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トラフィックの『Traffic』:9カ月のあいだに脱退/再加入/再脱退したデイヴ・メイスンが貢献したアルバム

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さて、いきなりですがちょっとしたトリビアを。わずか9カ月のあいだに脱退、再加入、その後またも脱退したを経験したメンバーの参加曲を含むセカンド・アルバムといえば?答えは1968年10月26日にチャート入りを果たしたトラフィックのアルバム『Traffic』だ。このアルバムは、ひとつところに留まることを知らないデイヴ・メイスンが、一旦脱退したトラフィックに舞い戻り、再び脱退するまでのほんの数ヶ月のあいだに完成している(ちなみにメイスンは数年後にいまいちどトラフィックに復帰し、またも短期間でグループを離れている)。

デビューした1967年に3枚のシングル「Paper Sun」「Hole In My Shoe」「Here We Go Round The Mulberry Bush」をイギリスのヒット・チャートのトップ10に送り込んだトラフィックは、次第により円熟したアルバム志向のグループに成長し、ニューヨーク出身のプロデューサー、ジミー・ミラーと共にデビュー・アルバムを録音。同年暮れに『Mr. Fantasy』を発表していた。トラフィックの面々は、バンド名を表題にしたセカンド・アルバム『Traffic』にもミラーを起用。この時期、彼はザ・ローリング・ストーンズとも仕事をしており、その成果は『Beggars Banquet』のタイトルでリリースされている。

Traffic booklet

メイスンは68年初頭にバンドを”初めて”脱退していたが、『Traffic』の制作に先立って、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドの3人は彼を説得し、再び4人でのレコーディングを実現させている。しかしながら、ポップな感覚に秀でたメイスンとジャズ志向の強いウィンウッド、キャパルディ、ウッドのあいだには、しかしどうにも埋まらない溝があり、当然の帰着として、『Traffic』がチャートを上昇し始めるころ、メイスンは既にラインナップを離れている。

デイヴは今なお高い人気を誇る「Feelin’ Alright」、ジム・キャパルディとの共作「Vagabond Virgin」を含む4曲で『Traffic』に貢献している。同じ1968年に発表されたファミリーの1stアルバム『Music In A Doll’s House』ではプロデューサーを務めるなど、さまざまな立場で音楽業界にその足跡を残していくことになる。

『Traffic』は1968年10月26日に27位で英チャートに登場。翌週には9位までポジションを上げ、グループの本国における最初のトップ10アルバムにして、意外なことに唯一のトップ10アルバムになっている。

Written By Paul Sexton


Traffic Traffic Album Cover

トラフィック『Traffic』

  


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