年代のシーンに多大な影響を与えたことで、キング・クリムゾン、ラッシュ、ホークウインド等に門戸を開き、アメリカをはじめとする敬虔な地域の人々を怯えさせる存在になりつつあったストゥージズ等のプロト・パンク・アーティストの抑えのきかないカオスを促進した。

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この状況を変えたのは、1976年に発売されたロニー・ジェイムス・ディオがフロントマンを務めたリッチー・ブラックモアの新プロジェクト、レインボーの『Rainbow Rising(邦題:虹を翔ける覇者)』、そしてドイツのハード・ロッカー、スコーピオンズの画期的なアルバム『Virgin Killer』だった。この特筆すべき作品のリリースにより、メタルとハード・ロックのサウンドは作り変えられ始め、変化の時が近づいていた。そしてジューダス・プリーストが台頭し、よりファストでヘヴィーな音楽の幕開けとなった。

バーミンガム出身のジューダス・プリーストのセカンド・アルバム『Sad Wings Of Destiny(邦題:運命の翼)』(1976年)はブラック・サバスのデビュー作と同様に画期的で、従来のヘヴィ・メタルのモデルに、ダークさと厚みを加え、テクニックの精密さを新たな高みへと導いた。フロントマンであるロブ・ハルフォードの甲高くオペラのようなヴォーカルと、グレン・ティプトンとK.K.ダウニングのツイン・ギターの攻撃は、後にニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルとして知られるようになる(一般に“NWOBHM”と呼ばれる)ムーブメントに道を開くことになる。

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NWOBHMという用語が初めて登場したのは週刊音楽誌サウンズで、ジャーナリストのジェフ・バートンが作り出した言葉だった。アイアン・メイデン、サムソン、それからエンジェル・ウィッチがバンドワゴン(*イギリスのヘヴィ・メタル・ディスコ)で、レザーとデニムに身を包んだメタル・ヘッドの群れの前で演奏する瞬間に立ち会った彼は、このジャンルの虜になりサウンズ誌で記事にし、その後、世界初の週刊へヴィ・メタル専門誌ケラング!の創刊者兼編集者となった。

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NWOBHMは非常に影響力のあるジャンルとなり、西洋諸国を山火事のように駆け巡り、1980年の独創的なアルバム『Wild Cat』で瞬く間に世界的に認められたタイガーズ・オブ・パンタンのようなバンドを多数輩出した。しかし、数多く出現した刺激的で地響きをたてるようなバンドの中でも、モーターヘッドほどラウドなものはなかった。

1975年の北米ツアー中に、関係者とのドラッグ関連の口論により、イギリスのスペース・ロッカー軍団ホークウインドから追い出された今は亡き“レミー”・キルミスターは、へヴィ・メタルとパンク・ミュージックに粋なロックン・ロールのスパイスと自信たっぷりな態度を掛け合わせていた。これらのジャンルを無造作に結びつけた結果、みんなに知られることになるモーターヘッドという落とし子が誕生した。1977年にセルフ・タイトル・デビュー・アルバムを発表し、すぐさまメタル・オーディエンスをふたつに分裂させた。多くのエリート主義者はバンドのコンセプトそのものに受け入れがたさを感じ、メディアはそれ以上に困惑した。新しいレベルのスピードと攻撃が現存するテンプレートに加えられた。史上最も成功するヘヴィ・メタルのサブジャンル、スラッシュ・メタルの創造に大きな影響を及ぼすことになると当時想像する者は殆どいなかった。

70年代後半から80年代前半にかけて、新しいバンドが大地を揺るがすようなデビュー作を引っ下げシーンに登場し、メタルの方向性が急速に枝分かれていった。1980年にはエンジェル・ウィッチとダイアモンド・ヘッド等重要なバンドが数多く登場し、非常に影響力のあるアルバムが多数発表されるようになり、NWOBHMの地位を不動のものとした。

Motorhead - Ace Of Spades

ウィスキーの力を借りた、生真面目なパフォーマンスで知られるモーターヘッドは、デビュー作の後も高い評価を得たアルバムを2枚リリースしたが、1980年発表のアイコニックな作品『Ace Of Spades』は、ルールブックを投げ捨てるどころか、それを燃やしてしまった。そのタイトル・トラックはメタルの真髄でありジャンルそのものと生き方を捉えているとして、今日でもヘヴィ・メタルの冠で最も大切にされている宝石のひとつだ。

その頃になると、メタル・バンドは全世界中から登場してきた。シェフィールド出身のデフ・レパードは1977年に結成され、1980年にデビュー・アルバム『On Through The Night』をリリース。彼らのラジオで放送しやすいハード・ロックの表現は、AC/DCの当時のマネージャー、ピーター・メンチの目に留まった。サウス・ヨークシャー出身のサクソンも同じ年に素晴らしい力作であり、サード・アルバムとなる『Wheels Of Steel』をリリース。

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彼等とその他無数のイギリス・バンドは、典型的NWOBHMサウンドを強固なものとし、大勢のアンダーグラウンド・バンドやファンに影響を与えた。その多くは自分達の選んだジャンルがNME誌等で取り上げられ注目度が増すにつれ、連帯意識で結ばれていった。

1975年以来、北ロンドン・キングスベリーで行われていたバンドワゴンは、このジャンルのファンが切望していた聖域となり、へヴィ・メタル・サウンドハウス・ナイトを主催していた。これは当時のDJニール・ケイに導かれ、史上最も重要なヘヴィ・メタル・バンドのひとつ、アイアン・メイデンの発展にも非常に重要な存在となっていた。

アイアン・メイデンは1980年にアイコニックなセルフ・タイトル・デビュー作をリリースし、ウィッシュボーン・アッシュとシン・リジィから影響を受けたツイン・ギターに、ピンク・フロイド、イエス、そしてジェネシスのプログレッシヴな景観を混ぜ合わせ、技術の向上を図った。バンドは音楽とイメージの絶妙なバランスを取りつつ、アイコニックなマスコット、エディ・ザ・ヘッドにも大いに助けられながら、瞬く間にヘヴィ・メタルの中心へと躍り出て、やがて世界中で空前の成功を収め、世界で最も成功したバンドとしてのキャリアを歩むことになる。

アイアン・メイデンのデビュー作はシーンに非常に大きな衝撃を与えたが、1980年に最も影響を与えたアルバム・リリースは、ジューダス・プリーストの6作目『British Steel』だとされている。これに駆り立てられたバンドは、先頭を切りイギリスから大西洋を超えてアメリカへ行き、アイアン・メイデンと共にツアーして廻り、永遠に続くことになる北米の若者とNWOBHMの恋愛関係を確立した。この新しいジャンルのアメリカ上陸は、当時よくラジオでかかっていたスタジアム・バンドのKISSエアロスミス等にショックを与え、アメリカの平均的ロック・ファンにもう少しばかり際どいものを提供した。

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へヴィ・メタルは確実にその根を張り、行く手を阻む頑なで不屈の精神を持った権力者等との戦いの準備は整った。その影響力により世界中で多様なサブジャンルが生み出され、未来の音楽の姿が永遠に変えられた。

この先どんな世界が待ち受けているのやら…

- Oran O’Beirne



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