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70年代のエアロスミス:「クイーンに対するアメリカの解答がこれだ!」と宣伝された当時の空気

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オリジナル・アルバム全20タイトルが、ミニLP仕様の紙ジャケットのスタイルで復刻されることが発表され、第1弾として初期7枚が2025年7月30日に発売となったエアロスミス。

そんな彼らの最初の7枚について、音楽評論家の増田勇一さんにコラムを執筆いただきました。

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キッス、クイーン、エアロスミス

記憶をほじくり返しながら私情丸出しで何かを書くとなれば、そこで採り上げる出来事のひとつひとつについて裏付けが不可欠になってくる。それが今から50年も前の話ということになってくると、まずは当時の僕自身がどんな状況にあったかを説明しなければならないだろう。

1961年2月生まれの僕は、1975年の春には中学3年生になっていた。その1~2年前にラジカセを手に入れてこっそり深夜放送を聴くようになり、洋楽に対する興味が少しずつ膨らみつつあった頃のことだ。とはいえその興味というのは、純粋に音楽的なものであると同時に、未成年が手を出すことを禁じられているもの全般に向けてのそれにも近いところがあったようにも思う。

そうした動機のあり方はともかく、1975年の初めから僕は、当時のラジオ関東で毎週末の深夜に放送されていた『全米トップ40』を聴くようになった。初めて聴いた週の1位はカーペンターズの「Please Mr. Postman」だったはずだ。その記憶が正しいか否かを確かめてみようと思ってあれこれ検索してみると、その前年の11月にリリースされていたそのシングルは、確かに1975年1月25日付けのチャートで頂点に達していたようだ。

同じ年の夏には『ミュージック・ライフ』(以下ML)誌を購読するようになっていた。それは、興味を持ち始めたアーティストがどんな人たちなのかを知りたいというごく自然な欲求からだったように思う。正確に言うと初めてリアルタイムで購入したのは1975年8月号で、表紙を飾っていたのはウィッシュボーン・アッシュだった。とはいえ当時の僕にとって彼らの印象は「いかにも目上の人たちが好みそうな、自分には無関係そうなバンド」というもので、その号を手に取った理由は「日本は僕らの第二の故郷だ!」という見出しが付いたフレディ・マーキュリーの記事(同年4月の初来日時の体験を語ったもの)、『Venus And Mars』のリリースを受けてのポール・マッカートニーのインタビューが掲載されていたことにあった。

ちなみに同号の巻頭は「クイーンの休日」みたいなグラビアだった。70年代の後半においてクイーンとキッス、エアロスミスは「三大人気グループ」的な存在になっていくが、それはちょうど、そんな時代の序章のような時期だった。クイーンはすでに人気バンドの仲間入りを果たしていたが、キッスとエアロスミスについてはようやく日本盤がリリースされるようになったばかりだったのだ。しかもアルバムが発売順どおりに登場したわけではなかった。

 

遅れをとっていたエアロスミス

実際、前述の“初めて買ったML誌”には、キッスが第3作の『Dressed To Kill(地獄への接吻)』をもって7月25日に日本デビューする旨を伝える広告が掲載されている。そして同じ号には、エアロスミスの『Toys In The Attic』の発売広告もみられるのだが、キッスが1ページの全面広告であるのに対して、彼らはブルー・オイスター・カルトと半ページずつという扱いだった。

エアロスミスにとって第3作にあたる『Toys In The Attic』はアメリカ本国ではその年の4月に発売されていたが、日本盤がリリースされたのは同年7月21日のことだった。邦題は『闇夜のヘビイ・ロック』、“ヘヴ”でも“ヘビー”でもなく“ヘビ”だった。そしてその広告ページには「クイーンに対するアメリカの解答がこれだ!」という宣伝文句が躍っていた。

ただ、実はそれに先駆けて同年5月には第2作の『Get Your Wings』も『飛べ!エアロスミス』の邦題で日本発売を迎えている。こちらは米本国よりも14ヵ月遅れでのリリースだったが、要するに『Toys In The Attic』の登場を機に日本でも本腰を入れてエアロスミスを売っていこうということになり、その序章的に前作も紹介しておこうという流れだったのだろう。

 

エアロスミスはニューヨーク出身?

ちなみに、あとからバックナンバーを手に入れたMLの同年6月号にはその第2作の発売広告もみつけることができるが、そこには「ハード・ロックはブリティッシュに限るという定説は今、破られようとしている」という興味深いコピーとともに「ニューヨークの悪たれ不良五人組」という記述がみられる。

エアロスミスの本拠地とされるべきは、言うまでもなくボストンだ。そこには関東近郊のバンドを東京出身ということにしてしまうような軽めの詐称の匂いもするが、それ以上に感じさせられるのは、当時の日本においては「アメリカといえばニューヨーク、ニューヨークといえばすごい場所」という認識が強かったのだろうということだ。

しかもここで「ボストンの不良」などと言うと学園都市で暮らす大学生のような印象も伴ってくるが、それよりは摩天楼を見上げる路地裏に生息するワルどものようなイメージのほうがロック・バンドとしては好ましいはずだ。おそらくは、そうしたところでの判断だったのだろう。

 

「Sweet Emotion」と『Toys In The Attic』

僕が初めてエアロスミスの楽曲を耳にしたのは『全米トップ40』を聞いていた時のことだった。つまり彼らの曲がシングル・チャートの40位圏内に入ってきたのだ。それは偶然にも初めてML誌を購入したのと同じ1975年の夏のことだった。

『Toys In The Attic』からシングル・カットされた「Sweet Emotion」が36位にランクされたのだった。正直なところ、「強烈なインパクトに一発でノックアウトされた」という劇的な出会いにはならなかった。中学3年生の僕にとって、どんよりとした雰囲気の同楽曲の第一印象はさほど鮮烈なものではなかったし、当時の“やりたい気持ち”という邦題にも、街で成人映画のポスターを目にしてしまった時のような気恥ずかしさをおぼえたものだ。

ただ、それは裏を返せば「実は興味津々なのだが、まだ踏み込んではいけない領域であるように思えた」ということでもあったのかもしれない。禁断の領域、というやつだ。少年期の僕にとってエアロスミスはまさにそんな存在だったのだと思う。

Aerosmith – Sweet Emotion

その後、最初はピンとこなかったはずの「Sweet Emotion」のリフが忘れられなくなり、発売から何ヵ月か経った頃に『Toys In The Attic』を購入し、1曲目に入っていた表題曲のスピード感にやられた。

Toys In The Attic

 

“今”のバンドだったエアロスミスと『Rocks』

そして翌1976年、第4作の『Rocks』が登場する頃には、自宅の最寄り駅近くのレコード店のお兄さんともすっかり顔馴染みになっていて、発売当日にそこで同作を手に入れた記憶がある。

当時の僕の自室の壁には、その店でもらったクイーンとキッス、エアロスミスのポスターが貼ってあり、狭い部屋をより狭苦しい印象にしていた。それを目にした母親に「この怪獣みたいな人たちと汚らしい人たちはともかく、この女々しい感じの人たちのポスターはいかがなものか」とクレームをつけられたことがあった。どの言葉が誰を指しているのかは言うまでもないだろうし、実際には「女々しい感じ」どころではなくもっと露骨な言葉を吐かれたのだが、高校生になっていた僕はささやかな抵抗を示すべくそれには従わずにおいた。

母からすればそれは反抗期もしくは不良化の兆しのように映ったかもしれないが、僕自身には反抗期もグレた時期もなかった(と自分では思っている)。ただ、どこかに不良願望のようなものを抱えていたところは間違いなくあったはずだし、それを満たしてくれていたのがエアロスミスだったように思う。

校舎の裏でタバコを吸うこともなければ、友達同士で酒を回し飲みすることもなかった。こっそり大人向けの雑誌を見ることぐらいはあったように思うが、あくまで健全な高校生活の中で、音楽趣味の合う友人たちと休み時間にML誌を眺めながら他愛のない話をするのが何よりも楽しかった。

ビートルズやローリング・ストーンズが偉大な人たちだというのは知っていたが、それはむしろ「エジソンは偉い人」というような次元のことだったし、歴史をさかのぼるよりは“今”を知りたかった。「レッド・ツェッペリンやディープ・パープルこそがホンモノだ」みたいなことを訳知り顔で言う上級生も少なくなかったが、そうした先駆的な人たちよりも“三大バンド”のほうが僕には身近でわかりやすく、しかもカッコ良く思えたのだった。

ただ、『Rocks』に夢中になり、未聴だった1stアルバムも後追いでしっかりと聴き、徐々にエアロスミスの音楽に深入りしていく中で、彼らが先人たちから受け継いできたものを断片的に知るようになり、それなりの探求心めいたものが芽生えてきたことも間違いなかった。

そうした意味では、僕はこのバンドに対してある種の恩義みたいなものを感じているところさえある。つまり当時の僕にとって最新でリアルだったエアロスミスの音楽は、そのまま僕自身にとってのルーツの一部となり、それ以前の音楽を掘り下げていくうえでの入口となったのだ。しかも自分自身が成長していくにつれ、当時は気付かずにいたそれ自体の深みを知っていくことになった。生涯を通じて付き合うことのできる音楽というのは、そういうものなのではないかと思う。

Aerosmith – Back In The Saddle (Audio)

 

初期の7枚

彼らが70年代から1982年までに発表した7枚のオリジナル・アルバムについて、たとえば好きな順に並べてみようとすると、以前はやはり『Rocks』と『Toys In The Attic』が常に首位争いをしていたものだし、今でも無意識のうちにその2枚を選びがちな傾向が僕にはあるが、それ以下の並びは少しずつ変わり続けてきた。

どの作品にもそれにしかない味わいがあるし、かつて聴き始めの頃は「ちょっと地味かも」と感じていた『Get Your Wings』や『Night In The Ruts』に妙に心惹かれることも時間が経つにつれ増えていった。ジョー・ペリー不在期の『Rock In A Hard Place』に関しても、リリース当時は「このアルバムを認めていいのか?」といったファン心理ゆえの疑問をおぼえ、素直に受け入れられないところがあったが、やはり同作にしかない魅力というものがある。

そして今現在も、いずれかのアルバムを聴き始めるとそれ1枚のみでは終わらず、延々とエアロスミスばかりを聴き続けることになりがちな傾向が僕にはある。思えば長い付き合いになったものだ。

もちろんこの時代ばかりではなく、どんな時代の彼らにも思い入れがあるが、予備知識も先入観もろくにない状態でこのバンドの音楽に触れることができたのは幸運だったし、当時の自分の選択は間違っていなかったのだと思っている。そして当然ながら、どんな時代にもエアロスミスはさまざまな刺激や発見、思考をもたらしてくれた。いわゆる大人になってからも、それは変わらない。そのあたりについては、また機会を改めて書かせていただくことになりそうだ。

Written By 増田勇一


エアロスミス
全20タイトルがミニLP使用・紙ジャケ・リマスターにて発売
第1弾7タイトル: 2025年7月30日発売
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