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【後編】U2のボノとジ・エッジがApple Musicに語ったバンドの過去,現在,未来。そしてボノの謝罪文

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photo courtesy of Apple Music

2023年3月に発売されたU2の新作アルバム『Songs Of Surrender』は、バンドが自身の過去の楽曲を今のアレンジで再録音した作品だ。

このアルバムの発売にあわせてApple Musicの番組『U2: The Zane Lowe Interview』にてDJのゼイン・ロウがU2のボノとジ・エッジと約1時間弱に渡ってインタビューを実施。砂漠、そしてラスベガスへ向かうツアーバス内で行われた映像が、Apple MusicとYouTubeにて公開された。この記事ではその模様の全日本語訳の後編を公開(前編はこちら)。

また、新作『Songs Of Surrender』は、U2のアルバムとして初めてApple Musicで空間オーディオとして配信されている。加えてApple Music限定でアルバムのページにメンバーのコメント入りのアルバム解説が掲載されている(*アルバムのApple Musicのページはこちら)。

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U2: ’Songs of Surrender’ & Reflecting on their Musical Legacy | Apple Music

(前編はこちら

商業的なものは本物じゃなかった時代

ロウ: それが『Joshua Tree』の魅力でした。あの時期は本当に純粋なバランスとハーモニーと幸福感があふれていて、そういった素晴らしい瞬間がアルバムに反映されていました。それが『Zoo TV』になると……『Achtung Baby』から『Zoo TV』ツアーになると、まったく違うものになる。今度は悪態をついていました。自由になろうとして本物の戦いを繰り広げていたんです。

というのも、さっき言われたように、当時の音楽の世界では“野心”が“悪”とされていました。「ブランド品なんて使うな! ましてや架空のブランドでツアーをやるなんてもってのほか。それを冗談のネタにするなんてとんでもない! スタジアム・コンサートなんてやるべきじゃない」―― そんな雰囲気でした。それなのにU2は、「The Fly」みたいな曲をやっていた。あれはすごいと思いました。あんなことやるのはU2だけでしたよ。もし『Achtung Baby』を『Joshua Tree』のような環境でやろうとしたら、決してうまくいかなかったでしょうね。

ボノ: カート・コバーンはあの時点で既にアイメイクをつけてシルバーのシャツを着始めていた。クズみたいな本物志向なんか吹っ飛ばしていたんだ。僕もインチキ臭い本物志向を本気で非難していた。1990年代の雰囲気を覚えてるよね? よくこんなことを言われてたよ。『Achtung Baby』や『Zooropa』を制作していたころの話なんだけど、「ドラムマシンは偽物だ。本物のミュージシャンたちは使わない」なんて責められるんだ。それならエレクトロニック・ミュージックはどうなる? ブラック・ミュージックはどうなる? ヒップホップはどうなる? 馬鹿言うんじゃないよ。1980年代には素晴らしく皮肉な展開があった。

あのころのロックンロールの世界では、クールなことをやる場合の題材には暗黙の了解があった。たとえばバイクを使うならハーレー・ダビッドソンじゃなきゃいけないとかね。そういう雰囲気だったし、U2もその中の一部だったかもしれない。そんな中、プリンスがバーンと登場した。彼はホンダに乗っていた。つまり、彼のスタイルやファッションは当時の流行には全然収まっていなかった。むしろ彼がそういうものを吹き飛ばしたんだ。

ロウ: プリンスはそういった面での主導権を取り戻しましたよね。実のところ、そういうことをするとすぐに反撃される。たちまち主流の側に吸収され、あっという間に商業化され、ブランディングとかマーケティングとかメインストリーム・ラジオとかに打ってつけの仕組みに組み込まれてしまう。ハウス・ミュージックでもディスコでもヒップホップでも同じ現象が起こりましたが、アンダーグラウンド・カルチャーの側が抵抗すると、すぐに反撃される。

メインストリームの側は、「我々のルールに従わなければ、お前たちを無視するぞ。お前たちに“本物じゃない”とか“市場価値がない”とか“役に立たない”といったレッテルを貼ってやる」っていう風な態度を取る。でもプリンスのような人は、究極の天才である以上に本当に貴重な存在でした。なぜなら「僕は、誰にも否定できない方法で、お前たちすべての上を行ってやる。だから、僕を否定するな」という感じでしたからね。

ボノ: それを曲の中でやり遂げた。一時代を築く名曲を生み出したんだ。

ジ・エッジ: あの『Achtung Baby』の時期は、“商業的なものは本物じゃない”っていう考え方が世の中にあった。自分の作品を真剣に受け入れてもらおうとするなら、純粋で、反商業的でなければいけないという雰囲気だった。でもよくよく考えてみると、アルバムを作ろうとしている人間はとんでもない立場に立たされることになる。アルバムを作ったら、そのアルバムをみんなに聴いてもらいたい。つまり、レコードを店頭に並べて、たくさんの人に買ってもらわなければならない。だからレコードの宣伝をしなきゃいけない。あらゆるバンドがずっとやってきたことをやることになる。

ロウ: 問題は、貪欲な狼と付き合わなきゃいけないという点ですよね。音楽を作る側は、狼を家の中に招き入れなきゃいけなかった。それがビッグ・ビジネスになった。そうして、ビッグなビジネスとのコラボレーションを大々的に始めることになった。ファンの側は、それについてどう感じるべきなのかわからなかった。

 

U2と“商業主義”

ジ・エッジ: ビジネスとの付き合いにもいろいろあるよ。自分の音楽が悪用されるのを許したりするのは良くない付き合いだね。自分のやっていることを安売りするようなことになる。でも、U2の場合、別に問題はなかった。僕たちが尊敬するいくつかのバンドも。ヒップホップのアーティストたちも、別にそういう問題を抱えていなかった。

ロウ: でも、U2はCMをやってきませんでしたよね。そこが違う。でも、だからこそ、遊び心を持って商業主義と戯れることができたんじゃないでしょうか。U2は、派手なコマーシャルのブランディングやマーケティングのイメージで遊ぶことができました。ポンティアック・シルバードームみたいな巨大な会場で、そのイメージを毎晩ひっくり返して、吹き飛ばすことができた。なぜなら、そういうことをやれる立場にいるアーティストがほかにいなかったからです。たいていのアーティストは6年前にコーラのCMに出ていたりするから、できないんです。でもU2は、iPodの広告に出るまでCMと無縁でしたからね。

ボノ: マネージャーのマクギネスは、よくこんなことを言っていたよ。「アーティストは自分の作品がどこの壁に飾られるのか、そのギャラリーのオーナーが誰なのか考える必要がある」ってね。彼は、僕たちをそういう責任から免除してくれなかった。だからU2はいろいろ考えざるを得なかった。僕たち4人は“バンド”だけれど、ポールを加えて5人になると“企業”になったんだ。

ロウ: 彼は本当に大きな役割を果たしたんですね。

ボノ: 1980年代は“企業”という言葉が蔑称として使われていたけど、そんなところにヒップホップが登場して、“ちょっと待て”と言ってきた。「僕たちは、自分が何をしているのかちゃんと考えている。僕たちは自分たちならではの産業を運営しているんだ」とね。ドクター・ドレーやケンドリック・ラマーなら、コンプトンのブランドを身につけて登場する。自分のグッズを売っているからといって、別に商業主義に走っているわけじゃない。だから、ヒップホップには見事なまでの正直さが感じられた。オアシスがUKで成功したとき、同じような姿勢を感じたよ。

ロウ: だからこそお訊ねしたいんですが、U2のメンバー4人はこの業界でも変わり種ですよね。バンドを一緒に続けてきたというだけじゃない。お互いに対する忠誠心や友情を守り続けてきました。往々にして、バンドというものは会社のようなものになったり、役員会のようなものになったりします。本物の友情がなければ、U2のようなかたちにはならない。愛情がまだ失われていない。今のオアシスは、そうはいきません。

ジ・エッジ: オアシスの場合、実の兄弟だからもっと大変だよ。友だちっていうのは自分で選ぶものだからね。でも家族は、自分じゃ選べない。僕たちU2は、運がいいことにまず友人として出会った。そして驚いたことに、自分たちがソングライターやパフォーマーとして悪くないってことに気付いたんだ。

それに、メンバー同士の関係も競い合うような間柄じゃない。だから、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのような関係とは違う。あのふたりの場合、ライバル関係だったことでさらに成長したんだけれど、それぞれが同じ立場にあった。つまりレノンもマッカートニーもシンガー・ソングライターだった。僕は作曲をたくさんするけれど、曲を完成させるためにボノを必要としている。だからお互いを補い合う関係なんだ。お互いを相殺することもない。お互いに何かを加え合う関係。だからそれぞれひとりでやる場合よりも、力を合わせてやるほうがより輝くことになる。U2が今も続いているのは、それも大きな理由だと思う。もちろん、以前と同じく友人関係が続いていることも大きいけどね。つまり友情が本物であって、それがちゃんとうまくいっているわけ。

 

“最高”の敵は“ほぼ最高”

ロウ: ここ数年はいろいろな面で変化がありましたよね。ポールはもうU2のマネージャーをやっていませんし。子供が大人になって家を出るっていうのもひとつの変化。大切な人が亡くなると、ひどい出来事ではあるけれど、それもまたひとつの変化には違いない。そして必然的に、唯一安定したものに戻ってくる。運が良ければ、その安定したものっていうのは結婚関係であったり、私生活でのパートナーだったり、親しい友人だったりする。さらに運がよければ、バンドだったりする。とはいえ、改めて集まると、今の段階で本当に重要なことは何か、これから先どうするのかを考え、決断することになる。「こういった曲を通して自分たちの人生を追体験し続けるべきだろうか? それともまだ戦うべき相手がいるだろうか?」という風に……。

ボノ: そう。僕がメンバーでいたいバンドはこのグループしかない。僕はこの中にいなきゃいけない。たとえば僕がトーンダウンしたり、消耗したりしたとき、僕たちの音楽は本来の姿にならない気がする。僕だけじゃなくて4人全員がフル稼働状態になることが必要なんだ。そうでないとうまくいかない。そうでないと僕たちのライヴはうまくいかない。でもスタジオでは、もう少し上品なかたちになる場合がある。

ジ・エッジ: 問題は、物事の良し悪しを判断するとき、“本当に最悪のもの”と“本当に最高のもの”みたいな単純な分け方にならない点にある。多くの場合、“ほぼ最高”と“最高”の比較になる。そこが問題になってくる。“最高”の妨げとなる敵は“最悪”じゃない。“最高”の敵は“ほぼ最高”なんだ。というのも、たいてい“これで十分”で落ち着いちゃうからね。

ロウ: 時間という要素も入り込んできますよね。急に周囲の人たちが「うん、わかるけど、もう終わりにしなきゃ」となったりする。時間が問題なのかもしれない。あるいは、ブッキングしたショーも問題の一部かもしれない。あるいは……とかいろいろ言っているうちに、突然、創作の集中状態から抜け出てしまっていたり……。

ボノ: そんな創作活動なんてやりたくないってだけのことだよ。つまり、これまでの人生の中で、僕も「創作活動なんてしたくない」って思ったことが何度かあった。それが代償なんだ。これは、自分の人生の中ですごくやりたいことでもある。でも、わかったんだけど、曲には……曲作りには……バンドには、自分のすべてを捧げなきゃいけないんだ。僕がやらなければいけないことはひとつしかない。それは、曲を作ること。なぜなら、そうしないと困った状態になるから。そして、ジ・エッジとアダムとラリー以外の人間とは曲を作りたくない。曲を作るなら、この4人で作りたい。出来ることならそうしたい。

でも、それには公約のようなものが必要になる。「また10代のころに戻って、創作に取り組もう」みたいな感じの宣言をしなきゃいけない。「僕にはそんなの無理だ」っていう人もいるかもしれない。そういう反応は100%理解できる。そういう反応こそ、大人らしいと言えるかもしれない。そういうことを口にすることこそが、正気なのかもしれない。「もし僕がガキのころみたいに曲作りに全力投球できると思うなら、それはどうかしてる。正気じゃない」と口にするほうがまともなのかもしれない。僕に必要なのはそういうことなんだ。

ロウ: 誰かがそういうことを言い出す危険性は?

ボノ: あるよ。つまり、もしこのインタビューが先週行われていたら、僕がそういうことを言っていたかもしれない。

ジ・エッジ: でもまあ、“楽な生活をしたい”とか“創作活動をやりたくない”っていうのはどういうことかというと、つまり……。

ロウ: 「現時点では、40年前と比べてこの程度は創作プロセスに関与してほしいっていう風にきみは求めているけれど、自分はそういう風なかたちでは創作プロセスに関与できない」と、そういうことなのでしょうか?

ジ・エッジ: そうだね。つまり、U2のメンバーはそれぞれが自分の意思で判断しなきゃいけない。でも僕の場合は、はっきりしている。これが自分のやりたいことなんだ。今の自分の時間すべてをかけてやるべき仕事は新曲作りだね。今回は『Songs of Surrender』についてのインタビューを受けているわけだけど、夜、眠れなくなるのは新しい曲があるからなんだ。新しい作品と未来に向けて、猛烈な勢いがあるからこそ、『Songs Of Surrender』っていうアルバムが生まれたんだよ。

 

ボノによる謝罪文

ボノ: 公平を期すために言うけど、今のU2はドラマーが怪我をしていて、ロックンロールを演奏することができない。だから僕たちは、アコースティックな音楽や親しい人間がすぐそばで語りかけてくるような音楽が新しいパンク・ロックになっていることに興味を持っている。そういう親密さやイヤホンで音楽を聴くような現状に何らかの力があると本当に信じている。でもそうした親密さが新しいパンク・ロックであるなら、僕たちは本当に騒々しいロックンロールを作らなきゃならない。

ジ・エッジは過去35年間で最も影響力のあるギタリストだけど、それでいて自分がそういうギタリストだって口にしない唯一の人間でもある。U2は、これまで常識はずれの音楽の風景を築き上げてきた。曲のテーマには面白い題材を選んできたし、このバンドのヴォーカリストは人をイライラさせる遺伝子を持っている。でもロックンロール・シンガーには、ちょっと厚かましさが必要だよね?

実は今回、謝罪文を用意してきたんだよ。自分で書いたんだ。(*ボノ、紙を取り出して読み上げる)

「60代に至ってなお青年期の無分別さを失っていないことをお詫びします。あなたがどの方向を向いても、目の前に姿を現すシンガーであることをお詫びします。厚顔無恥に、仕事先で感謝の気持ちを大声で口に出すことをお詫びします。自分たちのバンドを伸ばせる限界まで引き伸ばしてしまったことをお詫びします。自分やほかの人が入っている鳥かごをガタガタ揺るがすような無分別なギター・レコードを作りたいと考えていることをお詫びします。『ロックンロールは死んでいない。ただ年をとってますます不機嫌になり、気分の変化に応じて時おり花火を打ち上げているだけだ』と何度も何度も繰り返し述べてきたことをお詫びします。しかしながら、何よりもまず、こんな謝罪をすることをお詫びします」

ロウ: もう少しで、こう口にするところでしたよ。「こんな謝罪をすることに対するお詫びがないなら、もう丸ごと無意味だ」って(笑)。このインタビューをご覧のみなさんが、たった今お聞きになったのはボノの謝罪の言葉ですが、みなさんはボノが過去40年間の自らの行動について謝罪したとお考えのはずです。しかしみなさんは大事な点を見逃しています。ボノは、これから自分が行おうとしていることについて謝罪していたんです。そこがポイントです。

ボノ: そう、まさに!

 

どこに向かっているのか?

ロウ: さてと、このバスがちゃんと走れる状態なのは素晴らしいですね。これからどちらの方向に向かって戻っていくのか、わかりますか?

ジ・エッジ: 未来に向かっている。

ロウ: なるほど! じゃあ、ジ・エッジは未来から来たというわけですね。

ジ・エッジ: その通りだ。

ボノ、ロウ: 未来は現在よりもすばらしい?

ジ・エッジ: 間違いなくよくなっている。

ロウ: さあ、どうなのか見てみましょう。

 

(ツアーバスが道路を走る)ゼイン・ロウ ナレーション:未来は、通常であればエンディングのために用意されてある場所。つまりアーティストが休息し、最後の日々を過ごす場所である。とはいえ、これから向かうのはU2が再生を予定している場所。U2の未来は、ラスベガスで再び始まろうとしている。

 

今回のアルバムで最も大切だったこと

ロウ: 今は未来に向けて……U2の未来に向けて走っています。今回の『Songs of Surrender』ですが……さっき言ったことの繰り返しになってしまうかもしれませんが……ある意味、U2が前回どんなことをやったかとか、次回は何を期待されているのかといったことを考えることなく、単純に楽曲のことだけを考えてアルバムを作ることができたのは初めてなんじゃないでしょうか。

『Joshua Tree』とか砂漠とかそういったものをきっかけとして、U2は単に曲の出来映えだけでなく、本当にたくさんのことを考えざるを得ない状況になりました。ひょっとしたら失いかねないものをいろいろ抱えていたわけです。たとえばバンドのために働いてくれる人とか、大ヒットを必要としている人とか、大規模なライヴや大がかりなステージ・セットを必要としている人とか。そうしたものすべてが、とてつもなくイカレた大騒ぎになった。そういう時期はどんな感じだったんでしょうか? 今であれば曲を最も純粋な状態に戻すことができるし、曲だけでなくバンドのことも考えることができるでしょうが。

ジ・エッジ: 僕たちはただ曲を用意するだけだよ。今回のアルバムで最も大切だったのは楽曲を用意すること。それから歌声を提供すること。つまり、どのアレンジでも中心になるのは歌声だった。それによって、ボノも自分の声を新たな解釈の手段として使えるようになった。ある意味、彼がフル稼働状態のロック・バンドの一員であるときは、こういうことは不可能だったかもしれない。

ロウ: 僕は、ボノがこういう歌詞を書いたことに驚いています。なにしろこうした曲は、5年、10年、15年前にスタジアム・ツアーや大成功の大騒ぎの中で作られたんですから。

ジ・エッジ: 「City Of Blinding Lights」みたいな曲をこういう風に聴くのは楽しいよ。こうして聞くと、まったく違う歌詞のように聞こえる。というのも、ボノはこの歌詞をいわゆるロック・ヴァージョンではありえないような解釈で歌っているからね。この曲だけでなく、多くの曲で同じことが言える。別のかたちで聞こえてくるんだ。だから、多くの曲で新しい歌詞が気に入ってもらえているんだと思う。それは、これが一種のチャンスになったからだ。今までになかった歌詞を届けるためのプラットフォームになったんだ。

 

“天才”の考え方

ロウ: あなたは本の中でどう書いていましたっけ? “天才的な才能”についてあなたが書いた文章が、すごく気に入っていたんですが。

ボノ: そういうものは存在しない。人がその中に居を定めるんだ。

ロウ: 「人は、自らが注ぎ込む努力と自らが抱くビジョンに基づいて天才的な才能を表に見せる。だから努力がビジョンと合致する」―― あなたはそんなことを書いていたんじゃないでしょうか?

ボノ: ええと……どうだろうね。

ロウ: 違いますか?

ジ・エッジ: “天才的な才能”は存在すると思う

ロウ: 魔法として?

ボノ: いや、その意見には賛成できないな。

ジ・エッジ: 存在すると思うよ。天才的な才能を潜在的に持っている人が、みんな天才になるっていうつもりはない。でも、誰もが天才になれるとは思わないな。

ロウ: この点については、おふたりは対照的な立場にいるようですね。片方の意見は、「人は人生の道のりのどこかで天才的な才能を見せる可能性がある」というもの。もう片方の意見は、「形のない魔法のような力が生まれつきあり、それがやがて動作するかもしれない」というものだと思う。

ボノ: (編註:アイルランドで愛され続ける詩人)パトリック・カヴァナはこんなことを言っていたよ。「神はすべての人を天才にする。しかし、ほとんどの人は神の御業を好まない」。だから“天才的な才能”はあらゆる人の中にある。僕が異を唱えているのは、“天才”っていう考え方のほうだ。ある一時期、“天才的な才能”の中に居を定める人はたくさんいる。やがて、そうした人たちのもとから、その才能が消えてしまうんだ。

ロウ: あなたには天才的な瞬間が間違いなくありましたよ。でも、“天才”というレッテルを貼るのはよせとこちらに命令したいのなら、どうぞそう命令してください。ただし僕は、自分のお墓に入るとき、こう思いながら入りたいですね。「ボノとジ・エッジとラリーとアダムは天才バンドだったなあ!」って。

ボノ: それは実に結構だ。でも、次のアルバムがクソだったら、“天才”とか書かれたバンドエイドを剥ぎ取りたいね。

ロウ: 戦うためにはそれが必要なんですね! そういうところがないと、クリエイティブな面で最高の地位に行き着くことができない!

ボノ: まあ、僕たちも、もう大人の仲間入りをするわけだし……。

ジ・エッジ: “僕たちも”じゃなくて“僕も”って言えよ、ボノ。

 

仕事に対する心構え

ボノ: 僕としてはこう言いたいね。いまだかつて誰のものにもなったことがないもの ―― たとえば、ある種の感覚であるとか、ある種の雰囲気、画家であればある種の色彩など ―― を誰かが自分だけのものにする場合、いわゆる“天才的な才能”に恵まれる状態に近づくんじゃないかな。とはいえ、ほとんどの人は他人が既にやったことをとても上手に再現できるというだけで、何か独自の才能を持っているわけじゃない。

というわけで、“カラオケが上手”というようなタイプはそこら中にあふれている。とはいえ、実際に何らかの才能を我がものにするには、自分独自のもの、自分独自の感覚が必要になる。画家の場合、このバスの外に広がる風景をそのまま風景絵に描けたところで誰も興味なんか持ってくれやしない。こちらが見たいのは、今まで見たこともないようなその風景に対する視点であり、こちらが目をそらしても、いつもそばから離れないような視点なんだ。

ジ・エッジ: 一番難しいのは、頭の冴えた状態を維持することだね。頭の冴えっていうのは、スタジオでそういう判断ができるということ。あるいは、曲作りをしていて、目標としているところにたどり着きそうなとき、前も言ったけど、頭が冴えていないと“ほぼ最高”っていうアイデアに気を取られてしまう。冴えていれば、“いや、まだダメだ”となる。

ロウ: そういった瞬間は、U2の歴史にかなり記録されていますね。最近だとボノが著書の『Surrender』の中で、こんなエピソードを書いていました。ボノが周りの人間に対して毒づいていたそうですね。「こういう風にケミストリーが欠けると、ときには自虐的になるな。頭が冴えた状態になる方法を探り出すために、6回も場所を変えるなんて」という風に。

ジ・エッジ: 頭が冴えていなければ、自分が不確かだということに気づかない。そこが問題なんだ。

ロウ: いやあ、仕事に対する心構えがすごい! 初日からさっさと片付けるなんて、絶対にできないんですね。この点は、みんな認めなきゃいけない。U2は才能もあるし、成長もしてきたし、バンド内にケミストリーがあるし、自らの経験を作品に昇華して表現する力もある。しかも、誰よりも努力してきたわけですよね?

ジ・エッジ: そうかもしれない。つまり、いつも悪戦苦闘してきたんだ。それに、自分たちがパンク・ロックから生まれてきたガキの集まりだってことを忘れちゃいけない。僕たちは素晴らしいミュージシャンでもなかった。こうしてずっとやってきた中で学んだのは、自分たちの限界が実は強みになるということだった。だけど、だからといって物事が簡単になるわけじゃない。それはいいことだと思う。なぜなら悪戦苦闘するっていうことは、常に緊張感を持ち続けるということだからね。

さらには、自分が心地よくできることを超えたところまで、常に手を伸ばそうとしていることにもなる。でもそれには大変な努力が必要だった。断固たる決意も必要だったし、容易に屈しない根気強さも必要だった。ファースト・アルバムを作るときもそうだったし、セカンド・アルバムを作るときも、どのアルバムを作るときもそうだった。だから次も変わらないだろうね。

ロウ: 僕はこんな風に思っていたんですよ。「人生の中で訪れるのっぴきならない事情がU2にも影響を与えるかもしれないし、それを反映した決断が下されるかもしれない」と。だけどそんな感じではなさそうですね。

 

“没頭するためのエネルギーの源泉”

ボノ: まあ、そういうことについて考えてはいたよ。でも今回こうした曲にいろいろ手を加えていたときに、僕の声に今まで経験したことのない何かが起こった。僕の声には、ある程度のコントロールと繊細さがあった。それが、2日ごとにどこかおかしくなっていった。それで、「どうなっているんだ?」となった。みんなもそれを感じていた。それで、こう思った。「ジ・エッジも活動したいと思っている。僕も活動したいと思っている。僕たちには才能の源泉があるんだろうか?」ってね。いや、ここで“才能”という言葉を使うのは間違いだな。“非凡なものの源泉”だ。

ジ・エッジ: あるいは“エネルギー”かもしれない。

ボノ: “没頭するためのエネルギーの源泉”かな。そうして思った。「もしかすると、僕たちにはそういうものの源泉があるかもしれない。それじゃ、確かめてみよう。次のレベルに行こう」って。でも、やるからには次のレベルに行く必要がある。それには、まったく違う戦略が必要になる。これはあくまで僕個人の意見だけどね。僕は、こうしなければならない。そして、自分がとても楽しめるような違うことをやらなければならない。僕は喜ばしいかたちで身を引こう。なぜなら自分が最も喜びを感じるのは、曲が生まれるときだからだ。家族や友だちとの付き合い以外での話だけど。

ロウ: そして家族も友だちも、あなたを知りすぎるくらいよく知っているから、同じように思うでしょうね。「それこそがボノだ」とわかっているから。

ボノ: そういうことだね。でも、これはエキサイティングな瞬間だよ。もしU2が復活して、メンバーに爆発力がまだあるのなら、「僕たちの邪魔をするんじゃねえ」っていう感じだ。僕たちは本当に活動に没頭することができるから。

ロウ: こんな人と話すのは人生で初めてかもしれないです。さっきは「僕たちには才能があるんだろうか?」と自問自答していたのに、その90秒後には「僕たちの邪魔をするんじゃねえ」と豹変しているんですから。まったく信じられないくらいすごいな。

ボノ: いやいや、確認していたんだよ。「僕たちに非凡なものは備わっているだろうか?」ってね。もちろん、今の段階では、僕たちには才能がある。才能というのは厄介なものなんだよ。才能というのは、どうでもいいものなんだ。口に出す価値すらない。そんなどうでもいい才能を山ほど抱えた人間が集まった。天から何かを授かったんだろうか? 天賦の才能があるんだろうか? もしそうなら、「僕たちの邪魔をするんじゃねえ」だ。

 

ザ・フライとラスベガス

ロウ: 車でラスベガスに行くことについて考えてみたんですが、ここはザ・フライ(*楽曲「The Fly」に出てくる人物)が行き着く場所のように思えました。

ボノ: うん。あれはそういう曲だった。

ロウ: そうして思ったんですが、ザ・フライはここで何をするんでしょうね?

ボノ: こういうことだよ! さてどうなるか。

ジ・エッジ: カジノでブラックジャックの達人になるんじゃないかな。

ロウ: なるほど。でも僕はこんな風に想像したんですよ。太ったザ・フライが郊外の住宅で腰を落ち着けている。そして、いつかスタジアム・コンサートのビデオ・スクリーンで感電して自殺するような日が来ないかなと待ち望んでいる。あの永遠のイタズラっぽさが、なんとも忌々しいハエの短い一生の中にいつまでも閉じ込められていたら、どうなるんでしょうね?

ボノ: 素晴らしいね。ザ・フライは、今ここを飛んでいるんだ。そしてあのイタズラっぽさは、ラスベガスに大聖堂を持ち込もうとしている。偶然にも、ラスベガスにはガーディアン・エンジェル大聖堂というカトリックの聖堂があるね。僕たちはそれとは別の大聖堂を持ち込むつもりだ。それは「スフィア (球体)」と呼ばれることになる。そして、ラスベガスの大通りのすぐそばに大聖堂を作る予定だよ。僕たちは、そこで多くのイタズラをすることになる。すごく楽しくなるよ。楽しさでいっぱいになる。

僕たちは、ライヴをさらにレベルアップさせようとしている。そもそもの最初から僕たちがやろうとしていたのは、演奏する側と観客のあいだにある“第四の壁”を破ることだった。僕たちはステージから飛び降りたり、観客の中に飛び込んだりして、その第四の壁を壊そうとした。やがて、色々なテクノロジーを使ってそういう挑戦をすることにした。ビデオをただのビデオでなく、ビデオアートにしてしまった。それにイヤーモニターのおかげで、PAスピーカーの前に行くこともできるようになったから、サテライト・ステージを設置できるようになった。そうしてサテライト・ステージが発明された。あれは僕たちの発明品なんだよ。こうして僕たちのショーは、ある種の限界を絶えず押し広げてきた。それがさらにレベルアップするんだ。これで僕たち自身やファンがさらに上のレベルに上がるといいんだけどね。

僕たちが『Achtung Baby』を選んだのは、そういうイタズラをするのに適した作品だからなんだ。なぜなら、ザ・フライは常にラスベガスに向かっていたんだからね。ラスベガスは人々が楽しい思いをするためにやってくる場所だ。これはまた別の話。僕たちはオズの国に行くようなものだよ。これは黄色いレンガの道なんだ。

信念と運で舗装されたこの場所はラスベガス。ここには何か新しいものが鎮座し、U2を待ち受けている。インタビューのパート2は近日公開予定。



U2『Songs Of Surrender』
2023年3月17日発売
Apple MusiciTunes Store



 

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