80年代の名盤サウンドトラック:映画と音楽のあり方を一変させた名作の数々
1980年代には映画サウンドトラックのあり方が一変したが、逆にその時期の映画は音楽シーンのトレンドにかつてないほど大きな影響を与えてもいた。
確かにそれ以前にも『暴力教室』『イージー・ライダー』『黒いジャガー』など画期的な作品は存在した。だが80年代には、まるで映画館からレコード店へ直通のシャトルバスが出ているかのようだった。観客たちは最新のヒット映画に使用された楽曲をそれくらい必死に買い求め、それらをチャートのトップ40へ次々と送り込んでいたのである。
中にはすでに大きな影響力を持ちながら、適切な作品に劇中歌を提供したことでいっそう人気を高めたアーティストもいた。他方、楽曲が映画に使用されていなければブレイクしていなかったであろうミュージシャンもいる。電子音楽にしろ、R&Bにしろ、ニュー・ウェーヴにしろ、純粋なポップ・ミュージックにしろ、80年代における音楽と映画の見事な融合は、その後のあらゆる作品にもれなく影響を与えたのである。
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話題を呼んだリヴァイヴァル・ヒット
1980年代の映画によって大衆の注目を浴びたのは、その当時の新曲だけではない。70年代にも『アメリカン・グラフィティ』で50年代のロックンロールが再注目されたように、80年代に巻き起こった60年代ブームの最大の牽引役となったのは映画界だった。
例えば1987年作『グッドモーニング, ベトナム』は、ロビン・ウィリアムズ演じる米軍DJのラジオ放送という設定を利用して60年代のロック、ポップ、ソウルのヒット曲を印象的に使用。その中にはビーチ・ボーイズの「I Get Around」からルイ・アームストロングの「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」まで様々な楽曲が含まれていた。
また、『ダーティ・ダンシング』は1963年のキャッツキル山地という舞台設定ゆえ、その時代と強く結びついた楽曲の数々を取り上げていた。
だが60年代の音楽が再び世間で脚光を浴びるにあたって、ほかのどの作品より大きな原動力となったのは1983年公開の『再会の時』だ。友人の死を悼むため久しぶりに再会したグループを中心に展開するそのストーリーは、モータウンのヒット曲や往年の定番ロック・ナンバーを数多く含んだサウンドトラックにぴったりだったのだ。
葬儀でザ・ローリング・ストーンズの「You Can’t Always Get What You Want(無情の世界)」が演奏される冒頭のシーンから、『再会の時』はベビー・ブーム世代が中年に差し掛かった現実を描くとともに、60年代のサウンドを新たな世代に広めたのである。
書き下ろし楽曲の数々
一方で1980年代の映画サウンドトラックの大半には書き下ろし楽曲が使用されていた。つまり、当時の人気アーティストが劇中歌を担当していたのだ。その手法が広まったことで、80年代のチャートには映画から生まれた楽曲がそれ以前に比べて多くランクインするようになった。
そして、この潮流に乗って誰よりも成功したのがケニー・ロギンスである。彼が歌った『フットルース』『トップガン』『ボールズ・ボールズ』といった作品の主題歌は、いずれも不朽のポップ・ナンバーとして知られている。
また、この時期にはプリンスまでもがサウンドトラックの分野に参入。1989年に彼が『バットマン』に提供した楽曲は大ヒットを記録した。さらには映画のための書き下ろし楽曲がアーティストのブレイクにつながることもあり、1984年作『ゴーストバスターズ』の主題歌で全米1位の栄誉に輝いたレイ・パーカー・ジュニアはその好例である。
他方、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは1985年作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に携わる以前から高い人気を得ていた。だがその年を代表する大ヒット映画のために楽曲を書き、演奏したことで彼らはトップ・バンドの仲間入りを果たすこととなった。
ところが、その楽曲はそもそも作られていなかったかもしれない。監督のロバート・ゼメキスとプロデューサーのスティーヴン・スピルバーグがルイスに主題歌の制作を打診した際、彼は「Back To The Future」というタイトルの楽曲は書ける気がしないと返したのだ。それでも2人は、タイトルは何でも構わないし、どんな楽曲であれ次に思いついたものを提供してくれればいいとルイスに伝えた。その結果、グループ初の全米1位シングル(そのあとにも数多くの楽曲が続いた)となった迫力満点の1曲「The Power Of Love」が誕生したのである。
ヒューイはこの映画にカメオ出演もしており、マイケル・J・フォックス演じるマーティ・マクフライのバンドをハイスクールのプロムのオーディションから落とす審査員に扮した。なお、そのシーンでフォックスが演奏の中断を命じられるのもこの「The Power Of Love」なのだ。
シンセ・フィーバー
シンセサイザーは1980年代のメインストリーム音楽に欠かせない要素となっていた。ヒューマン・リーグ、ソフト・セル、ユーリズミックス、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ネイキッド・アイズといったグループは、先進的な英国のシンセ・ポップを米国のラジオやMTVに浸透させ、電子音楽を世間に大きく広める役割を果たした。
一方、80年代の映画に楽曲提供をしてアメリカの大衆の心を掴んでいなければ、ポップ界で成功を収められていなかったであろう欧州のシンセ・アーティストも多数存在する。ギリシャが生んだ電子音楽界の天才であるヴァンゲリスは、70年代に前衛的な電子音楽家としてのスタイルを確立。数々のアルバムを発表してアングラ界で熱烈な支持を得ていた。だがそののち、彼は1981年公開の『炎のランナー』に美しくもロマンティックなテーマ曲を提供。「1920年代のオリンピックで活躍した英国のアスリートにまつわる映画から生まれたインストゥルメンタル・ナンバー」と聞くとセールスとは縁遠そうだが、この曲はなんと全米1位の大ヒットを記録したのである。
独シンセ界のレジェンドであるタンジェリン・ドリームは、トム・クルーズの出世作となった1983年公開の『卒業白書』で音楽を担当。それによって同様に、70年代プログレ界のカルト・ヒーローからアメリカ国内で広く知られる存在へと(ヴァンゲリスほど劇的ではなかったものの)飛躍を遂げた。
中でもシーケンサーを駆使して幻想的なサウンドを作り上げた「Love on a Real Train」は、クルーズとレベッカ・デモーネイによる官能的な名シーンを彩ったことで特に大きな注目を集めた。
スイスの電子音楽デュオであるイエロー(Yello)もまた、若手スターのブレイク作をきっかけにアメリカでの人気を獲得した。風変わりだが軽快な彼らの楽曲「Oh Yeah」は、『フェリスはある朝突然に』に使用されたことで米国ダンス・シーンにおけるヒット曲となったのである。
他方、ドイツの作曲家であるハロルド・フォルターメイヤーは、『ミッドナイト・エクスプレス』や『アメリカン・ジゴロ』の音楽においても優れた仕事をしていた。だがシンセを駆使してエレクトロ・ポップとヒップホップを融合させた「Axel F」が1984年作『ビバリーヒルズ・コップ』に使用され、ブレイクダンスのBGMとして大流行していなければ、彼は世界のポップ・シーンを賑わせる存在になっていなかっただろう。
流行の発信源
1980年代の映画サウンドトラックを称える博物館があったなら、1つの区画すべてをジョン・ヒューズの作品だけで埋められるだろう。彼が製作、脚本、(作品によっては)監督を担った映画は自分探しをする当時の若者の心情を巧みに描いていたが、それらの映画には同じくそのころの時代性を完璧に捉えた新曲の数々が使用されていたのだ。
確かにそうした作品に使われた楽曲の多くは、A&Rの経験を活かして音楽監修を担当したターキン・ゴッチが選んだものだ。実際、彼は2022年にリリースされたボックス・セット『Life Moves Pretty Fast: The John Hughes Mixtapes』にもそれらの楽曲を数多く収録している。
しかし、そもそもはヒューズが『ブレックファスト・クラブ』『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』『恋しくて』『ときめきサイエンス』『フェリスはある朝突然に』といった80年代の名作群を作り出していなければ、オインゴ・ボインゴの「Weird Science」、フレッシュ・フォー・ルルの「I Go Crazy」、ジェネラル・パブリックの「Tenderness」といった楽曲が私たちの心にあれほど深く刻まれることはなかったはずだ。
オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク(OMD)の「If You Leave」は、モリー・リングウォルド、ジョン・クライヤー、アンドリュー・マッカーシーの3人がロマンティックな三角関係を繰り広げる『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』終盤のプロムのシーンを彩る。シンプル・マインズの「Don’t You (Forget About Me)」は、『The Breakfast Club』のラストを輝かしく締めくくる。
そのようにヒューズの映画には、その題材と強く結びついた楽曲が多数使用されていた。また、短命に終わったリック・ザ・ティンズは、エルヴィス・プレスリーのスタンダード・ナンバー「Can’t Help Falling In Love(好きにならずにいられない)」をケルト風にアレンジ。そのヴァージョンがヒューズ作品『恋しくて』の感動的なエンディングに使用されたことで、ほとんど無名の彼らは束の間の名声を経験したのだった。
音楽と映画の関係は90年代以降、一気にダイナミックで大胆なものになった。しかしその原型は、しばしば軽視されてきたが実は再評価に値するあの時代――つまり80年代に形作られたものだったのである。
Written By By Jim Allen
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