マゾヒズムからストーカー的執着まで:異彩を放つラヴ・ソング17選

2月 17, 2018


マゾヒズムからストーカー的執着まで:異彩を放つラヴ・ソング17選

1999年、シンガーソングライターのニック・ケイヴは、ラヴ・ソングの本質と、人々がラヴ・ソングを必要とする理由を分析する講演を行った。ニック・ケイヴの作品を知っている人であれば、彼が中核にちょっとした暗さを持つ多層的なラヴ・ソングを好んで書くという話にも納得がいくだろう。ニック・ケイヴはこの講演の中で、彼のソングライティングの多くは、19歳の時に父を亡くした経験によるところが大きいと語っている。

ニック・ケイヴは、恋の魔力といった概念を掻き立てる。これはつまり、相手を深く想うことで生じる感情の高ぶりだ。そして彼は、これこそが共感を呼ぶラヴ・ソングに必須だと考えている。ニック・ケイヴは、精神的なものであれ、性的なものであれ、ラヴ・ソングの本質は神を求めた叫びだと考えている。「孤独感の中、愛と癒しを求めて上げるうめき声で、母親を求めて泣き叫ぶ子どもの唇に生き続けている……ラヴ・ソングは、神に近づこうと、ありきたりで平凡な自分を乗り越えようと努めるわれわれのサウンドなんだ」。ニック・ケイヴはまた、素晴らしいラヴ・ソングに心から幸せなものはないと示唆している。というのも、その愛を失う可能性がつねに存在するからだ。こうした感情が認められないラヴ・ソングは、単なる‘ヘイト・ソング’にすぎず、聴く価値もないとニック・ケイヴは語っている。

しかし、後者の彼の見解には異論を唱えることができるだろう。心から喜びを歌う素晴らしいラヴ・ソングを挙げるのは簡単だ。まずはダスティ・スプリングフィールドの「I Only Want To Be With You(邦題:二人だけのデート)」のほか、スティーヴィー・ワンダーの「Uptight」やザ・ビートルズの「I Feel Fine」、ラモーンズの「She’s The One」等、多様な楽曲が思いつく。しかし、こうした楽曲は、人々に愛されてきたラヴ・ソングの中でもおそらく少数派だろう。まず、フランク・シナトラが歌った数々の‘サルーン・ソング’(酒場のバーテンに恋の悩みの愚痴をこぼしながら歌う曲)は、恋の魔力を象徴するものだ。幸せでロマンティックなラヴ・ソングの名曲ですら、注意深く見てみれば、若干の暗い影が漂っている。バディ・ホリーは「That’ll Be The Day」で、自分の恋人は絶対に立ち去らないと自信過剰に歌っているが、これに対して我々は、グレアム・パーカーが約20年後に歌った「That’s What They All Say(みんなそう言うんだ)」のタイトルを使って、返事をしておこう。

ダークでオフビートなテーマを持つ人気のラヴ・ソングたちを以下に紹介しよう。愛を讃える曲もあれば、愛を侮辱する曲もあるが、どの曲にもひとつ共通していることがある。これは、ニック・ケイヴの主張が正しいことを証明している点でもある。愛とは人間にとって最高の感情であり、人間には物事を台無しにする傾向があるということだ。

 

■思いもよらず定番となったラヴ・ソング「Wonderful Tonight」 (エリック・クラプトン、1977年)
エリック・クラプトンは、素晴らしいウェディング・ソングを書くことを優先順位の上位に置かれているわけではないだろうが、「Wonderful Tonight」はウェディング・ソングの定番となり、ウェディング・バンド必修の1曲となった。しかし皮肉なのは、この曲がラヴ・ソングとして生まれたわけではないという点である。パーティーに行く準備が遅々として進まない妻のパティに対する、エリック・クラプトンの苛立ちが歌われているのだ。曲の真意は「はいはい、十分綺麗だから、もういい加減に出かけないか?」というものに近い。曲が生まれた経緯はともかく、「Wonderful Tonight」は素晴らしいラヴ・ソングとなった。エリック・クラプトンは同曲で初めて囁くように優しく歌っており、セクシーなギター・ラインからもロマンスがにじみ出ている。結婚生活の些末な事柄を讃えるかのような1曲にも聞こえてくる。エリック・クラプトンは、運転できないほど酔っていると最後のヴァースで歌っているため、パティはせっかくのロマンティックな夜に、欲求不満を感じていなかったのと邪推してしまうだろう。

■自分に対するラヴ・ソング:「Falling In Love With Myself Again」(スパークス、1974年)
ポップ・ワールドにはナルシストが大勢いるというのに、自分を愛する歌はそこまで多くない。これは驚きだが、このギャップは、火星人と結婚する歌や、ミッキーマウスの恋愛話など、さまざまなラヴ・ソングを発表してきたスパークスに埋めてもらおう。スパークスらしい話だが、この曲が面白いのは、ルックスに恵まれたラッセル・メイルがヴォーカルを取りながらも、三枚目な兄のロンが歌詞を書いているという点である。しかし、スパークスの楽曲にしては珍しく、この曲の面白さは歌詞ではなく、その音楽にある。「Falling In Love With Myself Again」はワルツで、バンドが1974年にリリースした『Kimono My House』の豪華なラインナップを駆使し、ハリウッドの豪奢さで遊んでいる。シンガーが薄暗いダンスフロアでクルクルと回っている姿が目に浮かんでくるだろう。

■マゾヒスティックなラヴ・ソング:「Venus In Furs」(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、1967年)
深い影に包まれた愛。その典型的な例がこの曲だ。ニック・ケイヴがこの曲に直接的な影響を受けたことも分かるだろう。この曲が美しいまでに奇異なのは、いくつもの理由がある。まず、これはサディズムとマゾヒズムを歌った初めてのポップ・ソングであるという点だ(そしてもちろん、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンド名は、SM小説のタイトルに由来している)。しかし、この曲が人心を騒がす一番の理由は、あまりにも私的だからだろう。聴いていると、他のカップルが愛を交わしているところを盗み聞きしている気分になってくる。彼らの手法を批判する人は、聴くバンドを間違っているのだ。またこの曲は歌詞だけでなく、その官能的な雰囲気で肉体的な愛を明確に表現したロック随一のラヴ・ソングでもある。なお、ボックス・セット『Peel Slowly And See』収録の初期ヴァージョンはさらに興味深く、マドリガル(抒情恋愛詩)的な仕上がりとなっている。

■ポリアモリーなラヴ・ソング:「Part-Time Love」(エルトン・ジョン、1979年)
ラヴ・ソングの中には、一対一の交際を気軽に切り捨てるものもある。あまり知られていない例でいえば、トッド・ラングレンの「Fidelity」もこうした楽曲のひとつだ。エルトン・ジョンと作詞家のバーニー・トーピンは長年一緒に曲を書くなかで、想像しうる限りのあらゆる角度から愛について語ってきた。しかし、エルトン・ジョンがゲイリー・オズボーンと手を組んで作ったこの曲ほど、痛快で下品なものは作ったことがなかった(ゲイリー・オズボーンはバーニー・トーピンの後釜となった作詞家だが、エルトン・ジョンとのパートナーシップは短命に終わった)。エルトン・ジョンは曲中、自分が浮気していたことを簡単に認めている。しかし、ここから彼は、彼女を責めはじめる。彼女だって浮気しているし、他の人たちだってそうだ、と歌うのだ。「君、僕、誰にだって浮気相手がいる」と歌うコーラスを聞いていると、まるで浮気が新しいホットなトレンドであるかのように思えてくる。ディスコの絶頂期の当時は、実際に浮気がトレンドだったかもしれない。洗練されたディスコ調のアレンジは、この曲のフィーリングと相性抜群である。

■アンチ・ラヴ・ソング:「I Have Been In You」(フランク・ザッパ、1979年)
フランク・ザッパは矛盾している。クレイジーになることを支持しながらもドラッグはやらず、安定した結婚生活を送りながらも、初期に作ったドゥワップのオマージュを除いてラヴ・ソングを作らなかった。フランク・ザッパはいつも、愛の影響下にある人々がいかに滑稽であるかという視点から愛を描いていた。しかししかし、「I Have Been In You」は違う。ここでのフランク・ザッパは音楽の批評家となり、ピーター・フランプトンが「I’m In You」というヒットを出したことに唖然としながら、恋愛が発展した後の自然な成り行きについて歌っている。曲はすぐに下品になるが、実に面白い。それに、その内容は全て、ピーター・フランプトンの曲でほのめかされていることを歌っているだけである。さらに、フランク・ザッパは「僕たち2人、永遠から戻ることはないと思っていたよ!」と歌い、宇宙を気取ったフュージョン・ムーヴメントを皮肉っている。

■愛が危機に瀕した時のラヴ・ソング:「How Beautiful You Are」(ザ・キュアー、1987年)
一聴すると、ザ・キュアーの曲の中では呑気な雰囲気で、激しい感情のほとばしる2枚組アルバム『Kiss Me Kiss Me Kiss Me』の中では明るい1曲だ。しかし、歌詞に注目してみると、これはロバート・スミスが書いた曲の中でも特に激しい感情が表れた曲だということが分かる。同曲では、恋の焦点が変わる瞬間が描かれている。ロバート・スミスが愛する女性とパリのストリートを歩いていると、2人の幼い息子を連れた男性とすれ違う。その親子連れが女性の美しさに釘づけとなり、彼女に見とれると、彼女は見つめられたことに腹を立てる。冷酷な彼女の一面を見たこの瞬間、ロバート・スミスは恋人に対する気持ちが変わり、愛全般を信じる気持ちが揺るぐのだった。冒頭で「僕はもう君が嫌いだ」という歌詞が出てくるが、曲中でこのカップルが別れることはない。

■報復的なラヴ・ソング:「When Did You Stop Loving Me, When Did I Stop Loving You」(マーヴィン・ゲイ、1978年)
マーヴィン・ゲイの『Here, My Dear』にはメッセージがある。そして、そのメッセージのひとつが「まだ作ってもいないアルバムの印税を求めて訴えるのはやめてくれ」というものだ。アナ・ゴーディ(モータウン創設者ベリー・ゴーディの姉)との離婚協議で、マーヴィン・ゲイはモータウンからリリースする次のアルバムの印税半分をアナ・ゴーディに譲ることに同意した。しかし、これ見よがしに売れないアルバムを作る代わりに(フィル・スペクターの『Let’s Dance The Screw』参照)、マーヴィン・ゲイは「Here, My Dear」をオープニング・トラックとして、アナ・ゴーディに直接語りかける2枚組のアルバムをリリースした。アルバムの中でも感情的な柱となる楽曲のひとつが、「When Did You Stop Loving Me」だ。2人の結婚を分析し、両者に責任を負わせるものの、主に結婚の破綻は妻のせいだとしている。マーヴィン・ゲイは苦痛、裏切り、切望といった感情を一息で表現しながら、離婚協議の内容について「君に有利な判決/君は酷いことを言い、嘘をついた」と彼女を批判している。そしてすぐさま「Sexual Healing」の時のような魅惑的な歌声で「それでも楽しかったことも覚えてる、ベイビー」と歌っている。目立ったコーラスもなく6分も続く同曲はヒットしなかったが、マーヴィン・ゲイの見事なヴォーカル・パフォーマンスが楽しめる1曲だ。ダリル・ホールは大胆にも、この曲をカヴァーした。

■執着的なラヴ・ソング:「Every Breath You Take」 (ポリス、1983年)
ソングライターが、真実の愛とストーキングの間の際どい境界線上を歩くようになるのは、時間の問題だった。60年代から70年代、ストーキングはまだ一般的に認知されていなかったため、当時はポップ・ソングの中で少々気味の悪いことを言っても、まだ無邪気に聞こえた。しかし、スティングポリスが、この印象深いヒット曲で、この流れを永久に変えてしまった。同曲中の献身的愛情には何も得るところはなく、接近禁止令を出されるのが関の山だ。この曲(そして付随するミュージック・ヴィデオ)が持つ物悲しげなフィルム・ノアール的雰囲気によって、愛の誓いが執着へと変化している。

スティング自身が経験した恋愛の紆余曲折にインスパイアされた同曲は、ポップ・ミュージック最高峰の執着が歌われている。しかし、これを超える楽曲が登場した……

■執着的きわまりないラヴ・ソング:「I Want You」(エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ、1986年)
ポリスの「Every Breath You Take」にはかなり問題があるかもしれないが、主に離婚をテーマにしたエルヴィス・コステロのアルバム『Blood & Chocolate』 に収録されているこの曲に比べれば、まだ明るい。エルヴィス・コステロは恐ろしいまでに激しい曲を書こうとしていた。こうして生まれたのが、この曲だ。7分にわたる曲(ライヴではさらに長くなる)が進むにつれて、サウンドがどんどんシンプルになっていき、最後にはエルヴィス・コステロの囁き声だけが残る。タイトルの「I Want You」を囁けば囁くほど、その声は必死さを増していく。曲の最後には「君がこの気持ちを“殺して”くれるまで、僕は君を求めつづける」と歌われている。次に何が起こったか、考えたくない1曲である。

■お仕着せの愛:「We’ll Sing In The Sunshine」(ゲイル・ガーネット、1964年)
1964年にヒットしたこの曲のシナリオは素晴らしい。ギャレットは最初から「私は決してあなたを愛さない。愛の値段はあまりにも高い」と歌い、相手との関係は1年だけと決める。その1年で彼女が描く光景は、牧歌的なものだ。たくさん歌い、笑い、キスする。そしてその1年が終われば、彼女は自らの道を進むのだ。彼女は相手の男性が「たまには私のことを考える」ことを許すが、自分も相手のことを考えるとは約束しない。この曲は、ひとたまりもなく永遠の愛というロマンティックな概念を破壊してくれる。そして、女性が主導権を握ることを認め、恋愛の根本的な矛盾を語っている。時代を大きく先取りした1曲だ。

■三角関係のラヴ・ソング:「Look Out, Here Comes Tomorrow」 (ニール・ダイアモンド/ザ・モンキーズ、1967年) と「Triad」(デヴィッド・クロスビー/ジェファーソン・エアプレイン、1968年)
素晴らしい曲を作るために必要とされることが、愛の現実的な複雑さを描くことだけであることもある。例えば、2人の女性に心奪われた男性は、どうすればいいのだろうか? これこそが1967年、当時アイドルだったデイヴィー・ジョーンズが抱えていた問題だった。ニール・ダイアモンド作のこの曲で(当初この曲は、ニール・ダイアモンドのペンによる遥かにハッピーな「I’m A Believer」と同じアルバムの同じ面に収録されていた)、デイヴィー・ジョーンズは優しいメアリーと髪の長いサンドラの2人に恋をする。どういうわけか、彼は近日中にどちらかを選ぶことに同意する。自分の幸運を喜ぶことなく(ここまで二股をかけた状態で許されていたという幸運だ)、彼は‘あらゆる悲しみ’に襲われている。興味深いことに、デイヴィー・ジョーンズは後期のモンキーズの番組で同曲を歌った時、最後に「メアリーはサンドラを愛してる!」と口走り、(女性側にとって)よりハッピーな結末を描いた。

そしてここから話題は「Triad」へと移る。デヴィッド・クロスビーによる‘三人婚’の歌だ。ここで提案されているのは、「ガールフレンドのどちらも選べない。それなら3人で愛し合おうじゃないか!」というものである。ただし、1968年という今よりも大らかな雰囲気の中でも、この考えが受け入れられたわけではなかった。ザ・バーズの仲間たちもこの曲には賛同せず、『The Notorious Byrd Brothers』 に同曲を収録することを拒むと、デヴィッド・クロスビーはグループを脱退する。ザ・バーズのヴァージョンは80年代後半にようやく出回ったが、ジェファーソン・エアプレインも同曲をアルバム『Crown Of Creation』でカヴァーした。ただし、グレイス・スリックに歌わせることで、男女の立場を逆転させた。

■脱構築的なラヴ・ソング:「I Love You, You Big Dummy」(キャプテン・ビーフハート、1970年)
ラヴ・ソングを書くというアイディア自体を覆すラヴ・ソング。その格好の例がこの曲だ(10ccの「Silly Love」も同様である)。キャプテン・ビーフハートは、構成要素をシャッフルし、再構築することで、超現実主義者のようにラヴ・ソングにアプローチした。同曲でタイトル以外によく繰り返されているフレーズには、全く違う2つの意味に取ることができる。彼は「Nobody has love(誰も愛を持っていない)」と歌っているのだろうか、それとも「Nobody has love(どの体にも愛はない)」と歌っているのだろうか? もちろんこの曲は、リスナーが従来のラヴ・ソングに対して若干の疑いを持つようになることを意図して作られている。こうした話を差し置いても、これはキャプテン・ビーフハート初期らしく、耳をそばだてて聴いてみれば、面白くてキャッチーな曲であることが分かるはずだ。こうした楽曲には、ドン・リックルズ(コメディアン:彼には『Hello! Dummy』というコメディ・アルバムがある))から借りてきたかのようなタイトルがぴったりだ。

■‘抗議しすぎ’のラヴ・ソング:「You’re Breakin’ My Heart」(ハリー・ニルソン、1972年) (Harry Nilsson, 1972)
この曲は、アンチ・ラヴ・ソングを締めくくるためのアンチ・ラヴ・ソングに聞えるだろう。極めてキャッチーな同曲の悪名高いコーラスで、ハリー・ニルソンは自分の感情を率直に「君は僕の心を傷つけている/ボロボロにしている…ファック・ユー!」と歌っている。そして彼は、元恋人の罪状についてまくし立てるのだ。彼女は彼を踏みつけ、彼のメガネも壊していた。同曲は、タブーも踏みにじっている。1972年当時、ポップ・ソングの中でFワードを使っている曲はごく限られていた。そしてこの曲は、彼の風変わりな名盤『Son Of Schmilsson』の中でも、一番大衆受けするサウンドを持つ曲だった。ジョージ・ハリソンは「Something」のようなスライド・ギター・ソロを演奏し、より風刺の効いた曲にしている。しかし、元恋人のことが吹っ切れていれば、ここまで激しく騒ぐことはないのだろうか? 案の定、曲の最後のコーラスでは「君は僕の心を傷つけている、ボロボロにしている――それでも君を愛してる」と歌っている。そしてもちろん、シーロー・グリーンも、それから40年後に同じアイディアを使ってメジャー・ヒット「Fuck You」を生み出した。

■機能不全なラヴ・ソング:「Cruel To Be Kind」(ニック・ロウ、1979年)
ロマンティックに聞こえるポップ・ソングの中で、その酷さでこの曲中の関係の右に出るものはないだろう。ニック・ロウにとって最大のヒットとなった同曲に登場する主人公には、困難が次々と襲いかかる。恋人はあらゆる場面で彼に辛く当たり、彼が立ち直ったかと思うと、また彼をへこませる。まさに、曲のタイトルどおり「愛の鞭を振るっている」としか説明できない。素晴らしいフックと見事なハーモニー・ギターのブレイクは、デイヴ・エドモンズとビリー・ブレムナーによるもので、ヒットとなったのも当然のことだ。不思議なのは、曲中のカップルがいまだ別れていないところである。

■シニカルなラヴ・ソング:「Nearly In Love」(リチャード・トンプソン、1986年)
英国のシンガーソングライター、リチャード・トンプソンは、最も甘やかな瞬間から最も辛辣な瞬間に至るまで、恋愛事情についての曲を書き続けてきた。アルバム『Daring Adventures』に収録のこの曲は、まさにその中間に位置する。主人公は明らかに恋に落ちているというのに、意地でも認めようとしないのだ。主人公が恋にのぼせているのか、それともインフルエンザにかかっているのかを尋ねる曲も他にはないだろう。しかし、主人公が愛しているものを考えると(「君は僕にとって文句なしに大切な人/財布と銃の次に大切」)、彼に想われるのはそもそも喜ぶべきことであるかを考えざるを得ない。ともかく、これはキャッチーなリチャード・トンプソンのフォーク・ロックで、ヒットすべきだった1曲だ。

■自暴自棄なラヴ・ソング「Fools In Love」(ジョー・ジャクソン、1979年)
上記のような経験を積み重ねると、愛と縁を切ろうと思うソングライターがいても仕方のないことだろう。エヴァリー・ブラザーの「Bye Bye Love」や、バート・バカラックやハル・デヴィッドの「I’ll Never Fall In Love Again」などがその例だ。しかしここでは、憮然としたジョー・ジャクソンの1曲を紹介しよう。彼が出したファースト・アルバムとセカンド・アルバムは、説得力のあるアンチ・ロマンティックな感情が多く歌われている。元恋人が自分の住む通りをゴリラのような男と歩いていたり(「Is She Really Going Out With Him?」)、愛し合う幸せなカップル(「Happy Loving Couples」)をうっとうしく思ったり、恋愛は女性によって違う(「Different For Girls」)のだということに気づいたり、といった内容の楽曲が収録されている。「Fools In Love」では、彼は愛そのものから縁を切ろうとしているようにも思える。一般に、恋人はお粗末なものになりがちだと歌っているのだ。結局のところ、彼らは「より多くの痛みを感じるからといって、自分たちをヒーローだと思っている」。しかし、リスナーが同意しながら拳を突き上げようとするちょうど時、予期しない展開が起こる。「この間抜けはまた、恋に落ちた」のだ。こうして結局、愛が勝利を収めた――ラッキーな人ならば、現実世界でも愛が勝利を収めるだろう。

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By Brett Milano



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