カナダのミュージシャン トップ20

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比較的小規模な国(人口約3,600万人)にしては、カナダは音楽業界に多く貢献してきた。このリストで取り上げきれなかった数々の素晴らしいアーティストがまさにそれを物語っている。

本物のレジェンド(ニール・ヤングジョニ・ミッチェル)、80年代のヒット・マシーン(ブライアン・アダムス、コリー・ハート)から2000年代のチャート首位獲得アーティスト(ザ・ウィークエンド、グライムス)まで、カナダは凄まじい才能溢れるアーティストを、親切にも世界に送り出してくれているのだ。今回は、カナダ建国150年を記念して、あらゆるジャンル、時代、州からカナダの素晴らしいミュージシャンをご紹介しよう。(グレン・グールド、レニー・ブロー、オスカー・ピーターソンは除く。彼らはリストなどはるかに超えている存在なので)

20. ドレイク
ドリーム・ウォーリアーズやケイオス(K-os)などのラッパーが90年代から2000年代初頭までのアンダーグラウンドの先陣を切っていたが、子役からラッパーへ転身したドレイクほどメジャーで人気を得たアーティストは未だかつてなかった。ドレイクは、初めてカナダのヒップホップを世界に知らしめ、世界で最も売れていて影響力を持つラップ・スターの一人となった。共同設立者としてカナダのレコード・レーベル、OVO(オクトーバーズ・ヴェリー・オウン)サウンドを立ち上げ、街の非公式な愛称‘ザ・6’と名付けるなど、ドレイクはカナダの一番のハイプマンである。『Views』のアートワークにCNタワーを使用しただけでなく、腕にはこのトロントのランドマークのタトゥを入れ、さらに同じカナダ人のザ・ウィークエンドを世界に紹介した張本人である。

 

19. ルーファス・ウェインライト
厳密にはカナダ人のハーフであるルーファス・ウェインライトは、妹のマーサとともにケイト・マッガリグル(フォークの歌姫デュオ、ザ・マッガリグル・シスターズのひとり)と60年代フォークの素晴らしいアーティスト、ラウドン・ウェインライト三世のもとに誕生。モントリオール出身で、地元のクラブサーキットで歌いながら、オペラ兼ラウンジ・シンガーとして、彼の世代でも卓越したシンガー・ソングライターへの道を築いていった。拠点をアメリカに移してからも、永遠に‘モントリオールの息子’であり続けている。

 

18. ブロークン・ソーシャル・シーン
非常に影響力の強いカナダのオルタナティヴ・ロック集団、ブロークン・ソーシャル・シーンについて触れないわけにはいかない。1999年に結成、中心メンバーであるケヴィン・ドリューとブレンダン・カニングのデュオがトロントのインディ・シーンでも最高のメンバーを自身のアンビエント作品で演奏してもらうためにリクルートし、その結果、急成長でスーパーグループが生まれた。ドラマーのジャスティン・ペロフ、チャールズ・スピーリン、ヴァイオリニストのジェシカ・モス、ビル・プリドゥル、スターズのエヴァン・クランリーとエイミー・ミラン、ジェイソン・コレット、そして最も有名なメトリックのエミリー・ヘインズとレスリー・ファイストが加入したこのスーパーグループは、後に個々のバンド活動も始め、今では世に知れ渡った同窓生を数多く輩出したグループとなった。ケヴィン・ドリューはその後、ブロークン・ソーシャル・シーンと関連アーティストの作品をリリースするレーベル、アート&クラフトの立ち上げにも参加し、2003年から今日までトロントのサウンドを築き上げてきた人物だ。

 

17. ダニエル・ラノワ
ローリングストーン誌より「80年代に活躍した最も重要なレコードプロデューサー」と称されたダニエル・ラノワは、カナダの著名なプロデューサー作曲家の一人として、ブライアン・イーノの『Apollo: Atmospheres And Soundtracks』、ピーター・ガブリエルボブ・ディラン、エミルー・ハリス、U2の『The Joshua Tree』や『Unforgettable Fire(邦題:焔)』の裏で活躍した張本人である。オンタリオ州ハミルトンの彼の有名なスタジオではマーサ&ザ・マフィンズやイアン&シルヴィアなど著名なカナダ人アーティストのレコーディングを行った。ソロ・アーティストとしては、マルチ・インストゥルメンタリストであり、シンガーであり、素晴らしいテクスチャーと詩的なソングライティングを駆使し、数々のアルバムをリリースした。

 

16. ゴードン・ライトフット
カナダは長きに渡るシンガー・ソングライターの歴史を持っているが、その理由のひとつはフォーク・ソングの功労者であるゴードン・ライトフットのおかげと言える。トロントの60年代のフォーク界に端を発し、ゴードン・ライトフットは故郷を一生のミューズとして「Canadian Railroad Trilogy」や「Wreck of the Edmund Fitzgerald」などの名曲を世に送り、万国共通の魅力を持つ彼の音楽は世界中から賞賛を浴び、カナダで最も成功した現代フォーク・アーティストとなった。愛されるカルチャー・アイコンのゴードン・ライトフィットは数え切れないほどのアワードや表彰を受け、中でもカナダ市民として最高位の勲章であるコンパニオンを受勲した。

 

15. ジョエル・プラスケット
ジュノ・アワードを何度も受賞しているこのシンガー・ソングライターは、エネルギッシュなフォーク・ロックでカナダを称える歌詞を歌い、またカナダ以外で知られていないという意味では、明らかにトラジカリー・ヒップの後を継いでいる。ノバスコシア州ハリファックス出身のジョエル・プラスケットは、20年以上ものキャリアの中で、90年代のハードロック・バンドのスラッシュ・ハーミット、ソロ、そして自身のバンド、ジョエル・プラスケット・エマージェンシーの名義を合わせて17枚のスタジオ作品をリリースしている。

 

14. ファイスト
「1、2、3、4…」今日のポップ・ミュージックにおいてこんなに珍しいサクセス・ストーリーでこんなにも有名になったカナダの女性アーティストはいるだろうか?ポップ・チャートを占拠し、セサミ・ストリートに出演するようになるまで、このシンガー・ソングライター兼ギタリスト、レスリー・ファイストは当時のルームメイトでエレクトロ・ポップの異端児、ピーチズとともに演奏していた。そのすぐ後にブロークン・ソーシャル・シーンに加入し、大ブレイクしたアルバム『The Reminder』をリリース、NPR好きのリスナーの注目の的となる。カルガリー生まれのファイストは、トロントのミュージック・シーンにおいてキー・プレイヤーとなり、今でもその綺麗な(決して気取ってはいない)ヴォーカルとその肝の据わったロックでファンを魅了し続けている。

 

13. アーケイド・ファイア
ウィン・バトラー、ジョシュ・ドゥ、レジーヌ・シャサーニュがモントリオールの大学で出会った2001年に結成、その後、アーケイド・ファイアはわずか3枚のアルバムの間に、地元の人気バンドから音楽メディアの話題の的へと成長した。バロック・ポップとよりハードなインディ・ロックのサウンドを融合させ、「No Cars Go」や「Wake Up」などのヒットでインターナショナルなファン・ベースを築き、今や世界中のフェスでヘッドライナーを務めるまでになった。

 

12. トラジカリー・ヒップ
トラジカリー・ヒップという名で、このブルース調のカナディアン・ロック・グループは、カナダで人気を誇りながらも、アメリカやグローバルなマーケットで成功することのない運命だった。その巧みな歌詞とルーツ・ロックとオルタナティヴ・カントリーがミックスしたサウンドで知られ、‘カナダのR.E.M.’とも呼ばれていた(おそらくアメリカ人だけがそう呼んでいたが)。過去30年間で数え切れないほどのヒット曲やアルバムをもつ彼らは、カナダ文化のアイデンティティであり、愛されたフロント・マン、ゴード・ダウニーが2016年にバンドとの最後のコンサートを行った際には、1,170万人ものカナダ人が中継を見ていたほどだ。

 

11. ブルー・ロデオ
同じカナダ人のザ・バンドでよく比較されるブルー・ロデオは、カナダのカントリー・ロックの先駆者だ。1984年に結成し、トロントを拠点に活動するこの5ピースは、アメリカン・ポップ、カントリー、ブルース、そしてエヴァリー・ブラザーズを彷彿とさせるようなツー・パートのハーモニーをミックスし、90年代のカナダで大ヒットとなった。確固たるルーツ・ロックのサウンドとツー・パートのハーモニーで、1990年のアルバム『Casino』は、ヒット・シングル「Til I Am Myself Again」の影響もあってアメリカでも多少の成功を遂げた。それ以来、カナダの名高いレガシーとして世界中をツアーするバンドとなった。

 

10. ゲス・フー
全米チャートに入り込むには、時には「American Woman」が必要なのだ。そしてカナダのパワーハウス・ロック・グループ、ゲス・フーは1970年にまさにその通りに、カナダ人グループとしては1954年以来の全米チャートのトップに立った。バートン・カミングスのソウルフルなヴォーカルと、ランディ・バックマンの強烈なギターと皮肉なソングライティングが原動力となり、ウィニペッグを拠点に活動したグループは60年代と70年代に世界中で成功し、それはランディ・バックマンがグループを去ることによって解散にいたるまで続いた。のちに彼はバックマン・ターナー・オーヴァードライヴを結成し、シングル「You Ain’t Seen Nothing Yet」がヒットした。

 

9. アル・タック
‘ポップ・ミュージックの百科事典’や‘さすらいの吟遊詩人’などと称され、この名高いカナダのフォーク・シンガーは、最も才能がありながら過小評価されたソングライターとして知られている。細部までこだわったその作詞力と革新的なフォークのスタイルで、アル・タックは90年代半ばのハリファックスのポップが爆発的にヒットした時にその名を轟かせた。プリンス・エドワード・アイランド出身だが、もはやハリファックスの人間として誇りに思われ、『Arhoolie』や『Brave Last Days』など初期の素晴らしい作品を含む8枚の見事なスタジオ・アルバムにより、ミュージシャンが好むミュージシャンとされている。

 

8. ザ・バンド
時にはカナダ人がたくさん集まって曲作りをすることで、音楽史においていかにもアメリカンな曲が生まれるのだ。ザ・バンドは80%がカナダ人だが(ドラマー、リヴォン・ヘルムはアメリカのアーカンソー出身)60年代ロックにおいて最も影響を及ぼしたグループのひとつであり、彼らのコンサート映画『The Last Waltz』はロック史においても最高の瞬間だったといえるだろう。1968年のデビュー作『Music From Big Pink』でこのカナディアンの詩人たち(ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、ガース・ハドソンとリチャード・マニュエル)は、そのブルースとカントリーがミックスされ、入り込んだR&Bをもってして‘アメリカーナ’というジャンルを定義付けた。そこまで音楽通のファンでなくても「The Weight」のコーラスは知っているし、「The Night They Drove Ol’ Dixie Down」は南北戦争をテーマに歌ったロック・ソングの中でも最高の一曲だ。

 

7. ロン・セクスミス
非常に才能に溢れ、批評家にもミュージシャンにも評判でありながらメインストリームに届かない似たようなパターンに気づいているだろうか? ロン・セクスミスもカナダのシンガー・ソングライターという王冠で輝くひとつの宝石だ。印象深く、チャーミングなその声とメロディ・センスを持ち、エルヴィス・コステロエルトン・ジョンなどの著名人をファンに持つ。ロン・セクスミスは、セント・キャサリンズ経由でトロントにたどり着き、1995年のセルフ・タイトルのメジャー・デビュー以来、そのソングライティングは評判が高い。熱心なギター・ポップ作品を14枚創作し、ファイストの「Secret Heart」やマイケル・ブーブレの「Whatever It Takes」など他のアーティストにはメインストリームでのヒット曲を提供しているものの、ロン・セクスミス自身はカルト的なファンが根強い。

 

6. ブライアン・アダムス
カナダ以外では、この甘い声を持つブライアン・アダムスを「Summer of 69(邦題:想い出のサマー)」や「Cuts Like a Knife」などの80年代のハード・ロック・ヒットや、未だ全英シングル・チャートでこれだけ連続トップを続けた曲はない90年代を独占したラヴ・バラード「(Everything I Do) I Do It For You」で知られているが、カナダのアイコンで多作なソングライターである彼には、学生のダンス・パーティーでかかる曲以上のものがある。聞き違えることのないハスキーな声とキャッチーな曲を作る才能で、カナダ人にとってメイプルシロップやアイスホッケー、そしてブライアン・アダムスの「Run To You」以上に重宝されているものはほとんどないと言っても過言ではない。

 

5. ラッシュ
イエスに心を奪われたカナダ人グループにイギリスのプログレシッヴ・ロックの感覚を合わせたら、世界で100万枚以上のセールスを記録し、カナダで最も成功したロック・バンドのひとつの出来上がりだ。ゲディ・リーとアレックス・ライフソンはトロント近郊で育ち、共に地元のクラブで演奏をし続け、のちに輝かしいプログレッシヴ・ロックのトリオとなったラッシュを結成。1974年のデビュー時からバンドのサウンドは変化していくものの、その優れたミュージシャンシップと複雑な作曲、鮮やかな作詞は他に類を見ない。大成功を収めたのはラッシュだったが、その他のカナダのプログレッシヴ・ロックのバンド、サーガ、クラトゥやトライアンフも覚えておきたい。

 

4. k.d.ラング
自らを‘トーチ&トワングなシンガー’と称したk.d.ラングはいわゆるトラディショナルなカントリー・シンガーに収まるはずもなかった。中性的なルックスと、男性をも涙させるような独特な声で、アルバータ州エドモントン出身のシンガー・ソングライターは90年代に大ヒットしたアルバム『Ingénu』で世にその名を馳せた。パッツィー・クラインのトリビュート・バンドのメンバーとして活動を始めたk.d.ラングは真のカントリー・キッドで「Crying」や「I’m Down to My Last Cigarette」のヒットを出しながら、ポップ・シングル「Constant Craving」でメインストリームでの成功も手に入れた。また、様々なコラボレーションもあった。そのそうそうたる面々にはロイ・オービソンやトニー・ベネット、そして1984年の『Shadowland』でのパッツィー・クラインの元プロデューサー、オウェン・ブラッドリーが含まれている。

 

3. ジョニ・ミッチェル
20世紀で最も賞賛され、影響力のあるアーティスト、ジョニ・ミッチェルはフォークの代表でありながら、ロック、ポップ、ジャズ、ブルース界にも同じぐらい精通している。60年代のグリニッチ・ヴィレッジとローレル・キャニオンのフォーク・シーンで常連だったジョニ・ミッチェルは、カルガリーで学生をしていた頃に活動をスタートし、トロントの街で路上をライブをしていた。「Woodstock」を有名にしたのはクロスビー、スティルス&ナッシュだったが、これこそ彼女の世代全員のアンセムだった。天賦の才能を持つソングライターであり、アルバム『Blue』、『Court And Spark』がこんなにも長く愛されていることはトレンドや常識などを覆している。そして、彼女の音楽はジャネット・ジャクソンからプリンスまで、あらゆるミュージシャンにサンプリングされている。

 

2. レナード・コーエン
100に及ぶカヴァーがなされている「Hallelujah」を産み落としたレナード・コーエンだが、これは過去50年間で彼がしてきた音楽への多大な貢献のほんの一部である。詩人としても作家としても活躍したレナード・コーエンは、モントリオールの文学シーンで人気を博し、その後音楽活動を始めて当代きってのソングライターとなり、そして愛、信仰、絶望、政治への自身の考えを最もシンプルな形で表現してきた。「Suzanne」や「Bird On The Wire」、「Sisters Of Mercy」などの曲は、彼がソングライターとしていかに求められているかを明らかにした。他のアーティストへ数々のヒット曲を提供したが、やはりレナード・コーエンの深く響き渡る声は誰にも真似できないものだった。

 

1. ニール・ヤング
こういうランキングというのは非常に主観的なものだが、ここ50年間でニール・ヤングが音楽界に及ぼしてきた大きな影響は否めない。バファロー・スプリングフィールドの時から、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、クレイジー・ホースとのソロの時期まで、オンタリオ北部出身のニール・ヤングはずいぶん前に故郷を離れたのだが、アメリカ市民になることはしなかった。ロック界でも多くの作品を生み出し、息の長いソロ。キャリアを持つニール・ヤングは、独自のスタンダードでソングブックを創作、政治的なアクションも続けており、「Children Of Destiny」という新しいプロテスト・ソングもリリースした。

 

(*本記事およびリストは本国uDiscovermusicの翻訳記事です)



ブライアン・アダムス『Ultimate』

   

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