マーサ&ザ・ヴァンデラス「Dancing In The Street」:時代の中で政治的メッセージを帯びた名曲

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

「Dancing In The Street」は、しばしば政治的なメッセージを持つ楽曲として語られる。1960年代半ばのアメリカで、不平等や公民権運動を背景に広がった社会変革の象徴として位置づけられることも多い。しかし、この曲を歌っていたのは、宗教指導者でも、新興のブラックパンサー党の活動家でもない。

歌っていたのは、デトロイト出身の勤勉な3人組ガールズ・グループ、マーサ&ザ・ヴァンデラス(Martha And The Vandellas)である。そして、この楽曲は後年になって当時の社会的不安や抗議運動と強く結び付けられるようになったものの、制作当初からそうした問題だけを訴えるために書かれた曲だったわけではない。

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モータウン発

マーサ&ザ・ヴァンデラスは、まるで突然現れたかのように、60年代で最も生命力に満ちた音楽のいくつかを生み出した。もっとも、モータウンはもともと、まだ無名に近い若いアーティストを育てることを得意としていた。

そうした新人たちは、Hitsville U.S.A.のスタジオを中心とする制作チームのもとで磨かれ、モータウンならではのサウンドへと育て上げられていったのだ。マーサ&ザ・ヴァンデラスもまた、モータウンと契約する以前には、異なるグループ名やメンバー構成で2枚のシングルを発表していた。マーサは当時をこう振り返っている。

「私はザ・デルフィスというグループと一緒にモータウンへ行ったんです。でもその時はもうオーディションは受け付けていないと言われました。こちらから連絡するな、必要なら向こうから連絡するから、という感じでした。当時の私たちは、アーティストのためにデモ音源を録音する仕事もしていて、そのひとつがメアリー・ウェルズのためのものだったけれど、彼女はセッションに現れなかった。幸運なことに、そのまま私たちの歌ったデモが採用されて、デビュー曲“I’ll Have To Let Him Go”として発売されたんです。おそらく3枚くらい売れたと思います……しかもその3枚は私たちが買いました。それから“Come And Get These Memories”がリリースされて、その後はトップ20、トップ10とヒットが続いて、私たちはすっかり甘やかされてしまいました」

実際、その通りだった。モータウンを代表するソングライター・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドは、「Heat Wave」「Quicksand」「Nowhere To Run」などの名曲を書き上げ、またウィリアム・“ミッキー”・スティーヴンソンとアイヴィー・ジョー・ハンターも「Wild One」をはじめとする楽曲を提供した。

こうしてマーサ&ザ・ヴァンデラスは、1960年代を代表するダンスフロア向けソウル・ミュージックの数々を世に送り出していく。その中でも頂点に立つのが、ミッキーとマーヴィン・ゲイが共作し、アイヴィーが手を加えた「Dancing In The Street」だ。

 

名曲「Dancing In The Street」

なお、グループ名の「ザ・ヴァンデラス(The Vandellas)」の由来については、メンバーの証言が分かれている。マーヴィン・ゲイは、自身の初ヒット曲「Stubborn Kind Of Fellow」で彼女たちがバック・コーラスを務めた際、「まるでvandal(破壊者)のような勢いで歌う」と冗談を言ったことから「ヴァンデラス」という名前が生まれたと語っている。

一方でマーサ本人は、地元デトロイトの「Van Dyke Street」と、自身が敬愛していたシンガーのデラ・リース(Della Reese)の名前を組み合わせて付けられたものだと説明している。

また、共作者のミッキー・スティーヴンソンとマーサには、音楽以前からの縁もあった。マーサは歌手としてブレイクする前、ミッキーの秘書兼パーソナル・アシスタントとして働いており、モータウン社内で経験を積みながら、スターへの道を切り開いていったのである。後年、マーサ・リーヴスは「Dancing In The Street」について、次のように振り返っている。

「あの頃のアメリカは、本当に大変な時代でした。各地の都市で混乱が起こり始め、暴動なども頻発していました。だからこそ、ソングライターたちは、人々が暴動を起こす代わりに、街へ出て踊って幸せな気持ちになってほしいという思いから、この曲を書いたんです。ちなみに、このレコードが発売されたのは9月でした。歌詞では“夏が来た”と歌っているので、季節的には少し遅かったようにも思えます。でも、みんなが受け取ってくれたのは、そのメッセージだったんです」

 

楽曲が生まれた背景

公式には、「Dancing In The Street」は1964年7月31日に、モータウン傘下のGordyレーベルから発売された。しかし、本格的にヒットしたのは秋に入ってからで、最終的には全米シングル・チャート最高2位を記録した。この曲が生まれたきっかけは、ミッキー・スティーヴンソンが目にした、ごく日常的な夏の光景だった。

ある暑い日に、子どもたちが道路脇の消火栓を開けて水を噴き出させ、その水しぶきの中を飛び跳ねながら遊んでいる姿を見て、まるで街中で踊っているように見えたことから、この曲のアイデアが浮かんだという。

一方、共作者のマーヴィン・ゲイは、この曲はテーマにふさわしいものであるべきだと考え、当初はやや重たかったテンポの速度を上げ、軽快なものにすることをミッキーに提案した。その判断が、「Dancing In The Street」を、聴くだけで思わず身体が動き出すような高揚感あふれるダンス・アンセムへと仕上げる大きな要因となった。

「Dancing In The Street」に込められた政治的な意味合いは、同じく公民権運動時代のアンセムとして知られるアーロン・ネヴィルの「Tell It Like It Is」と同様に、決して直接的ではなく、あくまで暗示的なものだった。

学生非暴力調整委員会(SNCC)の黒人活動家、H・ラップ・ブラウンが、デモを組織する際にこの曲を流し始めると、「Dancing In The Street」は公民権運動を象徴する楽曲として新たな意味を帯びるようになる。マーサは60年代当時、公の場ではこの曲に政治的な意図があったことを否定していたが、そのような解釈が生まれ得ることについては、十分理解していたという。

楽しく、芸術的で、時代の流れの中でより深い意味を集めていった曲。その多層的な魅力こそが、「Dancing In The Street」を1960年代ポップ・ミュージックの最高傑作の一つたらしめているのである。

Written By Ian McCann



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