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ベックが再訪する場所としての『Sea Change』:新作へとつながるキャリア最大級の方向転換作

ベック(BECK)が、2026年9月18日に7年ぶりのニュー・アルバム『Ride Lonesome』をリリースする。グラミー賞を受賞した2019年の『Hyperspace』以来となるこの新作アルバムでは、ベック自身がプロデューサーを務め、長年のコラボレーターであるナイジェル・ゴッドリッチがミックスを手がけている。
そんな今作とおなじくナイジェル・ゴッドリッチがミックスを手掛けた『Sea Change』についてライターの粉川しのさんに解説いただきました。
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ベックの7年ぶりのニュー・アルバム、『Ride Lonesome』からの先行シングル「In The Night」を聴いて、その美しく翳ったアコースティック・ギターと幽玄のオーケストレーションに、『Sea Change』を連想したのは私だけではないはずだ。
実際それは単なる印象論ではなく、『Ride Lonesome』にはスモーキー・ホーメル、ジョーイ・ワロンカー、ジャスティン・メルダル=ジョンセン、ロジャー・ジョセフ・マニング・ジュニア、ジェイソン・フォークナーと、『Sea Change』を支えた馴染みのミュージシャンたちが再集結。ベック自身がプロデュースした音源のミックスを、『Mutations』、『Sea Change』を共に作ったナイジェル・ゴッドリッチが担当している。音楽的にも、物理的にもかつての場所を再訪した――という本人の言葉どおり、『Ride Lonesome』はかなり意識的にベックが『Sea Change』の座標へと立ち返った作品だと捉えていいだろう。
では、なぜ今、『Sea Change』だったのだろう。ベックはかつて『Morning Phase』でも同作に立ち返ったが、彼がしばしば再訪する場所としての『Sea Change』とは、どんなアルバムだと再定義すべきなのだろう。
キャリア最大級の方向転換作
最初に確認しておくべきは、2002年当時と2026年では『Sea Change』という傑作の捉えられ方はかなり違っている、ということだ。同作は何度も再評価され、今では普遍的名作としての地位を確立しているが、リリース当時はベックのキャリア最大級の方向転換作として、驚きや戸惑いの声も少なくなかった。何しろ直前のオリジナル・アルバムは、ファンクやR&B、ヒップホップ、電子音を猥雑に詰め込み、ステージでエルヴィス・プレスリーよろしく派手に踊りまくっていた『Midnite Vultures』なのだ。その前にはもちろん、サンプリングとフォーク、ブルース、ヒップホップを切り刻んで再構築した『Odelay』もある。90年代のベックとはアイロニーと引用とジャンル混交、つまるところ「何でもあり」のポストモダンなポップ・スターだった。
そんな男が突然アコギを抱え、「Lonesome Tears」、「Already Dead」などと歌い始めたのだから、ポップ・スターのペルソナをついに脱ぎ捨てた、「素顔」のベックの異色作と評されたのも無理はない。
確かに『Sea Change』の直接のインスピレーションが彼の個人的な体験――長年のパートナーとの破局だったのは事実だ。しかしベックは、自身の傷心から生まれた曲をすぐにレコーディングしなかった。当時、「自己憐憫っぽく聞こえるのは嫌だった」と語っていたように、楽曲と個人を切り離し、誰もが経験する「喪失」についての歌として歌えるようになるまで、ほぼ2年も作った曲を寝かせている。
この実体験とアルバム制作の時間差が、『Sea Change』の凪のような静けさを生んだのかもしれない。前提としてとてつもない哀しみに満ちたアルバムなのに、ベックは殆ど感情を爆発させない。怒りも、恨みも、絶望もある。でも、それらは常に少し遠くから観察されているように聞こえるのだ。ちなみに、ベックの内省的な表現は本作で突然生まれたものではない。1994年の『One Foot in the Grave』には、既にローファイで剥き出しのフォーク・ソングが存在しているし、1998年の『Mutations』では、ゴッドリッチと共により深くシンガー・ソングライター的な領域へ踏み込んでいる。『Sea Change』の「It’s All in Your Mind」も、もともとは『One Foot in the Grave』期に録音され、1995年にシングルとして発表された曲の再録だ。
「どこまで取り除けるか」
そう考えると、ベックのキャリアにはかなり早い段階から二つの流れが存在していたことになる。一つは『Mellow Gold』や『Odelay』、『Midnite Vultures』のように、ベックが外側の世界から音を拾い、混ぜ、切り刻み、「ベック」という存在を客観で構築していくエクレクティックな作品群。もう一つは『One Foot in the Grave』、『Mutations』、そして『Sea Change』へと至る、自分自身の内側へと潜り、声と楽器と曲そのものへ近づいていく作品群だ。
ただ、この二つを「仮面」と「素顔」に分けるのは少々一義的かもしれない。あなたや私もそうであるように、人間には陽気な面も内気な面もあるし、羽目を外して人生を楽しむ瞬間も、メランコリックな孤独に浸る瞬間もある。その都度、仮面の着脱をわざわざ意識する人は少ないだろう。ベックも同様だったはずだ。だから『Sea Change』の重要性とは、ベックが別人になったことではない。それまでキャリアの傍流、あるいは寄り道のようにも見えていた「もう一人のベック」を、初めてアルバムのど真ん中に据えたことにあるのだ。
90年代を通して「何を足すか」、「何と何を衝突させるか」を徹底的に試し続け、新しい音楽を作ってきた天才が、逆に「どこまで取り除けるか」を試し、自身のソングライティングの真理を追求したアルバムが『Sea Change』であると言ってもいいだろう。ベックが当時、ハンク・ウィリアムズの簡潔さ、無駄のなさ、感情にフィルターがないことに惹かれていたという話も、この変化をよく説明している。
「孤独=果てしなく広い空間」
一方、曲がシンプルになったからといって、サウンドまで小さく纏まったわけではない。ソングライティングでは徹底的に引き算をしながら、音響では逆に巨大な空間を作り出している、そこが『Sea Change』の面白いところだ。「The Golden Age」では乾いたアコギとペダル・スティールが、夜空の下の孤独の風景を描いている。車を走らせるロード・ソングなのに、外の景色だけが流れていき、心は同じ場所に取り残されているような奇妙な停滞感があるのがこの曲のポイントだ。移動しているのに、どこにも行けない。そんな矛盾した感覚は、そのまま『Sea Change』というアルバムの入口になっている。
かと思えば「Paper Tiger」では、ベックの父デヴィッド・キャンベルが手掛けたストリングスが、突如として画面をワイドスクリーンへと押し広げる。「Lonesome Tears」に至っては、抑制されたベックの声とは逆に後半のオーケストラだけがどんどんと昂っていく。ベック本人が「泣けない」代わりに、ストリングスが泣いているようにすら聞こえる。
そんな『Sea Change』を聴いていると、1994年の『One Foot in the Grave』では「孤独=音の少なさ」だったものが、「孤独=果てしなく広い空間」へと変換されていることに気づくはずだ。 そして、その最果てで鳴るのが「Lost Cause」だ。ここにあるのは破局の激しいドラマではない。恋の終わりの哀しみでもなく、全ての後に残された「空白」が鳴っているのが秀逸なのだ。だから20年以上を経た今も、「Lost Cause」は全く古びて聴こえない。同曲で鳴る空白とは、ありとあらゆる「喪失」と接続可能な普遍の境地でもあるからだ。
ベックは後に『Morning Phase』で再び『Sea Change』の内省的な流れを展開し、そして今、『Ride Lonesome』でさらに同じ座標へ戻ってきた。もっとも、同じ場所に戻ることと、過去を繰り返すことは全く違う。
ロッキング・オン最新号(9月7日発売)のインタビューで、ベックは若い頃、なぜニール・ヤングのような大物が何十年も同じ仲間と演奏するのか理解できなかったが、今では、その長い歴史にしか宿らない質感があることが分かった、と語っていたのが印象的だった。同時に、年齢を重ねた彼が惹かれているのは、時代の流行を過剰に刻印した音ではなく、声があって、楽器があって、人が実際に演奏する音楽だという。まさに、『Sea Change』がそうだったように。
『Sea Change』が示した大きな変化は、2002年に完結した出来事ではなく、24年後の今もベックの音楽の深部を流れ続けている。そう、『Sea Change』とは一度きりの海流の変化ではなかった。その後の彼が何度も立ち返りながら、少しずつ違う景色を映してきた、もう一つのベックの源流なのだ。
Written By 粉川しの
ベック『Sea Change』
2002年9月24日発売
iTunes Stores /Apple Music / Spotify /Amazon Music / YouTube Music
新作アルバム

ベック『Ride Lonesome』
2026年9月18日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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