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史上最高のファンク・アルバム・ベスト40:歴史に残る名盤たち
史上屈指の傑作ファンク・アルバムの数々には、一つ共通していることがある。それは、聴く者を”楽しみたい気分にさせる”ということだ。
数十年のあいだに、このジャンルからは卓越したアーティストが数多く登場した。ジェームス・ブラウン、パーラメント/ファンカデリック、リック・ジェームスらはその最たる例である。また、ファンクの要素を独自の音楽に昇華させたアーティストたちもいる。この分野で頭に浮かぶのは、プリンス、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダーといったところだろう。
以下のリストではこのジャンルを代表する素晴らしいアーティストたちに敬意を表し、なるべく多くの面々を取り上げるために、一組につき一作のみを選出している。決してすべては紹介し切れないが、史上最高のファンク・アルバムをまとめたこのリストを楽しみながら、さらなる発見のきっかけにしてもらえればと思う。
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40位: マーク・ロンソン『Uptown Special』
2015年にリリースされ、驚異的なヒットを記録したこのマーク・ロンソンのアルバムは、ファンクの歴史を一作の中で振り返りつつ、このジャンルを21世紀に見事に蘇らせた作品だった。
昔ながらのスタイルを現代風に作り変えたダンス・チューン「Uptown Funk」が収録されていることで知られるが、オープニング・トラックとクロージング・ナンバーには、ファンクの歴史の初期から活躍する巨匠、スティーヴィー・ワンダーが参加している。
39位: アヴェレイジ・ホワイト・バンド『AWB』
スコットランドで一番ファンキーなグループであるアヴェレイジ・ホワイト・バンド 。彼らの功績としてもっともよく知られているのは、伝説的存在であるアリフ・マーディンのプロデュースを得てアトランティックからリリースしたミリオン・セラー・シングル「Pick Up The Pieces」ということになるだろう。
しかしながら関係者全員が同曲のヒットを確信していたわけではなかったという。AWBのマルコム・”モリー”・ダンカンはこんな風に回想している。
「”きみたちは完全にイカれているよ”って俺は言ったんだ。”スコットランド人が演奏するファンクのインストゥルメンタルで、しかも叫び声以外は歌詞もない曲だなんて”ってね」
38位: リー・フィールズ『Let’s Talk It Over』
『Let’s Talk It Over』は熱心なファンク・ファンから愛される、ある種のカルト的傑作だ。リー・フィールズが1979年に発表したこのアルバムは、クール&ザ・ギャングに在籍したこともあるこの男が、ソロ・アーティストとしても脚光を浴びるに相応しいことを示していた。
ジェームス・ブラウンからの影響は全編を通して明らかだが (フィールズは2014年に公開されたJBの伝記映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』にヴォーカルで参加してもいる) 、「Mighty Mighty Love」や「She’s A Lovemaker」などの楽曲には、昔ながらのソウルやファンクへの愛もはっきりと表れている。
37位: レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『Blood Sugar Sex Magik』
本人たちも認めている通り、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは波乱に満ちた形で1980年代終盤を締めくくったのち、暗黒の時代を迎えていた。しかし、彼らにファンク・アルバムを作り出す能力があると信じていたプロデューサーのリック・ルービンは、その制作をメンバーたちに勧めた。
シンガーのアンソニー・キーディスはそのプロセスについて「人生でもっとも美しい音楽制作体験だった」と語っている。
36位: ジェイムス・テイラー・カルテット『Wait A Minute』
1980年代中盤にイングランド南東部から素晴らしいファンク・サウンドの作品が登場するとは、世間の人たちは予想していなかったことだろう。しかしながらそんな作品が現実に存在する。
筋金入りのモッズであるオルガン奏者のジェイムス・テイラーとその仲間たちが鳴らすジャズ・ファンクは、ブッカー・T&ザ・MG’sのそれを想起させるものだった。他方、「The Theme From Starsky And Hutch」の彼らのヴァージョンは、ファンク史に残る名演として正当な評価を受けている。
35位: テンプテーションズ『All Directions』
モータウン・レコードに「My Girl」のヒットをもたらしたこのグループは、過去の栄光に決してあぐらをかかなかった。彼らは、時代の移り変わりに合わせてスタイルやメンバーを変化させていったのである。そしてファンクの源流であるサイケデリック・ソウルのサウンドを開発した彼らには当然、自らがもたらした革新の利益を享受する権利があった。
そんな本作『All Directions』のハイライトは、アンディスピューテッド・トゥルースの楽曲を約12分の大曲に仕上げた「Papa Was A Rolling Stone」である。
34位: ハービー・ハンコック『Head Hunters』
これはジャズなのか?ファンクなのか?エレクトロニック・ソウルなのか? ―― ハービー・ハンコック自身は、ニューヨーク・タイムズ紙に以下のように語っている。
「ジャズが廃れないのは……自由で懐が深くて、ほかのジャンルに影響を与えるだけじゃなく、ほかのジャンルからの影響を取り入れていくこともできるからだ」
つまり、どんな風にカテゴライズしても構わないが、これが驚くべきアルバムであることに変わりはないということである。
33位: グラハム・セントラル・ステーション『Graham Central Station』
元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グラハムは、ホット・チョコレート (英国の同名バンドとは別のグループ) というバンドに加わり、このグループの名前をグラハム・セントラル・ステーションに改めている。
彼はマンハッタンにある有名なターミナル駅をもじって、この名前を選んだのだった。そんな彼の華やかなベース・プレイを前面に押し出したこのアルバムには、実にファンキーなポップ・ソウル・ナンバーが並んでいる。
32位: キャメオ『Word Up!』
キャメオは評価の高いファンク・アルバムを数多く作り出したのち、1986年に世界的な大ヒット作『Word Up!』を発表 (このアルバムの次は1977年のデビュー作『Cardiac Arrest』を聴き、そのままディスコグラフィーを順に追っていくのがお勧め) 。
彼らは、時代に合わせてスタイルを変化させていく能力に長けていた。そのため80年代を通じて、ヒップホップやR&Bを聴いて育った若者たちからも人気を集めることができたのである。
31位: コモドアーズ『Machine Gun』
ファンクと聞いて、モータウンのことが真っ先に思い浮かぶことはまずないだろう。そして、コモドアーズが「Easy」や「Three Times A Lady (永遠の人に捧げる歌)」をはじめとする柔らかなバラードのグループだと思っている人は、彼らの1974年作『Machine Gun』を聴いて驚くはずだ。
クセになるそのサウンドがたびたび模倣されてきたインストゥルメンタルのタイトル・トラックはもちろん、「I Feel Sanctified」も非常にファンキーな楽曲である。
30位: サイマンデ『Cymande』
“史上最高のファンク・アーティスト”のランキングに入ってくる英国のグループは多くないが、サイマンデが外れることはあり得ない。ロンドン出身の彼らは、1972年にファンクとアフリカのリズムや音階、レゲエ、ジャズなどを融合させたセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを発表。
このハイライトには「Bra」や「The Message」が挙げられるだろうが、同作の魅力を最大限に味わいたいならアルバム全体を一個の作品として聴くことをお勧めしたい。
29位: チャールズ・ライト&ザ・ワッツ・103rd・ストリート・リズム・バンド『Express Yourself』
チャールズ・ライト&ザ・ワッツ・103rd・ストリート・リズム・バンドのサウンドを一言で表現するなら、”joy/喜び”が適切だろう。軽やかで陽気なグルーヴがキャッチーかつポップなメロディーを支える彼らのアルバムからは、喜びの感情が溢れ出しているのである。
そして1970年にリリースされたこの『Express Yourself』のタイトル・トラックは、普遍的な魅力を持つファンク界随一のアンセムとして愛されている。
28位: ドクター・ジョン『In The Right Place』
ニューオーリンズ出身の”ナイト・トリッパー”ことドクター・ジョンは、ヴードゥー教、魔除け、儀式といった要素を絡めながらソウルを演奏するダークなパフォーマンスで知られていた。だが、その路線で4作のアルバムをリリースしたところで方針を転換した。
ニューオーリンズ生まれの楽曲から成るアルバムを発表したのち、ドクター・ジョンの作品の中でももっともファンキーなこの作品を世に放ったのである。そんな本作には、彼の代表曲「Right Place, Wrong Time」も収録されている。
27位: ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーン『Rags To Rufus』
10度グラミー賞に輝くこととなるチャカ・カーンの華やかなヴォーカルを支えるルーファスは、多人種から成るシカゴ出身のバンドである。そしてその武器は、変化に富んだリズムと目を見張るようなアレンジにあった。中でもスティーヴィー・ワンダー作の「Tell Me Something Good」は、ギターにトーク・ボックスをいち早く使用したヒット曲としても知られている。
26位: バーケイズ『Gotta Groove』
バーケイズのメンバー四人とオーティス・レディングが命を落とした飛行機事故のあと、この世に残されたベン・コーリー (トランペット) とジェームス・アレクサンダー (ベース) は新たなメンバーとともにグループを再編成。その後、最初にリリースされたこの1969年作で彼らは悲劇から立ち上がり、見事に成功を手にした。
同作は1曲目の「Don’t Stop Dancing (To The Music)」からアクセル全開で進んでいくが、「In The Hole」ではアメリカ南部出身の彼ららしい熱烈なソウル・サウンドが展開される。
25位: マヌ・ディバンゴ『Soul Makossa』
アフリカのサッカー・チームの応援歌になったシングルB面曲をすべて知っている必要はない。しかし、カメルーンのサックス奏者であるマヌ・ディバンゴが1972年に発表した「Soul Makossa」は、一部のファンに熱狂的な人気を誇る楽曲という以上の重要曲になった。
というのも、繰り返し登場する”ma-ma-ko, ma-ma-sa, ma-ko ma-ko-sa”というチャントは、マイケル・ジャクソンの「Wanna Be Startin’ Somethin’」に引用され、それがのちにリアーナの「Don’t Stop The Music」でもサンプリングされたのである。
24位: エドウィン・スター『War & Peace (黒い戦争)』
モータウンは”サウンド・オブ・ヤング・アメリカ”を標榜し、政治性の強い作品をあまり扱っていなかった。だが同レーベルも、エドウィン・スターによる怪物級のヒット曲「War (黒い戦争)」では例外的にそのスタンスを崩した。
モータウンのベテラン・シンガーだったスターは、同曲が収められたこのアルバムでサイケデリック・ソウルとファンクを融合。中でも「Adios Senorita」はレーベルメイトであるテンプテーションズからの影響が感じられる一曲で、「Time」は圧倒的なエネルギーのこもった名曲である。
23位: フェラ・クティ『Fela’s London Scene』
フェラ・クティは「J’Ehin J’Ehin」の中で、”自分の歯を食えるのは愚か者だけ/Only a fool can eat his teeth”と歌っている。まさにその通りだ。ナイジェリア出身のクティは、ジャズやファンクをアフリカのヨルバ音楽と融合させることでアフロビートを開発。それにより世界的に名を知られるようになった。
そして1971年にイギリスで録音された『Fela’s London Scene』では、催眠的なビートやグルーヴを多分に盛り込むことで、個々の要素の単なる寄せ集めにとどまらない魅惑的なサウンドを生み出した。
22位: アース・ウィンド&ファイアー『Gratitude (灼熱の狂宴)』
『Gratitude』には、シカゴ出身のこのグループが本領を発揮したその瞬間のパフォーマンスが捉えられている。大部分がライヴ音源で構成される同作は、彼らがエネルギーと演奏のタイトさにおいてJB’sと肩を並べ、ショーの華々しさにおいてジョージ・クリントンに匹敵し得る存在であることを示しているのだ。
息をもつかせぬこの2枚組アルバムには、ヒット・シングル (そしてポジティヴなアンセム) である「Sing A Song」も収録。その曲名通り、彼らと一緒に歌いたくなる作品だ。
21位: ドナルド・バード『Blackbyrd』
ジャズ界において、ドナルド・バードほどに尊敬を集めた人物はほとんどいなかったはずだ。彼はビバップのあらゆるトップ・ミュージシャンたちと共演したほか、ラトガース大学やハワード大学でジャズを教えていたのである。しかし1973年に『Blackbyrd』を発表すると、ジャズの純粋主義者たちの多くは彼に背を向けた。なぜなら一部の界隈ではファンクの価値が認められていなかったからである。
一方、歴史が証明している通り、同作はジャズとファンクを画期的な形で融合させたアルバムであり、一部の否定派よりはるかに多くの人びとがその作風を支持したのだった。
20位: マイケル・ジャクソン『Off The Wall』
ファンクの終焉とディスコの誕生はどのタイミングで起きたのだろう? これは難しい問いだが、グルーヴを辿ればきっと答えは見つかるはずだ。マイケル・ジャクソンが1979年に発表したこの傑作には「Don’t Stop ‘Til You Get Enough (今夜はドント・ストップ)」や「Workin’ Day And Night」といった不朽の名曲が収められているが、一方で全編を通してファンクの特徴に彩られたアルバムでもある。
例えば、「I Can’t Help It」における洗練されたR&B/ポップ・サウンドの基礎をさりげなく形作っているのも実はファンクなのだ。
19位: プリンス『1999』
プリンスは1982年の時点で、すでにゴールド・ディスクやプラチナ・ディスクに認定されるアルバムをいくつも発表していた。しかし、その年に『1999』をリリースしたことで状況は一変した。同作で彼は、ファンク、ロック、R&B、ポップといったジャンルからの影響を取り込み、それらすべてを独自のスタイルに昇華させる才能を持つ唯一無二のアーティストとしての地位を確立したのだった。
セールスという点では次作『Purple Rain』に及ばないが、プリンスをスターの座に押し上げたのはこの『1999』だったのである。
18位: マーヴィン・ゲイ『Here, My Dear (ヒアー、マイ・ディア〜離婚伝説)』
『Here, My Dear』は一部の界隈で、マーヴィン・ゲイの最高傑作の一つに数えられるようになっている。裁判によって、元妻アンナ・ゴーディ (モータウンのトップであるベリー・ゴーディの姉) への扶養手当がゲイの次作の収益から支払われることになった際、彼は「ガラクタの寄せ集めを世に出す」つもりだったという。しかし彼はやがて、元妻との結婚生活を残酷なほど正直に振り返る作品の制作にのめり込んでいったのだった。
17位: アイズレー・ブラザーズ『3+3』
1973年に発表されたこの名盤は、オリジナル・メンバーであるアイズレー家の三人に、若い世代の三人のメンバーが加わった (つまり”3+3″の) 構成で制作された。
新加入のアーニーは「That Lady」 (彼らが1964年に発表した「Who’s That Lady?」のセルフ・カヴァー) で素晴らしいギター・ソロを弾いているが、これは一時グループに帯同していたジミ・ヘンドリックスから受けたレッスンの成果だという。他方、心地良いサウンドの「Summer Breeze」は1974年の夏にヒットを記録した。
16位: フレッド・ウェズリー&ザ・JB’s『Damn Right I Am Somebody』
トロンボーンの権威であるフレッド・ウェズリーが、ジェームス・ブラウンの伝説的なバック・バンドを率いて制作した一作。ブラウンがプロデュースを担当したこの力作には、JB’sの最盛期の演奏が収められている。
また、非常に強力なグルーヴやフレーズが満載の同作では、政治性が前面に押し出されてもいる。例えば「I’m Payin’ Taxes, What Am I Buyin’」には、IRS (アメリカ内国歳入庁) に対するブラウンの侮蔑の念が表現されているのだ。
15位: ブーツィーズ・ラバー・バンド『Stretchin’ Out In Bootsy’s Rubber Band』
ブーツィー・コリンズの武器である粒立ったベースラインほどにファンキーなサウンドはほとんどない。そのベースはジェームス・ブラウンのファンクへの転換を象徴する音であるとともに、ファンカデリック/パーラメントの宇宙的なグルーヴの中核を成してもいたのである。
そんな彼は、ジョージ・クリントンがプロデュースしたこの1976年作で自身のグループとしてもデビュー。「I’d Rather Be With You」などが収録された本作は大きな成功を収めた。
14位: タワー・オブ・パワー『Tower Of Power』
“ヒップであるとは何か?/What Is Hip?”――タワー・オブ・パワーは、ブレイクのきっかけとなった1973年のセルフ・タイトル作でそう問いかけた。そして、ホーン隊を擁するカリフォルニア出身のファンク・バンドである彼らは、その界隈でもっともヒップな (イカした) ブラス・サウンドを鳴らすことで、自らその問いに答えを出してみせた。
彼らはその過程で、音楽業界屈指の大物たちにも楯突いてみせたのである。ヴォーカルにレニー・ウィリアムスを加えた彼らはまた、名曲「So Very Hard To Go」をヒット・チャートにも送り込んでもいる。
13位: クール&ザ・ギャング『Wild & Peaceful』
ジャージー・シティ出身のこのグループは、間違っても誤解されることのないように、チャートのトップ10入りを果たしたヒット曲、その名も「Funky Stuff」を1973年発表の本作の1曲目に据えた。さらに続く2曲目にも、「More Funky Stuff」という分かりやすいタイトルが付けられていたのである。
本作ではそのあとも、ベースがリードする象徴的なリフが見事な「Jungle Boogie」や、パーティー気分をいっそう盛り上げる「Hollywood Swinging」などの楽曲が続いていく。
12位: ギル・スコット・ヘロン『Pieces Of A Man』
アメリカの詩人/ミュージシャンであるギル・スコット・ヘロンは10代の途中までをブロンクスで過ごしたあと、作家の素質を認められてアッパー・ウエスト・サイドの学校に奨学生として迎えられた。そののちミュージシャンとしてのレコーディングを開始し、1971年にアルバム『Pieces Of A Man』を発表。
同作の冒頭を飾る「The Revolution Will Not Be Televised」は、50年の歳月が経ってもまったく色褪せることがない並外れた逸品である。
11位: パーラメント『Funkentelechy Vs. The Placebo Syndrome』
『Funkentelechy Vs. The Placebo Syndrome』は実に楽しいアルバムだ。「Bop Gun (Endangered Species)」ではあり得ないほど素晴らしいブーツィー・コリンズのベースが聴けるし、「Sir Nose D Voidoffunk」は皮肉っぽく捻くれたやり方で、かつての素朴な時代を懐かしんだ一曲である。
このほかにも愉快な楽曲が並ぶが、彼らのPファンクは「Flash Light」で輝かしいクライマックスを迎える。時代を象徴するモーグ・シンセサイザーのベースラインはたびたび模倣されてきたが、本家を超えるものは一つとして存在しない。
10位: カーティス・メイフィールド『Superfly』
カーティス・メイフィールドの『Superfly』は、1972年に公開された同名のブラックスプロイテーション映画のサウンドトラック・アルバムだ。中でもヒット曲である「Freddie’s Dead」や表題曲「Superfly」がよく知られているが、同じく本作収録の「Pusherman」はメイフィールド屈指の人気曲になった。
他方、魅惑的なグルーヴや、映画的なオーケストレーション、スラム街の物語などの要素をふんだんに含むこの作品は全編が傑作と呼ぶに相応しく、メイフィールドの歌声も最高の仕上がりで響く。
9位: スライ&ザ・ファミリー・ストーン『There’s A Riot Goin’ On (暴動)』
スライ&ザ・ファミリー・ストーンはあまりに偉大なグループだ。それゆえ、”史上最高のアルバム・ランキング”の上位の常連であるこの象徴的な一作でさえ、彼らの最高傑作とされないことも多い (本作の次は1969年作『Stand!』を聴くことをお勧めする)。
とはいえ、本作がファンク史上最高のアルバムの一つであり、立派なレコード・コレクションには必ず含まれているべき一作であることに異議を唱える者はほとんどいないはずだ。
8位: ミーターズ『Struttin’』
ファンク発祥の地ともいえるニューオーリンズ出身のミーターズは、『Struttin’』でニューオーリンズ・スタイルの素朴なサウンドを鳴らした。中でも「Hand Clapping Song」はカルト的人気を誇り、ア・トライブ・コールド・クエストや、エリックB&ラキム、ウータン・クラン、ホイットニー・ヒューストンなど数多くのアーティストにサンプリングされている。
7位: オハイオ・プレイヤーズ『Fire』
ファンクは記憶に”残り続ける”グルーヴが魅力の音楽ジャンルだ。そして、オハイオ・プレイヤーズはその言葉を文字通り体現した。1950年代後半に結成された彼らは、スターになる夢を諦めることなく業界に”残り続けた”のである。
その結果、彼らは1970年代前半に、挑発的なタイトルと官能的なジャケットを持つ一連のアルバムで念願の成功を手にした。1974年作『Fire』はその中でも選り抜きの傑作である。
6位: スティーヴィー・ワンダー『Talking Book』
厳密に判断したとき、『Talking Book』はファンク・アルバムと呼べるだろうか? アルバム全体としてみたときには、そうは言えないかもしれない。だが、スローで泥臭い曲調の「Maybe Your Baby」や、軽やかで爽やかな「Big Brother」のような魅力的な楽曲群を含む本作をこのリストから外すことは考えられなかった。
それに、本作には「Superstition (迷信)」も収録されている。スティーヴィーが”Sesame Street”でこの曲を披露したシーンは、テレビの子ども向け番組史上もっともファンキーな瞬間かもしれない。
5位: ベティ・デイヴィス『They Say I’m Different』
ベティ・デイヴィスは60年代のほとんどを、ジミ・ヘンドリックスやマイルス・デイヴィス (彼女は一時マイルスと夫婦関係にあった) など幅広いミュージシャンからの影響を吸収しながら過ごした。
彼女はやがて自身のバンドを結成し、オリジナル曲の作曲・レコーディングを開始。そうして70年代前半に非常にファンキー (かつ官能的) ないくつかのレコードを完成させたが、その後ひっそりと音楽業界から姿を消したのだった。
4位: リック・ジェームス『Street Songs』
テンプテーションズのメンバーの甥であり、10代のころにニール・ヤングとバンドを組んでいたリック・ジェームスは、モータウンと契約を果たしたのち70年代にようやく名声を手にした。
ジェームスの1981年作『Street Songs』には怪物級の大ヒット曲「Super Freak」が収められているが、彼は自身の代名詞でもあるベース・リフ中心のファンク・ナンバーより、バラード・ナンバーを歌う方が好きだったことを明かしている。
3位: ファンカデリック『Maggot Brain』
ジョージ・クリントンはドゥーワップのグループでキャリアを歩み出したが、1960年代の終盤になると、ソウルとサイケデリアとファンクの融合によって真価を発揮し始めた。
彼がファンカデリックを率いて発表したセルフ・タイトルのデビュー作はダークな作風だったものの、続く『Free Your Mind… And Your Ass Will Follow』はファンクによる救済を約束する一作だった。しかし、そんな彼らの最高傑作と呼ぶべきは『Maggot Brain』だろう。中でもタイトル・トラックの”あの”ギター・ソロは、その出来栄えを決定づける名演である。
2位: アイザック・ヘイズ『Shaft (黒いジャガー)』
スタックス所属のソングライター/プロデューサー/ミュージシャンであったアイザック・ヘイズは、1960年代後半にソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせた。そして彼の2ndアルバム『Hot Buttered Soul』は、史上最高のソウル・アルバムの一つとして正当に評価されている。
他方、1971年に公開されたブラックスプロイテーション映画『Shaft (黒いジャガー)』のサウンドトラック作品である本作には、ヘイズのファンキーな側面が見事に表れている。「シャフト!――そう、その通りだ / Shaft! – you’re damn right!」というフレーズがすべてを象徴しているのだ。
1位: ジェームス・ブラウン『The Payback』
ファンクの先駆者の一人にして、同ジャンルを代表するアーティストであるジェームス・ブラウン ―― そんな彼の作品をどれから聴けばいいだろう? 1973年にリリースされた『The Payback』は最初に聴くべき作品に相応しい一作といえよう。
伝説的なトロンボーン奏者であるフレッド・ウェズリーの功績が光るこの2枚組アルバムは、ブラウンがアルバム・アーティストとしてのイメージを確立した時期の一作であり、史上最高のファンク・アルバムの一つと評価されている。
このリストから漏れていると思うファンクの名盤があれば、下のコメント欄からぜひ教えてください。
Written By Paul McGuinness
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