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ベック『Odelay』解説:グラミー賞で2部門に輝き、ベックの名を世界に轟かせた傑作

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2025年5月28日(水)に大阪・Zepp Namba、5月29日 (木)に東京・NHKホールでの単独来日公演が、そして6月1日にASIAN KUNG-FU GENERATION主催のロックフェスティバル『NANO-MUGEN FES.2025』への出演が決定したBECK。

2018年SUMMER SONICでのヘッドライナー出演以来となるバンド編成での来日を記念して、彼の過去のアルバムの解説記事を連載として順次公開。

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評価も獲得したアルバム

ベックは自身5作目となるこのスタジオ・アルバムで、同世代屈指の洞察力を持つアーティストとして確固たる評価を築いた。1996年6月18日にリリースされた同作はベックにマルチ・プラチナの栄冠をもたらし、彼の名を世界中に知らしめたのである。ここではグラミー賞で2部門に輝いた『Odelay』に纏わる物語を紹介しよう。

遡って1994年後半、革新性に満ちたカリフォルニア出身のベックは、DGC/ゲフィンからのメジャー・デビュー作にして大成功を収めた『Mellow Gold』との帳尻を合わせるように、独立レーベルからアルバム『One Foot In The Grave』をリリース。それからメジャー・レーベルでの第2弾アルバムが発表されるまでは、丸2年がかかった。

「制作にすごく時間がかかったから”Oh Delay /なんという遅れ”と名付けられたんだ。真面目な話さ」

彼の友人であるペイヴメントのスティーヴン・マルクマスはスピン誌に冗談でそう語っているが、ファンやメディア関係者はその新作を聴くやいなや、首を長くして待った甲斐があったと感じたのだった。

ピッチフォークのライアン・シュライバーはこう絶賛している。

「このアルバムに収められているすべてのトラックがファンタスティックだ。ベックは想像し得る限りの(あるいは想像もつかないような)奇抜な音源をサンプリングし、作品をより突飛な仕上がりにしている」

また、エンターテインメント・ウィークリー誌もこれに劣らず熱烈な賛辞を送っている。

「快活なカントリー調のフレーズや、ヒップホップのビート、シュールなフォーク、愚か者のラップ、サンプリング(チャイコフスキーからフロッグスまで)など様々な要素を組み合わせたその作風は、”ロック界のカメレオン”としてのベックの独自性をいっそう確かなものにしている」

 

ダスト・ブラザーズとの出会い

北米以外での初めてのライヴとなった1994年後半の豪州や欧州でのツアーの合間から、ベックは『Odelay』を構成することとなるサウンド・コラージュの制作を開始。その作業は、翌1995年が過ぎてそのさらに翌年に入るまで続いた。

また、当初のレコーディングはボング・ロード・レコードのトム・ロスロックとロブ・シュナフとともに進められていた。独立レーベルのボング・ロードはベック・ハンセンの初期の飛躍を支え、シングル「Loser」を最初に世に出したレーベルであった。

だが結局、彼はダスト・ブラザーズとの新たな(そして近年まで続く)コラボレーションを優先し、彼らとのレコーディングを中断することにした。ロサンゼルスを拠点に活動するダスト・ブラザーズはマイケル・シンプソン(E.Z.マイク)とジョン・キング(キング・ギズモ)から成るデュオ。彼らは初期の1989年に、複数ジャンルを股にかけて活躍した二人のラッパーと手を組んでいたことで、ベックにその名を知られていたのだった。

ダスト・ブラザーズは全米1位に輝きマルチ・プラチナにも認定されたトーン・ロックのアルバム『Lōc-ed After Dark』の一部楽曲をプロデュース。同作からはロックの代名詞といえる「Funky Cold Medina」などの大ヒット・シングルも生まれた。また、同じく彼らが携わったヤングMCの『Stone Cold Rhymin’』は、全米トップ10入りを果たし豪チャートを制した代表曲「Bust A Move」を含む1作だ。

Funky Cold Medina

だが、彼らがヒップホップの新時代においてもっとも創意に富んだプロデュース・チームとみなされるようになったのは、同じ年に発表された3つ目のアルバムのおかげだった。彼らはその年にビースティ・ボーイズの『Paul’s Boutique』を共同プロデュース。当初は注目を集められなかった同作も現在では、当時に発表されたあらゆる作品の中で屈指の重要作と評価されている。

こうしてダスト・ブラザーズは、業界内でもとりわけ引く手あまたのプロデュース/リミックス・チームとなった。そしてほかの多くの人びとと同様、ベックにとっても『Paul’s Boutique』は、新たな音楽スタイルを代表する作品になっていたのである。『Odelay』が衝撃的な作品に仕上がったのは、実験的精神に満ちた逸材たちが手を組んだ結果だったといえよう。

 

積極的なツアー

ベックはアルバム制作の合間を縫ってツアー活動も行っていた。その中には、1995年の夏に全28公演が行われたロラパルーザ(このとき「Where It’s At」の初期ヴァージョンも披露)や、英国のレディング・フェスティヴァル、ジョニー・キャッシュの前座としての公演などが含まれていた。

さらに毎年開催されていたブリッジ・スクール・ベネフィット・コンサートでは、ブルース・スプリングスティーン、プリテンダーズ、エミルー・ハリスなどの大物たちと共演。ベックは意図せず自然の流れの中で、当時の音楽シーンの最前線に加わっていったのである。

その夏、『Mellow Gold』のアメリカ国内での出荷枚数は100万枚を超え、同作は米国レコード協会(RIAA)によってプラチナ・ディスクに認定された。そして彼は1996年への年越しの瞬間をオーストラリアで迎え、同国の各地を回るサマーソルト・フェスティヴァルに出演。同イベントは年末の29日にメルボルン、大晦日にはシドニーで行われ、新年に入ってからはゴールド・コースト、アデレード、フリーマントルで開催された。

3月になるとベックはそれなりの規模の欧州ツアーを開始。このツアーにはロンドンのキングス・カレッジでのコンサートも含まれていたが、このロンドン公演では彼の飛躍のきっかけとなった楽曲もいくつか披露された。しかし彼はこのとき、まったく新たな境地へと足を踏み入れようとしていた。

 

多くの影響源を纏め上げる

リリース当時のレビューからも明らかな通り、『Odelay』はそのスケールの大きさだけをとっても実に驚異的な作品だった。同作は彼の新たなファンだけでなく、以前からの熱心な支持者をも驚嘆させたのである。そのサウンドは、数え切れないほどの影響源やありとあらゆるサンプリング音源を取り込み、一つに纏め上げることで作り出されていた。

『Odelay』の大きな特徴は、実に様々な作品の断片を組み込んでいる点にある。そこにはレア・アース、ロリー・ギャラガー、グランド・ファンク・レイルロード、エドガー・ウィンターなどのロック・アーティストや、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、マンドリル、リー・ドーシー、レオン・ヘイウッドといったソウル/ファンク界の大物、スクラッチの手法を開発したグランド・ウィザード・セオドア、長らく脚光を浴びてこなかったサックス奏者のモンク・ヒギンズなどのミュージシャン、さらには19世紀に活躍したシューベルトの作品までもが引用されているのだ。

アルバム『Odelay』は名刺代わりのシングル「Where It’s At」とともにリリース。同曲には、多大な影響力を誇ったニューヨークのエレクトロ・ファンク・グループ、マントロニクスが1985年に発表した「Needle To The Groove」の重要なパートが使用されている。

Needle to the Groove

「I’ve got two turntables and a microphone / ターンテーブル二つとマイクを一本手に入れたんだ」というフレーズは実のところマントロニクスから取られたもので、ベックはそれをクセになる1曲に仕上げてみせたのだ。

さらに「Where It’s At」はビジュアル面でも大きな成功を収めた。この曲のビデオは9月に行われたMTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀男性ビデオ賞に輝いたのである。

Beck – Where It's At (Official Music Video)

同シングルはアメリカのモダン・ロック・ラジオ・チャートで5位に入り、続くシングルの「Devils Haircut」とともにイギリスのポップ・チャートでもトップ40入りを果たした。また1997年に入ると、アルバムからはさらに「The New Pollution」「Sissyneck」「Jack-Ass」の3曲がシングル・カット。『Odelay』は発売からの2ヶ月でゴールド・ディスクに、7ヶ月後にはプラチナ・ディスクになり、1998年にはダブル・プラチナに認定された。

Beck – Devils Haircut (Official Music Video)

「ベックはビースティ・ボーイズ同様――」マーク・ケンプはローリング・ストーン誌に掲載されたレビューの中でこう綴っている。「ヒップホップに憧れる白人の中でも確かなセンスがある数少ないアーティストの一人だ。彼はファンクとパンク、ヒップホップとアート・ロック、ジャズとカントリー・ブルースをそれぞれに結びつける”細い糸”の存在を真に理解している。

だからこそ、20世紀の様々な音楽スタイルに関する豊富な知識をごくポップな3、4分の楽曲群に詰め込むことができるのである」。『Odelay』はリリースから間もなく全英トップ20に入り、11週に亘り同チャートに留まったあと、一度圏外に落ちたがその後再び圏内に浮上。1997年のほとんどの期間を通してランク・インし続けた。

ベックは同年の前半に行われたブリット・アワードで最優秀インターナショナル男性ソロ・アーティスト賞を受賞。NMEやローリング・ストーンからも同じような栄誉を与えられたほか、米グラミー賞ではアルバムが最優秀オルタナティヴ・ミュージック・パフォーマンス賞に、「Where It’s At」が最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンスに選ばれた。ベックは”ターンテーブル二つとマイク一本”どころか、世界をその手に収めようとしていたのである。

Written By Paul Sexton



ベック『Odelay』

1996年6月18日発売
iTunes Stores /Apple Music / Spotify /Amazon Music / YouTube Music


ベック 7年ぶりバンド編成での来日公演 in 2025

5月28日(大阪 Zepp Namba)
5月29日(東京 NHKホール)
6月1日(神奈川 Kアリーナ横浜 *NANO-MUGEN FES.2025)
公演公式サイト



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