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音楽史で最も有名な15人のオルター・エゴ(第二の自我)

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過去何世紀にもわたり、ミュージシャンたちは自らのパフォーマンスの一部として、単なるステージ・ネームを超越した数々のパーソナリティを生み出してきた。ある者にとって、それはアルバム一枚限りの話題作りだった。マッシュルーム・カットのボーイ・バンドというイメージを脱却したいと考えたザ・ビートルズは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を作り上げた。自己神格化を図るケースもあった。ロバート・ジンママンがいささかイナたい本名を捨て、もっと恰好の良いボブ・ディランという名前に、さすらいの吟遊詩人という背景をつけて自らのイメージを完成させたように。

またある者たちにとって、それは業界的な圧力の産物だった。彼らの名前には必要以上に ‘エスニックな響き’があると言われたサイモン&ガーファンクルは、かの有名なドタバタアニメから拝借して“トム&ジェリー”名義でレコーディングを行なった。そしてまたあるいは、ガース・ブルックスによる架空のロック・スター・ペルソナ、クリス・ゲインズのように、最初から失敗を運命づけられたような者たちもいた。

カントリーからロック、ジャズからヒップホップまで、こうしたペルソナはアーティストたちのキャリアにおいて、それぞれに特定の時代を体現する存在である。ここでご紹介するのはごくひと握りだが、50年代から現在までに登場した、最もよく知られたオルター・エゴを選りすぐってみた。

(*本記事およびリストは本国uDiscovermusicの翻訳記事です)


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1. ジョージ・クリントン:スターチャイルド/ドクター・ファンケンシュタイン/Mr.ウィグルス( Starchild/Dr Funkenstein/Mr Wiggles)

ジョージ・クリントンが造り出したのは単なる第二の自我にとどまらない。彼は自らの主宰するP-ファンク神話主義により、アフロフューチャリズム(アフリカ未来思想)へと繋がるひとつの壮大なる宇宙を創り出したのである。彼の先駆的なバンド、ファンカデリックとパーラメントはどちらもクリントンの宇宙論に根差していて、銀河をテーマにしたダンサーたちやコスチュームを導入し、パフォーマンス中のステージの上には実際に宇宙船のセットが作られていた。彼が物心ついて以来抱き続けてきたSF世界に対する憧れは、そのまま彼の演じるキャラクターで映画『2001年宇宙の旅』にインスパイアされたスターチャイルドに昇華し、ドクター・ファンケンシュタインはジョージ・クリントンのクローン人間に対する夢想が形を成したものである。この他にも彼はラッパー兼DJのMr.ウィグルスや、サー・ノウズ・デイヴィド・オブ・ファンク、ロリポップ・マン等々、数え切れないほどの分身の持ち主だ。

2. デヴィッド・ボウイ:ジギー・スターダスト/アラジン・セイン/シン・ホワイト・デューク
宇宙にインスピレーションを得たアーティストをもうひとり挙げるなら、バイセクシュアルのグラム・ロック・スターという地球外生命体のペルソナ、ジギー・スターダストを1972年のコンセプト・アルバム『The Rise And Fall of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars(邦題:ジギー・スターダスト)』で不滅の存在にしたデヴィッド・ボウイだ。ジギーに永遠に縛られたくなかったデヴィッド・ボウイは、キャラクターとしての彼を抹殺し、暗い退廃の時代のアメリカに触発されたよりハードで不敵なペルソナ、アラジン・セインとなった。そしてその後すぐに、デヴィッド・ボウイが映画『地球に落ちてきた男(原題:The Man Who Fell To Earth)』で演じたヒト型宇宙人、トーマス・ジェローム・ニュートンに見た目が非常によく似た3番目のペルソナ、イカれた貴族のシン・ホワイト・デュークをデビューさせた。ザ・デュークが繰り出す過激な言動のためにデヴィッド・ボウイは非難の的となったが、彼はその責任をすべてこのキャラクターに押しつけていた。

David Bowie – Ziggy Stardust (Live, 1973)

 

The-Dukes-Of-Stratosphear

3. XTC: ザ・デュークス・オブ・ストラトスフィア
長く過小評価されてきた英国のバンドのサイケデリックなオルター・エゴは、アーティスティックな思考と言うよりジョークから生まれたものだった。メアリー・マーガレット・オハラのレコード『Miss America』のプロデューサーを下ろされたXTCのフロントマン、アンディ・パートリッジとプロデューサーのジョン・レッキーは、ヴァージンからの慰謝料を使い切ってしまうことに決め、アンディ・パートリッジとコリン・ムールディングが書いていたもののXTCで出すにはあまりに実験的なサイケデリック・トラックを録音した。かくして生まれたのが謎に満ちた新人バンド、ザ・デュークス・オブ・ストラトスフィアで、2枚のアルバム 『25 O’Clock 』と 『Psonic Psunspot』の売上はXTCのレコード・セールスを上回った。愉快な茶番の仕上げにメンバーたちは全員それぞれ変名を使い、奇抜な衣装を身に着けていたので、彼らを本物のバンドだと思い込む人々も少なくなかった。実際彼らのデビュー・アルバムは1985年の4月1日(*注:エイプリル・フール)に発売されるという凝りようだったが、XTCにとって、ザ・デュークス・オブ・ストラトスフィアは「僕らみんなが学生の頃にやりたいと思ってたバンドそのもの」だったそうだ。

4. ハンク・ウィリアムス:ルーク・ザ・ドリフター
多くのアーティストたちが活動の手段としてペルソナを使い分けていたのに対し、カントリー界の大御所ハンク・ウィリアムスは、正しい行いを広め、思慮分別臭い金言を施すために、道徳心の権化のような第二の自我、ルーク・ザ・ドリフターを作り出した。押しも押されぬスターの座に就いて以来、人々はハンク・ウィリアムスのリリースする作品に対し、お決まりの“ハンク・ウィリアムス・サウンド”を求めるようになっていた。その結果として、ハンク・ウィリアムスはルーク・ザ・ドリフターという別人格を作り、批判を気にすることなく、社会的に正すべきだと感じている問題など、より深刻なテーマについて歌うことにしたのである。これらの“トーキング・ブルーズ”的楽曲の大半は、思索に満ちたナレーションや暗唱だった。ハンク・ウィリアムスによる150を超える楽曲のうち、ルーク・ザ・ドリフターの名でリリースされたのは僅か14曲のみであり、いずれも彼の存命中にはチャートインすることはなかった。

5. デヴィッド・ヨハンセン:バスター・ポインデクスター
ある意味逆変化と言うべきか、ヘヴィ・メタルのルックスとパンク・ロックのサウンドを作り上げるのに一役買った男は、女性ものの衣装を着たニューヨーク・ドールズのフロントマンから、キャッツキルの現代版ラウンジ・シンガーへと転身を遂げた。ニューヨーク・ドールズの解散後、デヴィッド・ヨハンセンはメーキャップとフィッシュネットを捨て、タキシードに身を固め、髪を撫でつけ、バスター・ポインデクスターと名乗る古式ゆかしいラウンジ・シンガーになったのである。このキャリア刷新は、カヴァー曲「Hot Hot Hot」のおかげもあって予想外の成功を収め、その後も4枚のレコードがリリースされた。やがてデヴィッド・ヨハンセンはこのキャラクターにも飽きてしまい、 再び本名で音楽活動を始め、2004年からはニューヨーク・ドールズも再結成している。

Buster Poindexter – Hot Hot Hot

 

6. ジュリアン・“キャノンボール”・アダレイ:バックショット・ラ・ファンク
プリンスがワーナー・ブラザーズとの係争を理由に自らの名前を発音困難な“ラヴ・シンボル”に変えてしまうよりも先に、かつては多くのジャズ・ミュージシャンたちが、契約上の義務を回避するために別名や変名でレコーディングを行なっていた時代があった。オルター・エゴを生み出したアーティストたちと違っていたのは、彼らの多くが名前は替えても、自らのサウンドは決して変えなかったところである。アルト・サックス奏者のジュリアン・“キャノンボール”・アダレイはマーキュリー・レコードと契約を交わしながら、ブルー・ノート・レーベルのレコーディングにバックショット・ラ・ファンクの名前で参加していた。この滑稽な芸名はもうひとつのオルター・エゴ・プロジェクト、ブランフォード・マルサリスによるヒップホップ・ジャズ・グループのバックショット・ルフォンクへと繋がることになる。こうしたことをやっていたのはジュリアン・”キャノンボール”・アダレイだけではない。チャーリー・パーカーがチャーリー・チャン名義で演奏していたり、トランペッターのファッツ・ナヴァロはスリム・ロメロとして、エリック・ドルフィーはジョージ・レーンとして、アントニオ・カルロス・ジョビンはトニー・ブラジルとしてなど、他にも数え切れないほど多くの同様のケースがあった。

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7. ポール・マッカートニー:パーシー・”スリルズ”・スリリントン
1971年に『Ram』を出したポール・マッカートニーは、全曲ビッグ・バンドによるこの作品のインストゥルメンタル・ヴァージョンをプロデュースし、それは後に謎のアーティスト名、パーシー・スリリントン名義でリリースされることとなった。ポール・マッカートニーは妻のリンダ・マッカートニーと共に、架空のキャラクターを巧妙に作り上げ、パーシー・スリリントンの活動を喧伝する広告をイギリス国内の各音楽紙に打ったり、アルバムのライナーノーツに詳細な生い立ち話を連綿と綴ったりした。ポール・マッカートニーはパーシー・スリリントンの正体について長く沈黙を守っていたものの、1989年の記者会見で初めて真実を明らかにしている。彼は今後も、プロデューサーのユースと組んだエレクトロニカ・ユニットのザ・ファイアーマンのように、より実験性の高いサイド・プロジェクトには変名を使うことになるようだ。

8. プリンス:カミール
プリンスの未発表アルバムたちはどれも、実際にリリースされた作品と同じくらい既に有名で、唯一の救いと言えばこれらのお蔵入りしたマテリアルの中に、最終的にオフィシャル・アルバムにも収録されることになったものがあるということだろう。そのケースの一例が1986年、プリンスの性別不詳なオルター・エゴの名前をそのまま冠したデビュー・アルバム『Camille』である。昔からファルセット・ヴォーカルを多用すること(あるいはオルター・エゴについても、ジェイミー・スターやトラ・トラ、アレクサンダー・ネヴァーマインド等々、その点では同様)で知られているプリンスだが、ことカミールにおいては、まずヴォーカルを意図的に通常より遅いスピードで録音した上、それを高いピッチに調整して、よりフェミニンな声になるようにする凝りようだった。 「Strange Relationship」、「If I Was Your Girlfriend」をはじめとする『Camille』の大部分のトラックは、1987年リリースの『Sign Of The Times』に収録され、「Shockadelica」はシングル「If I Was~」のB面曲となった。カミールという彼のキャラクターは、もう一枚のお蔵入り作品、『The Black Album』の先導役を務めたが、このアルバムにはプリンスのあと2つのオルター・エゴ、ボブ・ジョージとスプーキー・エレクトリックがフィーチャーされている。

9. エミネム:スリム・シェイディ
ヒップホップにもそれなりの数のオルター・エゴは存在している。何しろクール・キースなどは、過去20年余の間に58ものペルソナをシーンに送り出しているのだ。エミネムが本格的に頭角を現したのは、彼が不吉なオルター・エゴ、スリム・シェイディを1997年の『The Slim Shady EP』と1999年のアルバム『The Slim Shady LP』をリリースしてからのことだった。彼自身がインタヴューで語っていたように、「誰もが二つの顔を持っているはずだろ。スリム・シェイディは怒っている時の俺の発露なんだ」。マーシャル・マザースは父親になることについて書き、エミネムは名声の落とし穴を横柄な態度で伝えたが、スリム・シェイディは早口のラップで、彼の持つサディスティックでブラックなユーモアに溢れた面を垣間見せ、それを契機に彼は一気にメディアにテロを仕掛け、スターダムを駆け上がって行ったのである。

10. レオン・ラッセル:ハンク・ウィルソン
何十年にもわたる長い音楽キャリアを通して、レオン・ラッセルは業界の名のある人々すべてとコラボレーションを経験し、ロックン・ロールからブルース、ゴスペルと難なくシフトしてはヒットを飛ばしてきた。昔からカントリー・ミュージックには強い思い入れを持ちながら、彼がハンク・ウィルソンという名義を使い、ブルーグラスとカントリーのスタンダードばかりを集めたアルバム『Hank Wilson’s Back!』を出したのは1973年になってからのことである。現在ではあまり取り上げられることもないが、収録曲のひとつ 「Roll In My Sweet Baby’s Arms」は全米シングル・チャートの100位以内にランクインしている。レオン・ラッセルは自らの本名でウィリー・ネルソンとカントリー・デュエット・アルバムを出した後、1984年に再びハンク・ウィルソン名義に戻って『Hank Wilson, Vol. II 』を出し、更に1999年には3枚目のカントリー・カヴァー・アルバム『Hank Wilson, Vol. 3: Legend In My Time』をリリースした。

Leon Russell Jambalaya on the Bayou 2/03/1965

 

11. ニッキー・ミナージュ:ロマン・ゾランスキー
自意識を突き詰めるタイプの多いヒップホップ界において、ニッキー・ミナージュは真のカメレオンであり、様々なウィッグやファッションを使い分け、それぞれに背景となる物語を付けてオルター・エゴを体現している――あまりの多さに、その全てを網羅したウィキペディアのページまで存在するほどだ。中でも最も有名(そしてニッキー・ミナージュ本人一番のお気に入り)なのが、早口で派手好きで物議を醸すのが大好きなゲイの英国男性、ロマン・ゾランスキーである。トレイ・ソングズのヒット曲「Bottoms Up」で初登場を飾った彼は、「Roman’s Revenge」、「Roman Holiday」そして「Roman Reloaded」といったミナージュのその他のヒット曲にも顔を出すに至った。ちなみに彼の母親のマーサ・ゾランスキーも、原宿バービー、リル・ウェインの女性版のフィーメル・ウィージー、ポイント・デクスター他10人以上存在する、ミナージュの分身のひとりである。
2Pac-Makaveli

12. トゥパック:マキャヴェリ
恐らくはごく一時的な仮面として始まったものが、いつしか本来の目的を逸脱し、音楽界屈指の最も悪名高き陰謀論に発展していった。伝えられるところによれば、刑務所で服役中に16世紀フィレンツェの哲学者、ニコロ・マキャヴェリの著作を読んだトゥパックは彼の思想に心酔し、マキャヴェリというペルソナを手に入れたのである。このキャラクターが最初に彼の作品に登場したのはアルバム『All Eyez On Me』で、更に1996年、トゥックが凶弾に倒れ死亡した僅か数か月後にリリースされた『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』の中で、その存在を永遠のものにした。挑発的な内容のアルバムはその後20年以上にわたり、トゥパックは実はあのラスヴェガスの銃撃を生き延びていて、かのニコロ・マキャヴェリがその政治書『君主論』の中でそうすることを説いた通り、自らが死んだように見せかけているだけなのだという根強い噂の火種となっている。

13. ヘルマン・ブラウント:サン・ラ
ミュージシャンの中にはただ一度のパフォーマンスのためだけにオルター・エゴを作り出す者もいれば、アルバム一枚分、もしくは数年サイクルで脱ぎ捨てる者もいる。その中でも伝説的なジャズ・コンポーザー兼キーボーディストでバンド・リーダーであったサン・ラほど、アーティストとして全身全霊でその存在を全うした者はまずいないだろう。彼は自らを土星から来た天使だと本気で信じていた――オンステージでもオフでも一貫して。自身のドキュメンタリーの中で彼はこう語っている――「私は自分を人類のひとりだと思ってはいない、私自身が神聖な存在なんだ」。1914年、ヘルマン・ブラウントとしてアラバマ州バーミンガムに生まれた彼は、フレッチャー・ヘンダーソンのアレンジャーとしてその名を知られるようになった後、自らを徹底的に変革し、“奴隷の名前”を棄ててサン・ラとなった。彼の「宇宙トリオ」は間もなく国中を旅してまわる大所帯のアーケストラ(Arkestra)・バンドへと発展し、最終的には「ラーの家」と呼ばれる音楽コミューンとなった。

Sun-Ra-Saturn

14. デーモン・アルバーン:ゴリラズのマードック
MTVに溢れ返る使い捨てのポップ・グループに嫌気が差し、ヒップホップを使った実験に打って出たいという思いを抑えられなくなったブラーのフロントマン、デーモン・アルバーンと、彼のフラットの同居人でイラストレーターのジェイミー・ヒューレットは、1998年に架空のアニメキャラによるバンド、ゴリラズのアイディアを立ち上げる。本項でこれまでに挙げたアーティストたちと同じように、デーモン・アルバーンもまたブラーでは決してリリースすることが叶わないであろう音楽を生み出すために、匿名を利用したのである。ローテーション参加するイカれたキャラクターたちを揃え、このカートゥーン・サイド・プロジェクトは2001年のスマッシュ・ヒット・シングル「Clint Eastwood」から一気にチャートのトップ常連バンドへとブレイクした。

Gorillaz – Clint Eastwood

 

15. ウィル・オールダム:ボニー・“プリンス”・ビリー
既に50枚を超えるリリースを数えるその多産なキャリアを通じ、ウィル・オールダムは変名使いの玄人と言っていい。音楽がその作り手のアイデンティティを凌駕するものであるべきだという考えのもと、彼はアルバムを出す毎に、自分の名前にあえて少しずつ手を加えているのだ。パレス・ブラザーズ、パレス・ソングス、パレス・ミュージック、それにパレスという名義でのレコーディングを経て、彼は1999年、18世紀に英国の王位継承を狙ったボニー・プリンス・チャーリーからインスピレーションを得たボニー・“プリンス”・ビリーという名前にようやく落ち着いた。彼の分身は一種のインディ・ロックのアイコンとして、彼の持つよりコマーシャルな側面を示している――あるいは彼自身のインタヴューでの発言を借りるなら、「ブリル・ビルディング的と言うか、ナッシュヴィルのソングライターみたいに、ヴァース/コーラス/ブリッジが全部きっちり分かれてる曲を歌ってるんだ」。(*訳注:ブリル・ビルディング:ニューヨークのタイムズ・スクエアに現存するオフィス・ビルの名前。第二次大戦前からこのビルに多くの音楽出版社や事務所が入居しており、1950年代から60年代にはここに所属する職業作曲家やミュージシャンたちによって多くのヒット曲が生み出され、ブリル・ビルディング・サウンドと呼ばれた。バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンなどのソングライター・チームはその代表格)

ドン・ヴァン・ヴリートのキャプテン・ビーフハートから 、グリーン・デイのザ・ネットワーク、そしてスティーヴィー・ワンダーのエイヴェッツ・レッドナウまで、音楽界には数え切れないほどのオルター・エゴの例がある。あなたのお気に入りを是非コメント欄で教えてください。

Written By Laura Stavropoulos


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