“1999〜2011年”だってヒップホップ黄金時代:南部を中心にした盛り上がりを解説

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ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第42回。

今回は今年8月11日で50周年を迎えるヒップホップについて開催されたオンラインイベントを抜粋して文章化したものをお届け。第1回第2回第3回第4回第5回は公開中。

ヒップホップ生誕50周年を記念したプレイリストも公開中(Apple Music / Spotify / YouTube)。

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YouTube時代に即した名物と呼びうる音楽番組となったTiny Desk Concertsは「現代のMTVアンプラグド」である、と言っていいだろう。Tiny Desk Concertsも、先の6月は当然のようにブラック・ミュージック・マンス特集となった。そのイメージ画像(宣伝ポスター?)は、このベイビーフェイスにしてもチャーリーウィルソンにしても、光り輝くロゴで飾られている。このブリンブリン(ギラギラ)感、キャッシュ・マネー・レコーズとノー・リミット・レコーズで盛り上がっていた90年代末のニューオリンズのムードそのままである。

NPR Tiny Desk Concert

実際、Tiny Desk Concertsのブラック・ミュージック・マンスを締めくくるべく、6月30日に登場したのはジュヴィナイル。90年代末のキャッシュ・マネー・レコーズで最高の人気を誇っていたラッパーだ。

考えてみると、キャッシュ・マネー・レコーズが人気爆発したのが1999年(曲によっては1998年リリースのものもある)。そして——ここから突然、私事になるが——わたしが編集していた音楽雑誌『bmr』が休刊したのが2011年。この二つのウサギ年に挟まれた時期は南部を中心にした盛り上がりが何度もあり、ヒップホップにとっては何度目かの黄金期だったのではないか? いわゆる「ゴールデン・エイジ・オブ・ヒップホップ」だけがゴールデン・エイジではないのだから。そこで、その時期の象徴的な名曲を独断と偏見で選りすぐって、地域ごとに解説してみよう。

ルイジアナ州ニューオリンズ

まずは、そのジュヴィナイルによる記念碑的なヒット曲でありながら変な一発、「Ha」を。

こういった90年代末のキャッシュ・マネー・レコーズのサウンド面を、たぶん全て手がけていたのが同レーベルの専任プロデューサーであるマニー・フレッシュという人。ビッグ・タイマーズというコンビの片割れでもあり、見た目通りに性格がいいとも聞く。

それはともかく、ティンバランドの出現後の90年代後半からはドラムマシンによるビート・パターンが変則化し、いわば「乱れ打ち」感が顕著になるのだが、それをネクスト・レヴェルに持っていった偉人がマニー・フレッシュだ。彼の仕事のわかりやすい例として、リル・ウェインのデビュー曲「Tha Block is Hot」も聴いてみたい。16歳か17歳ぐらいのリル・ウェインは今の彼とはもちろん違うが、やはり原石の輝きみたいなものが伝わってくる。

ここで、キャッシュ・マネーの前にニューオリンズを盛り上げたマスター・Pのレーベル、ノー・リミットについて。全盛期の同社は2週間に1枚アルバムを出すほどの物凄い体制だったが、ここではその後の時代に注目しよう。マスター・Pが引退したり出戻りしたりの後の隠し玉みたいなアーティスト、チョッパ(現チョッパ・スタイル)である。

 

ミズーリ州とオハイオ州

ここでニューオリンズから北方へ目を移してみる。この90年代末から00年代頭というのは、それまでヒップホップ地図上でほとんど存在感がなかったミッドウェスト(中西部)が知られざるパワーを見せつけた時期でもあった。まずはエミネムがいたが、ここで注目したいのはミズーリ州セントルイス出身のネリーという男。彼が2000年に放ったヒット曲は「Country Grammar」、つまり「お国言葉」である。

アメリカ人でも衝撃を受けた人がいるほどの独自性を持つセントルイス弁を前面に押し出した曲。それだけではノヴェルティに聞こえるかもしれないが、彼は時代に先駆けたパイオニアでもあった。つまり「歌うラッパー」の流れを切り開いた一人なのだ。

今思うと00年代というのは、メジャーからデビューして、しかしあまり結果を残せず長続きしなかったラッパーたちの中にも、きらりと光る逸材が見受けられた時期でもあった。

中でも、わたしが一番好きな中西部の州であるオハイオ州シンシナティから出てきたCzar-Nok(ザー・ノック)は、検索しても写真が数種類しかないという珍しいデュオだ。それでも曲はなかなかの出来だ。シンシナティだけあって(?)オハイオ・プレイヤーズのような不安定なコーラスといい、隠し味的に入ってるトークボックスといい。

もちろん同じオハイオ州でも、クリーヴランドのボーン・サグズン・ハーモニーは始動が早く、1994年にはデビューしていた。彼らが2000年前後に出したのが『BTNHResurrection』。このアルバムからは何曲ものヒットが出たが、興味深いのは「Change the World」である。

アルバム・バージョンではリーダー格のクレイジー・ボーンが不参加で、獄中にあるフレッシュン・ボーンが参加していたが、ビデオ版では新たにクレイジー・ボーンが参加し、フレッシュン・ボーンのパートはカット。撮影に参加できないのだからカットされるのはやむを得ないが、そもそもオツトメ中の人はどのようにしてレコーディングに参加するのか。いつも不思議に思う。

 

ジョージア州アトランタ

ここでまた南部に戻る。そろそろジョージア州アトランタの話をせねばならない。多彩な魅力を持つ同市のヒップホップ・シーンで、前衛的でありラウドでもある部分を担ってきたのは、やはりリル・ジョンという人物だろう。

かつて彼はリル・ジョン&ジ・イースト・サイド・ボーイズという3人組ラップ・グループの一員だったが、このグループはあまりに異常である。3人もいるのに、普通のラップをできる者が誰もいないのだ。基本的に3人全員が掛け声担当。よって、いわゆるラップらしいラップ、ヴァースの部分は、他のゲスト・アーティストにやってもらうしかない。コンサートでめちゃめちゃ不利になるのではないかと思う。加えて、この「Get Low」という曲では、掛け声パートまでゲストのイン・ヤン・トゥインズが担当している。

当時を振り返ると「リル・ジョンとジャジー・フェイは自分がプロデュースする全ての曲を平均化する」と書いた人がいて、その的確な表現に改めて感心する。つまり「上記のプロデューサー2名はそれぞれ、同じような曲しか作れない」ということでもあるのだが、その作風が時代に求められていたという証拠でもあるのだ。

そこでリル・ジョン制作曲をもう一つ。このYoungBloodZの「Damn!」は、MVロケ地の一つがアトランタ名物だったアブドーラ・ザ・ブッチャーのレストラン「Abdullah the Butcher’s House of Ribs and Chinese Food」なので、そのブッチャーが2回ほど登場するのがポイントだ。

この後は、「全ての曲を平均化するプロデューサー」と形容されたもう一人、ジャジー・フェイの仕事について説明するわけだが……続きはオンラインイベント『4GOTTEN RELMZ〜思い出したい曲がある〜あの頃だってヒップホップ黄金時代!』の本編をご覧ください。

Written By 丸屋九兵衛


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