U2のボノによる回顧録『SURRENDER ―40の歌、ひとつの物語―』試し読み
U2のボノが自身の幼少時代から現在までを曲名がつけられた全40章で振り返り、文章だけではなく直筆イラストや貴重な写真を多数収録した回顧録『SURRENDER ―40の歌、ひとつの物語―』の翻訳版が2025年10月20日に早川書房から発売となる。この本書から第2章「アウト・オブ・コントロール」の試し読みをご紹介。
*WEBで読みやすいように本書の数字を漢数字からアラビア数字に変更、楽曲・アルバムタイトルはuDiscovermusic準拠としてカナ表記の邦題から原題表記に変更しております。
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Monday morning
Eighteen years of dawning
I said how long
Said how long
月曜の朝
夜明けを待ちつづけて、十八年
あとどれくらいだ
あとどれくらいなんだ
僕はシダーウッド・ロード10番地のわが家のリビングルームで、ラモーンズのアルバム『Leave Home』の「Glad to See You Go」に合わせて跳びまわっている。
You gotta go go go go goodbye
Glad to see you go go go go goodbye
とっとと行っちまえよ、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー、あばよ
消えてくれてうれしいぜ、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー、あばよ
1978年、18歳の誕生日。
このアルバムの曲はとてもシンプルなのに、そこに表現された複雑さは、ドストエフスキーの『罪と罰』よりもずっと僕の日常に当てはまる。『罪と罰』はやっと読み終えたところだが、3週間半かかってしまった。このアルバムはわずか29分57秒だ。どの曲もすごくシンプルだから、僕にだってギターで弾けそうだ。ギターは弾けないけれど。
どの曲もすごくシンプルだから、僕にだって書けそうだ。これは1種の個人的な革命で、その残響が2階にある兄ノーマンが使っていた空き部屋まで伝わるかもしれない。いや、もっと重要なのは、廊下の向こう、父さんがすわっているキッチンまで届くことかもしれない。
父さんは僕の仕事について話したがっている。仕事だって!
仕事というのは、好きでもないことを1日8時間、週に5日も6日もやるのと引き換えに金をもらうことだ。その金で、やっと週末にほんとうに好きなことをやれる。
できれば働きたくない。好きなことで食べていけたら、一生働かなくてもいいことはわかっている。でも、問題がある。このにきび面のティーンエイジャーの根拠のない自信をもってしても、自分が何かにすぐれていなければそれはありえないことだとわかっている。
そして、僕は何かにすぐれているわけではない。すぐれているものなど何もない。
とりあえず、物真似はかなり得意だ。友達のレジー・マニュエルは、恋人のザンドラが僕に走ったのは、イアン・ペイズリーの真似がうまいからだと言う。北アイルランドの民主統一党の党首で、喧嘩腰でわめき散らすイアン・ペイズリー牧師になりきるのはかなり得意だ。
「意志を貫け!」ってペイズリー師に怒鳴られそうだが。
イアン・ペイズリーの真似にザンドラが大笑いしているから、僕の口説き文句は成功だと思いたいけれど、彼女が僕を捨ててキースなんとかってやつに走るかもしれないのもわかっている。おもしろいやつというだけじゃダメだ。頭がよくないとダメなんだ。自分は頭がいいほうじゃないってことがわかる程度の頭はある。ちゃんとわかっている。
ちょっと前までは学校でも頭がいいほうだったのに、最近は女の子と音楽で頭がいっぱいだ。その相関関係がわかる程度の頭はある。
絵を描くのは得意だけれど、親友のグッギには勝てない。文章はそこそこ書けるけれど、校内誌に書いているあのすばらしく物知りのニール・マコーミックほどではない。ジャーナリストに憧れていたときは、海外特派員になって戦闘地域からレポートすることを夢見ていた。けれども、ジャーナリストになるには、試験でいい成績をとらなければならないし、試験は受けたくない。進学のための試験を受けるのはまっぴらだ。
それに、僕はいま戦闘地域にいるようなものだ。自分の住む通りや、この家や、自分の頭のなかがそうなんだ。
身近に格好の題材があるというのに、わざわざトンブクトゥまで戦場特派員として行く必要などあるだろうか。すぐそこにある恐怖と不安のせいで、ときどきベッドから出られなくなってしまう。このころの僕は、ロックンロール─ ─特にパンクロック─ ─が自分を解放してくれることになるとはまだ知らない。
ロックが僕を解放してくれる。ベッドを占拠していただけの僕を。
シダーウッド・ロード10番地のリビングルームには茶色の人工皮革のソファがある。床に敷き詰めたオレンジと黒の放射状模様のカーペットは、冬でも素足をあたたかく包んでくれる。セントラルヒーティングを入れたばかりなので、毎朝寝室からトイレに行くときも寒さに悩まされることはない。
わが家は恵まれている。
恵まれているから、父さんはメタリックレッドのヒルマン・アヴェンジャーに乗っている。恵まれているから、友達よりも先にカラーテレビを持っていた。カラーテレビはすごい。僕の家で、カラーテレビは現実の生活を少し現実離れしたものにしてくれる。そして、10代の僕の日常は、自分にとっても、父さんやノーマンにとっても、少し現実離れしているほうがよかった。
1970年代、カラーテレビで『マッチ・オブ・ザ・デイ』〔サッカーのハイライト番組〕を観ると、オールド・トラフォードやアンフィールドやハイバリーといったスタジアムの芝の色は、僕たちの住宅街の裏のどんな緑地よりもずっと鮮やかに見えた。ジョージ・ベストやチャーリー・ジョージの赤いシャツは燃えるような色だった。マルコム・マクドナルドにはあまり影響はない。モノクロの世界は過去のものとなったのに、白と黒の縦じまユニフォームを着たニューカッスル・ユナイテッドを応援する意味があるだろうか。
父さんは王室も過去のものとすべきだと言うけれど、カラーで見る女王はきれいだという母さんの意見には賛成している。毎年、母さんと父さんは笑いながら言い合う。アイルランド人がせっかくのランチを中断してまで、3時からの女王陛下のクリスマス・スピーチにチャンネルを合わせる必要なんかあるのか、と。だれもがファンファーレやパレード、そして威風堂々たる王室が好きなようだ。その一方、戦争はフルカラーで見ても白黒の世界だ。この国のなかで、ある地域が別の地域と戦闘状態にある。隣国イギリスはずっと暴力行為の加害者だったが、いまこの国でも加害者が育っている。ニュース映像で見る血の色は深紅だ。街角に掲げられる国旗がどんどん増えていき、公共の場でアイルランドとイギリスの対立の歴史を強調している。そうは言うものの、女王の誕生日にはトゥルーピング・ザ・カラー〔英国君主の誕生日を祝う軍事パレード〕をつい見てしまう。カラーテレビには、すべてが鮮やかに映し出される。
とはいえ、ダブリンに住む十代の少年にとって、イギリスにはパンクロックがあるとしても、アメリカの輝きにはとうていかなわない。ジョン・ウェインやロバート・レッドフォード、ポール・ニューマンが演じる“カウボーイ”は、まったくちがう世界を見せてくれる。“インディアン”もそうではあるけれど、彼らは自分たちの描かれ方に口出しできなかった。アパッチ、ポーニー、モヒカンといった先住民族の描写は、のちにパンクロッカーたちの見た目に影響を与えることになる。そして、クリント・イーストウッドのダーティ・ハリー、ピーター・フォークのコロンボ、テリー・サバラスのコジャックのような都会の刑事たちも魅力的だ。
だが、フィクションも現実のアメリカ人の生活にはかなわない。壮大なアポロ宇宙計画は夢のまた夢と言えるものだ。
月に人間を立たせるとは、アメリカ人はなんて大胆なことを考えるんだろう。けれども、これには僕たちアイルランド人も無関係じゃない。月に人間を送りこむというアイデアを最初に思いついたのは、われらの王族の一員と言うべき、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディだ、と父さんは言う。
1970年代のダブリンに暮らすティーンエイジャーの僕は、飾り物が並んだ窓辺から見えるシダーウッド・ロードのモノクロの世界を、あのマーフィー社のテレビに映し出されるような色鮮やかな世界に塗り替えたいと真剣に考えている。日常をちがう形で見たいのなら、聞く方法もちがうものにしたい。絶望に支配された10代の単調なリズムから、リビングルームにあるもうひとつの美術品が奏でる、丸みのある豊かな音へ。
わが家のステレオが奏でる音。
わが家にはすばらしいステレオがある。父さんがオペラの音を家じゅうに響かせるレコードプレーヤーだけではない。ソニーのオープンリール式テープレコーダーは、僕の人生の方向を決めた。ラモーンズ、ザ・クラッシュ、パティ・スミスを知ることで、世界に対する僕の見方はまったく変わることになるが、それはザ・フーやボブ・ディランを知ったときからすでにはじまっていたし、デヴィッド・ボウイには特に夢中になった。とはいえ、デヴィッド・ボウイのことを最初はデュオの片割れだと勘ちがいしていて、“ハンキー・ドリー/Hunky Dory”というのは、四枚目のアルバムのタイトルではなく、ボウイの相棒の名前だと思っていた。
1978年5月10日
自称173センチ、実際には171.5センチのロックスター志望者にとって特別な日だ。18歳の誕生日だというのは、この際どうでもいい。わが家では誕生日に特別なことはしない。父さんから5ポンド札を1枚もらえるのはうれしいけれど、きょうが特別なのはそれだからではない。
きょうは奇術師フーディーニのような大脱出を覚える日だ。どんなロープマジックよりも巧みに、自分のモノクロの人生を消し去り、フルカラーでふたたび登場させる。きょうというこの日、はじめてまともなロックンロールの曲、U2のファーストシングルとなる曲を書く。ジョーイ・ラモーンがくれた奇跡に感謝を捧げよう。そして彼の奇跡のような兄弟たちにも。けれども、エッジ、アダム、ラリーという僕自身の奇跡の兄弟がいなければ、この曲が世に出ることはありえなかっただろう。
Monday morning
Eighteen years of dawning
I said how long.
Said how long
It was one dull morning
I woke the world with bawling
I was so sad
They were so glad.
I had the feeling it was out of control
I was of the opinion it was out of control
月曜の朝
夜明けを待ちつづけて、十八年
あとどれくらいだ
いつまで待てばいい
どんよりとした朝だった
大声で世界を目覚めさせた
僕はすごく悲しかった
みんなはすごく喜んでいた
コントロールできないって感じてた
コントロールできないって思ってた。
この曲を「Out of Control」と名づけたのは、フョードル・ドストエフスキーの影響もあったかもしれないが、人間は、人生で最も重要なふたつの出来事に対して、ほとんど、あるいはまったく手をくだすことができないと気づいたからだ。それは、生まれることと死んでいくこと。その気づきこそ、偉大なパンクロックの曲に必要な、宇宙に対する真っ当な反逆だと思えた。
*この曲は1979年9月26日、「Stories For Boys」「Boy/Girl」の2曲とともに『Three』というタイトEPででリリースされた。曲順はRTEラジオのデイヴ・ファニングの番組のリスナーが選んだもので、デイヴはU2のデビュー曲を最初にかけてくれたDJだった。いまでも毎回U2のニューシングルを世界で最初にオンエアするのはデイヴだ。
Written by uDiscover Team
A5判/824P/単行本
2025年10月20日発売
早川書房公式サイト
U2のボノ、魂の回顧録!
人生は僕に歌うことを与えてくれた――。U2のボーカル・ボノが、少年時代からバンドの成長過程、歌詞に込めたメッセージ、エイズや貧困と闘う理由まで、自身の内面を赤裸々に綴る。曲名がつけられた全40章から成り、直筆イラストや貴重な写真を多数収録。
単行本公式プレイリスト公開中
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