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ミッキーマウス・ミュージック:『蒸気船ウィリー』から始まったアニメーションとサウンドの歴史

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Photo courtesy of The Walt Disney Company

世界で最も有名なネズミは、ウォルト・ディズニーの妻リリアンがその名前を気に入らないと言う瞬間まで、“モーティマー・マウス”と呼ばれていたという伝説がある。その後、彼は代わりに“ミッキー”という名を貰い、1928年11月18日に『蒸気船ウィリー』がニューヨークでプレミア上映を経て全米の映画館で公開された。

音楽とサウンド・エフェクトがシンクロしたこの世界初のアニメーション作品によって、ミッキーマウス・ミュージックがポップ・カルチャーに初めて紹介された。そこで大役を果たしたのが、赤いショーツ、大きな黄色い靴、そして白い手袋姿が特徴的な、擬人化された生き生きとしたネズミの主人公、ミッキーマウスだった。ミッキーはミニーと共に、一夜にして映画スターとなったのだ。

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Steamboat Willie

アニメーター兼作曲家のウィルフレッド・ジャクソンが、この短編映画に取り組んだのは、弱冠22歳の時だった。彼は、1927年に公開され世界初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』の制作時に新しい未来への夜明けを感じたことを鮮明に記憶している。それは無声映画時代の終わりの始まりだった。ウィルフレッド・ジャクソンは当時をこう振り返る。

「台本の打ち合わせをしていた時、ウォルト・ディズニーが、サウンド付きのアニメーションの制作ができるかもしれないという話を持ちかけてきたんです。それを聞いてもの凄く興奮しました」

“スケッチが音を出すところなんて誰も見たことがなかった”

ウォルト・ディズニーが一番気にしていたのは、観客が自分達の耳に入ってくるサウンドを、ミッキーが実際に出しているものだと信じてくれるかどうかだった(例えば牛の歯を木琴のように演奏する等々)。

「スケッチが音を発するところなんて誰も見たことがなかったので、みんなが信じてくれるかどうか、全く確信が持てないでいました。偽物っぽく見えるかも知れないところを、ウォルトはよりリアルに感じてもらえるようにしたかったのです」

ミッキーの誕生に貢献したカンザス生まれのアニメーター、ウッベ・エルト“アブ”イヴェルクスと、作曲家のカール・スターリングが、音楽と動きを同期させるシステムを考案し、ウォルト・ディズニーの不安は払拭された。こうしてディズニーの音楽帝国は誕生したのだ。

映画を制作する前に、ウィルフレッド・ジャクソンがハーモニカを演奏する中、アニメーションを流すというスクリーン・テストを行なった。この時彼が選んだお気に入りのナンバー「Turkey In The Straw(邦題:オクラホマミクサー)」は、その後映画にも起用された。

ウォルト・ディズニーが希望した曲「Steamboat Willie」は、ザ・グリーン・ブラザーズ・ノヴェルティー・オーケストラが演奏し、映画のサウンドトラックに収録された。ジ・ アメイジング・キーストーン・ビッグ・バンドがレコーディングしたモダン・ヴァージョンが、2017年にデッカ・レコードからリリースされたアルバム『Jazz Loves Disney 2: A Kind Of Magic』に収められている。

Steamboat Willie

2018年には、ミッキーの90周年を記念して、ディズニーは、ミッキーの出演映画作品にまたがって、ポップカルチャーに入り込んで久しいミッキーの人気音楽を集めた限定盤アナログ・シリーズをリリースした。一連のリリースのひとつである『蒸気船ウィリー』の12インチには、オリジナル・アニメーションのオーディオに加え、同映画の制作やウォルト・ディズニーがミッキーについて語る、11分に及ぶインタビューが収録されている。

『蒸気船ウィリー』は瞬く間にヒットし、その後数ヶ月の間に、ミッキーの短編映画が相次いで発表された。その中の代表作のひとつ『ミッキーのオペラ見学』(1929年)によってクラシック音楽が、ミッキーの世界にはなくてはならない存在となり、アニメーション作品に初めて使われたフランツ・リッツの「Hungarian Rhapsody No.2」は、その後も長年に渡り数多くのアニメーション作品に起用された。

この間、『バーン・ダンス』や、ミッキーがジャズ風ナンバー「ミニーのユー・フ―!」を歌う『ミッキーのフォーリーズ』等々、ミッキーの短編映画は計13本発表された。

ウォルト・ディズニーが後のミッキー映画で、例の甲高い声をあてていた一方で、マーセリット・ウォール(旧姓ガーナー)がミニーマウスの声を担当した。もともと映画スタジオのインク&ペイント部門で働いていたマーセリット・ウォールは、スペイン語が堪能で、歌のオーディションを受けることに前向きだったことから、ミニーの声に抜擢された。「ウォルトは私の声がキャラクターにぴったりだと思ったようです」と彼女は語っている。マーセリット・ウォールはこの後12年間に渡り、ミニーの声を担当することになる。

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Photo courtesy of The Walt Disney Company

ウォルト・ディズニーはとりわけ、映画『ミッキーの動物音楽隊』(1931年)の制作を楽しんだ。『ミッキーの浮かれ音楽団』や『名指揮者ミッキー』の流れを汲むこのコンサート・アニメーションには、大劇場でパフォーマンスするミッキーとその仲間達がフィーチャーされている。

同アニメーションでは、W.C.ハンディの名曲「St Louis Blues」を押し広げ、ミッキーがこの有名なブルース・ナンバーをピアノで演奏し(チコ・マルクスの芸当を少々拝借)、その後ミニーと一緒にスキャットを歌うという魅力的な演出で披露している。また同アニメーションの中で、ミッキーは著名バンドリーダー、テッド・ルイスを彷彿とさせるシルクハットを被り、ブタのトランペッターもまた、デューク・エリントンのコルネット・プレイヤー、ジェームズ“バッバー”マイリーのスタイルを真似ている。

ウォルト・ディズニーは映画の中で、ミッキーがジャズ・ナンバーを演奏することを熱望した。彼はディキシーランド・ジャズのファンで、ディズニーランドのオープン時には、ニューオーリンズの偉大なトロンボーン奏者、キッド・オリーを迎えて演奏してもらったほどだった。1961年に行われた恒例イベント“デキシーランド・アット・ディズニーランド”第2回目には、キッド・オリーに加え、ルイ・アームストロングが出演した。その後もデイヴ・ブルーベックとルイ・アームストロングが、ディズニー・ミュージックのトリビュート・アルバムをレコーディングしたりと、ジャズとディズニーの緊密な関係は続いた。

『ミッキーとミニーの音楽隊』リリースから4年後、アニメーターのフレッド・ムーアがミッキーに初めて大胆なイメージチェンジを行なった。それまでのアニメーター達は、ミッキーを一連の円として描いてきたが、『ミッキーの大演奏会』で初めてカラーで登場させた時、フレッド・ムーアは彼に洋ナシのようにくびれのある体型、白い手袋、そしてより可愛いらしい短い鼻を与えた。同ミュージカル短編映画では、実際のアニメーション・キャラクターたちによるスーパーグループ(クラリネットにグーフィー、フルートにクララベル・カウ、ドラムスにホーレス・ホースカラー)がフィーチャーされている。

The Band Concert | A Classic Mickey Short | Have A Laugh

フレッド・ムーアは、1940年の傑作『ファンタジア』のエピソード「魔法使いの弟子(原題:Sorcerer’s Apprentice)」のアニメーションを担当した巨匠として知られる。

『ファンタジア』の成功は、指揮者レオポルド・ストコフスキーの非凡な才能に拠るところが大きい。このフィラデルフィア・オーケストラの高名な指揮者を、ハリウッドのレストランで偶然見かけたウォルト・ディズニーは、自身の最新アニメーション・プロジェクトに参加するよう説得。そうして彼はレオポルド・ストコフスキーが雇った総勢85人もの演奏家、舞台関係者、音楽ライブラリアン、オーケストラ・マネージャーの賃金のために、$18,000(現在の貨幣価値で約3,300万円)を費やした。その結果、サウンド・モーション・ピクチャーの芸術に貢献したことが評価されたウォルト・ディズニーとレオポルド・ストコフスキーは、アカデミー賞特別賞を受賞した。

Rite of Spring

 

“幸福の象徴”

1950年代までに、ミッキーはおそらく史上最も有名なアニメーション・キャラクターになった。ミッキーのアニメーション作品のうち10作品が、アカデミー賞短編アニメーション賞にノミネートされ、その中の1作『プルートの悩み』が、1942年に同賞の受賞を果たした。ミッキーは計130本以上の映画に登場し、著名な新聞にコミック・ストリップ(コラム漫画)の連載も持っていた。人気バラエティーTVショウ『ミッキーマウス・クラブ』が1950年代にスタートし、その後アネット・ファニセロやジャスティン・ティンバーレイク等、ティーン・スターたちのキャリアのきっかけをつくった。

ディズニーは60年代と70年代には、他の映画に専念していたが、1979年に「Zip-A-Dee-Doo-Dah」のディスコ・ヴァージョンをフィーチャーした当時のディスコ・ファンへ向けたアルバム『Mickey Mouse Disco』でミッキーを復活させ、同アルバムは、ダブル・プラチナムに輝いた。

Zip-A-Dee-Doo-Dah

さらに、1983年に公開された賑やかな映画スペシャル『ミッキーのクリスマスキャロル』によって、ミッキーは新たなファンも獲得した。当時のミッキーの声を担当したのは、声優のウェイン・オルウィンで、彼の妻で声優のルシー・テイラーがミニーの声を担当した。

著名イラストレーターのモーリス・センダックは、ミッキーを“幸福の象徴”と表現し、ディズニー作品に相応しい賛辞を送っている。

Written By Martin Chilton






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