Classical Features
マックス・リヒター最新作を最高峰の音響で体験した一夜&楽曲解説

マックス・リヒター最新作のリスニングパーティーをレポート。最高峰の音響でアルバム全編を体験した特別な一夜を振り返るとともに、楽曲解説を紹介する。
マックス・リヒターのニュー・アルバム『While The Flood Rages』の発売を記念したリスニングパーティーが、10月22日(木)、東京・渋谷のリスニングバー「濤 TOH」で開催された。
本イベントは、ロンドン、パリ、ニューヨークなど世界各地で展開された「WTFR Global Listening Events」の東京開催。参加者が日常の喧騒やデジタルデバイスから離れ、ひとつのアルバムにじっくりと耳を傾ける、親密なリスニング体験を届ける企画だ。
世界最高峰の音響を備えた会場― 濤 TOH
会場となった「濤 TOH」は、渋谷にひっそりと佇む、住所非公開・紹介制のリスニングバー。〈NUBIAN〉代表のCOMBO氏がプロデュースし、トラフ建築設計事務所が空間設計を手がけた、音楽を深く味わうための特別な空間だ。薄暗い店内には、ニューヨークのスピーカーブランド〈OJAS〉による特注スピーカーをはじめ、こだわり抜かれたオーディオ・システムを設置。親密な空間の中で、音の細部や響きの余韻までじっくりと感じることができる。

ひとつながりの音の物語を味わう
イベントは、マックス・リヒター本人から寄せられた音声メッセージでスタート。その後、全15曲・3幕からなる『While The Flood Rages』が、アルバム本来の流れのまま全編にわたって再生された。
『While The Flood Rages』は、マーガレット・アトウッドの〈マッドアダム〉三部作に着想を得た、振付家ウェイン・マクレガーとのバレエ作品『MADDADDAM』から生まれた作品。海や機械の録音、ピアノ、オーケストラ、合唱、エレクトロニクスが溶け合い、環境危機やテクノロジーの加速に揺れる世界で、人と人とのつながり、変容、そして未来への希望を描き出している。
海の録音から生まれた鼓動のような音で幕を開ける「Wave After Wave」から、アルバムを締めくくる「Now We Can Sing」まで、およそ70分。参加者は「濤 TOH」の音響に身を委ねながら、楽曲を断片としてではなく、ひとつながりの音の物語としてじっくりと味わった。

さまざまな角度からアルバムの世界に触れる
会場ではウェルカムドリンクのほか、アルバムの世界観や制作背景、アートワークなどを紹介したオリジナルZINEも配布。音楽だけでなく、さまざまな角度から『While The Flood Rages』の世界に触れる一夜となった。
本記事では、ZINEから楽曲解説をご紹介。『While The Flood Rages』を聴きながら、ぜひその音の世界をより深く味わっていただきたい。
Written By uDiscover Team
マックス・リヒター『While The Flood Rages』解説
文:アナヒド・ネルセシアン
最初にあるのは静寂。やがて、鼓動が聞こえてくる。速く規則正しい間隔で、力強く脈打つ。それは生命の音だ。しかし、その鼓動はひとつの生き物に属するものではなく、自然の力そのものに属している。潮の満ち引きや海流、頭上でうねる波を水中で録音してつくられた、海の鼓動である。
渦を巻くようなその脈動は、超音波検査を思わせると同時に、私たちの誰ひとりとして覚えてはいない記憶も呼び起こす――羊水を震わせて響く母親の心臓の鼓動を、胎内で聞いていた記憶である。私たちは塵から生まれたと言われる。だが実際には水から生まれ、一年の大半をその中に抱かれて過ごす。人類という種そのものも海から生まれ、その深みから滑り出るように岸へと上がった。
マックス・リヒターの『While The Flood Rages』は、ここから始まる――「Wave After Wave」、そして海と砂が出会う場所から。(ここには、もうひとつの「始まり」の面影も潜んでいる。耳を澄ませば、リヒターのデビュー・アルバム『Memoryhouse』からのひとつの音が「Wave After Wave」に織り込まれ、アルバムの冒頭にこだましているのが聞こえるだろう。)
『While The Flood Rages』は、マーガレット・アトウッドの同名三部作を翻案したウェイン・マクレガーのバレエ『MADDADDAM』のために、リヒターがマクレガーとともに制作した音楽から生まれた組曲である。同時に、元のスコアを新たな姿へと変容させ、ひとつの独立した作品として再構築したものでもある。
アトウッドの小説と並走するもうひとつのテキストとして、本作は、複製、クローニング、変容というテーマを、作曲上の原理とモチーフにまで高めている。そして、絶えず進化し続ける音の風景を築くことによって、地球上で生きるための新たなあり方を示す。ここでは自然音、オーケストラの響き、エレクトロニック・サウンドがひとつになり、有機的なものと人工的につくられたものが、常に調和するわけではないにせよ、少なくとも手を携えながら共存しうる世界の姿を描き出している。
「Wave After Wave」に続いて、私たちは〈マッドアダム〉三部作の舞台となる終末後の世界へと足を踏み入れる。アトウッドの物語のスケールは壮大だ。かいつまんで言えば、遺伝子操作によってつくられた「クレイカー」と呼ばれる人型生物と世界を分かち合いながら、終末後を生き抜こうとする、さまざまな人間たちの冒険を描いた物語である。
アルバムを通して私たちが出会うのは、自然と同じくらい、あるいは自然以上に、テクノロジーによって形づくられた環境だ。第2曲「Their Eerie Music」が指しているのは、クレイカーたちである。彼らは穏やかで子どものように無邪気でありながら、それでもなお、人を不安にさせる存在だ。この曲には、コンピューター内部から発せられる電磁波を録音した音が用いられている。それによって示唆されるのは、海と同じように、機械にも――そしてクローンにも――鼓動があるということだ。突き詰めれば、何が生み出したものであろうと、音波はただの音波にすぎない。あらゆる音は、身体が周波数に包み込まれるような出会いを通して、同じように私たちの耳へと届く。
タイトル曲「While The Flood Rages」でリヒターが思い出させるのは、世界史の目には映らないところで、個々人の喜びや悲劇が絶えず起きているということだ。沈鬱な弦楽を伴う、ピアノを軸としたこの繊細な曲は、W・H・オーデンの詩「Musée Des Beaux Arts(美術館)」と同じように、あることを私たちに教えてくれる。オーデンの言葉を借りれば、「片隅」や「どこか雑然とした場所」で、人々は今も恋に落ち、失恋している。少なくともそのひとときは、文明の行く末など気にも留めずに。
この間奏的なひとときは、「The City Was A Chaos」へと道を譲る。重厚なインダストリアル・ビートと、神経を逆なでするような金属音が呼び起こすのは、アトウッドのディストピア世界を脅かす、暴力的な人間のならず者集団――ペインボーラーたちである。「Sensorium」では、再びクレイカーたちと、その不気味な歌声のもとへと戻る。そこに重なる、ぱちぱちと弾けるような電子音は、人間でもアンドロイドでもない、彼らのハイブリッドな性質を浮き彫りにする。
アルバム全3幕のうち、第1幕を締めくくるのは「Quiet」である。ここで初めて、ピアノにフィドルとチェロを添えた音楽的モチーフが登場する。このモチーフはその後、下降する子守歌のような旋律となって二度回帰し、それまでの混沌に均衡の感覚をもたらす。
第2幕で登場するのは「神の庭師たち(God’s Gardeners)」である。彼らは善意の環境保護主義者であり、生態系の危機に対するひとつの応答を体現している。「Tell the Bees」は、虫たちの羽音と鳥のさえずりを収めたフィールド・レコーディングで幕を開ける。やがてそれは、ジョニ・ミッチェルの1974年のアルバム『Court and Spark』に収められていても違和感のない、真摯なギターの響きへと移っていく。しかし、この牧歌的な情景は、「Data Ballistics」によって容赦なく断ち切られる。リヒターがテレビのニュース放送から録音した、轟く銃声を取り入れた恐ろしい一曲だ。
「Oh Let Me Be Not Proud」の心のこもった賛歌では、再び庭師たちが姿を現す。リヒターの自宅近くを拠点に活動するアマチュア合唱団の歌声が、言葉のない旋律を歌う一方で、コンピューターはごぼごぼとうなり、ブーンと音を立てる。人間と機械という大きく異なる二つの響きは、やがて一種の調和へとたどり着く。
「A Sweet Air」では、「Quiet」の旋律が再び現れる。だが、まったく同じではない。テンポはわずかに均衡を崩し、ピアノの旋律には遠くから聞こえる電子音のうなりが霞のように重なっている。フィドルとチェロは、まるで風景から人物だけが切り取られたかのように、姿を消している。それでも、それが元の旋律であることはわかる。それは、人間ではないクレイカーたちが、小説の中で、私たち人間の最良の部分を新たなかたちで受け継いでいることにも似ている。
「Quiet」の反復によって、リヒターは聴き手に、音楽が徐々に進化していく過程を見つめさせる。そしてそこからさらに、ひとつの難しい問いについて考えるよう促す――人類もまた、自らとこの惑星を破壊してしまう前に、進化することができるのだろうか。
「Amniotic」では、クレイカーたちが次第に存在感を増していく。その声はより自信に満ち、不穏さも薄れていく――それとも、単に私たちが彼らに慣れてきただけなのだろうか。アトウッドの三部作で特筆すべきなのは、人間が人型生命体に取って代わられていくことを、彼女が嘆いてはいないという点だ。むしろ彼女は、人間がいないほうがよい世界になったとしても、そこには私たちの何かが残り続けるのだと示唆する。
リヒターは、この複雑な命題を「Dawn」で劇的に描き出す。膨らんでいく弦楽の響きが、「Wave After Wave」のいくつかの旋律へと私たちを連れ戻す。それは、生命そのものが複製と発展の物語であること――ひとつのものが時間をかけて、ゆっくりと別のものになっていく物語であること――を思い出させる。ここには確かな希望がある。弦楽が静まり、やがて沈黙すると、「Background Radiation」で再びクレイカーたちが前面に現れる。
彼らは、これから同じ惑星を分かち合う人間たちに向けて、哀悼とも歓迎とも、あるいはその両方ともとれる歌を歌う。その歌は途切れることなく、庭師たちのもうひとつの賛歌「My Body is an Earthly Ark」へと移り、さらにアルバム最後の曲「Now We Can Sing」の、まさに最初の音へと静かにつながっていく。この曲は同時に、「Quiet」の旋律が最後に奏でられる場でもある。
「A Sweet Air」では追放されたかのように姿を消していた弦楽が、今度はフル・オーケストラを伴って帰ってくる。そして音楽は、雄弁なクライマックスへと高まっていく。そこでは未来はなお可能なのだと感じられ、現在もまた、あらゆる欠点を抱えながら、それでも愛するに値するものとして響く。クレイカーたちの甘く、この世のものとは思えないほど滑らかな歌声が消えていくとき、彼らは私たちを闇の中へではなく、まだ輪郭の定まらない世界へと導いているように思える。
彼らは希望を携えて、私たちをそこへ導く。なぜなら彼らは、歴史という重荷を背負わず、自らのうちに暴力や憎しみを生み出す能力も持たない、新しい生命だからだ。
私たちとは違い、彼らは無垢である。しかし同時に、人間もまた、これまでとは異なる選択ができるのだということを思い出させてくれる存在でもある。私たちは決して無垢にはなれない。それでもまず、害をなさないことを選ぶことはできるかもしれない。それは、よい第一歩になるだろう。
■リリース情報
マックス・リヒター『While The Flood Rages』
2026年10月30日 (金)リリース
CD / iTunes / Apple Music / Amazon Music / Spotify
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