『J. バルヴィン~メデジンから来た男~』“政治的発言をしろ!”と非難されたコロンビアNo.1アーティストの決断

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Photo: Gladys Vega/Getty Images

南米コロンビア出身のアーティスト、J.バルヴィン(J. Balvin)。彼が南米だけではなく、2019年にYouTubeで最も視聴されるアーティストになるなど全世界で大成功を収め、故郷のスタジアムで初めてソロ・コンサートを行うために凱旋帰国する。しかしその直前にコロンビアでは政府に対して、大規模なデモや抗議活動が激化。民衆を支持する発言をする他のアーティストがいるなか、政治的発言に慎重になっているJ.バルヴィンに対して、「なぜ無関心なのか?」「故郷を捨てたのか?」「無責任だ」といった非難が相次ぐなか、コンサートは当日を迎える……。

といった内容でAmazon Prime Videoで配信されているドキュメンタリー『J. バルヴィン~メデジンから来た男~』について、ラテン音楽について詳しいライターの栗本 斉さんに解説いただきました。

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日本でも人気沸騰中のJ.バルヴィン(J. Balvin)は、レゲトン界のスーパースターだ。人気とはいえ、彼の楽曲は知っていても、実際にどういうアーティストなのかはそれほど知られていないだろう。そんな彼の素顔に迫る映画が『J・バルヴィン ~メデジンから来た男~』である。本作はシリアで命を落としたベテラン戦場記者を描いた映画『プライベート・ウォー』(2018年)で高く評価されたマシュー・ハイネマン監督によるドキュメンタリーだ。

といっても、J.バルヴィンの祖国コロンビアの政治的な問題に関して、彼がどう発言するのかということに焦点を絞り、故郷の街メデジンでのコンサートを前にした1週間を追った記録となっている。いわゆる普通の音楽ドキュメンタリーとは一線を画した作品だ。

 

J.バルヴィンの凄さ

そもそもJ.バルヴィンがどれだけすごい存在なのかということは、日本だとあまり実感できないかもしれない。しかし、コロンビアはもとよりスペイン語圏での彼の人気ぶりは圧倒的だ。2007年にシングル「Éxtasis」でデビューして以来、若き注目株として評価を高めてきた彼が成功したきっかけは、2013年に発表したファースト・アルバム『La Familia』からシングル・カットした「6 AM」である。

プエルトリコのシンガー、ファルッコをフィーチャーしたこの曲は、スペイン語圏各国の他、米国やヨーロッパでも大ヒットを記録。レゲトンのニューカマーとして話題となった。また2014年の「Ay Vamos」は、ビルボードのラテンチャートでついに1位を獲得し、ラテン・グラミーも受賞。フレンチ・モンタナとニッキー・ジャムが参加したリミックス・ヴァージョンは、映画『ワイルド・スピード SKY MISSION』(2015年)のサウンドトラックにも起用された。とにかく世界中で彼の声が聞こえてくるような状況が生まれたのだ。

アルバムも、ファレルやダディ・ヤンキーとのコラボレートした楽曲を含む2作目の『Energía』(2016年)、メキシコのカーラ・モリソンやブラジルのアニッタといった国際色が豊かで日本でのデビュー作にもなった3作目『Vibras』(2018年)、バッド・バニーとの共同名義によるコラボレーション・アルバム『Oasis』(2019年)、村上隆のアートワークが印象的な4作目の『Colores』(2020年)と作品を重ねるごとにパワーアップしていくが、英語圏に媚びることなく一貫して母国語であるスペイン語にこだわり、レゲトンをベースにしながらラテン・ポップの可能性を推し進めていった。自身のファーストネームをタイトルに冠した最新作『José』(2021年)も高い評価を得ている。

また、彼の人気ぶりに比例して交友関係も幅広く、客演やリミックスも膨大な数に上る。ラテン圏はもちろんだが、英語圏のアーティストでも、ビヨンセ、アリアナ・グランデ、ジャスティン・ビーバー、マルーン5、メジャー・レイザー、ロビン・シック、デヴィッド・ゲッタ、カリードなど、とにかく豪華なアーティストと共演を果たしているのだ。

ただ、これらの輝かしい経歴だけを見ていても、J.バルヴィンのパーソナルな部分は伝わらない。そういった知られざる一面を描いたのが、この映画『J・バルヴィン ~メデジンから来た男~』なのだ。もちろん、「Ay Vamos」「Mi Gente」「X」「Blanco」といった彼のヒット・チューンがライヴ・シーンを含めてふんだんに聴くことができるのだが、本作のテーマは彼の音楽を紹介することではない。あくまでもその素顔と、彼の思想にスポットを当てているのが非常に興味深い。

 

コロンビアを代表するアーティスト

映画はメキシコの大規模なコンサートのシーンから始まる。激しいレゲトンのビートで盛り上がるが、MCでは「俺は右でも左でもなく真っ直ぐ進む」と意味深な発言をする場面をカメラは記録している。

彼はどこにいっても人気者だ。街で声をかけられればサインに気軽に応じ、一緒に写真を撮ることも拒まない。ラテン・グラミー賞を始めこれまでの栄光の軌跡が映像で綴られ、なかにはオバマ元米国大統領がJ.バルヴィンを絶賛するシーンも挿入される。しかし、その後は辛い過去の回想へと続いていく。

コロンビアのメデジンで生まれたJ.バルヴィンことホセ・アルバロ・オソリオ・バルヴィンは、比較的裕福な中産階級の出身だ。しかし、父親が事業に失敗したこともあり、彼は音楽で生計を立てることを決意するのだ。恋人と米国のマイアミに住み、一旗揚げるべくペンキ売りとミュージシャンの二足のわらじで苦闘しているうちに睡眠薬中毒となり、うつ病に悩まされるようになった。挫折を味わった彼は、故郷に戻って一から立て直し、成功への道を切り開いていくのだ。

 

母国の政情不安の中、政治的な発言を迫られ炎上

メキシコでのコンサートの大成功の後メデジンに戻ったJ.バルヴィンは、1週間後に広大なスタジアムでのライヴを控えている。しかし、コロンビアの国内は反政府デモのニュースで持ちきりとなっていた。しかも、同郷のヒップホップ・グループ、ドブレ・ポルシオンのメンバーであるマニャス・ルフィノからは、「(J.バルヴィンは)政治に無関心だ」とSNS上で批判されて大いに悩む。J.バルヴィン本人は無関心ではなく、慎重に考えていたのだが、その気持ちは一般大衆には伝わらない。しかも、このデモで亡くなった若者についてお悔やみの言葉をSNSで公開すると、これもまた炎上してしまうのだ。

この反政府デモは、2019年から2020年にかけてコロンビア全土で起こった大規模なものだ。中南米は政治的に非常に不安定な国が多いが、この国も例外ではない。コロンビアというと麻薬王パブロ・エスコバルが率いた犯罪組織メデジン・カルテルのイメージが強いが、反政府ということでいえば左翼ゲリラ組織のコロンビア革命軍、通称FARCもまたこの国の闇の一部分である。

政府とFARCとの戦いは長らく続いていたが、米国のバックアップを受けて2002年に就任した右派のアルバロ・ウリベ大統領が強硬な反ゲリラ対策を行い、ゲリラは大幅に減少。その後、後任のフアン・マヌエル・サントス大統領は、2016年にFARCと和平交渉を実現させる。しかし、穏健な政策は反ゲリラ意識の強い国民の反発を呼び、2018年には極右思想を持つ強硬派のイバン・ドゥケが大統領に就任。再びFARCとの緊張感が高まっただけでなく、数々の汚職や虐殺といった事件が勃発する。

加えて、なかなか改善されない教育や医療、先住民差別などの問題が明るみに出たことで、極右思想に反発する活動家を中心に各地で反政府デモが起こったのだ。このデモでは3人の死者が出たことも大きな衝撃を与えた。J.バルヴィンがメデジンで凱旋コンサートを行うタイミングが、まさにこのデモが激化し始めた頃だった。しかも、カルロス・ビベス、アドリアナ・ルシア、チョック・キブ・タウンといった人気アーティストたちが続々と政府への抗議を正式に表明したことも、J.バルヴィンが矢面に立ってしまったことの背景になっている。

 

派手な外見とナイーヴな内面、クライマックスでの発言

映画では、こういった激動の日々のなかで葛藤するJ.バルヴィンの姿を克明に映し出していく。豪邸で仲間たちと談笑する姿はスターらしく装っているが、内面は非常にナイーヴな青年であることがわかる。家族や恋人やマネージャーだけでなく、精神科医やスピリチュアル・アドバイザーなど、メンタルのケアをするスタッフだけでも多数の人々が彼を取り巻いており、コンサートまで親身に彼をサポートしていく。

その間には、新聞の取材で自分の素直な気持ちをそのまま記者に語り、批判の声を上げたドブレ・ポルシオンのマニャスに直接会って話し合ったりもする。こういったJ.バルヴィンの姿は、繊細かつ誠実な印象だ。コロンビアで最も成功したアーティストのひとりだとしても、ガラスのように脆い心を持ったひとりの人間であることを思い知らされる。

クライマックスは、もちろん故郷に錦を飾るメデジンでの大迫力のコンサートだ。多数のゲストを交えた華やかなステージが最も盛り上がっている最中に、数万人が見守る会場で、ついに彼は今起こっている反政府デモについて発言することになる。彼なりにしっかりと落とし前を付けたといえばいいだろうか。その感動的なMCは、ぜひ映画の中で確認していただきたい。そしてコンサートの舞台を下りると、彼は再びスターの日常に戻るのだ。

彼はこの映画で、エクトル・ラボーの「El Cantante」という歌について二度も言及している。このプエルトリコの伝説的なサルサ歌手の代表曲には、「僕はとても人気があるけれどショーが終わったら普通の人に戻る」や「歌うことで悲しみや苦しみを忘れることができる」といった意味の歌詞が出てくる。

何十年も前の歌なのに、まるでJ.バルヴィンのことを歌っているように思えてくるのが不思議だ。まさに、この映画の隠れたテーマソングといってもいいのかもしれない。あくまでもJ.バルヴィンはただのシンガーであり、ひとりの人間である。当たり前のこととは思いつつも、我々はあらためてそのことを映画『J・バルヴィン ~メデジンから来た男~』で理解することができるのだ。

Written By 栗本 斉




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