ヒップホップのベスト・ママ・ソング5選:米社会構造とラッパーの「親に感謝」がディープな理由

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アメリカのヒップホップには、政治問題や人種差別、貧困ついて歌っているコンシャスなもの、またはお金や女性、ドラッグ、車やパーティーについて歌っているものまで幅広く存在していますが、その中には母親への愛情を歌った名曲もあります。

一見マッチョなイメージのヒップホップの世界でなぜそのような曲が生まれるのか? アメリカの社会構造におけるラッパーたちと母親の関係、そしてラッパーたちの母を称えた5曲の楽曲について、ライター/翻訳家である池城美菜子さんに執筆いただきました。

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英語でマザコンを「Mama’s Boy / ママズ・ボーイ」、という。子ども同士の会話だとディスになるけれど、大人の黒人男性の場合、「ママズ・ボーイ」はただの通常運転。面と向かって言っても怒られるどころか、「そうそれ、俺、めっちゃ母さんが好きでさ」と、ママ自慢が始まることも少なくない。

その理由。人種別のシングル・ペアレント率が、黒人家庭は65%超えと圧倒的に高いのだ。白人だと25%、ヒスパニックは40%、アジア系はぐっと低くて15〜6%、人種が混ざっている家庭だと40%強、全体の平均が35%だから黒人家庭は2倍と突出している(KIDS COUNT Data Center のサイトより)。もっと高く見積もる調査もあるうえ、そのほとんどが母子家庭であり、当然、母親や祖母は命綱同様の存在。お母さんだけの家庭で育つと、早く父親代わりになりたいと願う男性は、母親に対する思い入れも強くなるらしい。成功し、有名になってから母親や祖母に家を買うアーティストは男女ともに多いが、曲にするのは男性である。極端な話、ヒップホップは優れたママ・ソングを作って一人前という見方も成立する特殊なジャンルなのである。

5月10日の母の日を前に、お母さんに感謝の念を伝えるヒップホップのママ・ソング特集を贈る。ランキング形式にしようかとも思ったのだが、曲自体の出来はある程度決められても、各々のMCと母親の関係を知るとリリックの響き方がだいぶ変わり、評価するようなテーマではないので、年代順に紹介しよう。

 

1. 2パック「Dear Mama」(1995)

2パック(2pac)のサード・アルバム『Me Against the World』のリード・シングル。その後に続くママ・ソングのきっかけとなった曲であり、恨み辛みを込めるのが得意だったヒップホップに、それを超えた先にある感謝と痛みを率直にリリックにした曲として、歴史に永遠に刻まれる名曲だ。

セカンド・アルバム『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z』で、すでに母のアフェニ・シャクールを含むシングル・マザーを励ます「Keep Ya Head Up」を作っていた2パック。彼は、体を鍛えてサグ・ライフを標榜する一方、その奥にあるデリケードで柔らかい部分を早いうちからさらけ出した。アフェニ・シャクールがブラック・パンサー党員だったのは有名な話だが、Black Panther 21と呼ばれる警察署爆破計画の嫌疑をかけられ、2パックを身ごもったまま投獄されたほどの筋金入りだった。

彼女は党の機関紙に文章を寄せるようなインテリでもあり、食べ物に事欠いても理想と知識にあふれた家庭で育った背景は、2パックの才能の開花に大いに関係があるだろう。ただし、アフェニはコカインより安価なドラッグ、クラックの中毒になってしまい、若いうちから2パックは自立と母へのサポートを余儀なくされる。「Dear Mama」の歌詞、

And even as a crack fiend, mama / You always was as black queen, mama
ヤク中でも ママ / いつだって黒人の女王様だよ、ママ

の「クラック・フィーン(ド)」と「ブラック・クィーン」の語呂合わせは強烈で、ドラッグで悪魔みたいになっても自分にとっては女王だと言い切る、愛情の深さに打ちのめされる。2パックが亡くなったあと、アフェニは息子の音楽とメッセージを広げることを生きがいにし、2016年69才で亡くなっている。2パック、23才のときの曲。

 

2. ゴーストフェイス・キラー「All That I Got Is You」(1996)

ウータン・クラン、ゴーストフェイス・キラー(Ghostface Killah:以下GFK)のソロ・デビュー作『Ironman』からの曲。ジャクソン5「Maybe Tomorrow」を使い、人気絶頂のメアリー・J・ブライジをフィーチャーしている。これより少し前に、メソッド・マンがやはりメアリー・Jを招いて「I’ll Be There for You/You’re All I Need to Get By」のパフ・ダディ・リミックスを大ヒットさせたので、当時はプロデューサーのRZAがメアリーと組めるチャンスを最大限に生かした、と思っていたのだが、いま聴くと前年に出た2パックの「Dear Mama」を踏まえて、GFKが自分なり物語をラップしたようにも取れる。

リリシスト揃いのウータンのなかでもトップのスキルとランク付けられる彼の、子ども時代の苦労エピソードは壮絶だ。3ベッドルームの低所得者向け団地に親戚を含めて15人で住み、ゴキブリだらけのキッチンではシリアルに入れるミルクがないので水を入れ、夏休みは無料の配給ランチで生き延び、トイレットペーパーの代わりに新聞紙を使い…。

子ども時代のトニー・スタークス(GFKの別名)は「星を見上げながら、俺って生きている意味ある」とまで自問する。日本だと戦後並みの貧困に映るが、GFKは1970年生まれ。こうなるとヒップホップらしく、ブラガドーシオ(ほら)も混ざっているといいな、と思うほどだ。

All that I got is you / And I’m so thankful I made it through
頼れるのは母さんだけ/ありがとう 生き抜いたよ

というコーラスが泣かせる。喜怒哀楽がはっきりして、暴言を吐いても愛される昭和のおやじみたいなゴーストフェイス・キラーの原点がわかる。25才のときの曲。

 

3. Nas「Dance」(2002)

Nasの6枚目『God’s Son』の13曲目に収録された曲。2002年の4月7日にNasは母親のアンさんを乳がんで失ったため、暮れにリリースされたアルバムにはその影響が色濃く出ていた。ジェイ・Zとニューヨークの覇権争いをしている真っ只中でもあり、母を失った哀しみと、ジェイ・Zに対する殺気という相反する感情に満ちた傑作となった。

広く知られるように、Nasの父親はジャズ・ミュージシャンのオル・ダラだが、Nasが12才のときに両親は離婚、その後まもなく8年生(日本の中学生)で学校をドロップアウトし、その3年後にメイン・ソースの「Live At BBQ」の客演で頭角を現した。

「Dance」は「安らかに天国に行ったのはわかっているけれど、あと1回だけ一緒にダンスしたい」という亡き母への率直な心情を紡いだ曲。「Made You Look」や「I Can」など同アルバムの超有名曲に隠れてしまったが、R&B畑のチャッキー・トンプソンを起用し、父、オル・ダラの演奏で曲を締めているこの曲も心に沁みる。Nasが28才のときの曲。

 

4. カニエ・ウェスト「Hey Mama」(2005)

カニエ・ウェスト(Kanye West)のセカンド・アルバム『Late Registration』に収録された「Hey Mama」は、作った2年後に意味合いが大きく変わってしまったヘヴィなママ・ソングである。

もともとは、大学教授だった母ドンダさんに感謝を述べるシンプルな曲だった。カニエの両親は彼が3才のときに離婚し、母子でシカゴに移り住む。経済的には恵まれていたほうで、「補助付き自転車でも、マイケル・ジャクソンと同じレザー・ジャケットも手袋も買ってくれた」とラップしている(ただし、マイケルのようなカールの髪型はNG)。

お母さんの仕事の都合で、カニエ少年は10才のときに中国の南京に住み、当時は中国語も話せたそう。13才でラップを始めたときも、ドンダさんに頼み込んでスタジオを借りてもらい、その流れでメンターとなるプロデューサーのNo.ID.と15才で出会ってサンプリングを学んだそうだから、天才カニエの陰にこの母あり、という賢母だ。それまでは散々、大学中退を正当化していたカニエだが、この曲では「また学校に戻るから」と真逆のことをラップをしている。これは、母親を喜ばせるためにその可能性を完全には否定しない、彼なりの親孝行だと思う。

ところが、ドンダさんは2007年11月に美容整形手術の失敗により、58才で命を落としてしまう。博士号を持つ知的な女性が手術を甘く見て亡くなったため、アメリカでは大きなニュースになり、当時のカリフォルニア州知事、アーノルド・シュワルツェネッガーは「ドンダ・ウェスト法」として術前に必ず健康診断を受ける法律を定めた。

2008年2月のグラミー賞で、この曲をパフォームした際、カニエは「昨日、母さんの夢を見た、また眠るのが待ちきれない」というライムで始め、「もう俺にとっては夢の中が現実で、このグラミーのステージのほうが夢(非現実)だ」とのアドリブを入れて涙を誘った。それ以前もエゴが強すぎて舌禍事件を起こしているが、母親を失ってさらにバランスを欠いたと見る人は多い。悪名高いMTVアワーズでテイラー・スウィフト受賞スピーチ乱入事件はドンダさんの死後10カ月後の出来事だ。カニエほどの天才は、どの道を通っても才能を発揮しただろうが、仮に彼女が生きていたら、彼自身の人生観はだいぶ違ったのではないかとも思う。カニエが30才手前で作った曲である。

 

5. リル・ヨッティ「Momm」(2017)

おっと、平均年齢が40代になってしまった。ママ・ソングが数曲あって連作になっているジェイ・Zや、母親との関係が複雑で一筋縄ではいかないドレイクやエミネムを説明する字数がないので、最後は思い切って若いアトランタ出身のリル・ヨッティ(Lil’ Yachy)の「Momma」を取りあげよう。『Teenage Emotions』のアウトロで、シンガー・ソングライターのソニャエ・イリースがコーラスを歌い、最後に母親のヴェニータさんの言葉が入っている曲だ。

母親を讃え、「親友で俺の女王、何よりも大切、何でも買ってあげる」というリリックは、先輩たちから脈々から流れる「ママズ・ボーイ」スピリットを強く感じるものの、ヴェニータさんが「今まで出会ったどんな男性より多くを与えてくれた」と息子に向かって言うのは、共依存すれすれに思える。

リル・ヨッティは昔ながらのヒップホップよりも、ゲームやアニメの影響が強いアーティストだが、威勢の良さの裏側にある心の支えが母親の存在というのは変わらないのだ。それはまた、ブラック・コミュニティの構図が変わっていない証左とも言える。もちろん、違う点もある。実はヴェニータさんは、『Raising A Rapper』(ラッパーの育て方)という子育てアドバイス満載の本を上梓したばかり。リル・ヨッティそっくりで、おそらくゴーストフェイス・キラーらと同年代の彼女は、機を見てマネタイズする能力をもつ、いまどきの母親なのだ。「Momma」は、ヨッティが18から19才のときに書いた曲。

 

以上5曲、ヒップホップの母親に捧げる曲を紹介した。分析してみると、アーティストの生い立ち、人間性までわかって興味深い。シングルになりづらいタイプの曲だが、自分のお気に入りのアーティストの、家族をテーマにした曲をリサーチするのもおもしろいと思う。

Written By 池城美菜子(ブログはこちら



 

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