今年最注目新人アデラとは? 東欧スロバキア出身、「Ain’t In LA」大ヒット中の挑発的なポップスター
東欧の小国スロバキアで生まれ、ポップスターに憧れながら独学で勉強をし、後のKATSEYEを生んだオーディション番組に参加するため単身渡米するも視聴者投票で脱落したアデラ(Adéla)。しかしDIYで活動を続けて注目を浴びてメジャーと契約を果たし、今年9月4日にデビューアルバム『PRIMA』をリリースする。
そのアルバムからのリードシングル「Ain’t In LA」が世界中で急上昇中の彼女の経歴をご紹介。
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アメリカ移住まで:スロバキアの風土への反発とバレエ
2026年のポップ・シーンで急速に存在感を増しているのが、スロバキア出身の22歳、アデラ(ADÉLA)である。KATSEYEを生んだオーディション企画への参加と早期脱落、自主制作での再出発、キャピトル・レコードとの契約。そして2026年夏、「Ain’t In LA」が世界規模でヒットしている。彼女の歩みを貫いているのは、「スターはロサンゼルスやニューヨークのような場所からしか生まれない」という固定観念への反発である。
スロバキアの首都ブラチスラバで育ったアデラは、ディズニー・チャンネルやアメリカのポップカルチャーに夢中の女の子だった。YouTubeのメイク動画やスターのインタビューを何時間も見て、話し方までまねしながら英語を独学していたが、故郷ではポップスターになる夢を人に話せなかったという。彼女は母国について「私たちは、自分には大きなことを成し遂げる価値も能力もないと思ってしまうことがありました。単純に、これまで前例がなかったから」と振り返っている。
後に米Vogueには、さらに踏み込んでこう語っている。
「子どもの頃は、“スロバキア人であること”が自分を劣った存在にするように感じていたんです」「だから私は完璧な英語を身につけました。今の私の英語がアメリカ訛りもそのため」
人口が540万人の東欧の小国から世界的スターになったアーティストは過去にはほとんどいない。チェコスロバキア出身のヤン・ハマーが手掛けた米ドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』のテーマ曲が1985年全米1位にはなっていたり、同じくチェコスロバキア出身のマルケータ・イルグロヴァの「Falling Slowly」が全米チャート61位を記録しているぐらいだ。そういったモデルが自国にいかったからこそ、自らアメリカのポップスター像を徹底的に研究したのだ。
もう一つ、現在のアデラを作った要素がバレエだ。幼少期から厳しいトレーニングを続け、11歳でプロの道へ。14歳頃にはウィーンやロンドンの名門アカデミーで学んだ。 しかし、怪我をしても練習を続けさせられるような過酷な環境を経験したことで、次第にバレエから音楽へ気持ちが傾いていく。
2026年のTeen Vogueでは当時について、「音楽だけが、私を生かして前に進ませてくれました」と話している。 バレエで培った規律、身体感覚、完璧主義は、現在の激しいダンスやステージ演出にもはっきりと残っている。2026年に公開した「KGB」ではバレエも披露している。
リアリティ番組『ドリーム・アカデミー』への出演
2021年、ヴォーカル・コーチから知らされたHYBE×Geffenのオープン・オーディションに両親には内緒で応募。選考を通過すると、翌2022年、彼女が18才の頃、オーディション通過者の育成プログラム『The Debut: Dream Academy』に参加するため単身ロサンゼルスへ渡った。
そこでは世界各地から集められた候補者が、後にKATSEYEとなるメンバー6人の座を争った。トレーニング期間中は高い評価を受けていたものの、BLACKPINK「Pink Venom」を披露した最初のミッション後、ファン投票によって早期脱落した(*以下のブロンドがアデラ)。
その瞬間について、本人は後にTeen Vogueへ「脱落したときは胸が張り裂けそうでした。でも、自分の根っこまで打ち砕かれたわけではないって思ったんです」と回答。実は脱落の数カ月前から、「ここは自分のいる場所ではない」と感じ始めていたという。
さらに彼女が当初このプロジェクトに魅力を感じた理由も興味深い。「ようやく、国籍や“小さな国の出身であること”が自分にとって不利じゃない場所に来られたと思いました」。努力や月ごとの評価で判断されると考えていたため、途中からファン投票が重要になることには大きく戸惑ったというが、現在は、早期脱落をむしろ自分に必要な出来事だったと捉えている。「すぐに落ちたのは、たぶん結果的によかったと思います。私はあのグループに入るべき人ではなかった。その分、自分自身のことを考える時間ができたんです」と話す。
とはいえ、その後のキャリアは順風満帆ではなかった。脱落後については「その1年は本当に最悪でした」と率直に振り返っている。「ああいうプログラムは、グループを一つのユニットにするために必要なことだけど、私にとってすごく大事な“自分らしさ”を出す余地がなかったんです。あのプロジェクトを2年間を続けましたが、そこから外の世界に出たら完全に迷子になっちゃいました」。
アデラは音楽、髪色、服装、人間関係を試し直しながら、ソロ・アーティストとしての自分を一から再構築することになった。
デビュー前後:グライムスとの出会いとキャピトルとの契約
再出発は、徹底したDIYから始まった。2024年9月に楽曲「Homewrecked」、続いて「Superscar」を自主リリース。アメリカで大学に通いながら、楽曲だけでなくビジュアルの企画、配信、TikTokでの宣伝まで自ら手がけた。Vogueには「撮影前夜の午前3時まで友達と小道具の手袋にラインストーンを付けていたんです。大変でした。でも、自分自身と自分のビジョンについて多くを学べたときでもありました」と振り返っている。
「Homewrecked」は1カ月足らずでSpotifyの100万再生を突破し、SNS上ではグライムス(Grimes)も反応。その後、グライムスは「MachineGirl」にプロデューサーとして参加している。女性同士を対立させ、それを娯楽として消費する文化を風刺した同曲は、アデラの挑発的な作風を象徴する作品となった。
2025年5月には米メジャー・レーベルであるキャピトル・レコードと契約し、同年8月にデビューEP『The Provocateur』を発表。ここで重要なのは、メジャー契約より先に“アデラとは何者なのか”を本人が作り上げていたことだ。契約後、本人は「自分のビジョンがレーベルの人たちに揺さぶられることはないと分かっていました。それまで全部自分でやってきたから、むしろ尊重してもらいやすかったと思います」と語っている。
EPタイトルの“Provocateur=挑発者”についてはこう語っている。
「私にとって挑発することは、自分の真実を話すことです。私を大好きな人もいれば、大嫌いな人もいる。でも今はそれを楽しめる。無難で、誰の感情も動かさない存在になるよりずっといいですし」
この“好かれることより自分であること”を優先する姿勢こそ、アデラのポップの核なのである。
「Ain’t In LA」の世界的大ヒット、その理由は?
その思想が最も開かれた形で表れたのが、2026年7月23日に発表された「Ain’t In LA」だ。着想源は、帰郷した際に見つけた18歳の母親の写真だった。壁には西側のポップスターのポスターが貼られており、それらは彼女の祖父がドイツから持ち込んだものだったという。
その写真を見てアデラは、「夢を持った美しい女の子がたくさんいるのに、その多くは一度も“花を贈られる”ことなく終わってしまう」と考えた。そして「(「Ain’t In LA」は)私の母と、おそらく私よりクールなのに世界に知られていない10億人の女の子たちのために書きました」と説明している。MVをLAではなく故郷ブラチスラバで撮影したことも、そのメッセージを象徴しているだろう。
サウンドは巨大な808、グリッチーなドラム、加工されたボーカルと艶やかなポップ・メロディを組み合わせたもの。しかしヒットをさらに大きくしたのは、歌の主人公をアデラ一人に限定しなかった点だ。Teen Vogueは同曲を“移民のアンセム”として紹介し、“大きな夢をかなえるにはハリウッドへ行かなければならない”という考えそのものを問い直す曲だと評している。
TikTokでは「LAやニューヨークだけじゃない。誰かが〇〇を盛り上げなきゃ」という形で、世界中のユーザーが自分の街を当てはめる投稿が拡散。さらに「移民一世の親の努力が自分の野心を可能にした」という物語にも派生した。 8月12日時点ではTikTokで1日約1億100万ビュー規模となり、その約80%が米国外から発生。Spotifyデイリー・グローバルでは56位まで上昇し、米Billboard Hot 100にも85位で初登場している。
つまり「Ain’t In LA」の世界的ヒットは、曲の主張そのものを証明する現象であるともいえる。成功の中心はLAだけではなく、フィリピンや英国、東南アジア、東欧を含む世界各地にある。かつて「スロバキア出身であること」をハンディキャップだと感じていた少女が、いまではその出自を最大の個性に変えたのだ。
2026年9月に発売されるデビュー・アルバムのタイトル『PRIMA』は、バレエにおける最高位“プリマ・バレリーナ”と、“最初”という意味を重ねたものだ。アデラ自身、「私はポップのプリマ・バレリーナになりたい。これはそれを実現するための最初の一歩」と語る。
スロバキアで夢を隠していた少女が、世界のポップの中心へ向かう。「Ain’t In LA」は、その物語を最も端的に鳴らす一曲なのだ。
Written By uDiscover Team
アデラ『PRIMA』
2026年9月2日発売
CD / LP / カラーLP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
アデラが影響を受けた楽曲がプレイリストで公開中
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