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マライア・キャリー『MIMI』での大復活へと至る道:“お姫様”から最強のディーヴァへの変貌

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2025年の10月と11月に、7年ぶりの来日公演が決定したマライア・キャリー(Mariah Carey)。5月30日には『The Emancipation of Mimi』の20周年盤が発売されることも決定した。

そんな彼女のキャリアにおいてカムバックとなった名作アルバムに至る道について、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに解説頂きました。

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最高峰の歌唱力

「受賞(スピーチ)は逃してもいいけれど、マライアに会うのは逃せないから」と、マイリー・サイラス。2024年のグラミー賞の最優秀ポップ・パフォーマンスの受賞場面だ。

プレゼンターは勝者にトロフィーを渡したあと脇に捌けるものだが、マイリーはマライアの腕をしっかりつかんで「MCとMC(マライア・キャリーとマイリー・サイラス)、こんなアイコニックなことはないから」と並んだまま、マライア・キャリーのシンボル、蝶=バタフライにひっかけたスピーチを披露して絶賛を浴びた。マイリーのマライア愛が炸裂した瞬間であり、じつはグラミー賞に冷遇されてきたマライアがまたひとつ、形勢をひっくり返した瞬間でもあった。

また、オリヴィア・ロドリゴは自分の歌唱力について質問されて、「I’m no Mariah, but‥(マライアみたいに歌えるわけではないけど‥)」と答えていた。アメリカの10代にとっても、歌唱力の最高峰はマライア・キャリーとの共通認識があるのだと驚いた。

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マライア・キャリーはサヴァイバーであり、ファイターである。アメリカの国民的歌手、世界で知られるディーヴァなのは、まちがいない。2019年のクリスマスに、四半世紀前に放った代表曲「All I Want For Christmas is You」がBillboard Hot 100の1位を記録し、4つの年代(1990年代・2000年代・2010年代・2020年代)にわたってNo.1ヒットを放つという離れ技もやってのけた。

ヒットやアワード、ソングライターとして殿堂入りした功績を並べれば切りがないが、本稿は、ファンから略して『MIMI』と呼ばれている『The Emancipation of Mimi』に焦点を当てる。2005年にアメリカでもっとも売れたアルバムとなった、10作目である。20周年記念盤がリリースされるタイミングで90年代後半から21世紀初頭のマライアに起きた出来事を整理しつつ、「ミミ」という本来のニックネームとともに素の彼女を前面に出した復活アルバムの全容を解説する。

 

プリンセスからディーヴァへ

まず、キャリアとともに変わってきたイメージについて。5オクターブとも言われる声域と愛らしい笑顔をもつ歌姫。1990年にセルフ・タイトルのデビューで登場してから5作目『Daydream』まで、マライアにたいしてディズニー・プリンセスのようなイメージを持っていたファンも多かったように思う。

とくに1993年に当時のソニー・レコードの社長、トミー・モトーラと結婚し、1994年のクリスマス・アルバムで前述のクリスマス・ソングを放ったあたりまでは、売り方そのものがおとぎ話みたいだった。

日本でも大人気だったが、白状すると筆者はこの時期、あまりマライアに関心がなかった。お姫様は20歳年上の王様と結婚してめでたし、とはならず、モトーラは公私ともにマライアをコントロールしていたそうで、監視カメラまであった大邸宅を有名な刑務所に引っかけて「Sing Sing (シンシン)」と呼ぶような生活だった。

マライア・キャリーにかんする最大の誤解は、人種にかんするものだろう。彼女は「白人」ではない。アフリカン・アメリカンとベネズエラの血を引く父親とアイルランド系アメリカ人の母親をもち、お兄さんはラテン系に見えるし、お姉さんも肌色は薄いもののアフリカ系の血が混ざっているのがわかる。マライアは、たまたま母親の要素が強くでたバイレイシャルなのだ。60年代は黒人と白人のカップルにたいして世間は厳しく、両親は早々に離婚して母親に育てられた彼女はとても苦労して育った。

父側のルーツも大切に思い、ニューヨーク州北部でヒップホップを聴いて育った彼女は、そのバックグラウンドを少しずつ出していく。90年代はヒップホップ文化の台頭とともに、そのエッセンスを取り入れる大物やポップスターが多かった。なかでも、マライアの解釈と取り組み方が「ガチ」であったのは、ここに理由がある。

結論を先に書くと、90年代を代表するディーヴァだったからこそ、過去の人になる危険性があった彼女が『The Emancipation of Mimi』で見事に復活できたのは、シンガーソングライターとして、音楽性のみならずヒップホップ・カルチャーごと吸収して自分のものにできたのが理由である。

 

ヒップホップとマライア

記録の上ではモトーラとの結婚は1993年から離婚が成立する1998年までだが、1996年にはすでに別居していた。流行りだった露出の多いファッションをまとうようになったのもこの頃だ。

皮切りは、1995年『Daydream』のシングル「Fantasy」。トム・トム・クラブの「Genius of Love」のサンプリングを考えついたのはマライア自身で、リミックスではウータン・クランのオール・ダーティー・バスタード(ODB)を招き、彼女のファンとヒップホップ・ヘッズ両方を驚かせた。違和感が強い組み合わせだったが、マライア自身が初監督した遊園地で撮影されたミュージック・ヴィデオは、その違和感がクセになるおもしろさがあった。

Mariah Carey – Fantasy (Official 4K Video)

次作の『Butterfly』はシンボルの蝶をタイトルに冠し、ショーン・パフィ・コムズやア・トライブ・コールド・クエストのQティップ、ミッシー・エリオットが参加し、よりヒップホップ/R&Bのカラーを強めた。

大ヒットしたリード・シングルの「Honey」はパフィと、Qティップ、トライブのアリ・シャヒード・ムハンマド、故J・ディラのプロデュース・チーム、ジ・ウマーが手がけ、セクシーなイメージを強めて刷新した。まだ離婚が成立してなかったため、ラッパーたちとの交友関係がタブロイド紙にあれこれ書かれた時期でもある。

Mariah Carey – Honey (Official 4K Video)

7作目『Rainbow』の「Heartbreaker」では、人気ラッパーとして売れつつあったジェイ・Zをフィーチャー。離婚が成立し、21世紀になったタイミングでヴァージン・レコーズへの移籍が決まり、巨額の契約金が話題になった。

だが、ソニーからのベスト盤『No.1』と半自伝映画『グリッター』の撮影、球界の大スター、デレク・ジーターや「ラテン・エルヴィス」と異名をとるルイス・ミゲルとの恋愛/ゴシップ、家族の問題でマライアは心身ともに疲弊してしまう。その結果、2001年7月にはMTVの生放送番組、トータル・リクエスト・ライヴに出演した際に服を脱ぎ出してしまい、大騒ぎとなった。

ニュースの見出しにご乱心を意味する「ブレイクダウン」が並ぶ事態。じつは、筆者はこの放送をリアルタイムで観ていたのだが、何が起きたのかわからなかった。衣装に不具合があってトップスだけ脱いでいるように見えたのだ。司会者の慌てぶりが異変を伝えてはいたが。直後にマライアは入院し、お騒がせスターとしてのイメージがついてしまった。

 

00年代初頭の低迷期

鳴り物入りだった映画『グリッター』は、よりによって世界同時多発テロ事件が起きた直後の2001年9月21日に公開され、大コケしてしまう。名作『スター誕生』とよく似た筋書き、80年代のニューヨーク、バイレイシャル、母親がシンガー、極貧育ちによるいじめ、マンハッタンに出てきて友人に支えられながらチャンスをつかむ、あっという間にスターに‥など、マライアの現実に重なる部分が多い。

表層的でどこかで見たような展開が多いため、酷評された。これは、当時のマライアが「批判していいスター」枠にいたのも作用したように思う。いま見返すとマライアの歌唱シーンは当然すばらしく、親友のラッパー、ダ・ブラットがいい味を出していて気軽に楽しめる。ただし、自分を見出して恋愛関係になるDJ/プロデューサーが同世代で彼女を守ってくれようとしたり(殺されるけど)、クラブで遊ぶシーンで弾けたりするのは、「自分の20代がこうであったら良かったのに」というマライアの願望が透けるようで、少し辛い。

映画「グリッター きらめきの向こうに」予告編

醜聞と映画の失敗が響いてヴァージンからの1作目だったサントラ『Glitter』は期待された売上にはならなかった。ヴァージン側は契約内容を見直すように働きかけたが、それを飲むようなマライアではない。元夫のトミー・モトーラの嫌がらせもあった。シングル「Loverboy」が日本のYMOの「Firecracker」をサンプリングしている情報が漏れたため、わざとジェニファー・ロペスの「I’m Real」に同曲を使って先にドロップさせたのだ(*19年後の2020年、「Firecracker」をサンプリングしたヴァージョンも公開)。マライアは代わりにカメオの「Candy」を敷き直してヒットさせたのだが。

Jennifer Lopez – I'm Real (Official HD Video)
Mariah Carey – Loverboy (Firecracker – Original Version – Official Audio)

ここで動いたのがユニバーサル ミュージックである。CEOのダグ・モリスとヒップホップ部門のトップ、リオ・コーエンらがマライアのペントハウスに出向いて直接交渉し、多額の違約金をヴァージン・レコーズに払ってマライアを引き抜いた。

2002年に傘下のアイランド・デフジャム・レコーズからリリースされた『Charmbracelet』は、名誉回復と変身の始まりを告げた。シングルは、ジャム&ルイス作のバラード「Through The Rain」。窮地にも負けない心意気を歌い、MVでは異人種間の結婚で苦労した両親の話を盛り込んでパーソナルなアプローチを取った。

徐々に評判を回復していくなかで大きな転機となったのが、LAリードが同レーベル社長に就任したことである。ソングライターの最高峰、ベイビーフェイスとのアトランタのレーベル、ラフェイス・レコーズからTLCやアッシャー、アウトキャストを世に送り出し、90年代にブラックミュージックを牽引した敏腕プロデューサーだ。彼のバックアップを得てマライアはさらにブラック・ミュージックへとシフトし、『The Emancipation of Mimi』でドラマティックな復活劇を果たす。

 

「ミミの解放」と大勝利

マライアを「ミミ」と呼ぶのは、ごく親しい人たちだけだった。この愛称に気づいたLAリードが、自虐を含め、どんなことでも笑い飛ばす本来の彼女を示せると考え、タイトルに使う提案をしたという。

解放を意味する“Emancipation”は、「奴隷の解放」などに使われる強めの言葉だ。作られたイメージや自由がなかった結婚生活、助けにならなかった家族や厳しかった世間の目などさまざまなネガティヴな事柄から、ミミとして解放される宣言を込めていた。

2020年の自伝『The Meaning of Mariah Carey』でも、「『MIMI』の成功は、その頃には友人になっていたLAリードによるところが大きいのです。彼とユニバーサルは私を信じてくれた。『Butterfly』が感情が覚醒したアルバムなら、『MIMI』は精神的な進化-真心と生々しい感情が込められている作品」と記されている。

エグゼクティヴ・プロデューサーはマライア本人とLAリード。ネプチューンズが作った「Say Something」はスヌープ・ドッグを、「To the Floor」はネリーをフィーチャーしたクラブ・バンガーで恋の駆け引きがテーマだ。

Mariah Carey – Say Somethin' (Official Music Video) ft. Snoop Dogg

ザ・ルーツのメンバーでもあるジェームズ・ポイザーによる「Mine Again」では別れた彼を取り戻したいと願い、カニエ・ウェスト(現Ye)らしいピアノのループが効いた「Stay The Night」にいたっては、新しいパートナーがすでにいる元カレと寝てしまう内容だった。こういった現実的なラヴソングが30代に入った等身大のマライアと重なり、共感を呼んだ。

Stay The Night

また、彼女は生楽器の演奏と、自分の歌声をいじり過ぎない「生々しさ」にこだわったという。90年代のヒット曲を愛するファンのために「I Wish You Knew」や「Fly Like A Bird」といったバラードも用意したが、トラブルを経て神への信仰心を新たにしたのもあり、ゴスペルのカラーが強い。

レコーディングに4年をかけて曲が揃ったところで、爆発力があるシングルが欠けていると判断したリードが、アトランタでともにシーンを築いたジャーメイン・デュプリの起用を提案。これが、大きかった。「It’s Like That」や「Shake It Off」、「Get Your Number」の軽妙なトラックでマライアの新しい魅力を引き出したのだ。

Mariah Carey, Fatman Scoop, Jermaine Dupri – It's Like That (Official Music Video)

とりわけ、セカンド・シングルの「We Belong Together」は14週間もBillboard Hot 100の1位を記録し、00年代を代表する曲になった。マライアとデュプリ、マニュエル・シール、そして日系の祖父をもつシンガーソングライター、ジョンタ・オースティンが書いた歌詞がとにかくすばらしい。

途中でボビー・ウォーマックの「If You Think You’re Lonely Now」と、LAリードとベイビーフェイスが書いたザ・ディールの「Two Occasions」をラジオで聴いて歌詞で泣く、という劇中劇のような構成と、その主人公になりきって歌うマライアの存在感は唯一無二だ。

【和訳】Mariah Carey – We Belong Together / マライア・キャリー / 2025年秋に来日公演決定!

完璧な失恋ソングとして名高いが、2021年公開の「We Belong Together (Mimi’s Late Night Valentine’s Mix)」では、新たに歌い直している。終盤でジャズヴォーカルに昇華させ、マライア本人の歌唱力に「その上」があったことを示していて驚く。

Mariah Carey – We Belong Together (Mimi's Late Night Valentine's Mix)

20周年盤で初公開となる、人気プロデューサー、ケイトラナダが手がけた「Don’t Forget About Us」のリミックスはミニマムな仕上がりが2025年らしく、ほかの仕立て直した曲も楽しみだ。

Mariah Carey – Don't Forget About Us (KAYTRANADA Remix / Visualizer)

2025年の10月~11月の来日公演は『Cerebration of Mimi』と銘打ったラスヴェガスのパークMGMから始まった、本作を中心にしたセットリストのツアーの一環でもある。昨年のクリスマスに放映された、NFLとNetflixの新しい試みだったNFLクリスマス・デーゲームの試合開始前にパフォーマンスを披露し、スーパーボウルのヘッドライナーにも意欲を見せているマライア・キャリー。やはり真のサバイヴァーであり、最強のディーヴァなのだ。

Written by 池城美菜子 (noteはこちら)


20周年記念盤発売決定

マライア・キャリー『The Emancipation of Mimi: 20th Anniversary Edition』
2025年5月30日発売
CD/LP


マライア・キャリー7年ぶりの来日公演

神戸:10月28日(火)  (ジーライオンアリーナ神戸)
横浜:11月1日(土) Kアリーナ横浜
横浜:11月2日(日) Kアリーナ横浜
公演詳細はこちら




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