ポール・ウェラーの大胆不敵な再出発:ザ・ジャムからザ・スタイル・カウンシルへ
ポール・ウェラーは1982年10月、英国パンク・シーン最大の成功と人気を手にしたバンドであるザ・ジャムを解散させた。これは、意図的な自己破壊行為だと思われても仕方がなかった。
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ザ・ジャムの解散
ウェラー、ベースのブルース・フォクストン、ドラムのリック・バックラーの3人から成るザ・ジャムは、1978年4月に爽快感溢れるデビュー・シングル「In The City」をリリース。それ以来、彼らは英国のバンドではザ・ビートルズしか前例がないほど大衆から熱烈に支持された。怒りとエネルギーを3分間に詰め込み、国民の期待や不安を代弁したウェラー作の楽曲群はアンセムとして愛されるようになっていたのである。
そうした中でも特に、解散直前の彼らは絶頂期を迎えていた。ウェラーの書く楽曲は痛烈さを増し、1982年3月に発表された当時の最新作『The Gift』は、モータウンにオマージュを捧げた刺激的なリード・シングル「Town Called Malice(悪意という名の街)」とともにチャートの首位に立ったのだ。ウェラーは1982年10月30日付の声明文にこう綴った。
「今年の年末をもって、ザ・ジャムは正式に解散する。グループとしてやれるすべてをやり遂げたと感じているからだ。ほかの多くのグループのように、老いてみすぼらしくなってから活動を終えたくはない」
こう書いた当時のウェラーはまだ24歳だった。
ウェラーのこの決断は世間を困惑させたが、それでもザ・ジャムは解散まで絶好調を保った。迫力満点のラスト・シングル「Beat Surrender」はリリースから間もない1982年12月4日に全英1位を獲得。最後の英国ツアー(ウェンブリー・アリーナでの5公演を含む)も、1982年12月11日にモッズの聖地ブライトンで行われた大団円の最終公演まで大成功を収めた。
その翌月、彼らの全シングルが英国で再リリースされると、そのうち12作がチャートのトップ100に再びランクインした。ファンはザ・ジャムの終焉を嘆いていた一方で、当のウェラーはこのころすでに次の大胆な戦略を練っていた――彼はその数ヶ月後、ザ・スタイル・カウンシルのリーダーとして再び表舞台に戻ってきたのである。
ザ・スタイル・カウンシル始動
ウェラーは2007年にBBCで放送されたドキュメンタリー『Soul Britannia』の中でこう語っている。
「ザ・スタイル・カウンシルでは色々なタイプの音楽に挑戦したいと思っていた。色んなことを試したかったし、当時耳にしていたあらゆる音楽をやってみたかった。登場したてのラップも、あのころ流行っていた80年代のR&B/ソウルもね。それに俺はジャズにもすごく入れ込んでいた。だから自由に好きなことをやるための”器”が欲しかった。……何の制約も受けず、そういうことにチャレンジできる場所を必要としていた。そういう野望を俺は抱いていたんだ」
欧州で活躍する新たなスタイルの映画監督たちから影響を受けたウェラーは、自らも音楽界で同じような存在になれないかと構想し、各作品のムードに合わせてその都度ミュージシャンを集める流動的なグループを主宰しようと思い立った。その頼れる右腕となる人物はすでに見つかっていた――マートン・パーカス、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ザ・ビューローなどに在籍した鍵盤奏者のミック・タルボットだ。
遡って1979年、ザ・ジャム時代のウェラーはタルボットに突然連絡し、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heatwave(恋はヒート・ウェイヴ)」のカヴァー(『Setting Sons』に収録)でピアノを弾いてほしいと頼んでいたのである。また翌年にも、タルボットはザ・ジャムがロンドンのレインボーで行ったライヴにゲスト出演。ソウル・ナンバーのカヴァーで彼らと並んでハモンド・オルガンを弾いていた。それゆえウェラーは、タルボットがソウルやファンクに対する2人の愛を形にできる技術を備えていることも、何より彼が自分と似た価値観を持っていることも知っていた。「彼は俺と同じでロック界の神話やロック・カルチャーが大嫌いだったんだ」。ウェラーは1983年、レコード誌にそう話している。
1983年3月、ザ・スタイル・カウンシルは輝かしいデビュー・シングル「Speak Like A Child」をリリース。同曲は冒頭から、ウェラーの新たな門出を象徴するサウンドだった――その特徴は、ファンク調のベース、ブラインドの隙間から差し込む日差しのような音色のオルガン、アップビートなメロディー、バック・ヴォーカルを担当したトレイシー・ヤングの甘い歌声、激しいギター・サウンドの不在などにある。また、そのミュージック・ビデオでは浮かれた様子のウェラーが二階建てバスで踊ったり、傘を持ってふざけ回ったり、タルボットにちょっかいをかけたりする。ザ・ジャム時代の気難しそうな青年の姿は跡形もなくなっていたのだ。
他方、そのB面曲の「Party Chambers」は、60年代のラウンジ・ミュージックのような雰囲気のある魅力的なバロック・ポップ・ナンバーだ(ウェラーがフルートを大きくフィーチャーしたのも間違いなくこの曲が最初のはずだ)。
2ndシングルの「Money-Go-Round」はこの路線をさらに発展させ、せわしないPファンク風のグルーヴ、全盛期のジェームス・ブラウン作品を思わせる猥雑なホーン・セクション、権力者に遠慮なく物申すウェラーによるラップ調のヴォーカルなどを取り入れた1曲となった。
資本主義を批判したそのメッセージは以前のウェラーのどの楽曲にも劣らぬほど怒りに満ちていた。だがその一方で、そのサウンドは腰を動かしながら踊りたくなるようなものだった――縦ノリのロックとは違っていたのである。1998年に彼自身がアンカット誌に語っていた通り、この作風にリスナーたちは戸惑いを抱いていた。
「<Money-Go-Round>を発表したあと、カーナビー・ストリートでモッズ少年たちに出くわすと”ジャズみたいなアレは何なんだ?”ってよく言われたよ」
だが、このあとも若きモッズたちにショックを与えるような楽曲が続くこととなる。
ポール・ウェラーのソウル愛
ザ・ジャムの解散前、ウェラーとグループは英国におけるモッズ・リヴァイヴァル・ムーヴメントの牽引役を担っていた。だが、もともと未来志向だったはずの同シーンの関心が過去へと移っていったことでウェラーは失望を感じるようになった。当人は1983年、ザ・フェイス誌にこう話している。
「”1963年のあのころみたいにブライトンで喧嘩しようぜ”みたいな懐古趣味はまったく下らない。俺は今でも自分のことを現代主義者だと思っている――それを俺の手でもっと推し進めないといけないんだ!なのに、世間には本質が見えていない。繁華街を闊歩し、アメリカのソウル・バンドのライヴを見に行くソウル好きの少年少女たちこそ、モッズ文化が残した真の遺産なんだ」
ウェラーはその数年前から、青春時代に愛好していたソウル・ミュージックに再び目を向けるようになっていた。それによってまったく新たな音楽の世界が広がったのである。ウェラーはモジョ誌にこう話している。
「(ザ・ジャムの)ツアーに、エイディ・クローズデールっていうDJが帯同していたんだ。俺の知らなかった音楽を彼が色々教えてくれたんだ。ソウルの素晴らしいシングル曲とかさ。カーティス・メイフィールドの初期のソロ・アルバムも彼に教わって聴いて、詩に政治性を織り交ぜた詩人としての彼の魅力を知った」
そうしてウェラーは、レコードの販売も手がけていたクローズデールにレアなソウル・シングルのリストを手渡して探してもらうほどになった。また、ノーザン・ソウルに夢中なダンサーだったクローズデールの恋人に踊りを教わったこともあったという。
ウェラーの心酔ぶりは当然、彼の作る楽曲にも反映された。「Absolute Beginners」「Town Called Malice」「Trans-Global Express」「Beat Surrender」といったザ・ジャム時代の楽曲にはどれも、ソウルの名曲群からの影響が感じられるのである。だがスタイル・カウンシルを組んだことで、ウェラーはより本格的なソウル・サウンドを追求できるようになった。
「グループを組んだ当時、彼は2箱分の7インチ・シングルを所有していた。どれも比較的希少な60〜70年代のソウル作品で、ノーザン・ソウルやファンクのものも混じっていた」とタルボットは明かしている。中でもウェラーのノーザン・ソウル愛が顕著に表れていたのは、1983年11月にリリースされたシングル「A Solid Bond In Your Heart」である。
もともとザ・ジャムの面々でデモ録音(1992年の秘蔵音源集『Extras』に収録)をしていた楽曲だが、このシングル・ヴァージョンではウィガン・カジノのダンスフロアも沸くであろう同シーンへの熱烈なオマージュへと生まれ変わっている。
一方、同じくスタイル・カウンシル初期のシングルである名曲「Long Hot Summer」は、70年代中期に生まれたソウルの一種”クワイエット・ストーム”を思わせる曲調だ。ゆったりとしたグルーヴに乗せ、ウェラーが情熱的な歌声を聴かせる1曲である。のちにウェラーはトム・ドイルにこう話している。
「アイズレー・ブラザーズの<For The Love Of You>って曲は知っているかい?あの曲のサウンドをちょっと参考にさせてもらったんだ」
こうしたグループ初期のシングルA/B面曲は1983年の編集盤『Introducing The Style Council』(オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、日本、オランダのみでのリリース)にまとめられている。同作には2曲の”クラブ・ミックス”も収められていたが、このことも先進的でジャンルに縛られないウェラーの音楽へのアプローチを物語っている。
“カフェ・ブリュ”
ザ・スタイル・カウンシルとしてのデビュー・アルバム『Café Bleu』(米国では『My Ever Changing Moods』の題で発売)を制作する段になると、ウェラーはパンクのルーツからさらに遠ざかっていった。タルボットはモジョ誌にこう話している。
「『Café Bleu』のころには、俺たちはジャズに挑戦しようとしていた。それほど大層なものじゃないけどね。自分たちをジャズ・ミュージシャンだとは思っていなかった。”ジャズ好きのミュージシャン”というだけだよ」
そんな『Café Bleu』のジャケットをデザインしたのはサイモン・ハルフォンだ。シンプルかつスタイリッシュなタイポグラフィと色付けされた写真からは、ウェラーとタルボットがリード・マイルスによるブルー・ノートの素晴らしいジャケット群をこよなく愛していたことが読み取れた。
また、ウェラーは当時のインタビューで50年代後半から60年代前半にかけてのハード・バップ/クール・ジャズ(キャノンボール・アダレイ、ジミー・スミス、ホレス・シルヴァーらの作品)や、ドナルド・バード、ハービー・ハンコック、モダン・ジャズ・カルテットらの初期作品にも言及している。
「A面では、ライヴ録音のようなサウンドを目指した。ナイトクラブでのバンドの演奏みたいにさ」
ウェラーはスマッシュ・ヒッツ誌のインタビューでニール・テナントにそう話している。そして、ジャズの要素は『Café Bleu』のあちこちに散りばめられていた。例えばタルボットの軽快なプレイを堪能できるオープニング・トラックの「Mick’s Blessings」は、ウォーキング・ベースに合わせて彼が弾くジャジーなピアノを中心に据えた1曲。
また、いずれも物憂げな曲調のバラードである「The Whole Point Of No Return」「Blue Café」「The Paris Match」(エヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンがヴォーカルで参加)の3曲にもジャズの影響が感じられる。他方、迫力のあるハード・バップ風のインストゥルメンタル「Dropping Bombs On The Whitehouse(ホワイトハウスへ爆撃)」は、サックスのビリー・チャップマンとトランペットのバーバラ・スノウの演奏により命を吹き込まれている。
このほか、ブッカー・T&ザ・MG’s風のインストゥルメンタル「Council Meetin’」や、モータウン作品のような高揚感溢れるサウンドの「Headstart For Happiness」にはソウルの影響が色濃く表れている。だが、そんな同作の中でも特に冒険心が感じられたのはエレクトロ・ファンクに挑戦した「Strength Of Your Nature」と、ラッパーのディジー・ハイツを迎えてヒップホップに手を広げた「A Gospel」である。
ザ・ジャムの解散を発表した際、ウェラーは音楽制作の自由を手にしたいという点を強調していた。そしてノーザン・ソウル風のシングル群にしろ、ジャズ、ヒップホップ、ファンクに傾倒した『Café Bleu』にしろ、ザ・スタイル・カウンシルの初期の活動はその自由を彼にもたらしたと言える。
英国一の人気を誇るバンドに在籍する重圧から解き放たれた彼は、常に移り変わる自身の音楽への熱意を、どこまでも思いのままに探求し始めたのである。
Written By Will Schube
ザ・スタイル・カウンシル『Café Bleu (Special Edition)』
2026年1月30日配信
CD/LP 5月15日発売
6CD・3LP /Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
- ザ・スタイル・カウンシル アーティストページ
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