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ミックが”ある意味、災難だったよ”と語ったジェームス・ブラウンの後にストーンズが出演した「TAMI Show」

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1964年10月、もしあなたが南カリフォルニアに住むティーンエイジャーだったのなら、サンタモニカ市公会堂にぜひ行きたかったに違いない。ブリティッシュ・インヴェイジョンが最盛期を迎えていたこの年、南カリフォルニア以外に住んでいてるティーンエイジャーであっても、サンタモニカ市公会堂にはぜひ行きたかったはずだ、その手立てがあったらの話だが。

10月28日、「TAMI Show」として知られるようになったコンサートの撮影が始まった。ただし主催者のあいだですら、この”TAMI”が何の略なのかはっきりしていなかった。宣伝資料には、”Teenage Awards Music International”、そして”Teen Age Music International”という2通りの名称が書かれている。いずれにせよTAMIショーのチケットは、1964年の秋の2日間、最も人気なチケットとなった。とはいえ、金を出してこのショーに入場した者はひとりもいなかった。チケットは地元の高校生に無料で配布されたのである。

この9カ月前にはザ・ビートルズが「The Ed Sullivan Show」に出演していた。一方、ザ・ローリング・ストーンズは6月に小規模なアメリカ・ツアーをこなしたあと、再びアメリカに戻ってきた。この2度目のツアーはより大規模になり、その中にはTAMIショーへの出演も含まれていた。しかしこのコンサートがブリティッシュ・インヴェイジョンのイギリス勢中心だったと考えてはいけない。確かに出演者の中には、ストーンズに加えてビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタズやジェリー&ザ・ペースメーカーズも含まれていた。しかしこのコンサートは、明らかにアメリカ勢による反転攻勢という意味合いが強かった。

このときジャック・ニッチェの指揮のもとでハウス・バンドを務めたのは、実質的に”レッキング・クルー”(ロサンゼルスのレコーディング・スタジオで活躍していた一流ミュージシャンの集団を指す)だった。メンバーは、ドラムスのハル・ブレイン、ギターのトミー・テデスコ、グレン・キャンベル、パーカッションのソニー・ボノ、ピアノのレオン・ラッセルという顔ぶれ。そして出演陣は、ビーチ・ボーイズチャック・ベリージェームス・ブラウン&フェイマス・フレイムズ、レスリー・ゴーア、ジャン&ディーン。そこにスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズシュープリームスマーヴィン・ゲイというモータウン勢も加わっていた。

ストーンズは、アメリカ到着後、ニューヨークとサクラメントの2公演をこなしただけでサンタモニカにやってきた。そこでようやく、彼らは自分たちの出番がショーの一番最後だと知らされることになった。ただしジェームス・ブラウンは、自分がトリになるのだろうと考えていた。ビル・ワイマンは、自伝の中でこう語っている。「ジェームス・ブラウンはこう宣言していた。“ローリング・ストーンズが二度とアメリカに来たくないと思うようなステージをやってやる”って」。

リハーサルに1日費やしたあと、翌日からコンサート本編の撮影が始まった。撮影で使われたのは、エレクトロノヴィジョン(ビデオに似た撮影装置)だった。前座を務めたのはチャック・ベリーとマーヴィン・ゲイで、マーヴィンはストーンズと同じ楽屋にいた。ストーンズの面々(特にミック)は、出番がジェームス・ブラウンの後ということで少しうろたえていた。そんな彼らにマーヴィンはこう言った。「お客さんが君らを気に入ってるのは、君らのステージがいいからだろ。だから出番が来たら、ステージに出て、ジェームス・ブラウンのことは忘れちまえばいい。いつも通り、自分らしくやるんだ。 俺もそうしてるよ」。

ジェリー&ザ・ピースメーカーズ、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、レスリー・ゴーアの出番が終わったあとはジャン&ディーン(このコンサートの司会でもあった)のステージとなり、続いてビーチ・ボーイズが登場。ジャン&ディーンにとってもビーチ・ボーイズにとっても、サンタモニカは地元のようなものだった。どちらのグループも、演奏する曲はカリフォルニアの国技であるサーフィン関連の曲が中心。ビーチ・ボーイズの場合、は「Surfin’ U.S.A.」「I Get Around」「Surfer Girl」、そして最後は「Dance, Dance, Dance」という選曲だった。そのあとはビリー・J・クレイマー、シュープリームスと続いた。後者のセットは「When The Love Light Starts Shining Through His Eyes(恋のキラキラ星)」「Where Did Our Love Go(愛はどこへ行ったの)」「Baby Love」というゴージャスな構成だった。

そのあとはジェームス・ブラウンの出番。彼のダイナミックなセットは、「Out of Sight」「Prisoner of Love」「Please, Please, Please」「Night Train」という並びだった。イギリスに帰国したあと、ミックは『ディスク・アンド・ミュージック・エコー』誌のインタビューでこう語っている。「今回のツアーでは、ジェームス・ブラウンを見れたのが一番良かった。彼は素晴らしいアーティストだよ。彼がステージに出てくると、お客さんはコンサートの締めくくりなんだなって思ってしまう。俺たちがTAMIショーに出たときは、ジェームスのあとでステージに出なきゃならかった。ある意味、災難だったよ。だって、ジェームス・ブラウンの次の出番なんて誰にもやれやしない。不可能なんだ」。

しかし彼らは、ジェームス・ブラウンの次に出なければいけなかった。ストーンズが演奏した4曲は、当時のアメリカ・ツアーの演目を反映した「Around and Around」「Off the Hook」「Time is on My Side」、そして「It’s All Over Now」。そのあとでストーンズが「I’m Alright」を始めると、他の出演者も演奏に参加。さらに「Get Together」がコンサートのフィナーレとして演奏された。

ストーンズがステージを降りると、ジェームス・ブラウンがやってきて彼らと握手した。これは両者の友情の始まりだった。このあと、ツアー中に出くわすたびに、ジェームスとストーンズは仲良く付き合うことになった。

gathernomoss

TAMIショーの映画は1964年12月29日に公開。イギリスでは一部映画館のみの限定公開となり、題名も『Gather No Moss』というパッとしないものになっていた。この映画は長年に渡って海賊盤が作られてきたが、2010年にようやく正式にDVD化された。ちなみに、ザ・ポリスの1980年の曲「When the World Is Running Down, You Make the Best of What’s Still Around」には、”James Brown on The T.A.M.I. Show(TAMIショーに出演するジェームス・ブラウン)”という歌詞が含まれている。

ジェームス・ブラウンを初めとするアメリカ勢の反撃はスタートでつまづいたかもしれない。しかしそれから1年のうちに着実に力をつけていった。そして1965年の終わりには、ビートルズやストーンズの活動に刺激されたアメリカのグループや歌手が全米チャートで再び勢力を取り戻し始めることになる。

The T.A.M.I. Show/The Big T.N.T. Show [Collector's Ed.]: Why We Love It

 

Written By Richard Havers


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