オハイオ・プレイヤーズが全米1位を獲得した「Fire」のチャートアクション

Published on

グループ名の由来にもなったオハイオ州デイトン出身のファンク&ソウルのグループ、オハイオ・プレイヤーズは、1974年当時とてもホットなグループだった。その前年シングル「Funky Worm」はR&Bチャートのトップに上り詰め、ポップ・チャートでもトップ15入りとクロスオーヴァーでの成功を掴んだ。そして、彼らは、新しい成功作「Skin Tight」でもう一度両方の観衆を獲得しようとしていた。

同名のアルバム『Skin Tight』は4月にチャート入り、シングル「Skin Tight」が全米シングル・チャート・デビューを果たす5週間前に、ソウルのベスト・ヒットへと上昇を始めた。9月8日、新しいシングル「The Bitch Is Black」でアメリカのチャートに居座っていたエルトン・ジョンよりも18位も高い、その週の最も高順位でチャート入りした新曲として45位を獲得していた。

ポール・アンカが「(You’re) Having My Baby」で首位を守り抜いていたチャートには、ライチャス・ブラザーズの新曲「Give It To The People」や、ステッペンウルフの「Straight Shootin’ Woman」も肩を並べていた。その年の最も独創性あふれるノヴェルティ・シングル曲のひとつにリユニオンの早口言葉風な「Life Is A Rock (But The Radio Rolled Me) (邦題: ロックは恋人)」があり、その曲もその週の全米シングル・チャートに登場、8位を目指して上昇していた。

その間、「Skin Tight」は2週目にトップ40に進み、10月には2週間、13位をキープ。そして年末になるころには、別のシングル曲「Fire」がポップとソウルのチャートに登場し、その両方で首位を獲得し、オハイオ・プレイヤーズの勢いは実に燃え上がっていた。1976年の夏までのわずか3年余りの間で、彼らは有力な5つシングルでソウル・チャートのトップを獲得した。


『Skin Tight』

uDiscoverのソウル・シングル・プレイリストをSpotifyで聴く

Written by Paul Sexton


Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
Exit mobile version