グラム・パーソンズの最後:棺を盗み出され、砂漠で火葬された遺体

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

結果論ではあるが、本名セシル・コナー3世、私たちが知るところのグラム・パーソンズ(Gram Parsons)は、速く生き若く死ぬ運命にあったのかもしれない。ジョージア州ウェイクロス出身の彼は、数年の間、創造性に溢れた短く濃縮された時間の中で快楽主義的なライフスタイルを貫いたが、その生活は彼の健康に影響を及ぼした。それでも、1973年9月19日、カリフォルニア州のジョシュア・ツリー国定公園(現国立公園)に向かったグラム・パーソンズが最期を迎えたという訃報は、悲劇的なニュースだった。

大好きだった場所への遠出は、新しいツアーに出る前の休養として計画されていた。その年の前半にはライヴを行っており、「Drug Store Truck Driving Man」「Sin City」や「That’s All It Took」など、カントリー・ロックというジャンル自体を築くことに一石を投じた楽曲を演奏していた。

しかし、旅の2日目にグラム・パーソンズは寝室で意識がないところを発見された。あらゆる蘇生措置を試みたものの、成功することなく午前0:15にハイデザート記念病院で死亡が確認された。死因は、モルヒネとアルコールの過剰摂取だった。マネジャーのフィル・コフマンと元ザ・バーズのローディーだったマイケル・マーティンが彼の棺を盗み出し、カリフォルニアの砂漠にあるキャップ・ロックに連れて行った。グラム・パーソンズの希望通り、そこで遺体に火がつけられた。グラム・パーソンズはのちにルイジアナ州メテリーにあるガーデン・オブ・メモリーズ墓地に埋葬された。

しかし、グラム・パーソンズの音楽的な伝説は豊かなものであり、初期にはインターナショナル・サブマリン・バンドと、そして1967年に西海岸に移ってからは短かったが重要な時間をザ・バーズと過ごし、クリス・ヒルマンとともにフライング・ブリトー・ブラザーズで活動し、最後に2枚の偉大なるソロ作品、1973年の『GP』とグラム・パーソンズの死後にリリースされた遺作『Grievous Angel』がある。

『GP』がリリースされた際、ローリング・ストーン誌はグラム・パーソンズを「ジャガー=リチャーズ、レイ・デイヴィスやその他の称賛されているアーティストと同じように、独特でパーソナルなヴィジョンを持っているアーティストだ」と称した。

彼の訃報について、ヴィレッジ・ヴォイス誌は元ザ・バーズのドラマー、マイク・クラークの発言を引用している「グラムが好きじゃないドラッグはなかったんだ。そこに教訓があるということかもね」。

Written by Paul Sexton



グラム・パーソンズ & フライング・ブリトウ・ブラザーズ『Sleepless Nights』

   

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