ロックの歴史に残る60年代の最大の失敗「ボスタウン・サウンド」を振り返る

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それは1968年のこと、ロサンゼルスとサンフランシスコのどちらがアメリカの音楽の首都になるかと競い合っていた。こういったオーガニックなムーヴメントの成功を別の場所でも起こさせるために、MGMレコードはボストン出身のバンドといくつか契約を結び、“ボスタウン・サウンド / Boss-town Sound” としてまとめて宣伝することを思いついた。ボスタウン・サウンドはロックの歴史に残る60年代の最大の失敗であり、最悪なことにMGMがおこなったキャンペーンは“組織的な誇大広告”としてプレスの標的にされ、最初から成功の見込みがなかった。

MGMレコードがキャンペーンの一環として、数十個ぐらいの奇妙なバンドと契約を結んだ中で、最も知られていたのはアルティメット・スピナッチ、オルフェウス、そしてザ・ビーコン・ストリート・ユニオンの3バンドだった。

当時のボストンはロックン・ロール不毛の地というわけではなかった。1959年、フレディ・キャノンが歌う「Tallahassee Lassie」や「Palisades Park」など彼のヒット曲の殆どが他の街について歌ったものであっても、ボストンはフレディ・キャノンの出身地として有名な街となった。もう一人のボストン出身のミュージシャン、リチャード・モンスールは西海岸へ移住後、サーフ・ギターを生み出し、名前をディック・デイルと改名して大きなムーブメントを作り、同じくボストン出身のバリー & ザ・リメインズはこれまでで史上最高のガレージ・ロックのシングル曲「Don’t Look Back」を録音、ザ・ビートルズの最後のライヴ・ツアーのオープニングを飾った。

もうひとつの素晴らしいガレージ・バンド、ザ・ロストはヒット曲にこそ恵まれなかったものの地元音楽の常連であり後期ベルベット・アンダーグラウンドのキーボード奏者ウィリー・アレキサンダーをデビューへと導いている。

このようなボストンの音楽シーンの盛り上がりを受け、1967年後半に、金の卵を求めてMGMはスカウト・メンバーをボストンへ派遣。西海岸と同じくボストンでもサイケデリックな傾向は本格的となり、多数の学生と発展中のクラブ・シーンと共に、ありとあらゆる音楽的な実験が街で流れることを可能にしていたFMラジオの選曲は自由思想を持つミュージシャンたちの曲で占められていた。つまりそのような地域の盛り上がりを感知したMGMがアメリカの次なる音楽の温床としてボストンを確立させるために投資を行ったということだ。

しかしその中に問題が潜んでいた。MGMが行った投資のような行為が企業発のマーケティング戦略のようにみえ、MGMが狙っていたヒッピー支持者層には嫌われていったのだった。

1968年1月、ウォール・ストリート・ジャーナルに “新しい音の発売” というダサイ特集記事が掲載され、ボストンはより一層ヒップさを失った。MGMの広報は 「世界を揺るがす音の登場。全てが昨日のように聞こえる新しい音が聞こえる街、ボストン。1968年の新しい愛の定義や詩と音楽が生み出される場所、ボストン」と謳い文句を誇大広告的に付け加えた。予想通り、サンフランシスコのシーンと強く関連していたローリング・ストーン誌は「くだらない」と最初に言い放っている。

この誇大広告の裏で、ボストンには度を超えたサイケデリック文化がちゃんと存在していた。シタール、フィンガーシンバル、そして重苦しい話し言葉「生気のない目を見ろ! 死んだ皮膚に触れてみろ! 冷たい唇を感じ、ヒップな死の女神の暖かさを知れ!」で始まるアルティメット・スピナッチの「Ballad of the Hip Death Goddess」のように、2、30年前にゴス・ムーブメントを予測していたといえる曲は、ひたむきなヴォーカルと記憶に残るマイナー・キーの鉄板曲である。

ザ・ビーコン・ストリート・ユニオンの代表作「The Clown Died in Marvin Gardens」はドゥーム、アシッド、そしてモノポリーのイメージをミックスした曲だ。

ほとんどのアルバムはMGMのプロデューサーと管弦楽法で実験することに夢中になっていたベテランのアレンジャー、アラン・ロアバーによって監修された。良いガレージのシングル曲を何枚か出していたロッキン・ラムロッズも契約していたバンドのひとつだったが、アロン・ロアバーは彼らの音をサイケ調にし、彼らに毛皮を着用するよう促し、MGMのボスタウン・バンドにいたもうひとつのフラッフ (Phluph) と混乱されないように彼らの名前をパフ (Puff) と改名させた。

「ボスタウン・サウンド」に便乗しなかったのは駆け出しだった地元のグループ、J.ガイルズ・バンドだった。MGMと契約寸前まで行ったものの、同じ時期にあとからアプローチしてきたアトランティック・レコードに音楽的に打ち解けた気持ちを感じて契約した。けれども、これによってJ.ガイルズ・バンドはウッドストックへの出演を阻まれることになった。

彼らのマネージャー、レイ・パレットは彼の担当するバンドのひとつだけに出演枠を提供されたが、その枠に関してMGMと取引を行い、ウッドストックで演奏した唯一のボストン出身のバンドはクイルになった(*元リメインズのドラマー、NDスマートはマウンテンのメンバーとしては演奏しているが)。あいにくクイルの出演時間はウッドストックの観客のほとんどが到着する前の金曜日の夕方にあてがわれ、クイルのキャリアには貢献することはなかった。残念なことに、クイルがウッドストックで演奏した彼らの曲「They Live the Life」は、彼ら唯一のアルバムの代表曲でもあり、曲自体はストレートな世界のタフな良い音で、間もなくしてステッペンウルフがやりそうな音に近いものだったので、演奏日時が違っていればバンドの人生が変わっていたかもしれない。

この集団の中でも奇妙ながらもヒット・シングルを出したのはオルフェウスだった。彼らの音は少しもサイケデリックではなく、どちらかというとオルフェウスはアソシエーションやレフト・バンク系の洗練されたポップ・グループだった。彼らのセカンド・アルバム『Ascending』には、レフト・バンクの「Walk Away Renee」のカヴァーすら収録されていた。彼らのヒット曲「Can’t Find the Time」は完璧に美しいレコードであり、それに続く素晴らしい曲も彼らの4枚のアルバムの中に散在している(1971年発売の『Bell』が最後のアルバムとなった)。

2000年、フーティー・アンド・ザ・ブロウフィッシュが彼らのヒット曲をカヴァーした時、バンドは集中的に注目を浴びた。オルフェウスのリーダーであるブルース・アーノルドはフーティー・アンド・ザ・ブロウフィッシュとライヴで歌うために、引退の撤回すらそそのかされ、今日に至るまで演奏をするために新しいラインナップでオルフェウスを結成することとなっている。

アルティメット・スピナッチも、スティーリー・ダンやドゥービー・ブラザーズで名をあげたジェフ・スカンク・バクスターをギタリストとして加入させたことで、彼らのセカンド・アルバム『Behold & See』はヘヴィなロック・サウンドを感じさせて、やや現実的な世界に戻ってきた。しかしボストン・サウンドのバンドの中で最も有名な人物となったのは、前述のロストやアルティメット・スピナッチに参加したあとのテッド・マイヤーズが結成したバンド、カメレオン・チャーチでドラムを叩いていたチェビー・チェイスだ。彼はミュージシャンではなく、未来の大人気コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」で大スターとなった。

その時代の写真では、内巻きのボブな髪型とネールジャケットに身を包んだチェビー・チェイスは真剣に見えるが、彼が失態を演じて全部やらせだよーと暴露しそうな感じにも思える。ステージ上でもバンドと一緒に何かしらのコメディ的なことをやっていたと思われるが、カメレオン・チャーチのとあるアルバムには、ほぼフィンガー・シンバルに限定されるドラミングと他のハンド・パーカッションと共にかすかにドノヴァンのような音が入っている。

ボスタウン・サウンドの終焉は、始まった時と同じぐらい下品だった。1969年、MGMレコードの社長として業務を引き継いだマイク・カーブ(のちの共和党保守派のカリフォルニア州副知事)の最初の行動は、ドラッグを支持していると彼が判断した全てのバンドをレーベルから一掃することだった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、そしてこれまでのキャリアを通じてドラッグやドラッグ・ユーザーを軽蔑してきたフランク・ザッパまで、奇人たちが最初に選ばれている。

おそらくよりパーティー色の強かったエリック・バードン & ジ・アニマルズは、多くのレコードを売っていたことでなんとか追放を免れた。この雰囲気の中でボストン・バンドたちは契約を切られ、清廉潔白なオルフェウスですら追い出された。その後マイク・カーブが最初に契約したのはアイドル・グループ、オズモンド・ブラザーズだった。60年代は駆け足で終わろうとしていたが、ボストンではエアロスミスとJ・ガイルズ・バンドの成功を間近に控え、その成功に続かんとトム・ショルツ率いるボストンとザ・カーズは後に飛び立てるように生き延びていた。

Written by Brett Milano



 

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