ベートーヴェンはロックスターである。その理由を楽曲と生涯から辿る by 水野蒼生【連載第3回】

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2020年はクラシックの大作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕250周年の年。そんな彼は現代でいうとロックスターだった?

巨匠カラヤンを輩出したザルツブルクの音楽大学の指揮科を首席で卒業し、その後国内外で指揮者として活躍。一方で、2018年にクラシックの楽曲を使うクラシカルDJとして名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからクラシック音楽界史上初のクラシック・ミックスアルバム『MILLENNIALS-We Will Classic You-』をリリース。先日にはベートーヴェン・トリビュートの新作アルバム『BEETHOVEN -Must It Be? It Still Must Be-』を発売するなど、指揮者とクラシックのDJという両輪で活躍している水野蒼生さんによる寄稿、その連載第3回です。(第1回第2回


 

未踏の頂、オペラへの挑戦

1805年、前代未聞の大作であった交響曲第3番《英雄》の初演を終えたベートーヴェンは既に次なる大作の作曲を進めていた。もうウィーンに来て10年以上になり、これまでに発表してきた作品は50作以上の作品を生み出していた。ピアノ曲、室内楽曲、協奏曲、そして交響曲と今まで多様なジャンルで音楽界に衝撃を与え続けてきたベートーヴェンだったが、そんな彼にもまだ未到達のジャンルが一つあった。

それが、オペラ。今でこそオペラと聞くと高級感あふれるオーセンティックな印象が強いが、当時のオペラは現代でいうところの映画のようなもの。歌劇場は毎晩何かしらの演目が上演されるいわば映画館のような役割を果たしていて、貴族だけでなく市民にも馴染みのあるエンターテインメントとして人気を獲得していた。オペラはファンが多いこともあって口コミは広まりやすく、ロングランになれば収益も大きい。ベートーヴェン自身もオペラに対する期待度は高く、モーツァルトとライバル視されていた大オペラ作曲家、サリエリに10年近くオペラや歌の作曲技法を習ってきている。しかしこれまでチャンスに恵まれずそのスキルを活かすことはできずにいた。

ベートーヴェンの元にオペラの題材が持ち込まれたのはまさに《英雄》の作曲中のこと。手渡されたその台本はフランスの一地域を納める知事でもあった人物、ジャン・ニコラス・ブイイによるもので、そのストーリーはフランス革命の思想に影響を受けた内容だった。

「レオノーレ」というタイトルのその台本のあらすじは、権力に抗ったため政治犯として投獄されたフロレスタンをその妻レオノーレが救い出す救出劇。レオノーレは男装して自身を「フィデリオ」と名乗り刑務所に看守として潜入。危機一髪のところでフィデリオは正体を明かしフロレスタンを守り、紆余曲折あった後二人は揃って解放されハッピーエンドを迎えるというもの。

ベートーヴェンはこの台本を気に入り依頼を快諾。そうして遂に未踏の頂だったオペラへの挑戦が始まる。しかしその頂までの道はとてつもない険しさだった。

 

度重なる試練

1805年の秋、オペラ《レオノーレ》は無事に書き上げられ、劇場での稽古も無事にスタートした。
しかしそこで最初の試練が訪れる。

ベートーヴェンたちが稽古に明け暮れる中、歌劇場に上演不許可の一報が届いた。当時のウィーンには検閲があり、絶対王政だった神聖ローマ帝国にとって共和制を謳うフランス革命の思想は検閲対象になっていた。《レオノーレ》はまさにその思想から影響を受けた作品。制作陣は舞台背景を変えたり、台本の台詞をぼかすなど検閲から潜り抜ける試行錯誤を行ったが、不運なことに検閲官には真の意味が暴かれてしまった。

しかし頑固者で強情の芸術家のベートーヴェンはそんなことで諦める性格では無い。劇場の仲間もなんとか上演できるように奔走してくれたこともあり、一部の改変を条件になんとか上演はできることになった。それでも肝心の観衆からの評価が出るのはこれからだ。胸を撫で下ろす精神的余裕はベートーヴェンにはとてもなかっただろう。そこに更なる障壁がベートーヴェンの前に立ちはだかる。

ナポレオン軍が神聖ローマ帝国を破りウィーンに進軍してきたのだ。知らせを聞きつけたウィーン市民は一目散に避難して街はもぬけの殻になり、数日前まで活気溢れていた広場はフランス兵に占拠された。

そんな最悪の状況の中で《レオノーレ》は初演を迎えた。ベートーヴェンをいつも支えてきたファンはほとんどいなく劇場内は閑散としていて、わずかなオーディエンスのほとんどは街を占拠したフランス兵たち。

案の定、初演は酷い結果に終わってしまった。いくらフランス革命の理念をリスペクトしたオペラであっても上演はドイツ語、フランス軍の客には伝わらない。それだけでなく観に来ていた僅かなベートーヴェンの友人達からの意見も決して喜べるものではなく、上演は当然のように打ち切られてしまった。

 

「レオノーレ・リベンジ」

ベートーヴェンは一度作品を世に出してから再び手直しをする、ということを滅多にしない作曲家だ。しかし今作《レオノーレ》は2回の改訂がされている。オペラは特に大衆受けすることが重要なジャンルでもある上、満を持してトライしたオペラが不遇な結果で終わるのは納得できないと思うのは当然のこと。「レオノーレ・リベンジ」は不運の初演後すぐにスタートし、1度目の改訂版は初演から半年も経たずに上演された。1806年の春、フランス兵も引き上げウィーンに活気が戻ってきたため客入りも良く、この上演は大衆からもまずまずの評価を得た。それでも結果的にロングラン上演には至らず、その後《レオノーレ》はお蔵入りになってしまう。

ようやくこのオペラが脚光を浴びるのはそれから8年後のこと。ベートーヴェンは2度目の大幅な改訂を施し、オペラのタイトルも《レオノーレ》から《フィデリオ》に変わった。1814年にそれが上演されると3度目の正直で《フィデリオ》は爆発的な人気を得てついにロングラン上演の権利を獲得することになる。


創作の日々

ここで再び時を1806年に戻そう。大逆転を夢見たオペラの再演も満足いく結果にはならず、昨年の戦争でナポレオン軍に惨敗した神聖ローマ帝国は消滅。国も財政難となったこともあり、ベートーヴェンは金銭面の不安を抱えていた。なんとか定収入を得ようと考えたベートーヴェンは劇場の座付き音楽家のポジションを求めるが、予想外なことにこれも拒否され、どん底の日々が続く。

それでも創作は止まらない。経済面だけでなく、政治、経済、そして体調、これらの不安に葛藤しながらもベートーヴェンは超人的な速度と集中力で作曲を続けた。1806年からわずか2年間で書かれた作品の数は20曲以上。その中には《運命》や《田園》、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、序曲《コリオラン》など現代においても超人気作の数々も含まれていた。そんな創作エネルギーに満ち溢れていたベートーヴェンは1808年のクリスマス直前、書き溜めた新作を一気に初演するという常識破りな「アカデミー」と称されたコンサートを企画する。

「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 大音楽アカデミー」
プログラム
・交響曲第6番
・アリア(作品65)
・ミサ曲(作品86)からグローリア
・ピアノ協奏曲第4番
-休憩-
・交響曲第5番
・ミサ曲(作品86)からサンクトゥス、ベネディクトゥス
・合唱幻想曲

通常のオーケストラのコンサートでは序曲一つ、協奏曲一つ、その後休憩を挟んで交響曲を一つ、というプログラムが基本になっている。しかしこの夜演奏された曲はその何倍もの量!しかも全てが初演ということで、これだけの新曲を一晩でこなすことは演奏者にとって凄まじい負担になる。案の定、コンサートの最後を華々しく飾るはずだったピアノ+オーケストラ+合唱という特大編成の《合唱幻想曲》は演奏途中に崩壊し、初めから演奏し直す始末。結果的にこのコンサートは合計5時間以上の常識破りの長さとなり、オーディエンスは真冬の劇場の硬い座席で凍えそうになりながら、まるで苦行のように演奏が終わるのを待ち続けていた。

初演が散々だったにもかかわらず、この日演奏された作品の評価はすぐにあがっていく。パリで交響曲第5番《運命》が初演された時にはフランスを代表するロマン派作曲家ベルリオーズがその演奏を聴いていて「雷鳴が次から次へと続き電光を前後に投げつけながら旋風を起こしているみたいだ!」とその衝撃を書き記している。

この頃、ベートーヴェンの名はすでにヨーロッパ全土に響き渡っていた。抱えていた経済的な不安も貴族の友人たちの計らいで解消され、神聖ローマ帝国は滅んだが新たにオーストリア帝国が生まれウィーンの街は戦乱前の賑わいをすっかり取り戻していた。こうして経済的にも政治的にもようやく安定した生活を送れるようになるが、その日々も長くは続かない。ウィーンの城壁の外側、再びナポレオン軍の行進の音が聞こえてくる。

Written by 水野蒼生


おすすめの作品

小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ『ベートーヴェン: 交響曲第7番、レオノーレ序曲第3番』
2020年9月2日発売
CD / iTunes /Amazon Music / Apple Music / Spotify


レナード・バーンスタイン『ベートーヴェン: 歌劇《フィデリオ》』
2020年9月9日発売
DVD

 



水野蒼生『BEETHOVEN -Must It Be? It Still Must Be-』
2020年3月25日発売
CD / iTunes / Apple Music / Spotify




 

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