ザ・フーの前身“ザ・ハイ・ナンバーズ”による酷評されたデビュー・シングルの舞台裏

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The Who - Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

1964年7月3日にフォンタナ・レコードから英国で発売された、ザ・ハイ・ナンバーズ(The High Numbers)名義の両A面シングル「Zoot Suit / I’m The Face」に対する評価は、決して幸先のよいものではなかった。

当時、New Musical Express誌は、「Zoot Suit」について「ミディアム・テンポのツイスト・ナンバーではあるが、曲自体にはこれといった魅力がない」と評し、「I’m The Face」についても「スタイルには惹きつけるものがあるが、楽曲の出来はいまひとつ」と酷評している。

しかし、そうした慎ましい始まりから、後に偉大なザ・フー(The Who)が誕生することになるとは、当時は誰一人として知る由もなかった。

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ザ・ハイ・ナンバーズ:ザ・フー前夜

ザ・フーがザ・ハイ・ナンバーズという名前を使っていた短い時期に、彼らは映画監督志望だったキット・ランバートの目に留まった。当時のバンドは、ロンドン・ハーロウ区のレイルウェイ・ホテルで地道にライヴ活動を重ねていた。ピート・タウンゼントが初めてギターを壊したのもこの会場で、しかもそれは偶然の出来事だったという。キット・ランバートはその光景に十分な衝撃を受け、ビジネス・パートナーのクリス・スタンプに、自分たちが彼らのマネージャーになるべきだと持ちかけた。

ザ・フーのメンバーは、誰も筋金入りのモッズだったわけではない。しかし、このデビュー・シングルに限って“ザ・ハイ・ナンバーズ”という名前を名乗ったのは、モッズたちにアピールするための戦略だった。それまでサーフ・バンド、ザ・ビーチコーマーズで活動していたキース・ムーンが加入したのもこの頃で、バンドが“ザ・ハイ・ナンバーズ”を名乗っていたのは、実際にはわずか数か月間だけだった。

フォンタナからリリースされたこの唯一のシングルに収録された2曲は、ともにバンド初代マネージャーのピーター・ミーデンが作詞・作曲を手がけたものだ。どちらの楽曲も、バンド・メンバーとは対照的に、ピーター・ミーデン自身が深く関わっていたモッズ・カルチャーを題材にしており、「Zoot Suit」は当時のファッションを指す言葉であり、「I’m The Face」は、ひときわ目立つモッズを意味するスラングだった。ピーターは、このシングルのプロモーションに全力を尽くしたが、チャートを賑わせることはできなかった。

 

ピートによる振り返り

後年、ピート・タウンゼントは、自伝『Who I Am』の中で、このシングルが当時のバンドのライヴでの勢いを十分に反映していなかったことを明かし、次のように振り返っている。

「僕らは、ボ・ディドリーやハウリン・ウルフの、うなるようなR&Bナンバーから多くの影響を受けていた。ピーターが書いた2曲も悪くはなかったけれど、あの力強く突き進むR&Bのビートや、エッジの効いたギター・サウンドはほとんど感じられなかった。僕たちのライヴの定番だったギター・フィードバックは、ピーターが書いた2曲のどちらにもまったく入っていなかった。1960年代のソウル・グループ、ダイナミックスの“Misery”をベースにした“Zoot Suit”では、僕は頼りないジャズ・ギターを弾いていて、自分のギター・ソロがまだ発展途上だったことがよく分かる。ピーター・ミーデンは当時の音楽雑誌に積極的に売り込みをかけたものの、このレコードがブレイクすることはなかった。たしか400枚くらいしか売れなかったと思う」

1964年11月までに、ザ・ハイ・ナンバーズは再びザ・フーの名に戻っていた。そしてロンドンのマーキー・クラブで16週間にわたるレジデンシー公演をスタートさせる頃には、彼らはまさに英国ロック史にその名を刻もうとしていた。

Written By Paul Sexton



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